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第三日 トロな休日~午前~

 ドサっ!

 その日の朝は衝撃と痛みから始まった。床に身体を椅子ごと叩きつけられ、その浮遊感の次に来る衝撃で目を覚ます。椅子の肘掛けと床との間に右手を挟まれ、僕の体重が更に重みを加える。

「ぃったぁーーーー!!」

 肘掛け椅子に座ったままだったのをすぐ思い出すと、すぐさま横倒れの姿勢を、四つん這いの体勢へと、文字通り這うように身体を起こし床で蠢く。右の甲の辺りが痛み、ジンジンと響く。どうやら強く打ち付けた以外に、間接を捻ったらしい。

「大丈夫?」

 僕の叫び声で起きたのか、タオルを巻いた子供が側まで駆け寄ってきて、腰を落としてそう尋ねてくる。カラス……じゃなくて、ミシェルだ。彼女を見て、やっと名前の事や服を買おうと考えていたことを思い出す。

 大丈夫かと尋ねられれば、椅子で寝たせいか身体全身が痛い。変な姿勢で寝て痛みが全身を包んでいるようだ。筋肉痛のように。と思いたいが、少なくとも下半身は筋肉痛なんだろう。

 そんな事を頭の中で整理していた。僕が返事を返さないのでいると、ミシェルは正面に回って顔を覗き込むように四つん這いになる。どうやら、心配してくれているらしい。

「ちょっと右手を捻っちゃったみたいだ。でも、大丈夫。……心配してくれてありがとう、ミシェル=クロウ」

「うん」

 フルネームで名前を呼ぶのはわざとらしいと思ったが、こうして何度も繰り返し呼ばないと、いつまで経っても慣れないもの。多少強引でも、フルネームを呼ぶように意識している内に言わないとね。

 ややして立ち上がり、薬箱を常備していないことに気付く。風邪ぐらいの病気になっても、怪我はしないのが僕の普通だ。自分の手の事もあるが、子供は生傷絶えないってどこかのおばちゃんが言っていたっけ。ものはついでと言うが、買い物に行く先が一つ増えたようだ。


 グゥルルルルゥ

 起きたてでお腹の虫が鳴り出すなんて珍しいと思ったが、考えてみれば昨日は夕飯も食べずに倒れるように眠ったのだから、仕方無いかも。

 この家にだって保存食くらいはあるが、朝食にそれを食べ。また保存食を買ってくるなんて、邪道な事は僕はしない。僕は朝食は毎朝焼きたてパンを買い食いする派だ。ということで、まずは着替えだ。流石に、寝巻き姿で恥ずかしい思いをしながらパンを買いに行ける。そんな僕でも、タオルを巻いただけの子供を連れては行けない。ボロ布みたいな服装の方が幾分かマシだ。――と思いたい。

 当の本人はお腹に手を当てて、僕の方を見上げている。自分の腹の音と勘違いしているのかも。よくよく考えれば、ミシェルは僕以上に何も食べていない可能性がある。……下手をすれば数日間。そう考えたら、焼き立てパンを早く食べさせてやりたくなる。

 その彼女は何かを思い出したという顔つきをして、

「リキット=インデルミッツ!」

「はい!」

 思わず名前を呼ばれ、応えてしまった。どうやら僕の名前を思い出したらしい。

「リキット=インデルミッツ、クエスト! ……クエストしたらご飯!」

 これを訳すと、僕にクエストを出させて、それが終わったらご飯を食べるという事かな。仕事をせずに食事を与えられないと考えているのだろう。律儀なことだ。

 それにしても、僕がミシェルをフルネームで呼んでいるとは言え、呼ばれる方となると堪ったものではない。公の場の様な、何とも居心地が悪く感じる。

「よし、わかった。その前に、僕の事を呼ぶときはリキットだけでいいから」

「リキットダケ?」

 どんなキノコでしょうか……。

「僕、リキット。君、ミシェル」

 それぞれの顔を指差して言う、それを2回繰り返す。が、なぜだか顔を膨らませて不満そうな顔をする。

 ミシェルは自分の方を指差して言う

「君、ミシェル=クロウ!」

「……自分のことは君とは言わないの」

「僕、ミシェル=クロウ?」

 そういえば、ミシェルが自分のことを、私とか俺とかと言った事がないことを思い返す。今ここで安易に違うと言って、矯正させる事ができるものなのか。……ここは、自分のことを言えるようになっただけ、随分な成長と考えるべきなんじゃないか。――そうして、ミシェルが自分の事を僕と言うのを無理に正すのをやめた。

