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奇跡は、起きない

1話目の約1年前、湊主観のお話です

 ガチャリ。

 玄関のドアの取っ手は、外気を受けてまるで氷のように冷えきっている。少しだけ躊躇し、思い切ってドアを押し開けると一気に冬の冷気が俺を襲ってきた。


(さみ)い……」


 吐く息が白く空に溶ける。

俺は着慣れないスーツの上に羽織った厚手のコートの襟を立てた。


 山崎(みなと)、18歳。


 今日は、大好きな(ひと)の―――結婚式。




「湊~、今日子(きょうこ)ちゃん来たわよ~」


「んー」


 階下から聞こえる母親の声に座ったまま答えると、トコトコと音を立てながら階段を上がって来る音がした。するとすぐに開いたドアからひょいと卵型の小さな顔が覗く。


「湊クン、へへ、来たよ~」


「来たよ、じゃねぇよ。お前、約束の時間ギリギリじゃねぇか。ちゃんと払った金の分の働きはしてくれよ」


 俺は高鳴った鼓動を誤魔化すように悪態をつく。分かってるよう、っていうかお金払ってくれたのは湊クンじゃなくておばさんだよ、と頬を膨らませた今日子を見てさらに心が躍る。

 今日子は隣の家に住んでいる、いわゆる幼なじみというヤツだ。俺が物心ついた時にはもう家族同然の付き合いをしていた。もっとも、俺より4歳年上だから、一緒に遊んだというよりも遊んでもらった、ってのが正しい。

 こいつは幼い頃顔が怖くて周りのヤツらに怖がられた俺を、あろうことか怪獣の子供みたいでかわいい、と言ってのけた唯一の女だ。自分で言うのもなんだが、俺は決してかわいくない。こいつは俺が思っているよりもすごい奴かもしれない、と子供ながらに見直したのを今でも覚えている。

 今日子は今年の春から東京の女子大に進学し、一人暮らしを始めた。そして約4ヶ月後の夏休みの帰省中に俺の家庭教師のアルバイトをやってもらうことになった。俺は中学3年生、のんきに遊びまわる事を禁じられた辛い受験生なのである。


「大学の方はどうなんだ?」


「あ~うん。友達出来た」


「マジか」


 ふにゃりとした笑顔を浮かべて今日子が頬を染めた。こいつは大物のくせに少し臆病なところがあって、自分から他人に溶け込むのが苦手だ。大学に入ってすぐの時、友達が中々出来ずによく電話やメールで悩みを相談されていた。


「湊クンが励ましてくれたおかげだよ~」


「は? 俺は別に何もしてねぇし」


「ううん。湊クンの『泣くな、笑え!』、すっごく効いたよ。やっぱ落ち込んだ時は湊クンのこの言葉を聞かないと浮上できないんだよね」


「そうか」


 『泣くな、笑え』というのは昔っからよく泣いてる今日子に俺が言うセリフだ。

 いじめっ子にからかわれた時。テストでいい点が取れなかった時。友達とケンカしてしまった時。センター試験で思うように得点出来なかった時。

 こいつは何故か俺の部屋から見えるようなとこで必ずベソをかいてるんだ。それがうっとーしくて、いつもそう言って泣きやませて涙を拭いてやってたんだよな。こいつはそれを励ましだと思ってたみたいだけどさ。


「さ、そろそろ勉強始めよっか。何からする?」


「あ~、……英語。壊滅的だから」


「英語ね、任せて! だてに英文科通ってないよ!」


 そういってヒマワリのような笑顔を浮かべた今日子は、すごく輝いて見えた。

東京に出て行ったせいだろうか。今日子は前よりも垢抜けた気がする。

その笑顔が眩しすぎて、俺は教科書を開くふりをして目を逸らす。


 この頃は気付かなかった。

―――この感情が、恋と呼ばれることを。

 ようやくこれが恋かと気付いたのは、今日子の結婚が決まった後、だった。


 そもそも俺は恋というものをした事がない。

もちろん俺も男の端くれなので、かわいいなとかいいなとか思った女子が居なかった訳ではない。でもだからといって告白したい、付き合いたい、と思った事なんて今まで生きて来て一度もなかった。

 モテた事のない俺の僻みなのかもしれないけれど、女って生き物は苦手だとすら感じていた。中学生にもなれば自然と恋愛の話が増えてくる。誰々が告白されただの、付き合い始めただの、ついこの間までゲームやサッカーの話ばかりしてた男達が次第に変わっていくのを、俺は少し離れたところから不思議な気分で見ていた。戸惑っていたと言ってもいい。

 似たような(もの)の中からたった一人を選ぶってどんな感じなんだ?

もっと美人な女がたくさん居るのに、そいつじゃなけりゃダメだった理由は何だ?

