第九話 プレイヤーの選択
頭上のどこからともなく降ってきた声は、まるで舞台の幕間を告げる案内のように淡々としていた。
『あなたたちは岐路に立たされています。現在仲間とはぐれたあなた達が取るべき行動は三つ。
・はぐれた仲間を見つけるため、来た道を引き返す。
・このまま南に進み、当初の目的だった街へ向かう。
・アテもなく、森の中を彷徨う。
ほかに取りたい行動があれば申告してください。』
声が途切れると、森は再び静寂を取り戻した。風が枝を揺らす音と、遠くの鳥の鳴き声だけが耳に残る。
「町へ行こう」
沈黙を破ったのは裕二だった。ほとんど間を置かず、まるで最初から決めていたかのように言い切る。
「ちょっと待てよ」
すぐに健太が眉をひそめた。
「こういう場合さ、いきなり決める前に情報集めたり、質問したりするもんじゃないのか? さっきの声のやつにも聞けることあるかもしれないし」
腕を組み、いかにも“冷静に考えようぜ”という顔で裕二を見る。
だが裕二は肩をすくめただけだった。
そのやり取りの横で、蓮夜は何も言わない。
木の幹にもたれ、腕を組んだまま目を細めている。会話は聞いているはずだが、賛成とも反対とも取れる反応は一切見せない。
まるで、この流れ自体を静かに観察しているかのようだった。
一方、舞姫も口を開かない。
少し離れた場所に立ち、風に揺れる髪を押さえながら、裕二と健太のやり取りをじっと見つめている。
止めるでもなく、加わるでもなく、ただ静かに。
「じゃあ聞くが……」
裕二は小さく息を吐き、健太をまっすぐ見据えた。
「さっきの三択のうち、他に選べる選択があると思うのか?」
健太が口を開きかけるが、その前に裕二は言葉を続ける。
「来た道を引き返したって、天塚がそこにいる保証なんてない。むしろ、またあのクマと出くわしたらどうするんだよ」
脳裏に浮かんだのか、健太の表情がわずかに曇る。
あの巨体と唸り声は、まだ耳の奥に残っている。
「それに、アテもなく森を彷徨うなんて論外だろ」
裕二は腕を軽く広げ、周囲の暗い森を示した。
「消去法で考えたら、街に行く以外ないだろ」
理屈としては筋が通っている。
健太もすぐに言い返せず、言葉を探すように視線を泳がせた。
そのときだった。
「……仲間を見捨てるのか?」
低く、静かな声が割って入る。
蓮夜だった。
木にもたれていた体を少しだけ起こし、裕二を見ている。
感情を表に出さない目だったが、その一言は重く空気に落ちた。
裕二の眉がぴくりと動く。
「俺たちが戻って、何が出来る?」
即座に返した声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「素人の俺たちが森を探し回るより、街に行って救助隊を出してもらう方がよっぽど合理的だろ」
一歩踏み出し、裕二は言い切る。
「だから、早く決断して動くべきだって言ってるんだよ」
言葉の温度が少しずつ上がっていく。
空気が張り詰めかけたそのとき、健太が慌てて口を挟んだ。
「いや、ちょっと待て」
二人の間に割り込むように手を上げる。
「街に行くっていってもな……南って、どっちなんだ?」
裕二の言葉が止まった。
森の中を見回す。
どこも同じような木々ばかりで、空も枝葉に覆われている。月も星もほとんど見えない。
コンパスなんて当然持っていない。
裕二は唇を噛んだ。
言われてみれば、南がどちらか分かるはずがなかった。
沈黙が落ちる。
言い合いになりかけた空気だけが、重くその場に残る。
「……どちらにしても」
その空気をやわらかく切り裂いたのは、静かな声だった。
三人の視線が同時に向く。
舞姫が少し離れた場所に立っていた。
腕を軽く組み、穏やかな表情でこちらを見ている。
「朝を待つしかないと思うわ」
落ち着いた口調だった。
まるで、荒れかけた水面に小石をそっと落としたように……張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
険悪になりかけた空気の中で、舞姫は三人の顔を順番に見た。
裕二はまだ少し苛立ったように腕を組んでいる。
健太は眉間に皺を寄せ、状況を整理しようとしている顔。
蓮夜は静かだが、視線だけは鋭く裕二に向けられていた。
このままでは、言葉がもう一歩踏み込んだ瞬間に衝突する。
そう感じて、舞姫は小さく微笑んだ。
「裕二くん」
穏やかな声で呼びかける。
「合理的に物事を進めようとするところ……さすがリーダーだと思うわ」
裕二は一瞬、意外そうな顔をした。
さっきまでの空気から、まさか褒め言葉が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。
舞姫は視線を健太へ移す。
「健太くんも、ちゃんと状況を見極めようとしてる。すぐ決めるんじゃなくて、考えようとしてるの……思慮深くて素晴らしいわ」
健太は照れたように頭をかく。
ただ慎重なだけのつもりだったが、そう言われると少しだけ胸を張りたくなる。
そして、舞姫は蓮夜を見る。
「蓮夜くんは、仲間を大事に思ってるのね」
蓮夜の表情はほとんど変わらない。
だが、ほんのわずかに視線が揺れた。
「……見捨てるのは、違うと思っただけだ」
短く答える。
それぞれの考えは、決して間違っていない。
