第一一日 ギルド職員の真実~吹き抜ける風~
「……くっ! 先を急ぐぞ」
何度かエクシスとケッペンの名を叫んでも返答が無かった。過去の勇姿を思わせる目の下切り傷とともに、ヘイブマンの顔が悲しげに歪む。
ケッペンとエクシスの落ちていった場所を除けば、薄暗くも広く見える室内。けれど、正解の道筋を除けば、殆どが落ちていく部分が占めている。ヘイブマンは唯一、彼女を助けられる位置に居た。
「それだけなんですか! 人が落ちたのに!?」
「どう助けろと言うんだ!」
きっと彼が睨みつけているのは僕であって僕ではない。重大な使命に支えられていなければ、そう言う事も無かったかもしれない。
「おい、兄ちゃん落ち着きな。状況を、今すべき事を考えろ。……遠足で来たんじゃないんだぜ。先に進む気が無いなら、アンタの勝手にすりゃあいい。……俺らは進むぜ?」
マセルの声色が下がったように感じた。
確かに遊びできた訳じゃない。彼らには彼らの、僕には僕の、ここに来た理由がある。暗闇の深さを考えれば、現実的ではない。けれど、音も悲鳴も聞こえはしなかった。ならば生きていると、無事だと信じる他は無い。
ネスティは目を閉じ唇を噛んで、所作もなく祈っているように見えた。彼の性格を考えれば、僕のように助けると食い下がっても可笑しくはなかった。それでも、佇んでいた。経験がそうさせるのか、覚悟がそうさせるのか、黙祷を捧げている。
行きましょう。誰にでなくそう発した言葉を聞くまで、僕も祈りを捧げた。
薄暗い部屋から伸びる通路を抜けると、また開けた部屋の一つに出る。部屋に入って間も無く先頭を進むマセルが歩みを止める。今度はどんな罠が待ち受けているのだろう。
部屋だと思ったそこは、天井がなく緑がそこかしこに華やいでいた。間隔を空けて整列する木々、地面は芝生。中庭のようだ。息の詰まる思いで罠を掻い潜ってきて、汗ばんだ肌を涼しい風が撫でていく。
「これは!?」
部屋の隅に並ぶ緑の影……それらは全て人間だった。おそらく所員と警備員なのだろう。緑の制服を着た者がほとんどだった。手足を縛られて身動き一つしない所員達の生存と意識を、マセルとヘイブマンがそれぞれに確認している。互いに首を縦に振って合図をする。どうやら、外周で確認した警備員と同じように意識を失っているようだった。
「追っ手が来るのはまだ一日は先だと踏んでいたんだが、流石に優秀らしいな」
声のする方、中庭の奥から七人の男女。全員が黒のスーツを着込んでおり、同志という関係を思わせる。その中にはキューブの修理に来ていた三人組みと……レーデが居た。
「レーデ!?」
レーデと視線が合う。視線の間に強い風が吹き抜ける。
「その言葉。お前らがここを爆破をする前に止める事で、賛辞として受け取ろう」
ヘイブマンが短剣を抜き腰を落とし、臨戦態勢を取る。それに合わせて、マセルもハルバートを振るい落とし、切っ先を向ける。
一番屈強そうな男が口を開く。
「ここは自分たちが。レーデさん達は計画通り先に行ってください。……では、聴聞委員さまには、ここで取り逃がして間抜けを晒して頂きましょう」
レーデは頷くと、修理作業員だった他の二人を引き連れて、奥の通路へ歩みだす。
「待って! レーデ!!」
「これはお前が関わるべき事じゃない。……邪魔だ帰れ!」
振り返るレーデの横顔、
「帰るとも。君と一緒に! ……帰ろう!」
「……俺はもう戻らない。これ以上、俺に関わるな! お前にはお前の人生があるだろう」
その目には強い意志が宿っていた。
向き直ったレーデは更に奥へ、中庭を抜けていってしまった。
レーデは今も昔も変わっていない。僕を巻き込むまいとしている。……僕の言葉が届かなかったわけじゃない。彼らの目的がレーデにとって、それ以上に重要なんだ。
彼らの目的が何なのかを知り得ない限り、説得も空回りしてしまう。それにしても不思議だ。ヘイブマンの言う様に魔力抽出所を爆破するとして、彼らに一体何の利点があるのか。爆破する施設の中庭に所員や警備員を集めた意図。爆破とともに巻き込むなら、そこまでする必要はないし、何より最初から殺傷行動を取るはずだ。人を殺す事無く爆破するためだろうか。
チコメコにレーデの後を追うように、スルスル地を這い始める。見えないチコメコなら邪魔されずに追えるからだ。
