奇跡は、起きる
「山崎湊くんっ、好きですっ! 付き合ってくださいっ!」
「無理」
バッサリ。
かくして、私の通算12回目の告白は、あっけなく玉砕した。
「うぅ~」
私は涙ぐみながら学食でAランチのトンカツを頬張る。
「汚なっ、ありす、鼻水出てるよ。泣くか食べるかどっちかにしなよ」
親友の和美が眉をひそめて10センチ左へ遠のく。ありすというのは私の名前だ。
フルネーム、宇佐美ありす。母親が不思議の国のアリスが大好きでこんな変な名前を付けられてしまい、今では慣れたけれど子供のころは結構嫌な思いもした。ウサギなのかアリスなのかはっきりしてくれと両親を責めたことがある。
「和美冷たい~」
「そりゃ10回も同じこと繰り返したら冷たくもなるでしょ」
「違うもん、12回だもん~」
「余計悪いわ」
和美は容赦なくトレイを抱えるように丸まっていた私の頭に、自分が持っていた箸をひっくり返して刺した。
ぐさっ。
「い、痛い……」
「箸の先じゃないだけいいでしょ」
そう言って和美は味噌汁をずずっと音を立てながらすすった。なおもグスグスと鼻を鳴らす私を横目で見て、いい加減に諦めればいいのに、と聞こえよがしに呟いている。
「だって、好きなんだもん」
「知ってる。でも、どうしてそんなに夢中になれるか分かんないわ。悪い人じゃなさそうだけどさ、あんま話したこともないよね? それにこんな事言うのもなんだけど、そんなかっこ良くもないよね。むしろちょっと強面だし」
「あっ! またそんな事言って! 湊くんはめちゃくちゃかっこいいよ? 和美は湊くんのいい所を知らないからそんなこと言うんだよ!」
私は猫背をガバリと起こした。耳タコなんだけど、という和美の不満げな声を無視して、私は湊くんとの出会いを語り始めた。
それは4月の下旬、私と同じ名前だと知って速攻で応募したケーキショップ“Alice”で働き始めたばかりの頃だった。大学生になったばかりの私は、当然初めてのバイトで、ケーキ屋ならファミレスや居酒屋と違ってそんなに忙しくも無いだろうと高を括ってここで働き始めて―――すぐにそんなに甘くない、と気付いた頃。
「あぁっ、宇佐美さん!」
「え……? う、うわぁっ!」
ガシャンッっと店内に金属音が響く。やっちゃった。持っていたロールケーキをショーケースのはしっこにぶつけてしまった。見るとケーキは生クリームだけじゃなく、スポンジまで欠けてしまっている。
「もう、何やってるの!」
「すみませんっ!」
社員の関さんが怒鳴り、私は慌てて謝った。実は、ケーキを売り物に出来なくしてしまったのは、これが初めてじゃなかった。その後もくどくどとお説教が続く。
あ~私、やっぱりこの仕事向いてないのかも……。そう思って泣きそうになった時だった。
「あの、すみません」
後ろから声が聞こえ、私と関さんは同時に振り返った。そこにはいつの間に店に入ってきていたのか、大学生風の男の人が立っていた。ケーキ屋に似合わない、背が高く少し怖い雰囲気を持つ人だった。慌てた私たちはすぐに接客モードへと切り替える。
「いらっしゃいませ! お待たせいたしました!」
「ロールケーキ、欲しいんですけど」
その男性は無表情で私が持っているロールケーキを指さした。
「申し訳ございません、こちらのケーキは欠けてしまったので、お売りすることが出来ません」
関さんが私の代わりに謝罪してくれた。他のロールケーキはすでに完売してしまっている。
「それでいいです。どうしてもロールケーキが食べたいんで」
「で、では、割り引いて販売させていただきます。よろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
私はその一連のやり取りを信じられない気持ちで見ていた。もしかして、助けてくれた……の? それとも本当にロールケーキが食べたかったの?
関さんに急かされ、我に返った私は男性が会計を済ませている間にケーキを赤い箱に詰めた。仕上げに賞味期限が記載された店のシールを貼って袋へ入れ、手渡す。
「あ、あのっ!」
私の呼びかけに、ドアに手を伸ばしていた彼は顔だけで振り返った。
「ありがとうございましたっ!」
私がそう言うと、彼は口の端で少しだけ笑い、何も言わずに店を出て行った。笑うと雰囲気が柔らかくなり、彼が優しい人なんだという事が分かる。
やっぱり、助けてくれたんだ……! 何ていい人なんだろう!
