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喧嘩ばかりの私たちが、入れ替わったあの日、あなたの“想い”を知った

作者: にのまえ

 ここは、森に囲まれた小国――カトーシュ国の王城。


「はぁ……どうしたものかのう」


 玉座で頭を抱えるのは、この国の王、アッザム・カトーシュ陛下。


 最愛の王妃を亡くして五年。ようやく来年、結婚式を迎える一人息子――皇太子ローエン・カトーシュと、その婚約者ミミンナ・ハーランド嬢の仲が、ここ一ヶ月ほどで急速に悪化したと報告を受けた。


 ――ふう。どうしたものかの。


 ローエンとミミンナは政略結婚ではない。側近や周囲の人々の話、仲の良い二人は恋愛結婚だったはずだ。だが最近では、些細なことで言い争いが絶えないという。


 彼らの専属メイドの報告によれば、


 ――ローエン皇太子が、どこぞのメイドと妙に仲が良い、とミミンナ令嬢が不満を持っております。

 

 ――またや、ミミンナ令嬢が、いつも待ち合わせに遅れてくると、ローエン皇太子が愚痴をこぼしている、とのこと。


 国王としても、親としても、どうにかしてやりたいと策を練り、舞踏会、晩餐会、お茶会を開き、二人が自然に仲良くなれる場を何度も設けた。


 このときは、仲睦まじい様子を見せてくれるが、裏では口論ばかり。ときには使用人の前で、言い合いを始めてしまう始末。


(このままでは政略結婚、のちに仮面夫婦じゃ……ワシの目には、あの二人はどう見ても相思相愛。あとは素直になるだけじゃと思うのだが……)


 本日の午後でもそうだった。


 バラと季節の花々が咲く庭園でのお茶会――予定では甘いひとときを過ごすはずが、またもや些細なことで言い争い、たったの十分でお茶は終了。


 機嫌を損ねた皇太子は執務室へ、令嬢は体調がすぐれないと王妃教育を休み、公爵家の馬車で帰ってしまった。


(……これは、困ったものだ)


 つい先日、カトーシュ国は各国に、二人の結婚式の招待状を送ったばかり。もはや延期も中止もできぬ。そこで国王は、ある人物に助けを求めることにした。


 それは――北の森に住む魔女、ドドーラ。


 かつては城の相談役として仕えていたが、「飽きた」という理由で、突然森へと引きこもってしまった奇人。


 今回ばかりはと、毎日贈り物と手紙を送り続け、ようやく心を動かされて城へ来てくれることになった。




 日暮れ前。玉座の間の扉の外で、騎士が声を上げる。


「国王陛下、魔女ドドーラ様がお見えです」


「通せ!」


 待ちに待ったドドーラの来訪に、王は立ち上がらんばかりの勢いで声を上げた。


 騎士に先導され、黒いローブを身にまとったドドーラが優雅に玉座前に進み出る。彼女は膝をついて、ゆったりと頭を下げた。


「よい、よい。頭など下げずとも良い。顔を上げてくれ……ドドーラ、よく来てくれた!」


「はぁ? 毎日毎日、高級薬草や一品物の調合具など、これでもかと贈り物を送られてきたら……人として、お礼を言いに来るのが当然でしょう? ……まあ、私は魔女ですが」


 透き通るアメジスト色の瞳で国王を見据え、ドドーラは微笑む。


「すまぬ、どうしてもドドーラに相談したくてな……」


 二十年前から容姿の変わらぬ美しき魔女――王はかつて、本気で妻として迎えたいと願ったが、「他の女を思う人など願い下げ。私だけを見てくれる人がいいですわ」と一蹴されたこともあった。


 ……それはさておき。


「ドドーラ。皇太子ローエンとミミンナ嬢が、最近とみに仲が悪い。なんとかならぬか?」


 唐突な本題に、ドドーラはわずかに眉をひそめた。無理もない。王自身が混乱しているのだ。


「陛下、なんとかとは具体的に?」


「……半年ほど前からじゃ。急に喧嘩ばかりになって……ワケがわからんのだ」


 王はまたもや、頭を抱える。


「……それは、簡単な話ですわ。喧嘩の原因を、当のご本人たちに聞いてみてはいかがかしら?」


「それはもう聞いた! だが、二人とも“相手が悪い”と譲らんのだ。ローエンは“愛しているが、最近文句ばかり”といい、ミミンナ嬢は“浮気者に言われたくありませんわ”と……」