「行かせるか!」
人数が同じになろうとしていたけれど、ヘイブマンがそれを良しとはしなかった。身体を揺さ振りながら、黒スーツ集団へ突撃する。マセルも初斬をいつでも放てる様に構えながら、ヘイブマンに続く。マセルの巨体の後ろをネスティが走っていた。あっと言う間にチコメコを追い越す。
レーデの姿は既に消えていた。
残った黒服の四人はそれぞれ武装をしていた。小さな盾と短剣が二人、長剣が二人。対して、短剣だけのヘイブマン。大型ハルバートのマセル。細身の長剣のネスティ。
向かって一番右の黒服とヘイブマンが衝突する。ヘイブマンの身体全体を伸ばした最初の突きは、盾によって軽々と弾かれる。反撃とばかりに短剣の突きがヘイブマンの顔を掠める。ヘイブマンはその突進態勢のまま余った拳を黒服に叩き込む。……が、これも盾で素早く防がれていた。
「ちっ!」
ヘイブマンは風のような突進を防がれて、苦い顔をする。反対に、黒服は軽く笑った。僕でさえ、その二人が戦い慣れていると思える。そしてヘイブマンは距離を取った。
右から二番目にいる黒服を狙って駆け抜ける巨体、マセルの一閃は右から襲い掛かっいった。長剣の黒服は辛うじてその一撃を左へ避ける。マセルは止まって、ハルバートを長剣の黒服に向かって突き出す。黒服は堪らず、後ろへと距離を取る。
マセルが右側に隙間を抉じ開ける。その隙間に向かって白い風が駆ける、ネスティだ。日差しが金髪に跳ね返り、まるで輝いているよう。そして黒服の間を抜けた。……のだが、長剣の黒服がその前に立ち塞がる。白い風の襲来にいち早く気付いていた一番左の黒服だった。
ネスティはその顔を一度見上げ、頭を下げる。
「お願いします。通してください」
「……出来ない相談だ」
長剣の黒服は、剣を抜いていないネスティに斬りかかりはしなかった。
「なら教えてください。一体何が目的なんですか?」
黒服は何も答えない。僕もそれが知る事ができたならと思う。
ゆっくりと歩き出すネスティ。その行き先に、振られる事無かった剣の刃が壁となって、突き当たる。ネスティも止まるしかない。
「……何故だ? 何故、剣を抜かない?」
当然の疑問だ。剣を向けられているのに、普通こんな事ができるものか。いつ振り下ろされるか分からないのに、その距離を縮める事なんて自殺行為だ。何より、構える様子が一切無い。その仕草が微塵も感じられない。
「では何故、貴方々は誰も殺さないのですか?」
そこに立っているのが少年だというのが、より思わせる。その凄みを。上位ハンターという人種の、赤髪の少年の威圧感を思い起こさせる。
けれど、その状況は彼らに沈黙と膠着状態を与えるだけだった。
「恨みは無いが、観念してもらおうか」
構え直すマセル。ネスティとは違う意味で、マセルは長剣の黒服を明らかに圧倒していた。
「それはお断りしましょう」
そこ短剣の男が加わる。それは僕が戦闘に参加しないと、見当をつけたからに他ならなかった。マセルを中心に左右へ広がり、三人が一直線に並ぶ。黒服は隙を窺うようにゆっくりとマセルの周囲を回り始める。マセルは横向きに、目の淵に黒服二人を捉えようとゆっくり自転する。
チコメコがようやくマセルを囲む、黒服男の足元を通り過ぎようとしていた。……突然、短剣の男が盾を捨てる。盾はチコメコの横にどさりと落ちた。チコメコは慌ててマセルの足元へ急ぐ。怪我は無い、驚いただけだ。男はマセルの外周を回りながら、軽く跳んでリズムを刻み始める。しかし、それだけだった。
この黒服の戦士達は一貫して自分達から攻撃を仕掛けない。時間稼ぎをしているのは明白だった。
レーデを含めて、この黒服集団がこの施設を爆発させる理由が本当にどこにあるものか。仮に男の言った計画の中に爆破を含んでいたとしても、彼らの目的が別のところに有ると確信めいて感じた。
自分の居るところだけ太陽光が雲に遮られたように、急に視界周囲が暗くなる。
目の前に大きな塊が落ちてきた。
巨大なものが勢いよく落ちてきたというのに、衝突した音を耳にしなかった。その代わり、舞い上がる土煙と物凄い風圧に押され、後ろへ数歩下がる。
「おーいたぞ。いつになったら帰るんだ? 臭くてもう我慢できないぞ!」
目の前に落ちてきたのは、プーカポカの乗ったパカパカだった。