第一一日 ギルド職員の真実~抱く炎~
ようやくレーデの目的がわかったというのに、僕は一体どうすればいいんだろう。魔力抽出システムが精霊を必要としている事なんて知る由も無かった僕に、精霊を解放するという友の言葉の重大さだけが覆いかぶさる。
そんなことしたら、大変な事が起きる。でも、レーデたちにはそれも覚悟の上でやっているんだ。
僕が取るべき選択は何だろう。国に世界に仇なすと知った上で、精霊解放のため友に手を貸す事か。友の悲願を打ち捨てさせて、レーデを連れ帰る事か。それとも、見て見ぬ振りでも決め込むのか。……わからない。
「これを見させて、大人しく帰れとは言わない。リキット、俺たちに協力してくれ」
「僕は……」
僕はうつむいき、答えを出せない。
「精霊解放後は、二度と同じ物が出来ないように、王都にある魔力抽出技術に関する資料と施設の全てを焼き払いに行く」
沈黙が続けば、レーデは話題を変える。
「精霊を使う事で人に害が無いから犠牲にし続ければいい、そう思うか? 俺は人間だけの自分勝手な都合だけで、大概が見えない精霊だからと虐げる事も良しだなどとは思わない。お前だってそうだろう?」
レーデは言いながら、あるガラスケースに向かって脇目も振らずに歩いていく。その前で立ち止まると、穏やかな普段のレーデの表情に戻って、ゆっくりとケースに片手を添えた。その中には長く燃えるように赤い髪をした美白肌の女の人――精霊が閉じ込められていた。
「俺たちには見えるんだ、触れられるんだよ。見捨てるなんて出来やしない、忘れるなんて出来る訳無いんだ。……人が精霊を愛するのはおかしいと思うか?」
恋焦がれても不思議のない美しい姿の精霊の髪が燃えているようになびく。しかし身体は少しも動かない。
「思わないよ。だって精霊にも感情がある。触れ合う事も、想いを伝える事も出来るから」
実際にそう思った。今は離れ離れになっているチコメコだって自分の一部というより家族と感じている。僕の返答にレーデは嬉しそうに微笑んで、ガラスケースを見つめる。
「イリューナス、ずいぶん遅くなったけど迎えに来たぞ」
レーデは真剣な顔になってガラスケースの下部にある端末に触れた。少しの間端末を操作して、手を止めゆっくりとその場を離れる。
円形の上部が擦り音を奏でながら開いた。そしてガラスケースだけが下がって、中に満たされていたと思われる液体がそれに合わせてゆっくり零れ落ちる。浮いていた美人の精霊の身体に触れない位置までケースが下がっても、精霊は身動き一つせずにそのまま宙に浮いていた。
「俺だ、わかるか?」
ガラスケースと液体が無くなっても変化が起きない彼女――イリューナスに、レーデは心配そうに声を掛けた。けれど何も反応が無い。
突然思い出したように、レーデが咳込んで胸を押さえる。
鼓動が早まり、徐々に激しく脈打つ音が聞こえる。レーデの咳に触発された訳じゃない。周囲に何か不穏な気配を、ただならない魔気を感じていた。心臓の音が一気に聴覚を支配する。うるさ過ぎて耳を強く塞ぐ頃には、嫌に甲高い耳鳴りが続く。耳が狂って、けたたましい音を頭の中で掻き鳴らす。
ふいに突風に襲われ、後方へと吹き飛ばされ、転がる。
転がるほど関節がゴリゴリ悲鳴をあげ、痛みが走る。左腕に突き刺さる痛みを感じると同時に、身体の回転が止まった。目を閉じていた事に気付いて、目蓋を必死に開けて視界を得る。
周囲にあった無数のガラスケースは粉々に、地面に散らばっていた。撒き散らされた破片には、小さな火が寄り添っている。どうやら爆発が起きたようだった。レーデの居た場所には、精霊イリューナスを中心に炎が巻き上がっている。立ち上がって、首を振り回してレーデの姿を追う。
「レーデ!」