 ドドーラはしばらく考え――ふと、アメジストの瞳を細めて言った。


「……ミミンナ様が最近口うるさくなったのは、件の“噂のメイド”が原因ではなくて?」


 そして、何かを思いついたように口元を吊り上げ、妖艶に微笑んだ。


「陛下。私、最近とっておきの新魔法を覚えましたの。“入れ替わり”の魔法――試してみませんこと?」


「入れ替わり、とは……?」


「魂の交換ですわ。ローエン皇太子とミミンナ嬢の心を、一日だけ入れ替えてしまうのです。それぞれの視点で相手の行動や言葉を見れば、きっと、理解が深まるでしょう」


「二人の魂を入れ替える? おおっ……! それは素晴らしい!」


 感激して身を乗り出す王を横目に、側近は苦笑を浮かべていた。なぜなら彼だけが気づいていた。――これは、ドドーラの新魔法の実験台に二人を使っているだけだと。


 しかし、混乱している陛下は、もちろんそんなことに気づかない。


「今すぐ頼む!」


「かしこまりましたわ。では、お二人の私物を用意してくださいませ」



 数時間後、玉座の間にドドーラによって魔法陣が描かれた。


 ドドーラは漆黒の杖を構え、儀式を開始。

 魔法陣の中に現れたのは、男女の黒い人形。それぞれに皇太子と令嬢の私物を埋め込むと、ドドーラは呪文を唱えた。


 瞬間――黒い球体がそれぞれの人形から飛び出し、「男から女へ」「女から男へ」と入れ替わる。人形が消えた瞬間、儀式は成功した。


「陛下。魔法、成功いたしました。効力は一日です」


「うむ。二人以外の関係者には、入れ替わりの事実を必ず伝えるように」


 すぐさま関係者たちに極秘で手紙が届けられた。そして、皇太子と令嬢の魂が一日だけ、入れ替わると知った者たちは――大混乱に陥ることとなった。


 

 ⭐︎



「うわぁっ!?」


 目を覚ました瞬間、視界に飛び込んできたのは――満面の笑みを浮かべる自分だった。


(……ん? なんで僕の顔が、天井に?)


 天蓋の布に描かれている自分の顔。

 それも、かなり繊細なタッチだ。 


 この絵の雰囲気は……たしか、ミミの専属メイドが描いたものじゃなかったか? たしか、タマ? リマ? ……うーん、名前を思い出せない。だって、ミミ以外の女性に興味がないから、仕方ないな。



 ――すん。


 ……甘い香り? なぜ僕の体から、バラのような甘い匂いが?


 お、おお? フリルに、リボンのピンクのネグリジェ?

 そしてこの華奢な手。ふくらんだ胸。……この体は、僕のじゃない。


(じゃあ、これは……誰の体なんだ!?)


 甘い香りに包まれたベッドから、そっと降りる。ピンクのカーテンに、真っ白なクローゼット、猫脚テーブル。


 ――僕の絵と、可愛い品ばかり。


 僕の絵は置いておいて、明らかに“可愛いもの”が好きな女の子の部屋だ。僕は部屋の隅に立てかけられた姿見に、自分の姿を映す。


「……っ!」


 サラサラの銀髪。

 透き通るサファイアの瞳。

 しなやかな手足に、ふっくらした胸。


「この姿は、僕のミミだ……!」


 綺麗で、可愛くて、しっかりしていて、スタイルも良くて、肌もすべすべで、しかも良い匂いの――愛してやまない、僕のミミ!


 一瞬、夢かと思って頬をつねる……お、ぷにぷにだ。

 ミミの柔らかい頬に、少し感動してしまった。


 いったい、誰がやったのかは知らないが……グッジョブ!


(まさか……! 常日頃、執務をがんばっている僕へ、神様からのご褒美か!?)


 鏡の前で、ミミを眺めてうっとりする。

 胸元のリボンに手をかければ、そこにあるのは――


(……あ、でも、あまり見すぎるのは……失礼か?)


 ――いや、これは緊急事態だ!


(普段、ミミの胸元をこっそり眺めていた僕としては、いつか、その胸に触れる日を夢見ていたのだが……)


 いいかな、触っても……


「おはようございます、ミミンナお嬢様。……それと、先ほどから何をなさっているのですか?」


 いきなり背後から、女性の声がした。

 慌てて振り向けば、ミミの専属メイド……僕は、メイドの顔には見覚えがあった。


(この子は、その辺の画家よりも絵が上手く。ミミの寝顔、笑顔、寝起きのぼーっとした顔まで、全部スケッチしては、僕に高値で売ってくる……守銭奴の女じゃないか!)


