第?日 目を閉じれば~出会い~
火が揺らめいている。
火のついた燭台と、眩しく光る魔光灯とを並べて話をしている。
「……という訳で、魔光灯は需要を拡充させつつ、流通の中心的な光となりました。無論、蝋燭照明についても一部の層や宗教的用途等に対して少なからず需要があります。また太陽光の取り込み技術を……」
退屈な授業だなあ。僕は窓から見える外界を眺めていた。
兄さんが付けてくれる家庭教師は教えるという点において抜きん出た才能を持っているらしく、聞きかじりの僕でさえ講師の話の内容を補足出来そうだった。もちろん、そんな事はしない。目立っても良いことなんて何も無いからだ。だから小鳥が餌付けされて、飛び立つ姿をぼんやり眺めていた。
「……おっと。それではこれで第三時限の講義を終了します」
どうやら講義の時間を過ぎていたらしい。時計を見れば、長い針が予定より一刻ほど先を進んでいた。
「リキットさん、昼食ご一緒していいですか?」
いつもの連中がにたにた顔で囲い込んでくる。
「もちろん」
嫌気がさす心を作り笑いで覆い隠して答える。何年も作り込んできた笑顔だ。でもきっと彼らは僕の本心を知っていても、付いて来ると思う。家同士のつながりを持つため、僕という接点に群がっているんだ。
兄さんは僕に独自の処世術を教えてくれた。今は不要でも、いつか必要になる人材がこの中にいる。そう思って、浅くてもいい、とにかく交流をする事。無意味に敵を作らない事。そして、輪の中心にいるよう心掛ける事。
インデルミッツの家名がそれらを勝手に実現してくれる。要は僕が交流自体に嫌そうな顔をしたり、拒絶しなければいい。気をつけていたのは、陰口や悪口を言わないことくらいか。
どうでもいい話題を適当に切り返すだけ。退屈で詰まらない昼食会だ。その場が庭園であるのが唯一の救いだろうか。
「悪いが、ちょっとの間、そこをどいて貰えるか?」
声のする方を見上げると、濃い青の髪が短さを感じさせない程さらさらと揺らす男子がいた。紺の学院制服の襟に軽く巻かれた赤茶色の帯飾りが、僕と同じ学年であると知らせてくれる。
僕の取り巻きが険悪な態度で何か言っているけど、僕は無視して。
「ここに何かあるんですか?」
ゆっくりと立ち上がり、いつもの笑み。僕達が集まっていたのは、校舎脇に植えられた広葉樹の根元。
「何かあるって訳じゃないんだが」
すでに食事を終え、その場に居座る意味はない。知らない相手にいきなり悪態をつく必要も無いし、彼が何をするのかに興味が沸く。僕は率先してその場を抜けて、取り巻きたちに言い含めて退かせた。
「悪いな。んじゃ」
そう言って、青髪の学生は器用にスルスルと樹を登っていく。その勢いのまま太い枝を伝って、二階の窓を足を伸ばして開ける。葉が落ちるほど樹の枝がしなってもお構い無しに、室内へと飛び移っていった。あっと言う間の出来事だった。
「コラ! レーデ=ファジア待たんか!」
老いた教師がやってきて、彼が姿を消した教室に向かって怒鳴った。
「まったく。珍しく説教を聞きに来たと思ったのに逃げ出しおって……」
戻っていく教師は怒気治まらずに独りごちる。察するに、わざわざ説教を受けに行ったものの抜け出し、ついさっき木登りをして逃げ去ったらしい。そんな寸劇のような事があるのかと僕は一人クスクスと笑った。
僕達が集まっていた場には、緑の葉っぱが何枚か落ちていた。その葉の一枚に、何処のものか分からない黒ずんだコインが乗っていた。謎の硬貨は僕達の物ではなかった。葉の上に乗っていた事を考えると、さっきの彼の落し物という事になる。
在学中に行われる学業行事に、修学旅行がある。政治的な絡みもあるのだろうけど、目的地は東方のヴィダス共和国内にあるルーナタウンだ。ルーナタウンは鉱脈近くに構えられた新しい街で、宝石類の流通が盛んに行われている。ヴィダス国以外からの人口流入もあって、雰囲気はエクセリアの街にかなり近い。そのせいもあってか、古くから魔術を家系伝承するヴィダス国にあっては、最も魔術的毛色の薄い街だ。
一週間近くかけて、装甲馬車でルーナタウンへとやってきた。その強行軍はほとんど拷問に感じられる苦痛を与えてくれる。帰りがあるかと思うと、今から気分が悪くなそうだ。
初日は見学希望のグループ毎に行き先が違う。僕が希望した見学場所は農業区。別段、そこを見に行きたかった訳ではなく、農業グループ、鉱業グループ、宗教歴史グループの中から選ぶ他無いからだ。
いつもいる取り巻き連中には、鉱業か宗教か迷ってるなどと言って、罠に嵌めておいた。折角、遠方の地へ足を運んだのだから、僕だってのんびりしたい。幸いにして、希望見学の後は合流することなく自由行動だ。
