第1章
『マイドナーデイズ』に続く肝臓移植関連小説第2弾です。
絵津子は大学病院の病棟内にある肝移植科でお茶を入れる仕事をしている。とはいえ、お茶ばかり入れているわけではなく、他にも、おしぼりの洗濯や、食後の食器の後片付け、病衣の配布なども行っている。つまり衛生管理に関する全般的な補助が絵津子の仕事だ。
絵津子がこの大学病院に勤めるようになって三年の月日が経つ。以前も、市内にある他の総合病院で同じような仕事をしていたのだが、病気を患い、約一年間休職し、当然のことながら復帰しようとした時点では、すでに後任が働いていた。絵津子の仕事は丁寧で評判も良く、その総合病院の院長も復帰を待ち続けたい気持ちでいたのだが、現実的にそうはいかなかった(院長は絵津子に惚れていた、という説もある)。「元気になられるまで、お待ちしたかったのですが申し訳ない」、そう言う院長に対し、「とんでもないです。お気持ちだけで十分です。いろいろとご迷惑をおかけしました。院長先生もどうかお元気で」と本心からお詫びを言い、絵津子は静かに立ち去ろうとした。そんな絵津子の姿は、院長に、このまま辞めさせてはバチが当たる(もしくは接点が無くなるのが嫌だ)、とまで思わせ、コネクションを使って絵津子を大学病院の職に就かせるまでに至った。絵津子の『控えめさ』はある意味『能力』であり、しばしば人の心を動かし、実際の行動に移させる。しかし、勿論当の本人は、そんな結果を導き出すために控えめであるわけではない。
毎食事前、一日三回、絵津子は各病室を回ってお茶を入れる。お茶を入れる際、湯呑を受け取りながら、絵津子は入院患者の瞳をチラリと覗き見る。そうすると、その患者が悩んでいることや、困っていること、気にしていることなどが自然と分かる。そして、『聞いてほしいけど言えないこと』を絵津子は患者から、あくまで日常的な会話の中で引き出し、そこにあったストレスの元を解消する。そのことは、多くの入院患者にとって一種の『治療』であり、その『力』に気づいた一部の入院患者などは、内心、絵津子のことを教祖のように崇めている。そんな信者達は、医師や看護師に相談しないことを積極的に絵津子に相談し、そしてその相談事は多くの場合解決に向かう。
そんな絵津子は先月六十歳になった。「きっと静かで優しい人生を送ってこられたのだろう」、周囲の人々はそう思う。しかし現実は、むしろそんな周囲の人々の想像の裏側にあった。現在の絵津子が身にまとっている静けさは、若かりしころの激しさの反動とも言えるのかもしれない。