第八話 他のプレイヤーの事情 健太の場合
場の空気が、ほんのわずかに重く沈みかけていた。
誰もが何かを言いかけて、けれど言葉を飲み込んでいるような、あの独特の間。
それを敏感に感じ取ったわけじゃない。
ただ、なんとなく――このままだと面倒くさくなりそうだな、と本能的に思った。
「とりあえずなんか食おうぜ。」
軽く肩をすくめながら、俺はそう言った。
深い意味があるような口調でもない。
ただの思いつきみたいに、ぽんと放り投げた一言。
でも実際のところ、半分くらいは本当に思っていた。
腹が、減っていたからだ。
ポケットから携帯食を取り出す。
包装を破ると、乾いた匂いがふわっと広がる。
「腹が減っては戦は出来ない」――なんて言葉がある。
昔の人はうまいこと言うもんだ、と俺は思う。
別に今すぐ戦うわけじゃない。
けど、何が起こるかわからない世界だ。力はあったほうがいい。
そして、力を出すには――腹が減ってちゃダメだ。
単純な理屈だ。
でも、たぶん間違ってはいない。
俺は携帯食をひとかじりする。
ぼそっとした食感が口の中で崩れる。
正直、うまいとは言えない。
けど、食えるだけで十分だ。
何も考えていないように見えるかもしれない。
実際、難しいことを考えるのはあまり得意じゃない。
だけど、だからといって何も考えていないわけでもない。
空気が悪くなると面倒くさい。
空腹だと動けない。
動けないと、いざって時に困る。
だから、今は食う。
それだけの話だ。
もう一口、携帯食をかじりながら、俺はぼんやりと思う。
――まあ、とりあえず。
食ってから考えればいいだろ。
そういう結論に落ち着くあたりが、たぶん俺らしいのだろう。
携帯食をかじりながら、健太はぼんやりと前を見ていた。
口の中では、乾いた塊がゆっくりと崩れていく。
味は大してない。だが、腹に入ればそれでいい。
昔の自分だったら、こんなものは絶対に食べなかっただろうな――と、ふと思う。
昔の自分。
オタクで、肥満体質。
机に向かうより、パソコンに向かう時間のほうが長くて。
運動なんてほとんどしなかった。
教室の隅で、好きなゲームやアニメの話を頭の中で反芻しているような、そんな奴だった。
そして――好きな子がいた。
別に、告白しようとか、付き合いたいとか。
そこまで大それたことを考えていたわけじゃない。
ただ、話せたらいいな、とか。
笑ってくれたら嬉しいな、とか。
その程度だった。
けれどある日、知ってしまった。
その子が、友達と笑いながら言っていた言葉を。
――「あいつ、マジでデブじゃん」
――「キモいよね」
陰で。笑いながら。
それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
それから学校に行かなくなるのに、時間はかからなかった。
家に引きこもり、昼夜もぐちゃぐちゃになって、ただゲームや動画を見て時間を潰すだけの日々。
そんなときに出会ったのが、TRPGだった。
最初は、動画だった。
配信者たちが、サイコロを振って、キャラクターになりきって、物語を作っていく。
その配信動画を見ているうちに、健太はいつしか引き込まれ、気が付けば、ネット上で行われているセッションに参加するようになっていた。
TRPGで健太が選んだキャラクターは筋肉ムキムキの戦士。
剣を振り回して、敵をぶっ飛ばして、仲間を守る。
細かいことは気にしない。とにかく強い。
最初は、ただのロールプレイだった。
でも。
「俺のキャラは筋力18だからな!」
そんなことを言いながら、ふと思ったのだ。
……じゃあ、俺は?
