第八日 給料日の真実~後~
まず大通りを目指すと、南北の通りに出た。噴水広場が近くに見えるほど、中心部に居たらしい。
ミシェルを迎えにいくのに財布が空では何の為に待たせているのか分からない。都合よく銀行は近く、待ち時間も少なく引き出すことが出来た。痛みが走る所為で、座ることが出来なかったけど。
魚料理専門店の店員に返されたのは、西ギルドにミシェルを届けてそこで残りの代金を受け取った、という事だった。
物凄く迷惑を掛けているのは分かったけど、全身を揺さぶらない様に歩く。足が思うように進まないのは、痛みだけじゃなかった。呼吸は乱れ目が回り、神経を蝕むこの感じは一度経験している。パンサーに魔力を供給した時と同じだったけど、あの時ほど苦しくは無かった。ただ一直線に伸びる西ギルドまで道程が果てしなく遠く感じた。
曇り空に夕の太陽が彩りを加えて、紅と黒、紫に見える雲もある。夕闇が迫っていた。
西ギルドの前まで何とか辿り着くと、ネスティが出て来た。ネスティはこちらに気付いて話しかけてくる。
「リキットさん、すみません。急用が出来たので、クエストはまた今度お願いしようと思って、キャンセルしに着ました」
ネスティはまだクエストを受けては居ないのでキャンセルというのは不自然だったけど、彼の礼儀と考えれば納得がいった。
ネスティが組んでいるマセルという人物と急用。僕の勘が外れたとしても万が一だ。
「これから魔力抽出所へ?」
「すみません、何処へ行くかは知らないんです」
「もしも、魔力抽出所へ行くのなら……レーデを、僕の親友を助けて欲しい!」
完全に甘えている。赤の他人、それも自分より幼い少年に。行く場所も知らないネスティにしてみれば荒唐無稽な相談だ。
レーデが何故そこに居るのか、あらゆる事に穴の開いた願いだ。それでも懇願した。
「もしレーデさんに会えたなら、助けれるよう努力しますとも」
ネスティはそう笑顔で答えるのだった。
「ネスティ準備はいいか?」
マセルが背の低く足の太い馬を二頭引いてやってくる。
「はい。もう大丈夫です」
「よし! ここから南西へ三日、目指すは魔力抽出所だ!」
大声を出すマセルの言葉でも、内実を知らない者には印象にすら残らないだろう。反対に驚いてこちらを見るネスティに対して、僕は腰を折り深く頭を下げた。
「急げ時間が無い!」
二人は馬に跨りその場を去った。
一日早くリザリアを発ったレーデがどれ程の速度で進んでいるかはわからないけど、睡眠時間も惜しめば、追いつけるかもしれない。それは今の僕にとっても同じ事が言えた。
力の抜けた体の重みだけで、西ギルドの扉を開ける。
「リキットさん! 心配してたんですよ! 何があったんですか? 大丈夫ですか?!」
視界に僕の姿を確認したマルガが矢継ぎ早に口を開く。
「ミシェル、置いてけぼりにしちゃってごめん!」
「ん~!」
謝罪する僕に対して、ミシェルはローブの裾を引っ張って、どこかへ連れて行こうとしているみたいだ。それにちょっと待ってと答えてマルガとネストの方へ向き直る。
マルガ達に何処から何処まで話していいのやら、全く見当が付かない。信じて貰えなくていいと割り切って順序立てて話す事にした。でなければ、ミシェルを一週間以上も預かって貰う事など出来るはずも無いからだ。
結局のところ、昼の出来事を語ることになった。勿論、精霊の話を抜きにしてだ。
「という訳で、僕に何ができるか分からないけど、レーデを追いたいんです。……その間、ミシェルを預かって欲しくて、お願いします!」
「もうフラフラじゃないか。追うにしても、今は休んだ方がいい」
ネストさんの言う事は客観的に正しいのだろう。それでも僕にとっては、休んでいる暇なんて無い。一刻も早く出発しなければ。全てが終わった後に到着したらと考えてしまう。
「馬上で休めますから。…………もしもレーデに何かあったら、僕は自分が許せなくなる! 後で何でもします、お願いです!」
「……あ、あのぉ。私でよければミシェルちゃん預かりますよ」
おずおずと進み出て応えてくれるマルガ。
「全く……わかったよ。俺だって協力しないって訳じゃないさ。ただそんな身体で街外れへ行くなんて自殺行為だって言いたかっただけだ」
ため息を一つ吐いて、ネストが応えた。
ネストの言うことには一理ある。主要な街道を通らないというのは、誰にも遭遇しないか、身包み一切を奪われるかだ。命の危険もあるし、賊が怖く無いと言えば嘘になる。とはいえ、今から護衛を雇うには時間が掛かりすぎる。レーデに追いつく為には、襲われない事を祈って一か八かで行くしか選択肢が残されていない。
「大丈夫です。考えがありますから」
考えなんて無い。この場をやり過ごすための方便だ。
僕は意を含んだ言い回しで煙に巻こうとする。笑顔を添え、人差し指を口の前に立てれば効果絶大のはず。
(リキット、お主に話がある)
パンサーの念話が脳に響く。ミシェルが僕のローブ裾を引きながら、ネストとマルガから見えない様にパンサークローを具現させていた。
(もうちょっと待って)
(先程から十分待っておる。お主、チコメコを死なせるつもりか?)
