1-2 天空に昇りし巨大な塔
結局キュクロプスは一体たりとも逃げ出さなかった。
セルディアの圧倒的な力を見せ付けられて尚、仲間を殺された事に怒り、勇ましく立ち向かってきた。
その心意気には感じいるところはあるが、相手にする立場としては面倒極まりない。
圧倒的な力を見せ付ける事で逃げ出す魔物もいる。
キュクロプスとの戦闘経験があまり無いセルディアは、情報が足りてなかった。
彼らは『違うタイプ』の魔物だったようだ。
最終的に群れを殲滅。
作業ゲーをするプレイヤーの如く疲れた様子を見せるセルディアと、蹂躙を呑気に眺めていたエストリカは移動を開始する。
――というのが、四日前の出来事だ。
一見過酷に思えた旅だったが、過ぎてしまえばどうと言うことはなかった。
強いて苦な点を挙げるならば、やはり魔物の肉が美味しくなかった事。常に索敵を張り巡らせなければいけない事くらいだ。
前提としてセルディアは、人族の将である【狂者】とその部下を一人で下す魔剣士である。
魔性大陸の奥地には強力な魔物が棲んでいると聞く。
だが、彼らのスタート地点は目的地――中央大陸寄りだ。
強化されているとはいえ、彼が苦戦するような魔物はいなかった。
無論、人間なので戦闘が続けば疲労は溜まるが。
移動する、魔物を倒す、肉を食う、夜を明かす。
その繰り返しが続く事五日目。
彼等は、魔性大陸と中央大陸を繋ぐ【黒結橋】まで来ていた。
「さて。決して美味しいとは言えない魔物の肉を食し、索敵に気を取られて熟睡できない苦痛の日々も終わりが近づいてきましたが、心境は如何ですか、【大精霊エストリカ】さん」
「だってあたしは食べなくてもマナで生きていけるし。しかも毎日セルディアの中でぐっすりだったし」
「ですよねえ!!」
憑依は対象の内面を読み取る事が出来るが、逆に読み取らないようにする事も出来るのだ。
常に警戒へ意識のリソースを割くセルディアの精神的負担は全てシャットアウト。
全体の三割近くある眠りへの快感だけを共有した、悪くない日々を送っていたエストリカだった。
セルディア涙目である。
「まあまあ。ともあれ今日からは中央大陸。あっちに行けば原生動物もいるだろうし、わざわざ魔物の肉を食べる必要もなくなる訳よ」
「魔物の起源は原生動物なんだっけ? マナの影響を受けたことで変異するって聞いたけど」
「だから魔性大陸には原生動物がいないのよ。ここはマナの濃度が強いからね。原生動物が入ってきても、すぐに魔物化しちゃう」
「つくづく理不尽な話だな」
溜息を堪えて言うセルディア。
魔族という種は押し込められていたのだ。
強力な魔物が闊歩し、常に黒く厚い雲が覆っているため陽の光が届かない暗い大陸に。
挙句、一方的に宣戦され、滅ぼされた。
一番恐ろしいのは人間、という言葉を聞いたことはあるが、正直その通りだと納得できてしまう。
とまれ、魔物は原生動物がマナの影響を受けた成れの果て。
その際に、身体の中に魔結晶と呼ばれるマナの結石が誕生するのだ。
セルディア等が「魔結晶を集める」なんて事を言っていたのは、人里で売る事で金が手に入るからである。
そんなこんなで、原生動物の段階では美味しい肉だったとしても、マナが混入する事で不味くなったりする訳だ。
セルディアは上手く話を逸らすエストリカに肩を竦めつつ、
「俺は魔性大陸から出た事が無いからね。色々とナビゲート任せたよ、エスト」
「とは言っても、あたしもディアと会ってから魔性大陸の外に出てないからねー一度も。それも一〇〇年以上前の話だし。役に立つとは限らないよ?」
言葉の端々から人族の大陸になんて興味が無かった様子が感じられる。