農業グループは格別人気が無い。特産品の宝石を採掘加工するのは誰でも見てみたいと思うだろう。魔術の国とも言うべきヴィダスに来たら、その一端にでも触れたいと考えるだろう。逆を言えば、農業グループはそれらに興味の無い、学術的好奇心の無い連中という事になる。そもそも、選択肢に農業があるのが不思議で仕方が無い。落第点でも付けるためにあるんじゃないかと勘繰ってしまう。まぁ、仮にそうだとしても、問題ないんだけど。
農業区行き馬車の待ち合い場所には、手の指の数にも満たない生徒達が所在無さげに集まっていた。その中に深い青色の髪をした見覚えのある学生を見つける。
制服の胸ポケットにしまったまま、返しそびれていた硬貨の事を思い出す。名前を老教師が叫んでいたので、それを手がかりに探すはずだったんだ。けれど結局、居所が掴めずそのまま忘れていた。確か名前は
「レーデ=ファジア」
ふいに名を呼ばれて、キョロキョロと周囲を見回す青髪の学生だったが、見知った者を見つけられない。ついには首を傾げる始末。覚えていないのは仕方が無い、そう思って回り込み、彼の視界の中で声を掛ける。
「レーデ=ファジア君」
同時に胸ポケットからコインを取り出し、親指と人差し指で摘まむようにして持って見せる。
「ん? 俺のコイン、拾ってくれたのか?」
「木登りして先生から逃げていったでしょ」
「あー、あの時の。……サンキュー。そいつ、捜してたんだよ」
黒ずんだコインを手渡す。
「どういたしまして。本当はすぐに返そうと思ってたんだけど、校内では見つけられなくって」
「そうか? まあ、確かに講義以外は遊技場を回ったりしてるか露店巡りしてるな」
顎に手を当て、考える振りをして答えるレーデ。
本来は、講義以外の時間も校内に居なくてはならない。だけど、あまりに退屈で僕も何度出て行こうと思ったかわからない。勿論、出て行ったことは無いけど。
「ところで、お前の名前は?」
「リキット=インデルミッツだよ」
こういう人間にも交友があったら何か利点があるかも。そう思いながら、フルネームで答える。
「リキットか。俺はレーデ=ファジア。レーデと呼び捨てにしてくれ。君とか付けられると気持ち悪い」
インデルミッツと聞き取れなかったのか、知らないのか。彼には当たらずに通過してしまった。まぁいいけど。……って、いつもなら家名をわざわざ名乗ったりはしないんだけどな。レーデのさばさばとした野生的な印象が、僕に優位に立ちたいと無意識に思わせたのかもしれない。
「ここに居るって事は、農業区に行くのか。リキット?」
「うん、一応ね」
「農業希望なんてかなりレアだぞ?」
「本当はちょっと原石の加工現場っていうのを見てみたかったんだけど、色々と都合があってね。……って。レーデ、君だって農業希望なんでしょ?」
「俺はいいのさ。ルーナタウンの鉱業区は見に行った事があるし。宗教には全く興味沸かなくってな」
「ルーナタウンに来たことあるんだ。弱年の旅人だね」
少し冗談をまぜて、軽い調子で言ってみる。周囲に連中が居ないってだけなのに、いつもの自分じゃないみたいだ。
「旅、旅か。いいねぇ。……そうだリキット、一緒に回らないか? コイツのお礼に何かおごるぜ」
レーデは得意げに拳の上にコインを乗せて、親指で弾いて見せた。
「じゃあ、別荘を一軒お願いしようかな?」
今度こそ、それと分かるよう明らかなもので。
馬車で移動中、レーデとの会話は裏読みする必要も、返答を思案する必要も無い。僕を知らない人々、僕の知らない街。とても気楽で居られる。両肩に乗った重荷が下りたみたいに。けれど、なぜ家名を名乗ってしまったのか、それだけが悔やまれる。エクセリアへ戻った時の事を考えると一抹の不安がよぎる。
そんなちっぽけな不安を掻き消すように、背の低い小さな樹が新緑を芽吹かせた両手いっぱい広げて出迎えてくれる。小さな樹は無数に整列して群れをなしていて、僕の視界を緑一色で染め上げた。そよ風に乗って緑の優しい香りが鼻をくすぐる。紅になったのとは全然違う、茶葉の自然で青い香りだ。
「茶畑とは珍しいな。麦畑に連れて行かれたらどうしようかと思ってたが」
「ん~。なんだか心が洗われるね」
一面に広がる茶畑の香りを満喫するように深呼吸をする。
「お。あっちのオレンジみたいな果実は何だ?」
溢れ出る生命力に触れ、レーデが活気良く立ち回る。僕はそれに連れ添った。
レーデの事を勝手に不良学生とイメージをしていた僕は、それが完全な間違いだと思い知らされた。彼は好奇心旺盛な子供張りに、多くのものに興味を示した。オレンジのような果実を勝手に食べるや、酸っぱいと顔を皺くちゃにして、その上で僕に食べさる。触れると摩訶不思議に振れ動く蔦草の動きを見て、共に笑いあった。過ごしてみれば、それまで別行動を取るためだけの言い訳だった農業区で、僕は存分に楽しみ癒されていた。