第六日 夢見る者と職務怠慢?
夢……寝て見る夢。
白い肌の女性に抱かれるレーデ、その女性は炎を纏い燃えている。焦げる様な匂いも、火の明かりも、帯びる熱気も感じない。ただ、白い肌の女性が炎に曝されてレーデを抱いている。そんな夢の一瞬、映像。
そして腹部を襲う強烈な打撃。声に成らない声で悲鳴を上げると、頭を浮かせてお腹を見る。子供の腕が弧を描くように腹部に掛かっている。その腕の持ち主は足の裏をこちらに向けてぐっすりと眠り込んでいる。どうやら、ミシェルの寝返りで肘打ちを貰った様だ。
昨日は……あれ、昨日の夜はどうしたんだっけ。ミシェルは自分の部屋で寝かせなかったか。全然憶えてない。変な夢も見てしまったし、打たれた腹部も痛む。腹癒せにミシェルを擽って起こせと悪魔の囁きが聞こえた気がした。僕は悦んで受け入れ、口元をにんまりと歪ませる。
「……ゃはぁひゃはぅいはは、あはゃひはは!」
ミシェルは笑いながら、くねくねごろごろと転げ回る。しばらく擽り続けて、想像以上の威力を誇ったゴールドフィンガーに敬意を払って窓から射す陽光に向かって手を広げる。ナイス、僕の手。気分が一気に晴れていく。
「おっはよう! ミシェル」
「ん~!」
ミシェルは当然ご機嫌斜めである。口を膨らませ、非難の視線を僕に浴びせていたかと思えば、軽い体当たりと共に小さな手の平を僕の脇にぴたりと付ける。その後の僕の顛末はもう。情けなくて語りたくも無い。ただ、そんなやり取りが面白かったのは確かだった。
いつもの様に朝食も済ませ、ミシェルを連れて西ギルドへ到着する。ミシェルの服装は一昨日前と同じ、お気に入りの白カッターシャツと黒のゴシックパンツだ。そんなに替えが何着もある訳じゃないからいいんだけどね。
扉を開いても、ドアベルに反応したのはネストさんだけだった。マルガはと言えば、奥にあるテーブルに突っ伏していた。瞳はこちらを捉えてはいるがどこか虚ろで、片手を枕に、もう片手で頭を押さえ、時折り胃から何かを吐き出そうとしている。二日酔い……それも重症だ。
「あの、彼女お酒強いんじゃ?」
「それ程じゃないみたいだな。俺がからっきしダメなもんで、お前さんがいてつい酒が進んだんだろ。……あそこまで飲んだのは初めて見たし……な」
そう言って二人でマルガの方を見やると、マルガが何かを喋っているようだった。近付いてようやく微かに聞こえる声。
「……トさん……ずっと……看病……下さいね」
これに口の動きと想像を合わせて考えると、リキットさん今日はずっと私の事を看病していて下さいね。となる。と言うか、どうしてこの状態で出勤して来たのだろうかこの人は……。考えても仕方ない、とりあえず、グラス一杯の水を汲んで来る。
「……飲ませて」
「マルガ、甘えるんじゃない。二日酔いは病気や怪我じゃないんだから、リキットも放って置け。それより、仕事だ。……よく分からんのだが、お前さんが配達をするようにって荷物を中央ギルドから預かってるんだが?」
掌に収まるほど小さな箱をカウンターの引き出しから取り出すネスト。マルガは覇気なくぶう垂れていた。
箱を開けると、鳩や鷲など様々な鳥の形を模した立体的な装飾の付いたクリップが、やんわりとした寝床で寛いでいた。それに覚えのあった僕はすぐに届け先を理解した。技巧士クエストをよく依頼する僕の遠い親戚の屋敷までの道程といつもの世間話の時間などを考えると、どうしても昼を余裕で過ぎてしまう。
ミシェルを連れて行くには、少し不安がある。何より、まず何と紹介すれば良いか分からない。借りている貴方の家に泊めている素性不明の子供です、なんて言える訳が無い。かといって、マルガが倒れ伏していて、ネスト一人で切り盛りしている状態のギルドにミシェルを残していくのも、気が引ける。二人でやって暇だ暇だと言えるけど、一人だと大変になる瞬間が稀にある。しかも、東ギルドが使えない所為で西ギルドへの出入りは単純に倍増していた。
マルガが働ければミシェルを置いて行けるのにと思うが、彼女は足元も定まらずふらふらと奥の部屋へ入っていくではないか。どうやら限界を迎えたらしい。
