第七日 合格と失格?~前編~
今朝はパンを買い込んで、ミシェルを家に置いてギルドへ向かった。ネスティのCランクハンター認定試験の実地での戦闘試験に僕とマルガが付き添う事が決まっている。そのため、ネストさんが西ギルドを今日も一人で切り盛りするしかないと分かっていたからだ。
ミシェルの学習能力が高いのか、僕がミシェルの事を見縊っていたのか、ミシェルはもう絵本もパズルの解き方も完全に憶えてしまっていて、暇つぶしの玩具としては使い物にならなくなっていた。なので、ミシェルには自分で考えて何でもしていいと言ってみた。勿論、火を使わない事を約束させてだ。心配もあるが、ミシェルが一体何をするのかちょっと興味がある。
ともかく今日は、パカパカに一人で跨る。新たな玩具の獲得と、レーデが勝手にしたアクセサリーをプレゼントするという約束を守るため、金庫から銀行券を持ち出して家を出た。
このリザリアでは街近くの河流から水を引いて、浄水した後各所に配水している。もちろん排水路も用意されている。その排水路には雨水や生活排水、清潔を保つために削ぎ落とした物が流れてくる所為で、悪い魔気が自然と集まりやすい。
地を通して自然な魔気に戻るのもあるが、そのまま溜まって魔物を呼び寄せたり、生み出す場合もある。リザリアではそうしたモンスターを倒すのは軍の仕事の一部だけど、今回は認定試験という事で特別に許可を貰って地下排水路に進入している。
ところで、悪い魔気が魔物を呼び寄せたり、生み出すと言ったけど。悪いマナの集まる所には、知らず知らずの内にモンスターが沸いている。その魔気が魔物を生み出すという説があるが、実際の所は定かではない。しかし、モンスターは魔気の強い所を棲家にする傾向が強いというのは確かなようだ。マナの薄い所や、聖なる魔気とでも言うのだろうか、の強い場所ではモンスターは活動していないというのは、逆の意味で精霊にも当てはまる事らしい。
もっとも、見る事の出来ない精霊と、普通に見える魔物とを比較する事に意味なんて無いし、パンサーに聞いた方がよっぽど真実に近い話が聞けると思う。
とにかく、僕達はこの臭い地下水路を慎重に進んでいる。人工的に掘られた水路の片脇には、石積みの簡易な歩道が出来上がっている。これが水位の変化に対応できるよう、腰辺りまで高さのある段差が何段かあって、今は水位より上の三段が歩ける状態になっている。そんな歩道と水路があるため、洞内の空間はそれなりに広く歩きやすいけど、臭いはなかなかに強烈だ。
先頭をネスティ少年が歩調に気を使いながら進む、僕とマルガがそれに続く。それぞれ魔光灯を持っているので、日の当たらない地下水路もくっきり見えるほど明るい。
「何も居ませんねぇ~」
「ここじゃなかったのかも知れません……」
駐在軍が魔物の処理をしているとはいえ、本当に何も居ない。討伐モンスターリストの中でリザリアから一番近いモンスターが棲家としている筈の場所がここだ。と言っても、実務的にクエストを受ける要領でモンスターを選び、その場所を調べ、向かったネスティに、僕達は付き添っているだけ。一連の行動に何か問題が無い限り、出しゃばってまで注意や誘導は出来ない。今の所、ネスティの行動には何も問題は無く、対象のモンスターが見付からないという可能性を一番危惧している。
「モンスターが見付からない場合どうなるんでしょうか?」
ネスティの顔には心なしか焦りと汗が浮かんでいるようだった。
「そうですねぇ。推薦での試験ですと、規定ではもう一度モンスターの選択から出来ます。それも失敗すると、同一推薦人による特別試験は受けられなくなります」
赤縁の眼鏡の腹を押さえて答えるマルガ。
「そうですか。……頑張らないといけませんね」
探しているモンスターはレッドリザードという。人と同じ位長さがある爬虫類型の青い肌地に数多くの大きな赤い斑点が特徴的なモンスター。見た目の毒々しさの通り毒を持つが、毒性は低く局部の筋肉麻痺を引き起こす程度。わざと摂取しない限り、死に至る事はない。棲息場所は魔気の集まる水辺全域。毒攻撃への対処と躊躇無く攻撃出来る行動力さえあれば、倒す事ができる下級のモンスターだ。と言っても、もちろんキューブ情報の受け売り。僕はそんなものと関わり合いになった事はないので、強弱の基準などはわからない。
「もしかすると、火唐草の所為かも知れないので……ネスティ君は先に進んで下さい。僕達は少し離れて付いて行きますね」
マルガに目配せをして止まると、大げさに軍人張りのピシッと決まった敬礼を見せた。
火唐草というのは、年中赤い色をした巻き蔓の特徴的な草だ。水辺を好むモンスターが嫌う香り成分が出るらしく、モンスター除けとして重宝されている。その草を僕とマルガは持っている。
距離を置いて同行するも、目立った変化が訪れない。レッドリザードだけならともかく、モンスターが全く見当たらない。何度目かのネズミが魔光灯の明りに晒されては逃げていく。
「……いました!」