 「優しいところが好き」っていう理由をよく女は言うけど、じゃあ冷たくされたら嫌いになるのか? 結局は顔で選んでるんだろう、取って付けたような嘘つくなよ。まず最初に顔で選別した上で優しい奴を更に厳選しているんだろう? なのに顔さえよければ酷い男についていくのは何故なんだ?

 分からない。俺には恋というものが全く理解できない。

 そう、あることは知っているけれど、俺には関係ない、まるで教科書に載ってるのを見るだけしか出来ない火星か金星のようだと思っていた。

 だけど、俺は知らなかったんだ。火星も金星も、タイミングさえ合えばちゃんと見られるって事を。……触れる事は、叶わなくても。


 それに気付いたのは、高校三年の冬だった。


「湊。お隣の今日子ちゃん、結婚するんだって」


「え……?」


 鍋の豆腐を取ろうとした俺は、うまく掴めず落としてしまい、熱々の汁が盛大に辺りに飛び散った。


「ちょっと湊、気をつけなさい! こっちまで飛んできたじゃないの」


 母親が眉をしかめる。でも、俺はそれどころじゃなかった。嘘だろ。空耳だよな?


「今、何て言った?」


「え? ああ、今日子ちゃんね、大学卒業と一緒に結婚するらしいわよ。なんでも相手の方がどこだったかしら、サンフランシスコ? ニューヨーク? とにかく、アメリカのどこかへ転勤になったから、それについて行くそうよ」


「……」


「そうか、今日子ちゃんは英文科だったもんなぁ。それにしても急な話だな」


 父親がのんびりと小皿にポン酢を補充しつつ頷く。


「そうなのよ、明日がクリスマスイヴでしょ、式が2月の終わりって言ってたから、あと2カ月ってとこね」


 両親が交わす会話を、俺は上の空で聞いていた。

 何だって?

今日子と俺は毎日ではないけれど、週に一度くらいの割合でメールしあう仲だった。

 それなのに俺は今日子に付き合っている男がいる事も、そしてその男と結婚するという事も初耳だった。


「そうだ、あんた、明日帰りにケーキ取りに行って来てね」


「うん……」


「まぁ、あんたが素直に引きうけるなんて珍しい。明日は雪ね」


「湊? もう食べないのか?」


「うん、もう腹いっぱい」


 俺は流しに食器を運ぶと、一目散に自分の部屋へと戻った。

ベッドにゴロンと寝転び、天井を見上げる。

 今日子が結婚? そんな事ある訳がない。

あの泣き虫な今日子が、俺に何の相談もなしにそんな事するなんて、俺は信じない。


 暖房も入れずに冷たい部屋の中で、携帯の着信履歴を探して発信する。


「もしもし、湊クン?」


 5コール目で今日子が出た。少し緊張しているような声だった。


「……うん、そう。あの、さ。今日子……結婚するって、嘘……だよな?」


 長い沈黙の後に絞り出した言葉は、ひどくかすれていた。


「あぁ、聞いたんだね。うん、そうなの。ごめんね、急な話で。湊クンにいつも話そう話そうと思ってたんだけど、何だかタイミングを逃しちゃって……」


 はにかんだ今日子の声。その声を聞いて、やっとこれが真実なんだということを知る。

 今日子は湊クンもお式に絶対に来てね、とか、頑張って痩せなきゃ、とか多くの事を語ったけれど、そのどれもが俺の中を素通りしていった。

 身体だけじゃなく、頭の芯が冷えて行くのを俺は黙って受け入れるしかなかった。

 仲が良かった幼なじみが結婚するんだから、寂しいのは当たり前だろ。

こんなに胸が苦しいのも、こんなに喪失感に苛まれるのも。

 この時はまだ、そう思ってたんだ。




「ありがとうございましたー!」


 翌日、学校帰りにケーキ屋に寄って予約していたクリスマスケーキを受け取った。

 小さいころから通っていた店で、今日子と小遣いを握りしめて一緒に買いに来た事もある。二人で買った一つのケーキ。上に乗った苺をお互いに譲り合いながら食べた。

 束の間思い出に浸りながら赤い箱を傾けないように大通りを歩くと、二人組のストリートミュージシャンがこの寒空の下でパフォーマンスをしていた。二人ともギターを持ち、その内の一人がヴォーカルだった。

 演奏も声も全然上手じゃないのに、その歌声が俺の胸に突き刺さって来る。今日子が好きだと言っていた曲だ。それまで俺はその曲をちっともいいと思っていなかったのに、その言葉を聞いてからテレビやラジオで耳にするようになり、最終的にはCDを買っていた。