元々、ミシェルを連れ回すのには無理があった。レーデも、マルガも、ネストさんも、みないい人だったから、ミシェルを置いて来いなどとは言われず、受け入れられただけなのだ。ならばいっその事これを良い機会だと考えて、ミシェルに家の事を任せるというのも有りだろう。掃除に関しては随分成長した事だし。暇つぶしの道具も幾つかあるので、何とかなると思う。勿論、付き添って文字や計算の勉強なんかをした方が今後の為になるのは分かり切っている事だけど。
「それでは、いってきます」
「いってきまーす」
「いってらっしゃい。しっかり機嫌取ってこいよ」
箱を受け取り、クエスト品を配達する経緯とそれに時間が掛かる事だけ話して、ミシェルを連れて一先ず我が家を目指す。
戻る途中に買った、牛一枚肉にパン粉を付けて油で焼き上げたコトレッタとロールパンを昼食用にと食卓に置いて、家の掃除をする様に言った。ミシェルは好奇心と呼ぶ物には恵まれていない様に感じるけど。その分、落ち着いた行動を取る。今では出会った当初から持っていた不安感は小さくなっていた。
「じゃあ、行って来るね。……お留守番クエストよろしくね」
「……いってらっしゃい」
浮かない顔をするミシェルに、ふわりと優しく、それでいてハッキリした意思を込めて、大丈夫すぐに戻ってくるから。と言葉を掛けた。
見えなくなるまで手を振ってくれているミシェルに、馬乗り後ろ向きになりつつ手を振り返すのだった。
時刻も昼を迎えようとしていた。例の依頼人が会食などを予定してるならば、クエスト品を渡してそれまで、という事もあったろう。しかし、僕は座ってその御仁と食卓を囲んでいた。
食後、全ての皿を下げたグラスだけが立つ食卓。それまで談笑を絶やさなかった権柄を持つ依頼人は、少し間を置き、険しい顔をする。それはこの人物が血筋や口八丁だけで今いる階位に座しているのではないと思わせる威厳、凄味を感じさせた。
「……リキット君、最近ギルドで変わった事は無かったかね?」
「え、ええ……キューブが故障しましたけど」
「そうかね」
暫く品定めをする様な強い視線を受け、渋い顔のままの依頼人が再び口を開く。
「内々の話なのだが……近くリザリアにギルド直属の聴問委員が訪れるそうだ」
「あの……聴問委員会が一体何をしに?」
聴問委員会とは、ギルド発足当初にクエスト成否に係わる制度が出来る以前、その裁決を担っていた内部の外的部門で、その後、不正を取り締まる査問委員会との統合後も外的機関の役割を一手に担う組織の事だ。
「理由までは明かさず、義を通すためだけの知らせだった……君に話すか今の今まで迷っていたのだがね」
「何故、僕にこの話を?」
「……恩を売られたと、受け止めてくれたまえ。仮にこの話が何かの役に立ったのなら、リキット君が出世した時にでも何か返して貰おうと思ったのだよ。私は欲深いのでね」
一度目を閉じ開ければ、いつもの人の良い依頼人の笑顔が戻っていた。
「ところで、今回のこの鳥模型クリップなのだが……」
そうして、装飾細部に至るこだわりを聞かされる恒例の儀式が始まる。
リザリアの中心から北寄りに位置する邸宅地を後にした僕は、程近くにある中央ギルドに寄る事にした。聴聞委員の来訪がソルバー情報の漏洩によるものだと見当をつけたからだ。
「東ギルドから転属のレーデ? ……病気だとかでここには一度も来て無いな」
中央ギルド、過日見知った顔の職員の言葉で完全に面を食らい、その言葉の意味が理解の域に到達することを困難にしたようだ。驚きから困惑へ。理解に達すれば溢れ出る疑問と、実体験と話のそぐわない気持ち悪さが胸を押し潰し始める。
疑問符を多量に垂れ流し狼狽する僕を、首を傾げて覗き見る職員は更に続けた。
「とにかく、転属の前日だったかな。代理の男がそう伝えに来たきり、彼の事は何も知らないよ」
「……そうですか、ありがとうございます」
