第三日 トロな休日~夕夜~
場所に覚えがある厩舎の一つに急ごうと振り返る。すると、十歩と離れないところにレーデがこちらを目指して歩いていた。
「よぉ。制服のまんまで、何やってるんだ?」
「これはミシェルが迷子にならないよう、目印だよ」
「ミシェルって名前になったのか? って、女の子だったんだな、見違えたぞ」
それはそうだろう、僕の中にはもうカラスだった時のことの方が嘘に感じてしまう。それほどの変化が目の前にある。
「やぁ、ミシェル、覚えてるかい? 昨日、ギルドにいたお兄さんだ」
「んー? 知らない」
覚えてないらしい。というか、ついにミシェルで反応し上に、クロウを主張しなかった事に僕の苦労が少しでも報われた気がする。だけど、僕が呼んだことに対する反応じゃないって事が、なんだか納得いかないというか、悔しいというか。残念でならない。
「そっか。そいつは仕方ない。……お兄さんはレーデっていうんだ、よろしく」
言いながら腰を落として、笑顔でミシェルの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。撫でられるのが好きなのか、ミシェルも笑顔になって。
「おう、よろしく!」
おう、は無いだろう……。ってこんな事をしている場合じゃなかった。
「ごめんレーデ、今急いでるんだ。馬を借りないと!」
「馬で通うことにしたのか?」
「いやぁ、まぁ……うん、まぁ……そう」
「お前、忘れてただろ……」
「ごめん」
「まぁいいか、早く行ってこい……またな? ミシェル」
「またなー」
「ほら、急げ!」
僕の背中を叩くように押してそう言ったレーデは、僕達が見えなくなるまで見送ってくれていた。
そして厩舎に着いたものの、人の姿が見えない。
「ヒィィィィーーン!」
脚を上げ、蹄で地面を叩き鳴らして完全な警戒モードの馬たち。といっても、馬房から出ることは出来ないからこちらは安全なのだが、歓迎はされてない事だけは伝わってきた。ミシェルも怯えて僕の後ろにくっ付いている。
「誰かいませんかー!」
返事はかえってこない。
安全は安全なのだからと、僕は勇気を出して中へ入っていく。するとどうしたことだろうか、馬の脚踏み音はどこかへ消え去り、心なしか、近くにいた馬ほど馬房の奥へと距離を取ろうとしている気がした。馬は臆病な性格と聞いたことがある。けれど、ここまで警戒されたりしたのは初めてだった。
「誰かいませんかー!」
同じ台詞で呼びかけると
「へぃへぃ。御用ですかい?」
出っ歯が特徴的な小柄な中年男が、空の馬房から姿を現す。
「良かった、馬を一頭借りたいんですが」
「えーえー。よろしいですとも……で、馬を借りたことは?」
「借りたことはないんですが、飼ってはいました」
「ほーほー。で、どれくらい借りたいんですかい?」
「予定は1週間で」
「はぃはぃ。そしたらこっちへ……馬を選んでもらえますかい?」
案内された先には、ずんぐりむっくりで脚も太い馬、背が高く脚の細長い馬、背が低く銅が長い馬と、大小様々な馬が並んでいる。馬ばかりでなく、ラマ、ロバ、牛、羊までいる。
この中から選ぶとしても、街中を走るだけなので、特別スピードは要求しない。荷を大量に乗せるわけでもない。騎乗用動物ならどれでもいいくらいだ。とりあえず、一頭ずつ見るために厩舎内を巡る。
先程まで僕にくっ付いていたミシェルが、とある馬房の前で跳んだりしゃがんだりして中を見ているではないか。戻って見ると、その馬房には早く走るために改良された馬種、サラブレッドがこちらを見つめていた。その馬は白い毛並みに茶色の斑点模様をしていた。
ミシェルはおもむろに近付くと、馬房に渡された木枠をバシバシと叩き始める。気に入ったのだろうか、それとも挑発してるのか。白い茶斑点のサラブレッドがそれに反応して、嘶きながら両前足を高々と上げる。まるで二足歩行でもしようと立ち上がったみたいだった。危険を感じた僕は咄嗟に、両腕ですくう様にミシェルを抱え上げた。
サラブレッドが落下するように前脚を下げ元の姿勢に戻ると、ゆっくりと頭を下げこちらに近付ける。その頭をミシェルが両手で撫で回す。馬流のお辞儀の仕方だろうか。
「おやおや。お客さんこいつに好かれるとは珍しいですな」