 まぁ、僕も僕で、可愛いミミが欲しいから、つい買ってしまう。


 なぜ? そんなに金が必要なのか調べで見ると、彼女のスガーロン男爵家は昔、友人と共同で立ち上げた鉱石会社が倒産して、多額の借金を背負ってしまった。


 その多額の借金に、共同経営をしていた友人は逃げ、多額の借金を負ったスローガン男爵家。だから彼女は、家計のために必死なのか。


(しかし、男爵。鉱山を持ってるなら、原石売りじゃなく。職人を雇い、石を加工すれば……いや、今はその話じゃない!)


 ――今はとにかく、ミミらしく振る舞わねば!


「おはよう。いま、着替えようとしていただけよ」


「……お一人で? そうですか(※彼女は中身が皇太子であると知っている)」


 メイドが用意したぬるま湯で顔を洗って、ミミらしい上品なドレスに着替え、髪を結ってもらう。


 おお……髪を下ろしたのもいいが、整えたミミも可愛い。バラの香りがふんわりと香り、ふと見ると、メイドは寝具やカーテンに、何やらスプレーをしていた。


「おい、それは何だ?」


「え? ミミンナお嬢様がお好きな、バラのエッセンシャルオイルとアルコールを混ぜた香りです。“これを使うと癒やされる”と、以前おっしゃっていました」


「え、ええ、そうだわ。私、そう言ったわね」


(危なっ、普通に聞いてしまった……)


 支度が終わった後、メイドは「食事の時間にお迎えにあがります」と言って、部屋を出て行った。


 ――ふうっ。なんとか、ミミらしく演じきれたよな。



 

 一息ついて周りを見渡す。そう、いま僕はミミの部屋で一人。当然のように探索を開始する。


 まず、目についたのはピンクのタンス。


 一段目、二段目――ミミの紐パンとドロワーズ。三段目、四段目――ブラとコルセット。五段目――可愛いネグリジェの宝庫!


(す、すごい……! どれも、バラの香りがする!)


 このバラの香り、いつも彼女からほのかに漂っていたのは――これだったのか。元に戻ったら、側近に頼んで、同じ香りを作ってもらおう。


 そうすれば、夜でもミミの香りに包まれて眠れる……ふふ。



 ……そして、ふと気づく。


(ミミ……それにしても、僕のこと好きすぎないか?)


 壁に飾られた、僕の幼少期からの絵。


 棚に並べられた、僕があげたプレゼント。

 書斎の机の上にあった日記には――僕とのデートのことばかりが書かれていた。


(ふふ……可愛いな。早く会って、抱きしめたい。その時、彼女は僕の名前を呼んで、驚いて、顔を真っ赤にして、頬をふくらますかな?)


 でも、よかった……ミミに嫌われていなくて。

 ということは、今、ミミは僕の体に?


(彼女も、驚いてるだろうな……僕みたいに、タンスを漁っていたりして?)


 ――まぁ漁ったって、僕のシャツ、下着しか入ってないけど。にしても、こんなことを仕掛けてきたのは……もしや、父上の仕業か?



 ⭐︎



 ところ変わって、皇太子の寝室――


「……んっ」


 目を覚ますと、いつもと違う香りに包まれていた。スーッと鼻に抜ける、爽やかな柑橘系の香り……どこか落ち着く匂い。


 これって、ロー様の香りに似てる。


 ……ん? あれ? なにか違和感。 


 わたくし、パジャマを着ていない!?

 えっ、ええっ……!? わたくしの自慢の美乳が……ちいぱいに!? って、違うこれは、どう見ても、鍛えられた胸板。


 ま、まさか。私、男の人になっているの!?


 ……あ、うん、立派。


 ――ちがうちがう、偶然よ、偶然に見てしまったの。……それより、わたくしはいったい、どうしたの?


 近くにあったガウンを着て、ベッド脇の鏡に映る姿を見ると。蜂蜜色の髪。赤くて涼しげな瞳。引き締まった輪郭と、どこか物憂げな表情。


「これ、ロー様だわ」


 ……えっ、ええ? わたくし、ロー様になっている!?


(夢かしら? 幸せすぎ……!)


 しばらく、その姿を眺めた。ロー様、素敵。このブルーで統一された家具、ふかふかの枕とシーツ、大きな天蓋付きのベッド。ふふ。ロー様はこの寝室で、休まれているのね……


 ――ちょっとだけ、いいかしら? もそもそとベッドに潜り込み、シーツに顔を埋めて、思いきりすーっと吸い込んだ。


(ああああ……ロー様の香り。まるで、抱かれているようなこの感覚……とても幸せ……)


 ロー様の香りを堪能していると、ノックの音とともに、ロー様付きのメイドが入ってきて、身支度が始まった。


(ロー様の、普段は絶対に見られない貴重な姿)


 ガウンを脱ぐと、彼の鍛えられた筋肉、長い手足……。櫛を通し、蜂蜜色の髪が整えられて。準備された、ジュストコールを羽織った。


「ローエン殿下、失礼いたします」

「ありがとう」


 メイドが下がり、わたくしはまだロー様の鏡を見ていた。


(はぁ、素敵すぎて、息が止まりそう! ロー様、大好きです……!)