 その曲を聴きながら、俺はいつの間にか声も無く涙を流していた。

自分の気持ちが、ようやく見つかったら。

そうか。

これは、恋だったんだ。

なんで今まで気づかずにいられたんだろう。

俺の恋は、そうと気づく前に終わってたんじゃねぇか。

なんてザマだ、情けない。


 俺は頬を伝うものをぬぐうこともせずに家までの道を歩き続けた。


 街は楽しそうに腕を組むカップルで溢れている。誰もが自分達の世界に入り込み、周囲の迷惑を考えない、そんな奴らが俺は嫌いだった。

 でも、あいつらはお互いを好きになって、告白して、両想いになった奴らばかりなんだってことに気付く。

 それって、すげーよな。

 自分が好きな人が、自分のことを好きだなんて、奇跡みたいだ。いったいどれくらいの確率なんだろう。

あいつら、すげーよ。勇気あるよ。こんなにぐちゃぐちゃになってても、俺には今日子に想いを告げるなんて到底出来そうにない。

 今さら……もう遅い。


「あっ、雪が降って来たよ」


 誰かの声が耳に入り、俺は空を見上げた。真っ暗な空から白い雪がイルミネーションで輝く街に降ってくる。

 そして、俺の想いにも雪が舞い落ちる。

お願いだ、早く積もってくれ。そしてまるで初めからそんなもの無かったかのように、隠し続けてくれ。俺の想いが風化するまで、根雪のように。




 トントン、とドアをノックすると、中から、どうぞという声がする。

控室に入ると、今日子は鏡の前のイスに座っていた。


「湊クン……」


 振り返った今日子は、今まで見たことも無いくらいキレイだった。

繊細なレースで縁取られた純白のウェディングドレス。そして、頭に乗っかったティアラとかいう冠から垂れる薄いベールで顔が覆われている。


「えへへ。どうかな? ……似合う?」


「うん、まぁまぁってとこかな」


 こんな時まで憎まれ口をきいてしまう自分が憎い。だけど、これが俺にとって最大級の褒め言葉だということをコイツはちゃんと知っている。


「ありがと」


 ほら。

 今日子はそう言ってふわりと幸せそうに微笑んだ。


「向こうには、いつ?」


「……あさって。彼の仕事の都合もあるし、早く向こうに慣れといた方がいいからって……」


「……そうか」


 何となく二人の間に沈黙が降りる。すると、さっきまで笑っていた今日子の顔がくしゃりと崩れた。


「どしたんだよ?」


「……ごめん、湊クン。最後に泣きごと言ってもいい……? これで最後にするから」


 最後。その言葉がズキリと胸に刺さるのを感じながら、俺は頷いた。


「私ね……今、とっても不安なんだよね」


「……何が」


「彼について行って本当にいいのかなって」


「……」


「誰も私を知らないようなとこで頑張れるのかなって」


 その言葉に、息を呑む。だったらどこにも行くなよ、ここに居ろよ。いつまでも俺の傍に居てくれよ。今口を開けばそんな言葉が飛び出してきそうで、俺は唇を痛いほどに噛みしめた。

 そんな事言ってどうする。今日子が欲しているのはそんな言葉なんかじゃない。そんな事俺に求めてない。ただ、単純に幼なじみである俺に背中を押してほしいだけなんだ。

 あぁ、あの星みたいな涙を拭くのはもう俺の役目じゃないんだ。そう自分で気付いておきながらその事実が俺を深く(えぐ)る。


 俺は大きく深呼吸してから口を開いた。


「……大丈夫だ、今日子。お前は一人じゃないだろ」


「湊クン……」


 今日子の、俺を呼ぶ少し鼻にかかったような声が大好きだった。

彼女は今日、俺じゃない男の元へと嫁いで行く。

 俺に与えられた役割は、今日子を応援する事だけだ。

 だけど、その時、俺はこの瞬間のために生まれてきたんじゃないかと思えたんだ。俺が今日子の幼なじみだったのも、きっとこのためだったんじゃないかって。負け犬と呼ばれてもいい。俺は崩れそうになる気持ちを必死で立て直して叫ぶ。


「今日子。泣くな、笑え!」


「出た。いつもの、口ぐせ……」


 泣き笑いのような顔で、今日子が少しだけ笑った。俺はその笑顔を守りたくて、無我夢中でまた叫んだ。


「今日子は絶対に幸せになれる! 俺が保証する!! だから、笑えよ!」


「湊クン……ありがとう……」


 今日子の頬に涙が流れる。せっかくの化粧が台無しだ。


「おいおい、泣くのはまだ()えーよ」


 俺がおどけて言うと、今日子は、そうだね、と言って泣きながら微笑んだ。


 何度でも言ってやるよ。

最後まで言えなかった、俺の気持ちの分まで。

幸せになれ、今日子。

俺はいつでも、いつまでもお前の幸せを祈ってやるよ。




 これが、俺の最初で、―――最後の恋の話。

俺の恋心に積もった根雪は、春が来ても溶けることはないだろう。


BGM:BUNP OF CHICKIN/スノースマイル、桑田佳祐/白い恋人達

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