「今のって好かれたって事なんですか?」
「えーえー。いつも客を乗せるどころか、触らせようともしないんでね」
そんな馬貸し出そうとするなという突っ込みは、この際置いておこう。
ミシェルが馬を撫で回している間、馬は動かずに素直に撫で回されている。中年男の話が仮に嘘だとしても、気が合っているのは確かなようだった。
「じゃあ、この馬を借ります」
「はいはい。それじゃあ保証金四〇〇オレンを含めて~、こんなところですかな」
どこから出したのか算盤を弾いて、見せてくる。算盤の見方は分かるがどうも疎い。やっとの思いでいくら提示してきたかを理解する。
「高っ!」
中年男が提示してきた額は九八二オレンだ、いくら保証金を含んでるとは言え、これなら一頭買った方が安い。どう考えても、足元を見るボッタクリ価格だった。
「おやおや。冗談ですよ旦那、本気にしないでくだせい」
冗談には全く感じられないが、さも当たり前のように流して、算盤をしまう。
「ではでは。二〇〇オレンぽっきりでお貸ししましょう……なんと、今なら貸し出し期間分の飼葉もお付けしますぞ!」
「あーあの、この街に住んでるんで、分かりますけど。……五〇オレンで十分ですよね?」
男はジトッとした眼つきに早変わりすると
「へぃへぃ。そんじゃあ五〇オレンで……」
そう中年男のやり口は典型的だった。まず保証金と法外な貸出し代金を合わせた額を提示して、次から保証金を抜いた額で話をする。それも貸出し代金は半額以下で、飼葉も付ける。これで相手が話を飲めば万々歳。飼葉も譲渡はするが運ばないので、更に運び賃が必要になる。飼葉なんて実際、厩舎では必ず売られている、それもとても安価。何日分もの飼葉ともなれば相当な量となるので、運搬費としていくらボッタクられるか知れたものじゃない。
「あと、一〇オレン足すんで飼葉を定期的に家に送って下さい。場所は……」
結構近いし、割高かも知れないが、手間賃と考えれば痛くは無い。
「はいはい。わかりましたとも、商売上手ですなぁ旦那」
とはいえ、ミシェルを預かることになってからこちら、働いて貯めた給料の他、貯蓄を一気に散財している。当面、次の給料までは十分持つものの、銀行にはあまり預けておらず、何か入用になった時には危ないだろう。気は進まないけど、金銭面で家族を頼ることを覚悟しておく必要がありそうだ。
馬をつれて帰路につく頃には、太陽はすっかり姿を隠し。それでも西空を赤く照らし、その存在をしっかり主張していた。
僕は手綱を引き、ミシェルは嬉しそうに馬の首筋にしがみついている。
「ミシェル、馬に乗るのは楽しい?」
「うん! 楽しい。……ミシェル=クロウ!」
直されてしまった。ミシェルと呼んでも、もう大丈夫そうだ。
「馬の名前も考えないとね」
「名前?」
「そうそう、こいつの名前」
「パカパカ!」
「そ、そう。いい音……いや、名前だね。……よし、今日からお前はパカパカだ」
まぁいいか、結局馬を借りることは出来たし、今日の買い物の首尾は上々だろう。
明日からの事だけど、よくよく考えればミシェルを一人残して置くことは出来ない。ギルドに連れて行くしかないんだ。今更そんな事に気付くなんて考えの足らなさを痛感する。
ギルドに連れて行った後の事に、今から気を揉んでも仕方がない。西ギルドの職員がいい人たちであることを願うしかない。
ミシェルとパカパカを庭に残し、そそくさとキッチンに向かう。お腹を満たすために調理をする、調理といっても肉や野菜を適当に刻んで炒めただけの物と、固形調味料をお湯で溶かしたブイヨンスープだ。料理を食卓に運び、ミシェルを呼んで来る。
「ミシェルのパン二つと、こっちの炒め物とスープを交換しないか?」
足の着かない椅子に大人しく座って、じっと肉野菜炒めとブイヨンスープを見つめていたので、そう切り出した。
「うん、取引する」
「頂きます」
「いただきまーす」
最初からそのつもりだったのだけど。やはりキャロットパイを直接口に放り込む気になれなくて、潰れたキャロットパイをブイヨンスープに浸す。スープにパンを浮かべる事が想像の外と言わんばかりに、ミシェルは不思議そうな顔をする。