足が勝手に動き、向く先がレーデの家の方角を見据える。病気というのは聞いていないし、異動の通達があった後日にもレーデには会っている。僕に対して仕事の話で隠し事をしているのは明らかだった。それでも一昨日にそれを言う機会は有った筈と、怒りに近い苛立ちと行き場の無い不快感を胸にパカパカに跨る。
結局、レーデの住む家まで行って不在を確認しただけだった。近隣住民の話から以前と同じように夜にしか戻らないという事で、我が家で一人留守番しているミシェルを拾う。擦り寄ってくるミシェルに頭を撫でてやる事位しか出来ず、西ギルドへと舞い戻ってきた。
「何かあったんですか?」
朝見たほど不調では無いが、本調子には程遠いだろうマルガが、僕の苛立ちを察してかそう尋ねてきた。確かに口を閉ざす事が多かったため、不機嫌だと伝わってしまったのかも知れない。
「ううん、何でも無いよ」
「……機嫌取りに失敗でもしたか?」
「そっちは大丈夫です」
我ながら淡白な返答だけど、今の僕にはそれが精一杯だったし、話して良い内容かも判断がつかなかった。
「そうか? ……ところで、Cランク試験の事なんだが、また明日出直して貰う事になったからな。マルガが使い物にならなかった所為で」
「う……さっきから謝ってるじゃないですかぁ!」
そして僕は取り立てて会話に参加せず、不快感を抱えたまま淡々と仕事をこなした。結果的にネスティ少年には悪い事をしてしまったかも知れない。けれどマルガがあの状態では試験どころではなかったし、僕一人だけでは役不足に違いなかっただろう。やむを得なかったと開き直れば、職務怠慢と罵倒されても仕方の無い話だ。
帰りの足を延ばし辿り着いた、レーデの部屋からは既に灯りが漏れていた。ミシェルとパカパカを表に残し、家屋へ入っていく。四戸ある部屋を外付きの廊下は、隣の家の陰になって暗かった。ある一室の戸を叩く、出て来た人物は当然の事ながらレーデ本人だった。四年振りに再会した時と同じ様に、髪の色に違和感を感じた。再会した当初は、黒に近い強い青色だった髪が全て白に染まり上がっていた事に戸惑っていたものだ。当人はイメージチェンジだと笑って答えていたっけ。それが、室内からの逆光で昔の紺色の髪に戻ったかのように錯覚したのだ。
「よぉ、リキットどうした?」
金なら貸さないぞと、いつもの様に笑う親友がそこには居た。
「聞いたよ、中央ギルドに行って無いんだって?」
玄関口で詰め寄る僕に、ややあって神妙な面持ちでレーデは答える。
「そのことか。……実は、ギルドを辞めようと思ってるんだ」
「辞めるって……まさか、この前の事で?」
「それもある。……それに、また旅をしようかと計画してる所だ」
「どうしてそんな大事な事を話してくれなかったのさ」
「すまない。話そうとは思っていたんだが、色々とタイミングが合わなくってな……」
「……ギルドを辞めなくても済む様に」
手の平を突き出し、続く言葉を制するレーデ。
「気持ちは有り難いが、けじめだ。ギルドは辞める」
「でも」
「決めた事だ。……それに旅に出たら、どうしてもやり遂げたい事があってな……」
どうしてか旅をするというレーデの答えは、気持ちが良かった。きっと学徒として別れたその時の台詞と想い出がそうさせるのだろう。他の街、他の国の話を聞く度にどれ程レーデの事を連想したろう、僕の中では旅人レーデが自然な姿だった。
それに、したい事をすると言う友を応援しないなんて友達じゃない。
「わかったよ、もう言わない。旅に出るなら君の無事を祈る事にするよ」
「ああ、ありがとう」
「そうだ……聴聞委員がリザリアに来るらしいって」
「……俺の事だろうな」
「多分」
減俸や解雇に罰せられる事はあるだろうけど、自主的に辞職するのだから咎められる事は特に無いと思う。
すこし間を置いて、負の感情を吹き飛ばすように覇気のある声色が響く。
「……よし、明日にも発つとするかな!」
「明日とか、急過ぎるし!」
悪戯小僧のように歯を見せて笑顔になるレーデに釣られて僕も顔が綻ぶ。