待ちに待ったと言わんばかりのネスティからの報告だ。僕達は素早く、ある程度の距離を保つ所まで駆け寄った。大型蜥蜴のように四足を地面にぴたりと付け、口先から尻尾まで大人一人が横たわったほどの長さがあり、柄も毒々しい赤斑点をしているモンスターだった。
「間違いなくレッドリザードです! 頑張ってくださ~い」
いつの間にか審査用書類を取り出して、いつでも書き出せる態勢にいるマルガを流石だと思う。書類を戦闘中に書く必要性は全く無いんだけど。
「倒せばネスティ君もCランクハンターだから、頑張って!」
「はい! 行きます!」
細身の剣を正面に構えるネスティ、その姿はまるで剣の型稽古をしているようだった。一方、レッドリザードも一歩も動かない。毒々しい風貌と、目をぱちくりとさせているのを合わせて見るとかなり気色が悪い。
ゆっくりとネスティはレッドリザードに摺り足で近寄っていく。振るえば剣の切っ先が当たるかどうかの距離になると、先に動いたのはレッドリザードの方だった。レッドリザードは爬虫類と同じく、短足と思わせない素早さで、体で円を描く様に反転して駆け出す。ネスティは攻撃を警戒して一歩下がっていたが、それが致命的だった。遅れて振るった剣の跡には、レッドリザードの尻尾の先が僅かに転がっていた。
「っ!……追います!」
レッドリザードを先頭にして、離れた位置でネスティが少しづつ追い上げる。更に離れてマルガがレッドリザードとの距離を保ったままそれを追う。更にマルガに段々と引き離されつつ走る僕。マルガの走力に驚いている暇なんて無く、追いかけるだけで精一杯だ。
間も無く、息を切らせて片膝に手を置いて呼吸を整え始める。しながら皆が走って行った方を見る。水路の先は曲がっていて、姿が小さくなり壁に遮られ見えなくなる。
背筋を伸ばして歩き出そうとすると、頭がくらっとして足元が崩れたように前のめりに膝を突いてしまう。そのまま落ち着くまで呼吸を繰り返していると、目の端に青白っぽい何かを見つける。それに焦点を合わせても、僕には首を傾げるしか出来なかった。
視線の先には、僕の靴ほどの長さの小さな蛇がぴくぴくと細かく動いていた。よく見ると青白い蛇はちょろちょろと漏れ出す汚水に打たれているではないか。蛇自体をあまり見た事は無いのだけど、汚水とは言え、水に打たれて弱る蛇っていうのは有り得るのだろうか。小さく可愛らしい蛇の姿に思わず笑い出しそうになったけど、あまりに可哀想なのでその場から摘んで救い出す。
この大きさだと蛇でもまん丸の目が可愛いく感じる、大きいと不気味でしかないのに不思議だ。青白い蛇は礼のつもりか準備運動か、自分の尾を追って何週か回った後スルスルとどこかへ消えていった。
水路の先では魔光灯の明りがぼんやりと見えていた。どうやらそこで止まっている様だ。
僕が二人に追いついたら、ネスティはレッドリザードとその残骸の群れに囲まれていた。マルガは書類を完全に仕舞って応援と言うより観戦している状態だった。
「遅くなったみたいだね?」
「もう合格確実ですよぉ」
動いているレッドリザードはあと三体。その内の一体の額に剣が突き刺さり下腹から伸びた切っ先が光る、剣が抜かれると程なく体重を支えた四本の腕があっさりと力を失う。
残った二体のレッドリザードが同時に飛び出す。一体はネスティに向かって、もう一体は真っ直ぐ僕に向かって長い身をくねらせ走る。
「え……?」
不意を突かれレッドリザードが目の前まで来ているのに、一歩も動かずまた逃げ出そうとしているのかという考えが一瞬過ぎる。レッドリザードは既に狙いを定めて、口を開いて跳び掛かってくる。その裂け口に鈍く光る牙を見て初めて、襲われると理解するも、尻餅をつく様に地面に倒れるしか出来なかった。
レッドリザードの開かれた喉の奥から硬質な鋭い舌がグイッと飛び出す。食べられると思った。しかし、レッドリザードは舌を引っ込めて僕に覆いかぶさるように身を預けた後、ピクリとも動かなくなった。レッドリザードから視線を外すと、すぐ近くにはネスティが周囲を見渡しながらゆっくり近付いてきて、僕に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
「ネスティ君てば、ズバッ抜きながら剣をそのままシュパッと真っ二つにして、最後の一体にザザッて飛び掛ったんです! 凄かったんですよ~」
マルガの解説を受けると。つまり、僕がレッドリザードの舌だと思ったのは、ネスティの持つ細身の剣だったらしい。僕はネスティの手を借り立ち上がる。
「でも何でリキットさんが襲われたんでしょうか?」
「うん、火唐草は持っているはずだし……」
そう言いつつ、自分の身を、ポケットというポケットを漁る。しかし火唐草を入れていた場所はおろか、どこにもそれは無かった。
「ごめん……無くしたみたいだ」
「ん~もぅ、何やってるんですか」
マルガは口を窄めて、僕を咎めた。
「もう用は済みましたし、早く外へ出ましょう」