 


 コンコンコンと、ノックの後。


「おはようございます、皇太子。本日のスケジュールを届けにきましたので、ご確認ください」


 と聞き覚えのある、落ち着いた声が部屋に響く。


(この声は、モスリンお兄様だわ)


 お兄様はロー様の側近であり、わたくしの兄。


「確認が終わりましたら、ごゆっくり部屋で朝食をおとりください」


「ありがとう」



 ⭐︎



 ミミンナの兄、モスリンは皇太子の中が、可愛い妹だと知っていだ。


(くっ、皇太子の中が、可愛い僕の妹でなければ……小言を言えるのに)


 皇太子姿の可愛い妹に、モスリンはキツく言えない、重度のシスコンである。



「ローエン皇太子、朝食はどうされますか?」


 ロー様のことをよく知るお兄様。だけど、いくら聞いても、ロー様と親しい噂のメイドについて何もおっしゃってくれない。


(お兄様はロー様の側近だから、噂のメイドについて知っているはずなのに……)


「ローエン皇太子?」

「え、あ、今朝の朝食は部屋でとる」


「かしこまりました。そのようにメイドに伝えてまいります」


「ありがとう」


(ふふ。ロー様の香りに包まれながらの食事なんて、最高すぎる……!)


 最近、お互いに忙しくて会える時間が少ないのに、あの噂のせいで喧嘩ばかり。わたくし、ロー様不足ですこし病んでいたけれど……


 ――今日はたくさん、ロー様を吸収しましょう!



 ⭐︎



 ミミ姿のローエンはミミの家族と朝食を終え、自室へ戻ってきた。フウッとため息をついて鏡を覗けば、そこには変わらず可愛い、ミミの姿が映っていた。


「ふふ、ミミ。君には……僕から見ればモスリンもだが。もう一人、シスコンの弟がいたんだね」


 今朝出されたサンドイッチを一切れ手に取り、口に運ぶ。舌にピリリとした刺激――これは、カラシだ。サンドイッチを口に入れた途端、ミミの弟、アッサムがくすくすと笑い出した。


(……なるほど、これは悪戯か)


 幸い、僕は辛いものが得意だ。問題なく食べられる。けれどもし、ミミが口にしていたら……どうなっていただろう。


(目に涙を浮かべて『あ、辛い……』と、唇と頬を赤く染めるか? ……絶対、可愛いに違いない)


 想像しただけで、顔が綻びそうになる。


 そのとき、ふわりと上質な茶葉の香りが鼻をくすぐった。メイドが紅茶を淹れてくれている。サンドイッチは面白かったが、今朝の温かいスープと食後のコーヒー、どれも美味しかった。


 ――そういえば、温かい料理をゆっくり味わうのは久しぶりだ。


 皇太子になってからというもの、毒見の手間が増え、食事はいつも冷めたものばかり。執務室で飲む紅茶も、ぬるい。


(……ミミには話していないけれど、僕は子供の頃から毒に慣らされてきた。国王になるというのは、命を賭ける覚悟が必要なんだ)


 静かにカップを口に運びながら、そんなことを思い出していた。



 ⭐︎



 朝食を終え、部屋に戻ったミミ(中身ローエン)を見送ったあと、食堂に残ったのは両親と弟のアッサムだけだった。料理が口に合ったことに安堵する両親とは対照的に、空になった皿を見たアッサムがぼそりと呟く。


「今日の姉様、怒らなかった……変なの」


 そのアッサムの一言で、両親の顔が一気に青ざめる。彼らはミミと皇太子の、中身が入れ替わっていることを知っていた。


 最近、アッサムの“姉いじり”がエスカレートしていたため、彼には入れ替わりのことをあえて伏せていたのが、仇になった。


「おかしいなぁ……カラシ、けっこう塗ったのに……」


 その呟きに、両親はガタガタと震え出す。

 彼らの頭をよぎるのは――不敬罪、確定の四文字。


 ミミの父、トーリフは慌てて書斎に駆け込み、国王陛下宛の謝罪文をしたため、早馬で城へと送った。


 