ディアが行くならあたしも行く、という考えを持つエストリカにとっては、セルディアの世界が自分の世界なのだ。
セルディアは魔族サイドについていた。
ならばきっと、一〇〇年前の戦争が起きた時点で、『人族の大陸について』の情報は記憶の隅に追いやったのだろう。
そんな意思を感じ取ったセルディアは、こそばゆい感覚を覚えながらも笑って言った。
「……なんとかなるさ、きっと」
セルディアの頭の中には『上坂唯』として過ごした前世の記憶だってある。
もしかすると、その知識を活用できるタイミングがあるかもしれない。
「そういえばディア、確認のために言うけど、あっちに行ったら魔力使うの気をつけなよ?」
「分かっているって。『角』を見られたら何してくるか分かったものではないからね」
「『ハーフ』ってだけで忌まれるのに、それが『人族と魔族』の半魔ともなれば風当たりは酷い……最悪殺されかねないよ」
魔族が迫害され、ハーフが忌み嫌われる世界において、その両方を兼ね備えたセルディアは世間から決して受け入れられない。
幸運な事に、魔力さえ使わなければ【青鬼種】の象徴である『角』は生えてこない。
角さえなければ見た目は普通の人族なので、普通に生活している分には問題ない。
正体が、バレない限り。
「……いつまでも【黒結橋】眺めてても仕方が無いし、さっさと渡ってしまおう」
そんな事を話しつつ、二人は黒結橋を渡り始めた。
中央大陸と魔性大陸を繋ぐ巨大な黒い橋。
セルリアから聞いた言い伝えによれば、過去に偉大な大魔導師が六人がかりで作り上げたものだといわれている。
橋を構成する全てが魔術による産物。
何百年も風化せずに残り続けているのだから、その建築術式はもはや神話レベルに昇華しているだろう。
道幅二〇メートルを容易に越える橋を二人で並んで歩く。
足裏から聞こえる硬質な音をBGMに、何故か無言で歩みを進める。
常に霧掛かった様に薄暗い世界が、ゆっくりと遠ざかっていく。
魔性大陸に充満する濃度の濃いマナが少なくなっている証拠だ。
「ん――」
不意に黒い雲が途切れた。
一瞬で霧が晴れ、鮮明な視界が広がる。
もう黒くはない、雲の裂け目。
そこから見える青い空、輝く太陽。
つい先日夢で見たものとは違う、肉眼で見る本物の明るい世界。
十六年ぶりの光景を見て、セルディアは上手く言葉では表せない興奮が浮き彫りにされるのを感じていた。
「眩しいね」
「そーだね」
「目が痛い。これはあれだよ、冬の北海道で、家の中に引きこもってた奴が稀に外に出たとき、雪の白さに目がチカチカするのと同じ現象だ」
「そっか」
言いながらも、晴れた青空からは目を背けない。
いつしかセルディアは立ち止まって空を見上げていた。
エストリカもそれに倣い、彼の真横に肩を並べて立ち止まる。
「……こっちの世界で見るのは初めてだから、『久しぶり』と言うよりかは、『初めまして』なのかな」
「ディア。感慨に耽っているところに水を差すようで悪いけど、相当くさいよその台詞」
「放っておいてよ。でも、まあ――」
目元に手をかざし、降り注ぐ強い太陽の光を遮るようにして、彼は言う。
「遂に来たんだね。中央大陸に」
「……うん」
厳密に言えばまだここは中央大陸ではない。
でも、そんな野暮な突っ込みをするエストリカではなかった。
清々しい表情を浮かべるセルディアに慈愛の笑みを向けるエストリカ。
そして、気がつく。
「え?」
「???」
隣で小さく声を上げるエストリカにセルディアは首を傾げ、次いで見つける。
「なんだ、アレ……?」
【黒結橋】の向こう、中央大陸より空に向かって伸びる何かに。
いや、『何か』等という勿体ぶった表現は必要ないのかもしれない。
「――塔?」
遠目でも分かるくらい巨大な塔が、そこにあった。