第一一日 ギルド職員の真実~白い暗闇の先~
例の植物を燻されて、白く薄い煙が幕となった渦の中を、パカパカの背に乗ってひた走る。トライスピードを強く噛みつけてスピードを上げる。煙の渦を一つを抜け切ると、またスピードを落とす。さっきからこればかりを繰り返している。
前にも後ろにも視界は白く濁っていて、煙の迷路に迷い込んだようだ。
「プーカポカ、パカパカの脚は大丈夫?」
「ん? おいらを馬鹿にしてるのか? 大丈夫に決まってるぞ。……それにしても、臭くて煙たいぞ」
プーカポカが片手で鼻を摘まんで、片手で目の前を扇ぐ。
プーカポカはパカパカと契約した地属性の精霊で、大きな頭をしている。全身合わせても僕の顔と同じか小さい位の小さな人型精霊。全身緑の衣服を着ている。勿論、着ているのか服自体も精霊の一部なのかは、よく分からない。そして半分ほどもある頭にも緑色の三角の頭巾を被っている。
「折角いっぱい走れたのに、気分悪いぞ。戻って別の道行こう!」
地の精霊なのに走るというか、風を感じるのが好きらしく、走る動物と契約を交わしながら生きてきたらしい。
「もう少しだよ。もう少しだけ我慢して」
「んー。しょうがないなぁ。まーあんたがあの厩舎から出してくれた訳だし。こんなに走ったの久しぶりだし。でも、臭いんだぞ」
「ごめんね」
プーカポカは不満そうに締めくくったが、それ以上文句を続けることはなかった。
言葉で話し掛けてくるプーカポカだけど、それはパンサーの言うところの、通じていないからだと思う。チコメコと違って話すことが出来るのは、相応に生きてきた証なのだろうか。言葉を理解し念話するパンサーと、普通に話すプーカポカの違いを考える。やっぱり、精霊の形状に関係が有るのんじゃないかと思い至る。
(契約は人間にだけ許された特権などではない。儂のように武器に宿る精霊がいるのと同じく、動物に宿る精霊とている。……なれば馬と契約する精霊がいてもおかしくはなかろう)
パンサーにそう説教されたのは、もう二日も前の話だ。
チコメコと契約以後、始めてパカパカを見て驚いたのは、緑の小人がパカパカの頭にちょこんと乗っかっているからだった。飲食料を確保している最中、ふいに窓から外を見るとそれを見つけた。パンサーを見た時と同じように呆けていたらしく、パンサーに声を掛けられた。
(どうした。また呆けているのか?)
(あ、あそこに小人が……)
僕が指差す先はパカパカの頭上、緑の小人。
(プーカポカの事か。地属性の精霊だが、詳しい事は本人に聞くが良かろう)
その濁すような言葉は、パンサーが自身の事を話そうとしないのと結びついた。けれどそれを聞いている暇はなく。それよりも、プーカポカに関してある期待を感じていた。
パンサーが言うには、僕が精霊を見ることが出来るようになったのは、チコメコの影響によるものだという事。それは精霊の中でも非常に若く力の弱いチコメコが、感知する能力に長けている証。契約をしても全員が精霊を見えるようになる訳ではないらしい。反対に、精霊契約をしていない人間の中にも、稀に精霊を見る事が出来る人間がいるという。
荷造りを早々に済ませて、プーカポカの下へ向う。
「おはよう、プーカポカ」
「おう。おはようだぞ! ……今日は走れるのか?」
僕に見られている事に関して、全く違和感を持たなかったようで、平然と話してくる。今までミシェルがパカパカの首に巻き付いたりしていたのは、プーカポカと話をしていたのかも知れないと思った。
「う、うん。南西へ三日程走った距離にある魔力抽出所へ行くんだ」
「ほんとか! 三日も走れるのか? やったぞー」
一瞬、走るのはパカパカだろうと思ったけど、チコメコと知覚を共有できる僕には、なんとなく理解できた。
「それで、パカパカの事なんだけど。……三日間も駈足。いや、速足で走り続けられるものなの?」
「駈足だって、出来るぞ。……ん? まさか寝ないわけじゃないよな?」
「まさか。……そんなに走って、パカパカの脚は大丈夫なの?」
「おいらの事を舐めてるのか? 出来るったら出来るし、相棒に無理なんてさせないぞ。おいらの力は衝撃を強くしたり弱くしたりする事なんだぞ!……そんな事より行くなら早く行こう!」
願ってもない事だった。僕は運が良いのかも知れない。情報を手に入れたのも、プーカポカの事を知れたのも、チコメコのお陰だ。
僕の相棒はそこが自分の席であるかのように、僕の頭の上で舌をちろちろと出している。この煙の中でも、それは変わらない。
街を出てからというもの、出来るだけ平坦な道を選んで走ってきた。その所為か、軍隊の影を遠目にしか見る事ができなかったのと、もう一つ。盗賊に襲われかけた。
チコメコの目と自分の目を交互に見やれば、飛んでくる矢も楽に見つけられた。その上、飛んで来る矢も緩急をつけて走るパカパカを的確に射止める事など出来なかった。長距離も荷を引くような馬とは最高速度が全然違うから、盗賊も勝手が違ったのだろう。何より荷をほとんど積んでいないからか、すぐに諦めたみたいだったけど。振り返る事無くチコメコの目を通して、後ろから飛んで来る矢がどれだけ止まっている様に見えたことか。小気味良かったのは確かだった。
