第六話 他のプレイヤーの事情 蓮夜の場合
「なんだ? 文句があるなら、なんでお前はここにいる?」
裕二の言葉が、胸の奥に鋭く突き刺さった。
僕は思わず顔を上げたが、何も言えなかった。喉の奥に言葉が引っかかったまま、ただ口を閉ざすことしかできない。
言い返したいことはいくらでもあった。
天塚さんを囮にするなんて、そんなことを平然と言える裕二が許せなかった。あの瞬間、胸の奥で確かに怒りが燃え上がったのを覚えている。人として間違っている、そう思った。
だけど――。
僕はゆっくりと視線を落とす。
結局、逃げたのは僕も同じだった。
あの時、クマが迫ってきた瞬間、足は勝手に動いていた。天塚さんの方を振り返る余裕もなく、ただ必死に走っていた。裕二を止めることも、彼女を助けることもできなかった。
結果だけ見れば、やったことは裕二と何も変わらない。
胸の奥が重くなる。息が詰まりそうだった。
……僕は。
ぎゅっと拳を握りしめる。
あの時と、何も変わっていない。
かつて後悔したはずの選択を、また同じように繰り返してしまった。あの時と同じように、目の前の誰かを見捨てて、自分だけ助かる道を選んでしまった。
だから――。
裕二の言葉に、僕は何一つ言い返すことができなかった。
◇ ◇ ◇
蓮夜には、以前夢中になっていたネットゲームがあった。
現実の時間を忘れるほど没頭し、気がつけばログインしているのが当たり前になっていた世界。そのゲームの中で、蓮夜はそれなりに名の知れたプレイヤーだった。
『閃光の蓮夜』
そんな二つ名までつけられていたほどだ。
前衛系アタッカーとしての腕は確かで、スピード重視の戦闘スタイルはプレイヤーの間でもよく知られていた。敵の懐に一瞬で踏み込み、連撃で仕留める。まるで光が走るようなその動きから、いつしかそんな呼び名が定着していた。
蓮夜自身も、自分の腕には自信があった。
強敵との戦闘でも生き残ることが多く、レイドでも安定した火力を出せる。周囲から頼られることも少なくなかった。そうした経験が積み重なり、「自分は強い」という確信は自然と心の中に根付いていった。
その自信は、心の余裕にも繋がっていた。
高レベル帯のプレイヤーの中には、新人を見下すような者も多かったが、蓮夜はむしろ逆だった。困っている初心者がいれば声をかけ、クエストを手伝い、装備や立ち回りのアドバイスをする。
それは本人にとって、ごく自然なことだった。
強いプレイヤーが弱いプレイヤーを助ける。そういうものだと思っていたし、自分がそれをできる立場にいることを、どこか誇らしくも感じていた。
ある日、そんな蓮夜は一人の新人プレイヤーと知り合った。
女の子のアバターだった。
最初は、ただそれだけの理由だった。街の広場で見かけたそのキャラクターのデザインに目を奪われ、つい声をかけてしまったのだ。
装備もまだ初期のものばかりで、動きもどこかぎこちない。明らかに始めたばかりのプレイヤーだった。
「クエスト手伝おうか?」
そんな軽い気持ちで声をかけたのが始まりだった。
最初は本当に、ちょっとした手助けのつもりだった。だが、一緒にプレイしているうちに、蓮夜は次第にそのプレイヤーに惹かれていった。
チャットでの受け答えは丁寧で、礼儀正しく、どこか控えめな雰囲気があった。クエストをクリアするたびに素直に喜び、何度もお礼を言ってくる。
その様子が、蓮夜にはとても新鮮だった。
気がつけば、ログインすればまずその子がいるかを確認するようになっていた。見つければすぐに声をかけ、クエストを手伝い、レベル上げにも付き合う。
装備が弱そうだと感じれば、「これ使う?」とドロップ品を渡し、狩場の情報を調べては「こっちの方が効率いいよ」と教える。
その行動は、次第にエスカレートしていった。
蓮夜自身は、ただ面倒を見ているつもりだった。新人が困らないように、ゲームを楽しめるように手伝っている――そう思っていた。
だが、その行動はあまりにも露骨だった。
彼女がログインすればすぐに現れ、他のプレイヤーとパーティを組もうとしていれば割って入り、危険そうな場所へ行こうとすれば「そこはまだ早い」と止める。