「そうそう、じゃあ……」

 僕自身を指差し、誘導する。

「君、リキット」

「そう正解!」

 それがとても嬉しくて、くしゃくしゃと髪を撫でてしまう。ミシェルもどことなく嬉しそうな顔をしている。すると、短い蜂蜜色の髪から溢れ出した柑橘の香りが鼻をくすぐる。

 その後、何度か自分と僕を指差しながら呪文を唱えるように呟くミシェル。

 ミシェルの身長から考えれば、年は12歳前後。もっとも、この年頃の発育は急で、何より個人差が大きすぎる。順当に考えれば12歳、発育が良かったとして10歳。だとしても、言葉の覚えは何歩分も遅れていて、偏りがあると感じることが出来る。ミシェルの生い立ちを考えれば無理もない話だけど。

「さーて、まずは着替えるぞ。ミシェル=クロウ」

「おう!」

 ボロ布を纏ったミシェルに、ギルドの式典に使う冬用の長いケープを重ねて着させ、なんとか体裁を保つ。僕はといえば、いつもの制服のローブを羽織っていた。そうした一番の理由はミシェルが僕のことを見つけ易くしたかったからだ。ミシェルが地理的感覚に優れていれば、落ち合う場所さえ決めておけばそれで済むかもしれない。けれどミシェルの自立力とでもいうのか、は全くの未知数でわからない。


 迷子防止に、手を繋いで出掛ける。まずは向かう先はパン屋だ。

 表へ出ると昨日の大雨も嘘だったかのように、雲ひとつない快晴。朝早くと思っていたけど、太陽はすでに高く登っていて、懐中時計を見ると一〇時を過ぎた辺りを指している。随分長い時間眠っていたようだ。

 早速行き着けのパン屋さんにつくと、そこの女主人がまず口を開いた。

「あら今日はずいぶんと遅いねぇ、今日はお休みかい?」

「ええ、機械が故障しちゃったんで、今日はお休みで。明日から西ギルドに異動なんです」

 まぁ、焼きたて目当てに来るので、休みだからといってこんな時間に来た事は一度もないんだけど。

「本当かい? それじゃあ今まで贔屓してくれた分、今日はサービスしようかね」

「サービスしてくれるのはいいんですが、向こうに引っ越すとは言ってないですよ」

「馬でも借りるってのかい? 豪勢だねぇ」

「ははは。その辺りはまだ決めてません」

「ところで、その子は、アレかい。隠し子かい?」

 やはり気になるらしいが、予想してた質問の中では一番かわしやすい。それは、僕の子供だとしたら一〇歳頃の子供ということになるからだ、そんなこと本気で言わないだろう。むしろ全く質問されずに、変な噂になる事の方がよっぽど厄介だった。従って、余裕の笑みを付け加えて返せる。

「違いますよ。事情があって預かっているだけですって」

「そうかい。しかし、もうちょっと良い服着せてやんなよ?」

 それが言いたかったのか。けどそれは僕も重々承知している。見ればケープの端から破れたズボンの裾が飛び出ている。

「すみません、このあと買いにいくつもりなんですけど。とにかくお腹が減ってて、まずはオバサンのパンを食べさせてやりたかったんです」

 女主人は聞くと、膝をおってミシェルに話しかける。

「お嬢ちゃん、試作品がもうすぐ焼きあがるところなんだけど、食べてみるかい?」

 ……ミシェルを女の子だとすぐに言い当てる。やはり判る人にはわかるものなのだと、自分の見る目のなさを痛感する。

 それにしても、試作品とはいえ焼きたてがあるのはラッキーだ。

「……う?」

「言葉がまだ不自由なんです。せっかくなんで頂きます!」

 ミシェルに向き直って、

「試作なんて滅多に食べられないんだぞ? やったな!」

「うん、やった」

 ややあって

「ところでお嬢ちゃん、お名前はなんていうんだい?」

「……ん~……ミシェル=クロウ!」

 その微笑ましいやりとり。それを僕が、どれほど肝を冷やして見ていたか、一体誰が予想できただろう。すこし汗をかいた気がする。

「ミシェルちゃんかい。もう焼けた頃だからちょっと待ってな」

 いうと、数分もかからず、ぼってりと膨らんだ茶色の紙袋を持って戻ってくる。その膨らみたるや、到底朝食としては、食べ切れない量であることが開ける前から分かってしまう。

「気合いが入って作り過ぎちまったよ。まだ半分以上あるから遠慮せずに持っていってくんな」

 どんだけ試作してるんだこの人は。むしろ、遠慮したい。……けど、明日から会えなくなるかもと思うとそうもできない。焼いたパンは生モノと違って腐るより、カビが生える事が懸念される。できるだけ今日中に食べなければと思いつつ、受け取る。

「はい、試作のキャロットパイ。できたら感想聞かせておくれよ」

 今なんと仰いました? ……キャロットパイって、……キャロットって貴方。僕苦手なんですけど。焼きたて貰ってラッキーどころか、アンラッキーだ。食べられない事はないけど、ハッキリ言って嫌いだ。

 パン屋には食べるスペースがなく、そのまま紙袋ごとパンを持って行くことになる。

「ありがとうございます!」

「ミシェルちゃん、またね~」

 手をふって見送ってくれるパン屋の主人に、言葉を発さずにミシェルは拳を高く突き上げて応えていた。

 