舞姫は柔らかな笑みを浮かべたまま言った。
「だからこそ――」
少しだけ首を傾ける。
「力を合わせて行動するべきじゃないかしら?独りよがりの行動は、みんなをかえって危険に合わせるだけ……違うかな?」
その言葉は、押しつけがましくもなく、けれど自然に三人の間へ落ちた。
裕二は小さく息を吐く。
「……まぁ」
頭をかきながら視線を逸らす。
「喧嘩しても意味ないのは確かだな」
健太も頷いた。
「そうだな。とりあえず情報整理だ。朝までどうするか決めないと」
蓮夜は腕を組み直し、森の奥へ目を向ける。
「……火を起こせるなら起こした方がいい。獣除けにもなる」
さっきまでの衝突寸前の空気は、いつの間にか消えていた。
代わりに生まれたのは、互いの考えをぶつけ合う前向きな議論だった。
裕二はリーダーとして、どう動くのが最短で生存率を上げるかを考えている。
健太は、その判断に抜けがないか慎重に確かめようとしている。
蓮夜は、仲間を守るという一点を譲る気がない。
方向は違っても、根は同じだ。
生き延びること。
そして、仲間を失わないこと。
舞姫はその様子を少し離れた場所から見つめていた。
そして――
誰にも気づかれないように、そっと小さく息を吐く。
(……よかった)
胸の奥で、静かに思う。
(ここで仲間割れしてもらうわけにはいかないもの)
この森がどれほど危険なのかも、この先に何が待っているのかも、そもそも、これが現実なのか、ゲームなのかすらも、なにもわからない状況だ。
(せめて街につくまでは……守ってもらわないと)
視線を三人の背中へ向ける。
舞姫は再び微笑みを浮かべた。
今度は、誰にも疑われない優しい笑みだった。
◇
小さな焚火が、ぱちぱちと乾いた音を立てていた。
橙色の炎が揺れるたび、四人の影が木々の幹に伸びたり縮んだりする。
森の夜は静かで、遠くで虫の声がかすかに響いているだけだった。
その火を挟んで、四人は腰を下ろしていた。
しばらく無言の時間が続いたあと、裕二が口を開く。
「……そもそもさ」
火の中の枝を小さく蹴り、炎を見つめながら言う。
「今の状況、どう思う?」
三人の視線が裕二に向く。
「どうって?」
健太が首を傾げる。
裕二は少し言葉を選んでから言った。
「ここってさ……現実なのか? それともゲーム世界なのか?」
その問いに、健太は一瞬だけ黙った。
焚火の火がぱちりと弾ける。
「……現実、だと思うんだが……」
健太はそう言いながらも、言葉の終わりが少し曖昧だった。
「腹が減ったのは間違いないからな」
苦笑しながら、自分の腹を軽く叩く。
「さっき飯食ったら普通に満腹になったし」
それは確かな感覚だった。
空腹も、満腹も、疲れも、全部はっきりと体にある。
だからこそ、余計に奇妙だった。
「しかし」
低い声で蓮夜が続ける。
「……あの声や、ここに飛ばされた経緯を考えると」
言葉を切り、炎を見つめる。
「現実では説明がつかない」
健太が静かに頷いた。
そうなのだ。
いきなり森の中に転移したこと。
頭上から聞こえた、あの“ゲームの案内役”のような声。
選択肢を提示する、まるでゲームの進行みたいな状況。
どれも現実ではあり得ない。
だが、空腹や疲労の感覚はあまりにもリアルだ。
現実なのか。
それとも、ゲームなのか。
焚火の炎を見つめながら、三人はそれぞれ考え込んでいた。
そのときだった。
「でも」
ふっと柔らかい声が割って入る。
三人が顔を上げると、舞姫が穏やかな表情で火を見つめていた。
「リアルな現実でも、ゲーム世界でも……」
ゆっくり三人を見渡す。
「関係ないんじゃないかしら?」
三人は一瞬きょとんとした。
舞姫は小さく肩をすくめる。
「だって、さっきお腹が空いていたのは本当でしょ?」
指先で焚火を示す。
「それで、何か食べたらお腹が膨れた」
くすっと笑う。
「そして今、ちょっと眠くなってきてる」
ぱちり、と火が弾けた。
「それが事実でしょ?」
裕二たちは、少しだけ顔を見合わせる。
確かにその通りだった。
世界の正体が何であれ、体の感覚は誤魔化せない。
腹は減るし、疲れれば眠くなる。
舞姫は焚火の火を見つめながら、静かに言った。
「だったら、まずは休むことを考えた方がいいんじゃない?」
その言葉は妙に現実的だった。
ゲームか現実かという大きすぎる疑問よりも、
今夜をどう過ごすかという、もっと目の前の問題。
裕二は小さく笑った。
「……確かに」
頭をかく。
「考えても答え出ないこと考えてたな、俺たち」
健太も苦笑する。
「哲学してる場合じゃないな」
蓮夜は何も言わなかったが、焚火の火から視線を外し、周囲の森を見回した。
見張りの位置を考えているのだろう。
舞姫はその様子を静かに眺めながら、炎の揺らぎに目を細めた。
焚火の暖かさと、夜の冷たい空気が交じり合う中で、四人の影がゆっくりと揺れていた。
ただ……
4人は重大なことから無意識に思考を背けていた。
ここが現実なのかゲーム世界なのか……どちらだとしても、クマに襲われ、おそらく亡くなったであろう天塚静香はどうなったのか?……ここで死んだ場合はどうなるのか?という事。
すでに引き返せない場所に足を踏み入れていることに、4人は気が付いていなかった。
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