それがどれだけ相手の自由を奪っているのか、蓮夜は気づいていなかった。
むしろ、良いことをしているとすら思っていた。
強い自分が守ってやっている。初心者が困らないように助けている。
そんな自己満足のような感覚に、蓮夜自身は疑問を持っていなかった。
そして何より――。
自分のその行動が、彼女にとって迷惑になっているかもしれない、という考えは、頭のどこにも浮かんでいなかった。
それからも、蓮夜がマイナのそばに現れる日々は続いた。
ログインすればまずフレンドリストを確認する。マイナがオンラインになっていれば、ほとんど反射的にメッセージを送っていた。
「今どこ? クエスト手伝おうか?」
「その装備、もう少し良いのがあるよ。取りに行こう」
蓮夜にとっては、ただ世話を焼いているだけだった。新人が困らないように、効率よく強くなれるように手助けしている。そう思っていたし、それが悪いことだとも思っていなかった。
だが、マイナの方は違った。
最初のうちは、純粋にありがたかった。始めたばかりで右も左も分からないこのゲームで、強いプレイヤーが助けてくれるのは心強かったからだ。
けれど――それは次第に変わっていった。
ログインすれば、すぐに蓮夜が現れる。
街でクエストを受けようとしても、すぐ隣に立っている。
他のプレイヤーとパーティを組もうとすると、「そっちより効率いい狩場あるよ」と声をかけられる。
悪意がないことは、マイナにも分かっていた。
だからこそ困ってしまう。
「今日はちょっと一人で……」
そう言ってみても、
「大丈夫だよ、遠くから見てるだけだから」
と笑ってついてくる。
「別のクエストやろうと思ってて……」
と遠回しに断っても、
「それ終わったら一緒に行こう」
と、結局は隣にいる。
マイナは人を傷つけることが苦手だった。
はっきりと「来ないでほしい」と言う勇気が持てない。
だから遠回しに断る。
だけど蓮夜は、それに気づかない。
むしろ「遠慮しているだけだ」と解釈して、さらに面倒を見ようとする。
そうして、どこか噛み合わないままの日々が、だらだらと続いていた。
そんなマイナに、目をつける者たちがいた。
PK――プレイヤーキラー。
モンスターではなく、他のプレイヤーを襲う者たち。
戦闘不能にして所持金や装備を奪うことを目的としたプレイヤー集団で、一般のプレイヤーからは強く嫌われている存在だった。
彼らにとって重要なのは、獲物の価値だ。
強いプレイヤーは面倒だし、リスクが高い。
だが、初心者で、しかも高価な装備を身につけている者となれば――それはもう、格好の獲物だった。
マイナはまさに、その条件に当てはまっていた。
蓮夜が善意で渡したレア装備。
初心者とは思えないほど豪華な装備の数々。
PKたちはそれを見逃さなかった。
そしてある日。
マイナは、いつものようにログインした。
だが、その日は蓮夜が先にログインしていた。
「今日どこ行く?」
そうメッセージが届いた瞬間、マイナは少しだけため息をつく。
断るのも、説明するのも、また気を使うことになる。
それを考えると、少し疲れてしまった。
だから――。
その日は、返信をしなかった。
フレンドリストを確認し、蓮夜が街の別エリアにいることを確認すると、マイナは人の少ないルートから街を出た。
今日は、一人で遊びたかった。
誰にも気を使わず、自分のペースでモンスターを倒してみたかった。
そう思いながら、初心者用の狩場より少しだけ奥のフィールドへ足を踏み入れる。
その時だった。
背後で、足音がした。
振り返ると、三人のプレイヤーが立っていた。
見たことのない名前。
そして、そのプレイヤーたちは武器を構えていた。
「お、やっぱり初心者だ」
一人が笑う。
「しかもその装備……すげぇな」
もう一人が言う。
マイナは理解できなかった。
何を言われているのか、最初は分からなかった。
「装備、置いていけよ」
その一言で、ようやく意味が繋がる。
PK。
頭の中でその単語が浮かんだ瞬間、心臓が強く跳ねた。
「え……?」