私は彼の姿が見えなくなるまで、ずっとその後ろ姿を追っていた。
「確かにいい話だとは思うけどさ。それだけで好きになる?」
「なるよ。私は好きになったもん……」
私は少しだけ語気を弱めてそう言った。
和美にもまだ話していないことがあったから。
私が湊くんに会ったのは、実はその時が初めてじゃなかったんだ。
あれは高校3年生の冬のことだった。
私は受験生だったから、その日はクリスマスイヴだというのに家から遠く離れた塾で勉強してきた帰り道だった。何もこんな日まで勉強させなくってもいいじゃん、そう不貞腐れた私は、足早に友達が待っている駅前のカラオケボックスへと向かっていた。
そして寒さに身を縮こまらせながら信号待ちをしていた時、何気なく隣に立つ背の高い男性の方を見やって、私は驚きで目を瞠ってしまった。
―――その男性は泣いていた。声も出さず瞬きもせず。ただただ、前方を見つめたまま涙を流していた。イルミネーションの光が反射したその一筋の涙はとても綺麗だった。男の人の涙を綺麗だと思ったのはそれが初めてだった。
信号が青に変わると彼はあっという間に雑踏の中へと消えて行ったけれど、私の目には彼の涙と彼が手に持っていたケーキの箱の赤が鮮明に焼き付けられたんだ。
だから、ケーキ屋で彼を再び見た時にはとても驚いた。顔なんてすっかり忘れていたけれど、彼を見た瞬間にあの時の人だとすぐに分かった。
そして、なんとか合格した大学へ進学し、ようやく周囲を見渡す余裕が出てきた頃、全学の講義で彼を見つけた時には、これは運命だと確信したんだ。
その時、学食に湊くんとその仲間達が入って来た。カウンターで料理を受け取り会計を済ませると、彼らは席を探して辺りをキョロキョロと見回している。
「み、湊くん! ここ、席空いてます!」
私が挙手をすると、湊くんは友達へ連れられ、苦虫をかみつぶしたような顔をしつつもこちらへやって来た。和美もよくやるよ、という目でこちらを見ている。
「こ、こんにちは!」
「こんちわー、ありすちゃん」
私の挨拶に返事をしたのは湊くんの友達の方だった。確か名前は正則くん、だったと思う。湊くんは無言のまま私から一番遠い席に座った。
「いつもごめんねー、湊が愛想なくて」
「い、いえ」
「ま、こんな愛想の無い子だけど、仲良くしてやって。実は湊、去年大失恋しちゃってさ。恋に臆病になってるからさ……」
「うるさい、黙って食え」
正則くんの軽口を湊くんが遮断する。正則くんは、こわ~いと言いながら首をすくめて食べ始めた。
そっか~。
もしかして去年のクリスマスイヴに泣いてたのはそのせいだったのかな?
突然知ってしまった事実に、驚いたり悲しんだりする前に、納得してしまった自分がいた。
きっと、すごく好きだったんだろうな。それは、彼の涙を見た私だから分かる。真剣に好きじゃなかったら、あんな綺麗な涙は流せないと思う。
まだ、その人の事が忘れられないの? 私の入る隙は、全く無いの?
横顔の湊くんに心の中で問いかけたけれど、当然返事は無い。
結局その後は講義のレポートについての情報交換で話は終わり、ついに湊くんと話す事は出来なかった。
「これ、作って来たんで食べてください! 好きです!」
「いらない。有り得ない」
バッサリ。
今日も湊くんの言葉の斬れ味はハンパ無い。通算13回目の告白はまたもや玉砕だった。もうちょっとなまくら刀にしてくれないといくつ命があっても足りないよ……。
立ち去る元気も無く、失意のまま湊くんが座るベンチの端に座り込んだ。迷惑そうな顔をしているのが目に入る。
「おいしいと思うのになぁ、このカップケーキ。甘党な湊くんには餌付け作戦が効果的だと思ったのに」
私がボヤくと、湊くんはその言葉を怪訝そうな顔で拾い上げた。
「どうして俺が甘党だと思うんだ?」
「だって、ケーキしょっちゅう買いに来てるから」
「誰かのお土産に買っていくだけかもしれないだろ」
そう言った湊くんに、私はチッチッっと人差し指を振って見せた。
「お土産でケーキを買っていくだけの人が、あんなにケーキの名前を覚えてるはずないもん。湊くん、店に入ってすぐに注文してるよね。それに、甘党な人はすぐに分かるの。だって私が甘党だから!」
びしっ! と指を突き付けると、湊くんはビックリした顔をして、その後に我慢出来ない、という風に笑い出した。あの時見たのと同じようにいつもの強面が少し幼くなる。いつも笑ってればいいのにな。……湊くん、まだ笑ってる。ちょっと笑いすぎじゃない?