少し話して、またミシェルとレーデと三人で夕食にしようと話を持ち掛ければ、快く承諾してくれて、僕の家へ行く事になった。
あっという間に辺りは暗くなりつつあったけど、近所の魔光灯の部屋明かりが道を照らし出していた。
「お前の家こんなに綺麗だったっけ?」
部屋に入ったレーデの最初の台詞だ。綺麗にしている実感は無いけど、汚さず使う事を心掛けているのと、時々の掃除でなんとかやっていた筈だ。室内には埃の後も屑も残っておらず、家具も光っている様にすら見えた。それは間違い無くミシェルの功績で、西ギルドへ戻る時にには気にもしていなかった事だった。
「ミシェル、ピッカピカじゃないか凄いぞ!」
「ん~」
髪をくしゃくしゃにして撫で回す。ミシェルは口をへの字に曲げて、不平を唱えてるのか誇り顔か。どちらとも取れない変な顔をしているので、思わず笑ってしまう。
「お前はミシェルを侍女にするつもりなのか?」
「まさか!」
「チジョ?」
違う!と男二人でハーモニーを奏でる。
「侍女っていうのは、身の回りの世話を仕事にする女性の事だよ」
「これだけ綺麗にしてくれたんだから、ミシェルに特別なご褒美を上げないとな?」
「そうだね、ミシェル何か欲しい物無い?」
「カレー!」
僕とレーデの顔を見比べて答えるミシェルに、カレーを所望と聞いてどうしようか悩んでいたら。
「央風カレーは旨いけどな。本場のカレーは辛いっていうより口の中が痛くなるんだぞ。知ってるか? そんなカレーを今から作るか!」
痛いほど強い辛味を経験した事があるのだろうか、ミシェルは眉を顰めてカレー要求を取り下げる。
「ははははっ……リキットにアクセサリーでも買って貰うといい。……な?」
「そうだね、装飾品の一つも持ってておかしく無いもんね」
ミシェルは首を傾げていた。
結局、野菜と茸たっぷりのリゾット、コーンスープ、ザワークラウトという酸味あるキャベツの漬物に乗せた、こんがりと焼き目の付いた骨付きソーセージを三人でわいわい料理した。
楽しければ時間もあっという間に過ぎるもので、昔話に花を添え、ふとミシェルの武器パンサークローの話になった。
「あの時の武器はどこから持って来たんだ?」
「ん~、この辺?」
両手で前方の空間を何度も掴もうとして、ミシェルが何か搾っている様に見える。
「あれは精霊が宿った武器で……なんというか、出し入れが自由らしいんだ」
「精霊が宿ったって……そんな能力があるのか?」
「出すのにミシェルに凄く負担が掛かるみたい。だから、あんまり出さないで居てくれればと思ってるよ」
「そうだな。……そんな武器、悪用しようとする奴もいるかも知れないし。見付からないに越した事は無いだろう」
「パンサー見える?」
唐突にミシェルがレーデに尋ねる。
「いや、武器にしないと見えないな……だから、他の人が居るところで無闇にパンサーを武器にしたら駄目だからな?」
極めて真面目な顔でレーデが答える。
「うん、わかった!」
今までデュライと対峙した三回しかパンサーを出してはいない筈なので、大丈夫だろうと思う。戦う必要が無ければ、パンサー側から話をしようとする場合以外には、パンサーを具現化させないんじゃないかな。
「リキット、お前がちゃんと看るんだぞ、わかってるのか?」
「わかってるよ」
「頼むぞ、本当に」
レーデも僕に負けないくらいの心配性なんじゃないかと時々思う。いや、僕が頼り無さそうだからかも知れないけど。
その後、酒も入って、話は西ギルドの仲間の事やCランク試験の事、まだ出発してもいない旅の話にまで及んだ。ミシェルはその間ずっと、レーデから貰ったスライド型のブロックパズルを難しい顔をしながらあちらへこちらへと動かし解いていた。
レーデが帰った後。ほろ酔い気分で風呂に浸かっていれば、ミシェルは一人で髪と身体をしっかり洗っていた。あっと言う間に自立してしまった気がして、嬉しくも寂しくもある複雑な気分になる。風呂上り、二人並んで腰に手を当て牛乳を飲む。何度か読んでいる絵本を寝るまで読み聞かせる。良い夢が見れますように。穏やかに、目蓋を閉じた。