思わず後ずさる。
すると、もう一人が前に出た。
「逃げるなよ」
次の瞬間、攻撃が飛んできた。
視界が揺れる。
HPバーが一気に削れる。
マイナの頭は真っ白になった。
戦わなきゃ。
そう思うのに、体が動かない。
画面の向こうの手が震える。
キーを押す指がうまく動かない。
モンスターとは違う。
相手はプレイヤーだった。
自分と同じ人間が、明確な悪意を持って襲ってきている。
それが、何よりも怖かった。
「ほら、抵抗しろよ」
「その方が楽しいし」
笑い声が聞こえる。
また攻撃が飛んできた。
HPが削れる。
怖い。
怖い。
怖い。
心臓の音がうるさい。
呼吸が浅くなる。
逃げなきゃ――。
そう思っても、キャラクターはもう囲まれていた。
視界が赤く点滅する。
そして。
マイナのキャラクターは、その場に崩れ落ちた。
戦闘不能の表示が画面に浮かぶ。
その瞬間、彼女はヘッドセットを外していた。
手が震えていた。
画面の向こうから聞こえてくる笑い声が、まだ耳に残っている気がした。
怖かった。
ただ、それだけだった。
それからしばらくの間――
マイナは、そのゲームにログインすることができなくなった。
◇
蓮夜は困っていた。
ここ数日、ログインするたびにフレンドリストを確認しているのに、そこにあるはずの名前が一向に光らないからだ。
マイナがログインしていない。それだけのことなのに、胸の奥に小さな棘のようなものが刺さったまま抜けないような、不快で落ち着かない感覚が続いていた。
狩りに出ても集中できず、戦闘の合間にもついチャット欄やフレンドリストを開いてしまう。
「まだ……か」
思わず呟いた声が、誰もいない仮想のフィールドに虚しく溶けていく。
どうしてログインしないのか。
リアルの事情かもしれないし、単に忙しいだけかもしれない。
そんなことは分かっている。それでも、もしかしたらこのゲームをやめてしまったのではないか、という考えが頭をよぎるたび、胸の奥に重たいものが溜まっていくのを感じた。
そして数日後。
フレンドリストの名前が、ようやく光った。
その瞬間、蓮夜は思わず画面に身を乗り出していた。
マイナの現在地を確認すると、街のエリアにいる。
次の瞬間にはもうキャラクターを走らせていた。
広場の端に、見覚えのあるアバターが立っている。
「マイナ!」
声をかけながら近づくと、マイナはゆっくりと振り向いた。
「……あ、蓮夜さん」
返ってきた声は、どこか弱々しかった。
の表情は基本的に大きく変わるものではないはずなのに、なぜか顔色が悪いように見える。
そんな錯覚すら覚えるほど、彼女の雰囲気は以前とは違っていた。
そこで蓮夜は、ようやく気づく。
マイナの装備が変わっていた。いや、変わったというより――戻っていた……初期装備に。
「……装備、どうした?」
蓮夜が問いかけると、マイナは一瞬視線を逸らした。
「えっと……」
言葉を濁す様子に、蓮夜の胸の奥がざわりとする。
「壊れたのか?」
「……ううん」
「じゃあ、なんで――」
そこまで言って、蓮夜の頭に一つの可能性が浮かんだ。
「……PKか?」
マイナはすぐには答えなかった。だが、その沈黙が何よりの答えだった。
「どこでやられた?」
「もう……いいんです」
マイナは小さく首を振る。
「私が弱かっただけですし……」
その言葉は明らかに無理をしているように聞こえた。
蓮夜はそれを聞き流すことができなかった。
どこで襲われたのか、どんな連中だったのか、何度も問いただす。
最初ははぐらかしていたマイナだったが、やがて観念したように、ぽつりぽつりと話し始めた。
森の狩場で、三人のPKに囲まれたこと。笑いながら攻撃されたこと。何もできずに倒されたこと。
そして、その時の恐怖が忘れられず、しばらくログインできなかったこと。
話を聞き終えたとき、蓮夜の胸の奥には強い怒りが溜まっていた。
「……ふざけやがって」
小さく吐き捨てながら、蓮夜はインベントリを開いた。
「これ使え」
トレード画面に並べたのは、新しい装備だった。
以前マイナに渡したものと同じくらいのレア装備だ。