 パン屋を出て大通りへ向かう途中の喫茶店へ入る。うらぶれたというより、骨董のような良さを感じさせる落ち着いた内装だ。リザリアにあっては珍しく魔光灯を使っておらず、蝋燭に火を灯した照明が幾つも置かれており、とても大人びた感じの店に仕上がっている。しかし、客の入りはなぜか少ないそんな店。

 魔光灯というは、文字通り魔法で光を発する灯りのこと。一般に売られている物は北の大国から流通している物ばかりで、ある程度の強度がある透明か半透明な容器に、薬品と特定のマナが入った物の事。魔科学の産物である。

 魔光灯の多くは、ガラスに付いた摘みを捻る事で、薬品がガラスの中に入り、それがマナと反応して輝く。ガラスが割れたりするとマナが霧散してしまうし、薬品が切れればそれで使えなくなる。なので消耗品のように扱われている。キューブの表示にもこの技術が応用されているが、半永久的に画面の表示が出来るキューブはまた特別な技術が用いられてると思われる。

 この落ち着いた店の店主であろう、いい意味でくたびれた姿の初老の男性が、ゆっくりと低いが柔らかさを内包する声を出す。

「いらっしゃい」

「薄めの紅茶と何かお勧めのジュースを」

 ほかほかの紙袋を見せながら申し訳なさそうにそれだけを注文する。

 この店の紅茶は一種しか用意してはいないけど、美味しいブレンドティーを出してくれる。淹り加減を注文しないといつも濃い。もっとも、この店の主流はコーヒーらしく、豆なら陳列棚に数多く揃っている。

 空いている丸テーブルに座る、もちろん対面にミシェルを座らせて。

「ミシェル=クロウ、先に食べ始めよう」

「……クエストしないの?」

「今日は、いっぱい買うものがあるから、買い物しかしないかな」

 すると途端に、悲しい顔をして俯いてしまうミシェル。そんなにクエストが楽しみなのと思うと、微笑ましく思える。

「大丈夫、明日からはがんがんクエストして貰うから、今日のところはお休みだよ。ミシェル=クロウ」

 ミシェルはお腹を押さえて、今にも泣きそうな顔をして僕を真っ直に見据える。

「……クエストない。だから、ご飯食べれない」

 僕の考えとは違った。

 まだ一日も一緒にいるわけでもないのに、僕は何を分かった風に接していたんだろうか。クエストがしたかった訳じゃない、食べ物を得るためにそうしろと僕が言ったからだ。その僕が今日はクエストは無いと言えば、すなわちそれは、食事抜きという事を意味しているんだ。

 考えてみれば、路上生活をしていたミシェル。僕のような見て見ぬふりをする人間に、何かを分け与えて貰っていたと考えるには到底至らない。ミシェルにしてみれば、誰かから何かを無償で与えられる事、それ自体が奇抜なこと、不自然なことなんだ。――思考の至らない、そんな異常事態なんだ。

「ごめん、今の無し! ……今日のクエストは買い物に付き合う事! ……で、このパンは先払いだから、わかった?」

 そう言ってテーブルの上に置いたパンを指差す。すぐにミシェルの顔もパァっと明るくなる。

「うん、わかった!」

 そう言って紙袋を抱きしめる。……つまり、今日の買い物に付き合う事でミシェルは、このパン全部を手に入れたということになる。

「ミ、ミシェルさん……ミシェル=クロウさん……僕に一個だけでいいんでパンを分けてください」

 ミシェルは渋々といった風にキャロットパイを一つ渡してくれる。

「ありがとう」

 すると、マスターが紅茶と黄みががった白い液体を黙って置いて行く。ほんのりと豊かでサッパリとした甘い林檎の香りがする。マスターは話す時には優しい口調なのだが、いつも無口だ。

「これはパンのお返し、飲んでみて」

「……あまーい!うまーい!」

 口に合ったようだ。さて、問題はこのキャロットパイ……。

「いただきます」

「……?」

「食事を取る時には、食材や食材を育ててくれた人、料理を作ってくれた人たちに感謝の気持ちを込めて、いただきますって言うんだよ」

「ん、いただきますー」

「いただきます」

 キャロットパイを口に運ぶ、にんじんの香りがやたら強く、そして異様な甘ったるさが口を包む。僕はそれを、苦虫を噛み潰したような顔で食べ切るしかなかった。

 ミシェルはというと、よほどお腹が空いていたのか、それとも甘いのが良かったのか美味しそうに、二口、三口と頬張っていく。結局、朝食ながらパン四個という大食漢顔負けの食いっぷりを披露してみせた。

 流し込むようにキャロットパイを食べ。口直しに頼んだサラダが無くなる頃には、ミシェルは目を瞑って幸せそうにパンの入った紙袋を抱いていた。

「ご馳走様でした」

「……さまでした~」

 もう寝入ってしまいそうなミシェルを見て、つい長居する事になった。

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