「そ、そんなに変な事言ったかな、私……?」
やっと笑いが収まったらしい湊くんは私が持っていたカップケーキの袋をひょいと取りあげた。
「まぁ、面白かったから、これは貰ってやる」
「えっ、いいの? じゃあ、私と付き合……」
「わない」
「……ですよね~」
どさくさに紛れて交際に発展させようと思った私の作戦は失敗した。断られるのは何度体験しても辛い。でも、笑顔が見れたから今回はいつもよりは落ち込んでない、気がする。多分。
「……いい加減に、からかうのはやめてくれよ」
数秒間の沈黙の後で、湊くんが前方を見ながら言った。その視線の先にはたくさんの学生が食後のひとときを思い思いに過ごしている。彼らから見たら、私たちはどんな関係に見えているんだろう。
「からかってないよ。私はいつでも真剣だもん!」
「だったら、何で俺なんか。男ならたくさん居るだろう?」
「湊くんは、この世に一人しか居ないよ」
「……っ」
私の言葉に、湊君は俯いて、そして私の方へ視線を向けた。
「……何で、そんなに頑張れるんだよ」
「え?」
「何で何回も無理って言われてるのに、そんなに頑張れるんだよ」
湊くんはさっきまでの笑顔が嘘のように真剣な顔で私を見つめる。こんなに長い時間目が合ったのは初めてかもしれない。
「ごめん、迷惑だよね。……でも、どうしても諦められないんだ。何度もフラれて、もう駄目なんだって頭では分かってはいるんだけど、これだけは、どうしても諦めたくない。本当に、手に入れたい物だから」
あ、湊くんを物扱いしちゃった。だけど湊君はそんな私の言葉を咎めなかった。何かを思い出すかのように、瞳が揺れている。
「どうして、俺なんだ」
そう尋ねてきた湊くんに、私は去年のクリスマスイヴの話をした。湊くんはその場面を見られていたことに一瞬恥ずかしげな表情をしたものの、最後まで私の話を聞いてくれた。
「そっか、見られてたのか。かっこ悪ィな……」
「そんなことない! だって、それで私は湊くんの事がずっと気になっていたんだから!」
「……」
「湊くん、私は本気で湊くんの事が好きだよ」
14回目の告白。湊くんは、しばらく黙って、そして一言ごめんと言った。いつものように無理とか有り得ないじゃなく、私の気持ちに真摯に答えてくれた事に気付く。
「うん、分かった。今まで迷惑かけてごめんね。……ありがとうございました」
私は湊くんに向かって深く頭を下げた。そして立ち上がると校舎の方へと歩き始める。その角を曲がるまで、泣くのを必死で我慢した。
それから私は湊くんを避けるようにして毎日を過ごした。
彼の取っている授業はすでに把握しているので、かち合わないようにルートを熟考したりお昼の時間をずらしたりした。そんな事をしている内は湊くんの事を忘れることなんて出来っこないと分かっていたけれど、まだ他人の振りをする事もこんにちはと挨拶する事も到底出来そうになかった。
でも、そんな方法がいつまでもうまく行くはずがない。
ルーズリーフを買いに生協へ向かい、色付きにするかどうかで悩んでいた時、陳列棚の向こうから数人の男の子の声が聞こえて来た。その内の一人が湊くんだと声を聴いてすぐに気付く。
「……だから、あいつとは何でもないんだって」
「嘘だろ? 俺は結構お似合いだと思ったけどなぁ、お前とありすちゃん」
私の話だ。
逃げなきゃ、頭ではそう思っているのに私の足はちっとも動いてくれなくて、私はただただ息を顰めて石のように蹲って気配を消していた。
すると誰かが辺りを憚る様に話す声が耳に入って来る。
「俺、宇佐美さんと同じ高校に友達が居るんだ。それで、今だから言うけど、宇佐美さん、その頃あんまり良い評判じゃなかったみたいだぜ?」
「え、どういう事?」
やめて、その先は言わないで。そんな話を湊くんに聞かせないで。
その願いも虚しく、その人は私の過去を話し始めた。
「何でも、コロコロ好きな男が変わるらしくて、一人三カ月ももたないから、付いたあだ名が“ワンクールの女”と“宇佐ビッチ”らしいよ。ほら、アニメキャラクターの」
「そいつはすげーあだ名だなぁ」
数人が揶揄したような笑いを漏らす。私の顔がみるみる熱くなる。
耳を塞ぎたいのに心とは裏腹に彼らの話を聞いてしまう自分が情けなかった。
あぁ、今すぐ消えて無くなりたい。
すると、湊くんの凛とした声がその笑いを遮った。
「止めろよ。本当か分からない噂話で、人を判断するな。それに、もし本当だったとしても、お前にだって他人に知られたくない過去の一つや二つ、あるだろう? 俺にはあるよ」
「た、確かに俺の高校時代は黒歴史だらけだぜ……」
