強制送還のその後、思考はそろそろ極限状態
王妃のお気に入りの扇が、みしり、と音を立てた。
お気に入りだから大切に大切にしようと決め、ここぞという時に使っていたものだが、それがへし折れそうなほどに曲がっている。
「……おめおめと、よくも……」
ちらりと団長が王妃の顔を見れば、言葉通りまるで般若のような、凄まじい顔をしている。ひぃ、と小さな声で悲鳴が上がれば王妃の怒りを刺激したらしく、ギロリと容赦なく睨まれた。
「し、しかし……」
「あの、ヴァルティス家は夫妻も相当なやり手で……!」
「言い訳はいりません!」
ぱん! と閉じた扇を手のひらにうち付ければ、ひぇっ、とあちこちから悲鳴が上がった。
「結局のところ、オフィーリアは連れて帰ってきていないんじゃないの!」
「それは……」
「結果として、何も出来ていないだなんて情けない! どうにかしなさいよ!」
「ど、どうにかって……そんな」
おろおろとしている近衛兵を叱りつけ、王妃は苛々とした様子で扇で騎士団長をびっと指してから甲高い叫びを上げた。
「さっさとどうにかしなさぁぁぁぁい!!」
耳にくわんくわんと余韻が残ってしまうほどの叫び声に、どうにか騎士団員たちは礼をして、転移させられた場所から逃げるように去っていった。
なお、転移場所は外出から帰ってきた王妃が、入浴していたので、浴室だった。
お互いに顔を見合わせて、お互いに悲鳴を上げた後で、王妃が『わたくしが悲鳴をあげる方でしょうがあああ!!』とめちゃくちゃ怒られた騎士団員。
別に見たくて見たわけじゃなかったんだけど……と、うっかりさんの若手が言ったものだから、また更に王妃が怒り狂ったのだが、一旦置いておく。どれほど怒ったかと言えば、王宮の使用人が何だ何だと走ってくるレベルで、尚且つ怒った王妃の叫び声の凄さに気絶する人がうっかり出そうになっていたくらい。
ぜぇはぁと肩で息をしながら怒り狂う王妃だったものの、少しずつ落ち着いてくればヴァルティス家の面々の末恐ろしさに、少しずつ落ち着いてくる。
「……迂闊だったわ」
入浴中に現れた騎士団の面々はともかく、お付きの侍女に手伝ってもらい、一旦仮着替えをしていたものから、髪を丁寧に乾かしてから、改めてドレスを着替える。
なお、王妃はアルティナとほぼ同じ体型なので、ドレスを着るにも、その前の段階の体をふくにも一人では決して無理なこと。
補助必須だし、ドレスを着せるには侍女二人がかりという重労働。
着るだけでこれなのだが、簡単なドレスに着替えるだけでも結構な時間をかけてしまうのだから、王宮での行事がある時は準備だけで相当な時間を要してしまう。
改めてきちんと着替え終わった王妃は、どっかりとお気に入りの一人かけのソファーに腰を下ろし、お気に入りのトロピカルフルーツのジュースをぐびぐびと飲んでいく。
「どうにかしてオフィーリアを、ここに呼び出せたら……」
しかし、口実が思い浮かばない。
オフィーリアが用意していた婚約破棄の書類に瑕疵などなかったし、書式だって問題ない。
尚且つ、筆頭聖女の交代劇は卒業パーティーの場で行われたものであり、目撃者はとっても、めちゃくちゃ、多い。貴族だけではなく平民にもしっかりと広まっているし、今更『聖女元に戻します』といったところで聞き入れてもらえるどうか、というところ。
神霊がいるならば、オフィーリアのことを呼び戻せば何かをどうにかできるはずだ、と信じている。
「ああもう、ルークがお馬鹿なことをするから!」
さすがに、いくら可愛い息子といえどこればかりは許せるものではなかった。
めちゃくちゃ可愛い息子だから、基本的に何でもかんでも許してきていることだが、オフィーリアとの婚姻に関しては、王家が考えてきたものであり、国のためでもあるのだから、この我儘だけは許してやることはできない。