ぽつりと白い煙の中に建物の影が見える。そこが確かめるまでもなく魔力抽出所だと分かった。
白い煙が立ち込める中、灰色の外観全部を見通すことは出来なかった。けれど、入り口はすぐに見つかった。誰かの影がそこへ入っていったのが見えたからだ。
「レーデ!」
僕は叫んだ。パカパカが想像以上の長時間を走り続けてくれていた事。それで僕は追いついたと思ったからだ。
影は一回り小さくなって以降、こちらを向いて構えて動かない。距離を取って、警戒している。レーデ本人では無さそうだ。流石にそんな都合よく進むとは思ってない。相手を確かめるためにゆっくりと近寄る。
「リキット……さん?」
煙を纏っている様な白い服装のネスティがそこに居た。それを聞いて、僕とネスティの間にある入り口から、次々と出てくる。マセル、ヘイブマン、エクシス、ケッペン。
「リキット君、どうしてここがわかった?」
ヘイブマンが短剣を鞘に収めながらそう尋ねてくる。
「オスリーさんから聞きました」
勿論、嘘だけど今はそう言うのが最善だと感じた。
「あの、マセルさん。これを」
オスリーさんから預かった手紙をマセルに渡す。マセルは不思議そうにその手紙を読む。
「……なるほどな。同行人が一人増えるぜ? 問題ないよな、ヘイブマン」
「いいだろう。その代わり仕事は、より迅速にやってもらう」
「じゃあ、くっちゃべってないで行くとするか!」
マセルが先頭を歩き、ヘイブマンが続く。エクシスがこちらを一瞥して後を追う、それにケッペンが従うようついて行く。僕とネスティが並んでそれに続く。
設置された魔光灯の明りで中はくっきりと見えた。魔力抽出所の入り口から部屋までは大人二人が並んで歩く事ができる通路だった。マセルが一人だけ窮屈そうに進む。土壁の所々に金属の柱が立っていて、不自然さと不気味さを醸し出している。
入口通路から少し開けた空間には、真正面に扉がある部屋。他に出入り口は無い。叩いてもまるで音を反射しない重厚な扉は、全員で押しても動く気配がない。
「やっぱりこの盤が鍵になっているんでしょうか?」
ネスティが示す盤は、扉の隣にあった。
盤には上下左右の四箇所に鐘形の穴が開いていた。
「どうやって開けるんだ?」
マセルはしばらく盤を見て、聴聞委員の面々を見渡しながらそう言った。
「知っている訳が無い。……通信も遮断されているし、気を失った奴からは聞く事も出来ん」
代表して答えるヘイブマンは、気を失った抽出所の警備員を外で見たと説明を足した。僕に気を使ったのだろうか。
ともあれ始まって早々、行き止まりに当たった様なものだった。僕はその盤にある穴に何故か見覚えがあった。
「この穴。……ちょうどピースオブオレンと同じ大きさですよね?」
そうピースオブオレンだ。鐘形の銅貨。
「なるほど。だとしたら警備員がピースオブオレンを持っている可能性が高いな」
俺が見て来よう。そう言ってヘイブマン独り入口へ向かって走り出す。
戻って来たヘイブマンは六枚のピースオブオレンを手にしていた。三人の警備員が各二枚のピースオブオレンを持っていたという話だ。
「入口である事を考えると、四つの穴のどこかにピースオブオレン二枚を差し込む事で開く仕掛け。……という事で御座いましょう?」
エクシスの問いに頷いて納得する。
扉盤の仕掛けを間違えると、何処からともなく毒の塗られた矢が飛ぶ。けれどマセルとヘイブマンがそれをことごとく叩き落した。四度目にして扉が左右に開く。
その後も罠の出迎えがいくつかあった。それらは急ごしらえの罠ではなく、設備と一体化していて、以前から機能していた物だと物語っていた。正直うんざりしてきたけれど、警備員や所員を全然見かけない理由がなんとなく分かってきたところだ。
進むべき道筋をようやく発見して、抜ける床のある部屋を進んでいたところだった。この部屋だけ魔光灯がなく、少し薄暗い。これも罠の一部なんだろう。
突然、地面が揺れ動く。地震だ!
僕とエクシスが地震の影響を直に受けてよろける。僕の身体をマセルが難なく支えた。エクシスは抜けない床から、抜ける床へと足を踏み外す。床が落ちるより先にエクシスに手を差し出し、思いっきり引っ張るケッペン。エクシスを救うのと引き換えに、一言も発せずに落ちていく、ケッペンの後姿。誰もがどうする事も出来なかった。
ケッペンがエクシスの雑用奴隷と聞いていた僕は、その忠誠心に感服する。それと同時にケッペンを助けられなかったという事が、レーデを助けられない事と重なって、恐怖と悔しさに襲われ始めていた。
ケッペンに助けられ、ヘイブマンに身体を支えられていたエクシスだったが、すぐに姿勢を直す。そうだ、いくら奴隷と言い切るとはいえ、彼女の方が辛いに決まっている。
エクシスが、ケッペンの落ちて行ったその先を見つめる。僕の居る場所から見ても、その先は深く真っ暗だ。――彼女はその暗闇の中へ飛び込んだ。
一同が唖然となって消えた姿を追っていた。どう声を掛けようと考えていただろう。生きていると安心させる言葉だとかを考えていた筈だ。だけど彼女はそんな言葉を聞く事は無かった。