「え、でも……」
「いいから」
蓮夜は強引に言い切る。
「このまま終わったんじゃ、気分もよくないだろ?」
それは半分は本音だった。だが、本当の理由は別にある。
このままマイナがゲームをやめてしまうこと。それだけは、どうしても嫌だった。
彼女がいなくなるのが嫌だという感情も確かにある。
だがそれ以上に、自分が大好きなこのゲームを、彼女に嫌いになってほしくなかった。
「大丈夫。俺がついてる」
その言葉に、マイナはしばらく迷っていたが、やがて小さく頷いた。
そして二人は、あの狩場へ向かった。
森の奥、初心者狩場より少し危険なフィールド。
マイナは慎重にモンスターへ攻撃を仕掛ける。
新しい装備のおかげで、戦闘自体は難しくない。
ようやく一体倒し、二体目に手を出したその時だった。
背後から、聞き覚えのある声がした。
「お、またいた」
「例の初心者じゃん」
振り向くと、三人のプレイヤーが立っていた。
あの日、マイナを襲ったPKたちだった。
「また装備変わってるな」
「学習しないタイプか」
彼らは笑っている。
その瞬間、PKの一人が武器を振り上げた。
だが、その刃はマイナには届かなかった。
横から飛び込んできた影が、PKの身体を一閃で切り裂いたからだ。
「なっ……!?」
一人目が倒れる。続けざまにもう一人。
「蓮夜さん……!?」
マイナの声が震える。
「大丈夫だ」
蓮夜は短く言う。
「今回は俺がいる」
だが、残ったPKは慌てる様子もなく舌打ちをした。
「チッ……護衛付きかよ」
そしてチャットを送る。
次の瞬間だった。
森の奥から、別のプレイヤーたちが現れる。
一人、二人、三人……気づけば周囲には十人近いPKが集まっていた。
蓮夜の眉がわずかに動く。
多勢に無勢。それでも、引くわけにはいかなかった。
蓮夜は剣を振るい、一人を切り伏せる。二人目も倒す。
しかしその背後で、倒したはずのPKが立ち上がった。
別のPKが蘇生魔法をかけていたのだ。
切る、倒す、しかしまた蘇る。終わりが見えない。
その時だった。
PKたちの奥から、一人の男が歩いてきた。
装備の質も、漂う雰囲気も明らかに違う。
PKたちが自然と道を開ける。
「リーダー」
誰かがそう呼んだ。
男は蓮夜を見て、にやりと笑う。
「ほう……『閃光の蓮夜』か」
名前を知っている。嫌な予感が胸をよぎる。
そして次の瞬間、剣が振られた。
蓮夜は受け止めたが、衝撃が腕を痺れさせた。
二撃、三撃と続く攻撃を防ぐうちに、体勢が崩れる。明らかに強い。
そこから先は、一方的だった。
HPが削られ、一桁になる。だが、とどめは刺されない。
ポーションが投げられ、HPが回復する。
次の瞬間にはまた攻撃が飛んでくる。
HPが0になると蘇生魔法が飛び、無理やり復活させられる。そしてまた斬られる。
完全に遊ばれていた。
「くそおおおッ!」
蓮夜はスキルを全開にして反撃する。
だがリーダーにはまるで届かない。
軽くいなされ、転ばされ、何度も地面に叩きつけられる。
やがてリーダーが面白そうに言った。
「逃げてもいいんだぜ?」
そして顎でマイナの方を示す。
「俺らはあのお嬢ちゃんと遊ぶからなぁ」
「ふ、ふざけるなぁッ!」
蓮夜は叫んだ。だがその叫びとは裏腹に、心はすでに折れかけていた。
何度倒され、何度蘇生されたのか分からない。
そして気づいた時には――画面はログイン画面に戻っていた。
強制ログアウト。
違う。
蓮夜自身が、接続を切っていた。
逃げ出したのだ。
◇ ◇ ◇
……僕は、逃げたんだ。
あの時も、今も……。
あのゲームにはあれからログインをしていない。
だからあれからどうなったのか?マイナがどうなったのかを知らない。
今回のテスター募集も、半分は、別のゲームに逃げたいという思いからだったが、残りの半分は、やり直したい、と思ったからだ。
だけど……
蓮夜の心の中には、天塚静香を見捨てた、という事実が暗い闇を堕としていた。
ご意見、ご感想等お待ちしております。
良ければブクマ、評価などしていただければ、モチベに繋がりますのでぜひお願いします。