唐突にそんな事を言われるものだから、疲労した脳は更に呆然となってしまう。
気がすっと抜けたのを見計らって、ミシェルが僕を奥の部屋へと引っ張り誘導する。錠を掛け、パンサークローを装着したまま、椅子に飛び乗るように座るミシェル。対面が入り口から近い椅子という事から、僕に座るよう暗示しているのだろう。
僕が座るのと、ミシェルがパンサーと右手を机の上に置くのは同時だった。
(どういう事?)
パンサーの言葉を待つ。
(……お主、チコメコの力を使ったであろう? お主の魔力が著しく弱まっておる)
使ったつもりは全く無いけど、チコメコが僕に力を貸してくれたのだと思っている。
(チコメコが生存する為の魔力を、今のお主は欠いておる。……このまま中途半端な状態を続けるのは、お互いのためにならん。一刻も早く契約をするか、離別すべきだ)
パンサーは僕の魔力の減退を感じ取って、チコメコに供給するべき魔力に足らないと判断したのだろう。昼間に感じた疲労感、今自分に襲い掛かってくる圧倒的な虚脱感、分かりきっていた事だ。考えないようにしていた。これからの人生を一変するだろう、決定的な選択から逃げていただけかも知れない。今、決めるしかない。そうしなければチコメコは僕を諦めるか、消滅する。
僕の自分勝手な思いだけなら決まっていた。それをチコメコに強要する度胸が無かっただけ。僕がレーデを助けるのに力を貸せと。その手にした力で僕は僕の友達を助けると。そう考えると僕の独善さが滑稽で、あまりに腹立たしい。それでも、契約することを選ぶ。
(……契約するよ。どうすればいい?)
(以前言った通り。名を呼び誓いを立て、胸に押し込むのだ)
頭の上で舌をペロペロだしてじっとしているチコメコを掌に乗せる。ふと手が止まる。
誓い。一体何を誓えばいいのか。神様に捧げる誓いや祈りと違うのは分かる。
(誓いって、何を誓えばいいの?)
(お主がチコメコに対して何をするか。或いは、チコメコの力を用いてする事か。契約においては、深く考えた具体性よりも、チコメコが認めるお主の真摯さの方が重要であろう)
(……わかった)
「チコメコ、僕は僕の傲慢で君の力を手にするよ。僕はどうしても友達を助けたいんだ。この契約がチコメコにとって良い事だと思える様に努力するよ」
掌でチコメコが初めて会った時のようにクルクルと回った。
しばらくして、チコメコが寝そべる様に倒れる。そのままチコメコを胸に押し込んだ。
そして僕の意識は途切れた。
夢の中。果たしてそうなのだろうか。現実味を感じないまどろみの中、虚実曖昧で歪んでいるのか整っているのか分からない空間。
そこで僕はチコメコという精霊の存在をはっきりと把握する。契約というものの本当の意味を理解した。僕の決断はチコメコの命を弄ぶ様なものだと、僕は考えていたけれど、少し違った。
チコメコは水属性の精霊で、吹き上げる水と活気で脈動する魔気を背景に生まれた。リザリアの象徴的な精霊と知る。楽しそうに行き交う行商人や馬車、噴水の傍らに憩う人々を見るのが好きだった。水の流れに身を任せ辿り着いた地下の下水路で、自分の存在が虚ろになっていくのを感じていた。魔物に追われ、悪い魔気に身を削りながら、やっとの思いで噴水と水質と同じ気配の排水路を見つける。けれど近くから急に流れ出した汚水に小さな身体が飲み込まれてしまう。とっくに意識が薄くなり、消えると思ったその瞬間だった。そこにリキットが来て、助けてくれた。
喜び勇んで噴水に戻ったものの、いつもの風景がどこか寂しく儚く感じる。命の危険とは裏腹に、そこには僕の期待した冒険があった。ひたすら苦しさと悲しみの先にあった興奮と歓喜を忘れられない。でも、夢物語はそこまでと諦めるはずだった。僕を見付けなければ。リキットがレーデを送る姿は、まさに求めている冒険の一齣で、かっこよく感じた。だからこそ彼を追う。家に辿り着くまでもがすでに、楽しくて仕方が無い。
ただ眺めるだけはもう嫌だ。存在の危機だってもう懲り懲り。そこに都合よく現れたのが僕だった。
チコメコの能力を理解する。自分の手足を動かすのと同じように、それと意識している訳でもないのに自然にわかる。チコメコの能力は、僕という意識とは別に精霊チコメコが見聞きした経験を後で、若しくは自意識の一部を外す事で同時に、追体験できるというもの。
何故こんなに色々な事が分かるのか。簡単だ。契約というものの性質に由縁している。
パンサーは前に言った。契約をすれば魔力の消費を抑えることが出来ると、精霊にとっても魔力を安定して受けることが出来ると。
それの意味する所が、これだ。僕とチコメコは一つになった。……完全一個の存在という訳ではなく、二人で一人という感覚だ。お互いに無くてはならない存在。けれど別個の存在として互いを支え合う。それが契約。
契約が解除されるというのが、今までの状態に戻るだけの事だとしても。痛みを伴わなくても、今の感覚を失う事が、自分を見失う事と同じ意味に感じてしまう。まさに精霊と人間が一体となったカタチ。
だからこそ、見失うことは出来ない。
レーデを助けるという目標を。決意を。覚悟を。契約を。
契約を機に、残り僅かな僕の魔力とチコメコの魔力が、僕とチコメコを往復し、血の流れのように循環する。その過程で僕の精神が覚醒している事を拒んだ。魔力の流動が負荷となって、僕を眠りの世界へと誘ったと分かっていた。
僕は……いつ目を覚ますのだろう。
僕! 起きろ!! 今すぐに!!!