「それに……俺はあいつの事を少しだけすごいと思った。あんなに誰かに対して真っ直ぐに突っ走るなんて、……俺には出来ない。ほんとすげーよ、あいつ」
「うんうん、ありすちゃん、いつも一生懸命でいい子だったよな~」
「自分で言い出した話だけど、もうこの話やめよーぜ。ごめんな、変な事言って」
「そろそろ行こう、席が無くなる」
私は彼らの声が遠くなって、次第に聞こえなくなっても、そして生協の人が「大丈夫? 気分でも悪い?」と心配して声を掛けてくれるまで、その場を動けなかった。
知られてしまった。私の消したい過去を。
高校生の頃、私は恋に憧れていた。私も誰かと映画やドラマのような恋愛がしたいと思っていた。だから好みだな、いいな、と思った男子に告白をしまくってそして玉砕しまくっていた。たまにOKしてもらえたと思ったらフタマタだったり都合のいい女扱いされたり、高校時代にはろくな思い出がない。
でも、それでも私はすぐに次の恋をした。元々惚れっぽいタイプなので相手には事欠かないし、フラれてもそこまで落ち込むことはなかった。
……今なら分かる。私は彼らに本気じゃなかったんだ。本気じゃない気持ちは、いくら傷付けられてもちっとも痛くないから。
だけど、今、私の胸は張り裂けそうに痛む。湊くんが庇ってくれたことが、余計に響いている。嬉しくて、でも恥ずかしくて、自分の気持ちが整理できない。それでも一つだけ分かるのは、私はまだ全然湊くんの事が好きで、今日また好きになってしまったという事だ。諦めようと思った後で更に好きになるなんて、本当に私は馬鹿だ。……でも。
私は初めて本気で人に恋をした。その相手が湊くんで良かったと、心から思う。湊くんを好きになれる自分が今までよりももっと愛おしくなる。いつか、この気持ちが思い出に変わっても、それだけは私の誇りだと胸を張れるだろう。
だから湊くん。もう少しの間、あなたを好きなままでいることを、許してください……。
「お疲れさま、宇佐美さん。ごめんね~せっかくのクリスマスイヴに」
「いえ、これといって予定もありませんでしたから。はは」
私は自虐的に笑った。湊くんにキッパリと断られて、1カ月。今年のクリスマスはケーキ屋のバイトで終わりそうだった。
「ま、まぁ元気出して。このケーキ、少し崩れちゃったから持って帰っていいよ」
「ほんとですか? わーいっ」
自分でも不自然だと思うくらいにはしゃいで見せる。
バイトで経験を積むうちに失敗も無くなり、関さんとも仲良くなれた。恋愛と違って、仕事は頑張れば頑張った分だけ自分に返って来る。これからは仕事に生きようと思う。
ケーキの箱を受け取って、着替えのためにロッカールームへと移動した。着替えが終わると備え付けのテーブルの上でケーキの箱を開けて中を覗く。
「あ、ブッシュドノエルだ~」
チョコレートクリームでコーティングされた、薪の形をしたケーキ。薪の部分はロールケーキで出来ている。ロールケーキ……湊くん……。そこまで考えて、私は頭をぶんぶんと振る。もう、忘れなきゃ……。
店内で流しているクリスマスソングの音がロッカールームにまで聞こえてくる。毎日のように聞いているその曲が今日はやけに心に染みた。
そして、気付いたら、私は携帯をカバンから取り出して鳴らしていた。
登録したまま一度も掛けたことのなかった番号は、何度も眺めすぎて今では空で暗唱できるほどだ。
「……もしもし」
3コールの後、不機嫌そうに相手が出た。
「あ、あのっ、湊くん? 私、宇佐美です! あの、私、やっぱり……!」
私はしどろもどろになった。何て言えばいいのか分からない。これじゃストーカーだ。
「……遅せーよ」
「は……い?」
相手の言葉の意味が分からずに私は首を傾げる。
「お前、どんだけ待たせるんだよ」
「あ、えーと、ご、ごめん……?」
待ち合わせなんてした覚えはないけど、怒っているようなので一応謝ってみた。
「ったく、今まで散々纏わりついておきながら勝手に居なくなって。俺がどんだけ心配したと……いや、俺のせいか……まぁいい、おい、お前、今すぐこっちに来い。五分で来い。来なかったら、もう知らない」
「ま、待って! 5分で行くから! 今すぐ行くから!!」
まだ全然状況が理解できなかったけど、湊くんは私を待っているみたいだ。だったら、私の選択肢は一つしかない。
私の止まっていた時計が動き始める。まるで不思議の国のアリスの、白ウサギのように。
これは何事? 私、夢を見てるの?
外へ出ると、白い雪が降り始めていた。
転ぶなよ、と言って切られた携帯を握りしめ、私は一目散に駆けだした。
クリスマスイヴの奇跡に、感謝しながら。
BGM:DREAMS COME TRUE/WINTER SONG、MAX/一緒に…