「ネスティ君は大人ねぇ~」
苦笑いを浮かべるネスティ。
「……すみません」
うな垂れる僕。
僕達は駐在軍の詰め所へ挨拶に寄っただけで、西ギルドへそのまま戻ってきた。僕のローブだけが一際、汚れによって目立っている。
「お帰り。……泥だらけじゃないか、どうしたんだリキット?」
「色々とありまして……」
「そうか、怪我が無ければいいが。……結果は上々の様だな」
「そうなんですよ、聞いてください。ネスティ君凄いんですよ~。あっちからくるレッドリザードをズバッバシュッと…………」
身振り手振りを加えて、語りだすマルガ。そう簡単に止まりそうにない彼女はネストさんに任せて。
「じゃあ、ネスティ君こっちへ」
僕はネスティをカウンターの奥のテーブルへ座らせ、黄キューブで操作を始める。審査書に書き込まれた内容をそのまま入力する。と言っても今日の戦闘が優・良・可・不可の段階評価と備考くらいしか入力する所は残っていないので、あっと言う間に入力し終え、ネスティの対面に座る。
「本部での承認を受けCランクハンターに変わるまで、一日ほどかかります」
「ありがとうございます。…………これでやっとCランク、デュライと同じ」
最後にぼそりと呟いた独り言に、予想だにしなかった名前が挙がった。
「もしかして、君と同い年くらいで赤髪の、デュライと友達なのかい?」
「……友達かどうかで言うと、多分違います。リキットさんはデュライとはどういう?」
「どういう関係という物でもないけど、ネスティ君が来る四日前だったかな? ……にギルドに来て、その後色々とあってね」
「本当ですか!」
どちらかと言えば嬉しさが先立っている驚きを見せるネスティ。今にも立ち上がらんばかりだ。
「本当だよ、嘘を付く理由が無いもの」
「生きてたんだ、良かった」
安堵して目を閉じ、椅子の背凭れに沈む。すぐに跳ねる様に前へ重心が移動し、質問が繰り出される。
「デュライはこの街にいます? どこへ行きました? ……僕らの事何か言ってませんでしたか? ……もしかして何か伝言ないです? ……あっ、すみません」
まるで慌てふためいてるみたいなネスティ。
「ごめんね。行き先も知らないし、君達の事も伝言も何も聞いてないんだ。……ただ、この街にはもう居ないと思う」
「そう……ですか。……でも、生きてるのは確かなんですね?」
「足も有ったし、幽霊じゃないと思うよ」
「そうだ! 怪我はしてなかったんでしょうか?」
「怪我か……最初に来た時の服装は汚れていたけど、怪我をしている様子は無かったかな。……そのままCランククエストに出て行ったし」
ネスティは良かったと相槌を打って、その後の言葉の方が気になったのか、更に質問が飛んできた。
「そのCランククエストというのは?」
ネスティに質問責めにされると流せず、正直に答えざるを得ない。排水路では命までとは言わないでも、少なくとも怪我をせずに済んだのはこの少年のお陰である。
薬素材を収集するクエストで、今は魔窟と化した儀式跡地に行く必要があると答えると、ネスティはそれを受けたいと言い出した。紳士的な彼に珍しく、僕を困らせる。友達とは違うという言葉と、その行動から察すると、デュライに対して一種のライバル心があるのだろう。
デュライとクエストの話がしたいという事で食事に誘われた。ので、ミシェルが待っているので我が家でも良ければと言えば、それをあっさりと快諾される。彼にとってはデュライという存在は相当に大きいのだろう。
仕事を終えるまで、まだ幾ばくかの時間が残されている。ネスティ少年は、旅に同行している先日の筋肉大男、マセルというらしい、に諸々の事情を伝える為、一旦宿へ戻った。
今日の仕事を終えると、丁度いいタイミングでネスティが戻って来た。ネストさんとマルガは先に帰っている。マルガだけはついて来ようとしていたけど、話す内容的にもマルガが居ると面倒くさそうだったので、断固として拒否させてもらった。
「すみません、お待たせしました」
「ちょうど今終わった所だよ。……それより、渡しそびれていたんだけど、これ」
色彩鮮やかな、鳥が翼を広げた形をしたバッジを渡す。細かい装飾の他、Cの字が背景に見えるように彫りこまれている。
「ストレリチアという花を象ったCランクハンターに贈られる徽章だよ。試験合格おめでとう」
「ありがとうございます!……でもまだCランククエストを受けられないのでは?」
「そう、手続き上の理由でね。その間にソルバーは別の街へって事はよくある事だから、先に渡す事になってるんだよ」
「そうですか、でもデュライは付けてなかった様な……?」
「まぁ、徽章は記念品だからね。付けていても、分かる人が見れば分かるって程度の物だからね。……彼の場合は、捨ててそうだけど」
ハンター系統の徽章は上位三ランクになった者に贈られるが、特別な価値もメリットもないので、記念品というのは確か。
なるほどと言って、白い制服の胸ポケットの上に徽章を付けるネスティ。