ネット上の健太のアバターは筋肉ムキムキの頼れる戦士。現実の健太のことなど誰も知らない。
画面に映る自分の体は、丸くて、だらしなくて、戦士どころか、町人Aにもなれそうにない。
そのとき、なんとなく思った。
――ちょっとくらい、鍛えてみるか。
腕立て伏せ。
最初は、十回もできなかった。
腹筋はもっと酷かった。
三回くらいで腹がつりそうになった。
それでも、続けた。
どうせ引きこもりだ。
時間だけは、腐るほどあった。
一日。
一週間。
一ヶ月。
気づけば、体は少しずつ変わっていった。
腕に筋肉がつき、腹の脂肪が落ち、鏡の中の自分が、少しずつ「戦士」に近づいていく。
それが、妙に楽しかった。
さらに続けた。
気づけば、筋肉は隆々になっていた。
いつの間にか、昔みたいに笑う奴もいなくなった。
むしろ、ちょっと距離を取られるくらいだ。
その頃には、健太の中で一つの結論ができていた。
筋肉は正義だ。
筋肉は裏切らない。
努力した分だけ、ちゃんと応えてくれる。
人の言葉より、ずっと信用できる。
だからこそ、今回のテスターにも応募した。
理由は、わりと単純だ。
自分を変えてくれたTRPGを、もっと世間に広めたい。
それだけだった。
……それだけ、だったのだが。
「テーブルじゃないテーブルトークってどうすりゃいいんだ?」
ぽつりと健太は呟く。
TRPG――テーブルトーク・ロールプレイングゲーム。
本来は、テーブルを囲んで遊ぶものだ。
サイコロがあって、紙があって、仲間がいて。
けれど、今の状況はどうだ。
テーブルもない。
ルールブックもない。
そもそも、これはゲームなのかどうかすら怪しい。
携帯食をもう一口かじりながら、健太は眉をひそめる。
筋肉のことなら、わかる。
剣を振るう戦士のロールプレイも、得意だ。
でも――
「リアルでやるTRPGって、どう進めりゃいいんだ……?」
そんな、妙に真面目な悩みを抱えながら、健太はまた、ぼそぼそと携帯食をかじった。
その時、唐突に、声が響いた。
『あなたたちは岐路に立たされています。現在仲間とはぐれたあなた達が取るべき行動は三つ。
・はぐれた仲間を見つけるため、来た道を引き返す。
・このまま南に進み、当初の目的だった街へ向かう。
・アテもなく、森の中を彷徨う。
ほかに取りたい行動があれば申告してください。』
そこまで告げると、声はぷつりと途絶えた。
まるで最初から何もなかったかのように、森には静けさが戻る。
健太は、口に運びかけていた携帯食を止めたまま、しばらく固まっていた。
「……」
沈黙。……やがて、もそりと携帯食をかじる。
ぼそぼそとした食感を噛みながら、健太はゆっくり瞬きをした。
「……あー」
ぽり、と頭を掻く。
今の、どこかで聞いたことがある。
というより――聞き慣れている。
状況説明。
選択肢の提示。
そして、行動宣言の要求。
完全にTRPGの流れだった。
普通ならゲームマスターがいて、プレイヤーたちがテーブルを囲み、サイコロやキャラクターシートを広げて進めるものだ。
だが、今は違う。
テーブルもない。
ルールブックもない。
サイコロすらない。
それなのに、やっていることだけは妙にそれっぽい。
健太は周囲の森を見回した。
木々が並び、風が葉を揺らす。
どこにもそれらしい人物はいない。
「……GM誰だよ」
思わず小声で呟く。
TRPGには必ずゲームマスターがいる。
世界を説明し、状況を動かし、プレイヤーの行動に応じて物語を進める存在だ。
だが今の声は、一方的だった。
質問を受け付ける様子もなく、反応もない。
ただ選択肢だけを提示して、消えた。
(システムメッセージ……がGM代わり?とか?)
そんなゲーム的な発想が、自然と頭に浮かぶ。
健太は腕を組んだ。
筋肉の盛り上がった腕が胸の前でぶつかる。
「うーん……」
唸りながら考える。
TRPGとして見るなら、これは典型的な分岐だ。
引き返す。
南に進む。
森を彷徨う。
おそらく、それぞれ違うイベントにつながる。
引き返せば仲間関連のイベント。
南へ進めば本来の目的地。
森を彷徨えばランダムイベント――そんなところだろう。
ゲームだったら、たぶんそうだ。
だが、ここはゲームの中じゃない。
森の匂いもするし、風も感じる。
腹も減る。……リアルだ。
「……リアルでこれ考えるの、どうなんだ?」
ぽつりと呟く。
普通なら、もっと深刻に悩む状況のはずだ。
仲間とはぐれ、森の中にいる。
かなりまずい状況だろう。
それでも、健太の頭は妙に落ち着いていた。
TRPGとして考えれば、状況が整理できるからだ。
それが、いつの間にか身についた癖だった。
現実でも、ゲームのフレームに当てはめる。
そうすれば、何をすればいいのか見えやすくなる。
健太は残っていた携帯食を口に放り込んだ。
ゆっくり噛みながら、肩を回す。
ごり、と筋肉が動いた。
「まあ……」
腹は満たした。体力もある。
筋肉は裏切らない。
それが、健太の信条だ。
つまり――
「最悪、なんとかなるだろ」
わりと雑な結論に落ち着く。
そうしてから、健太は空を見上げた。
さっきの声が聞こえてきたあたりを、なんとなく見上げながら口を開く。
「えーっと」
まるで誰かがそこにいるかのように。
TRPGのプレイヤーとして、まずやるべきことを思い出す。
質問だ。
「質問いいか?」
少し間を置いてから、健太は続けた。
「南って、どっちだ?」
真顔だった。
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