「誰か! 誰かルークを呼べ!」
パンパン、と手を打ち鳴らして、侍女を呼べばささっと駆けつけてきた侍女は頭を下げてルークを呼んできた。
何故かアルティナまで一緒になってやってきているのを見て、王妃はぽかんと口を開ける。
「母上、お呼びと伺い参りました!」
「お義母さま! わたくしも!」
「……は?」
何故か二人とも自信満々に言い切って、目をキラキラ輝かせている。
もしかして、何か勘違いをしているのでは……と、恐る恐る王妃は口を開いた。
「何故、お前たち二人揃ってやってきた?」
「何故、って」
「わたくしたちは夫婦! であれば、一緒に行動することが当たり前!」
ふふん、とめちゃくちゃ自信満々な二人を見て、王妃も頭を抱える。
アルティナはアルティナで、ようやく王太子妃教育が開始される! と目をキラキラ輝かせ、ずいずいと王妃のところに大股で歩いてきて、何も許可されていないにも関わらず、むぎゅ、と王妃の手を握っていきなり顔を近付けた。
「王妃様! いいえ、やはりお義母様とお呼びする方がしっくりきますわね!」
「はぁ?」
「ささ、わたくしには王太子妃教育を行ってくださいませ!」
ふひふひと鼻息荒く自己主張してくるばかりのアルティナを見て、とんでもなく嫌そうにしている王妃を見て、アルティナは『あれ?』と目を丸くした。
「あの?」
「筆頭聖女の役割もこなせない半人前以下に、どんな王太子妃教育をやれと」
「ええっと」
「王家に筆頭聖女の可能性を持つものが誰か一人でも生まれていれば、何も問題なかったのだが……」
「あ、あの」
「如何せん、此度は生まれていない」
「王妃様?」
「だから、オフィーリアに何もかも頼っていたというのに」
いやそれって駄目じゃない? とアルティナが思ったところで絶対に口に出してはいけないのだ。だって口に出すと『お前、筆頭聖女の役目できるんだよな』と詰められるのだ。
このパターンを何回やったんだ、と言いたいところだが、アルティナはこのお約束を何回もやらかしている。
ギリギリのところで崩壊を免れているのは、神官長に土下座までされたから、という理由で、他の聖女たちが日々全力で業務にあたっているからに他ならない。
アルティナの功績など、ないに等しいのだが、これを突っ込むとルークが喧しいので誰も言わなくなってきているが、態度にありありと出ている。
恐らく事態の収拾を行うためには、オフィーリアがここにやってきて現場の状況を見ることが一番早い。
「(もう……実力差を見せつけるしかない)」
何かを察した王妃がはぁ、と溜息を吐く。
呼び戻して、丸め込んで正妃にしてしまって、待遇をめちゃくちゃ良くしてしまえば問題ないわね! と企んでいた王妃だが、日に日に色々なところから上がってくる陳情の数々に、耐えきれなくなってきている。
では、こうなったらどうやってオフィーリアを呼ぶのか。
神霊を使う?
いいや、アレはオフィーリアをめちゃくちゃに溺愛しているから、もしもオフィーリアが『無理やり言うこときかせようとしてきたんですよねこの人たち』なんか報告しようものなら、物理的に色々やばいことになる。
では、文官を勝手に辞めた父親の責任問題にしてヴァルティス家全員を呼ぶか?
……やり返されそうなので、却下。
ならば。
「(聖女たちを餌にしましょうかね)」
何も言わなくなった王妃を、アルティナが恐る恐る見れば、仄暗い光を目に宿した彼女と視線が合い、底知れぬ恐怖に襲われてしまった。
「――っ!」
しかし、この原因を招いたのは、ルークとアルティナ。
もっと根源を辿れば、国そのものでもあるのだが、気付かないままに、嫌な方向へと何もかもが走り始めてしまったのだった。