真逆の方向へ吹き飛ばされたらしく、かなり距離が離れているが、横たわる黒いスーツ姿を見つける。
もしも炎が舞っている所で爆発が起きたのだとしたら、僕よりも近くに居たレーデのダメージは深刻な筈だ。レーデへ向かおうと足を動かす。……一歩踏み出そうとすると、バランスを失いふら付いて、腹で着地する。どうして。もう一度立って、歩き出す。けれど真っ直ぐに進めずに、斜め横に数歩、足が追いつけずに肩と胸が先に地面に落ちる。
……歩けないならばと、手を前へ出して、地面に爪を立てる。身体を引き寄せ、這う。そうだ、歩けないなら這えばいい。だというのに、視界には一向に左側の手が見えない。左腕がもう動かないみたいだ。
急に辺りが熱気を帯びる。見ればガラスケースと一緒に飛散した液体に火が引火していた。
レーデがゆらりと立ち上がるのが見えた。一歩ごと大きく上下に振れながらこちらに、いや、イリューナスへと向かっている。
徐々に大きく種火から火へ、火から炎となり、黒煙が一緒に天を目指して昇っていく。周囲が炎に包まれているせいか、レーデも僕も息が荒れ、思うように進めないでいる。
「俺の事がわからないのか!?」
悲痛なほどに叫ぶレーデの声は、僕にも届いていた。
一方のイリューナスは、ガラスケースの中にいた時とは打って変わって、美しい肢体を怒りに震わせて力強く踊っていた。振るう腕の先が爆ぜ、舞う髪が炎となって周囲を襲う。ちらりと見えた柔らかそうな美白顔は鬼のような形相へと変わっていた。
爆発によってガラスケースから解き放たれた、他の精霊はそれから逃げ惑う。その中で、精霊同士で争いあったり、破片を踏みつけ、己の身体を叩きつけ、荒れ狂っていた。小さな精霊が逃げ惑い、互いにぶつかって争う。大きな精霊は小さな精霊を蹴散らしながら駆ける。空飛ぶ精霊は無軌道に飛び回って、地面に向かって落ちる者までいる。怒りと嘆きが渦巻いて、まるで戦場と化していた。
僕が吹き飛ばされた半分も戻らない内に、レーデはイリューナスの近くにいた。縦横無尽に舞う炎も、巻き起こる爆発もレーデは臆すことなく両手を広げる。咳き込んだ時に押さえた手が開かれ見える。炎の照りつける色とは違う、黒っぽい赤が手の平に広がっていた。
レーデはイリューナスを強く抱きしめる。
「……お前の寂しさ、苦しみ、全部俺にぶつければいい。何とかしてやる! だから、俺のそばに戻って来いイリューナス!!」
踊りが打ち切られて、イリューナスの引き起こす爆発がおさまった。糸が切れた人形のようにレーデの腕の中へ抱かれる華奢な体。その顔に激しさは無く、穏やかな表情に戻っていた。
レーデが膝を折り、僕と目が合って、微笑む。雪崩れのように倒れこむ。
炎は勢いを強め、熱風が吹き付け、黒煙が充満し、精霊の多くは居なくなっていた。
炎の壁が立ち塞がり、僕のいる位置からは、もうレーデ達の姿が見えない。
僕の声は火が爆ぜ燃える音で掻き消されてしまう。
レーデが包まれて消えていった炎の中をずっと見ていた。中心は激しく燃え盛っている。
進むのを止めたつもりは無かった。ただ、腕がいうことを利かなくなっていた。
僕の居る位置でさえ、もう危険なのだろう。
頬を、熱風よりも熱いものが伝い落ちる。
地面に落ちても、それはすぐに消えてしまった。
身体に鞭打って奔走した。けれど自分の何か、一部を無くしてしまったようだ。……心も身体もクタクタで、ひどく疲れた。手も足も動く気配が無い。……もういいよ。……目を閉じれば。
「くそっ! 止められなかったか!」
「諦めろ、ヘイブマン。ここはもうダメだ、火の勢いが強過ぎる」
聞いた事のある声が頭の中に響いた。
「……リキットさん! 大丈夫ですか!?」
黒煙を撒き散らす炎の中にいる僕へと、ネスティが近付いて来るのがわかった。けれど倒れ伏したまま僕は目を閉じ、意識を失った。