「こうして食べるのも有りかなって思ってね。より美味しく食べるために考えて、工夫したりするんだ。まぁ、よく失敗するんだけど……うん、美味しくなった!」
中身をよく混ぜて口にすれば、甘さはスープに溶け出し、さながらキャロットスープに大変身。パンのしっとり感が口に残るのも悪くは無い。具には煮立てたような甘さはあるが、僕の中ではパンとして食べるよりは遥かに高評価となった。けれどよく考えれば、流し込んで食べた後、口直しに食べた方が、もっと良かったかも。
「ん~、うまい!」
真似をするミシェルの評価も良かったようだ。炒め物の評価は無かったものの、残さず食べたので良しとしよう。結局、キャロットパイは当日中に食べ切ってしまった事になる。満腹のお腹を撫でるミシェルを残し、後片付けを済ませてしまう。
ミシェルの部屋には、僕の部屋の向かいのゲストルームをそのまま使うことにした。寝具やクローゼットがあるからだけど、埃が結構積もっていたので、大掃除をする羽目になった。それでも二人で掃除をしたら予想よりも早く終わった。
埃を被った服を洗濯に。そして、額に流れる汗もそのままにぬるく温まった風呂に一緒に入る。昨日はペットを洗うみたいにミシェルを洗ったけど、今日は手本を見せながら。ミシェル自身の手で身体を洗わせて、それを手伝った。終わり掛けには素早く洗えるようになっていた。ついでに歯の磨き方を手を取って教えた。
買ったばかりのパジャマを着させて、居間でくつろぐ。ミシェルは居間にある小窓に乗り出してパカパカを眺めている。パカパカは脚を折り、身を伏せて眠っている。
思い返すと、ミシェルの事を考える暇が今まで無かった。一先ず、現状を整理しておこうと思う。
ミシェルと出会ったのは一昨日。デュライという少年ソルバーを中央ギルドへ案内する途中、デュライのクエストアイテムの入ったと思っていた空袋を盗んだ後、彼に取り押さえられた。因みにその時抑えられて出来た痕は殆ど治っている。
そして、中央ギルドで僕が質問をすることになった。その時の内容からすると、物品をお金に換えてくれる取引相手がいたこと。取引相手とミシェルの関係は直接関係が有るようだったけど、他の者も相互関係は不明なまま。ミシェルにとって、生きるための行動が盗むという行為だったのだろうか。取引相手にお金を貰っていたと言うことはミシェルは何かを買っていたと考えられる。少なくともお金の使い方はわかるだろう。というか、今まで路上で生きてきたんだから、僕なんかよりミシェルの方がよっぽど逞しいんじゃないだろうか。
結局ミシェルの身柄は、軍に引き渡す事を拒んだ僕が依頼主となって、ミシェルをソルバーとして雇うという構図で、僕がミシェルを預かることになった。もっとも僕が出任せに言っているだけで、ギルドを通した仕事ではないので、ソルバーではないけど。
これだけ考えると、僕が心配性なだけで、ミシェルをすぐFランクハンターにして放っておいてもいいのかも知れない。乗りかかった船でもあるし、何よりこのままミシェルの事を投げ出してしまうのはあまりに無責任というものだろう。
経緯としては、ギルド職員である僕が心配症とでもいう病気を起こし、浮浪少女を引き取ったって事かな。
推測ばかりだけど、ミシェルの生活面での現状。まずは性格は控えめで大人しいと思う。特に物覚えは良さそうだという事。言葉については浮浪児が持つような弊害があるのではなくて、無口なだけかも知れない。蜂蜜のような金髪に、窶れてはいるけど特徴の少ない顔立ち、特徴が少ないってことはその分整っているって事、だからきっと美人になるだろう。
そんな事を考えていると、窓の外に見えていた灯りは随分と減ってきており、床ではミシェルがゴロゴロと転がっていた。
「ごろごろ~」
「あっこら! パジャマが汚れるじゃないか……もう寝ようか」
「お~」
覇気は無く、眠気しか帯びていない返答を聞くと、手を引いてミシェルの部屋へと連れて行く。ベッドに寝かせ、毛布を掛ける。
「僕は向かいの部屋で寝るから、何かあったら来るんだよ?」
「お~」
もう夢の世界へ身体を半分以上突っ込んでいるようだ。何かあったらと言っても、トイレには一人で行けるし、もう眠りそうなので心配は要らない。そんな訳で、僕も自分の部屋へ戻ってベッドに潜り込むとそのまま意識を失った。