 ――しかし、事件はそれだけでは終わらなかった。


 昼過ぎ。ミミ(中身ローエン)は、メイドとともに花々が咲き誇る庭園を歩いていた。


 そのとき――突然、足元の地面が崩れた。


「――うわっ⁉︎」


 なんと、現れたのは落とし穴。

 幸い、底には真綿がたっぷり詰められていたため、怪我はなかった。――だが。これは、完全に仕掛けられたもの。


 罠に掛かった直後に現れたのは、またしても弟・アッサム。その姿を見たミミ(ローエン)は眉をひそめ、毅然とした声で告げた。


「アッサム! 怪我をしてからでは遅いのですわ!」


 その叱責を聞いた両親は、またしても血の気が引いた。即座にふたたび謝罪文をしたため、今度は手紙を二通に分けて――謝罪の文は陛下に、魔女のドドーラには「早く、この術を解いてください」と書いて早馬で送った。



 ⭐︎



 ロー様の部屋で食事! そう思った瞬間から、わたくしの胸は高鳴っていた。


 ――えっ、うそ。


 部屋に、運ばれてきた食事に箸を伸ばした瞬間、その冷たさにびっくりする。味はたしかに美味しい。けれど、すべての料理は毒味済みで、温かさを失ってしまっていたのだ。


(……いまロー様は、私の家で温かい食事を食べているのかしら? そうだったらいいな)


 そう思いながら、わたくしは冷めた食事をそっと口に運んだ。




 朝食後、ロー様の部屋を探索していると、コンコンとノックの音。

現れたのはモスリンお兄様だった。


「ローエン様、執務のお時間です」


「執務? は、はい」


お兄様と一緒に執務室へ向かい――扉が開かれた瞬間、私は息を呑む。


「……え……」


 壁一面に飾られていたのは、私の絵。

微笑む顔、舞踏会でのドレス姿、窓辺で本を読む横顔……どれも、私を見つめるロー様の視線を感じるスケッチばかり。


(このタッチはわたくしの専属メイド……リマさん? そして、ロー様の噂の相手……)


「ローエン様? どうなさいましたか?」


「……いいえ、なんでもないわ」


 わたくしは無理に微笑み、ローエンの執務机に腰を下ろした。そして、目の前に置かれたものに――再び息を呑んだ。


 それは、彼女が誕生日に贈った、手作りのクマさんのぬいぐるみだった。丸い瞳とふわふわの手足、赤いリボンが胸元で揺れている。


(……ロー様、大切にしてくださっているのですね)


 頬がゆるむのを感じた、その時。

 兄・モスリンの口から、衝撃のひとことが飛び出す。


「ローエン様。今日は挨拶されないのですか?」


「……え? 挨拶ですか? (お兄様には、もうしたはず……)」


「いえ、クマたんにですよ。いつも通り……」


「く、クマたん……?」


 モスリンは、ごく自然に続けた。


「いつも『ミミ、今日も頑張るね』『疲れたよ、ミミ癒して』『終わった、ミミ』とお話しされてますよね」



(……ふ、ふぇぇ……!? ロー様、クマたんが……わたくしの代わり……!?)


 嬉しさが込み上げて、顔がニヤけそうになる。


(ど、どうしましょう……。嬉しすぎて、顔が緩んでしまいますわ)


「……ふふ。クマたん。執務、がんばりますね」



 そうして始まった“ロー様”の執務。


「ローエン様、この書類に印をお願いいたします」


「わかったわ」


 わたくしは頷いて、ペンと印を手に取った。


(あら? これなら、わたくしにもできそう)


 提出書類に目を通し、ハンコを押した。

 


 ⭐︎



 二人は、入れ替わったまま、一日を過ごし――

 翌朝、魔女ドドーラの魔法が解けて、元の身体に戻った。


 たった一日。けれど、濃密な一日だった。

 この入れ替わりで、二人は初めて、互いの“本音”に触れ、ミミがいつも遅れるのは、シスコンの弟・アッサムの妨害が理由だったことを、ローエンは知った。

 

 ミミンナも、ローエンが“自分だけ”を深く、愛してくれていると知った。


 ――いやになるくらいに、イタイくらいに、お互いを想い合っていたことを。そして、二人して、リマからお互いの絵を買っていたことを。


 


「愛しいミミ」

「大好き、ロー様」


 あの日から、二人はもう言い争うこともなくなった。以前よりずっと素直に、より深く、心を通わせるようになった。


 その報告を受けた国王陛下は、心底ほっとしたという。



 ⭐︎



 だが、ローエンには一つだけ、気がかりがあった。


 ――ミミと僕に絵を提供してくれていた、メイドのリマ。


 彼女の男爵家は莫大な借金を抱えていて、このままでは、没落するしかない。僕が借金の肩代わりすると言っても、彼女は頑なに頷かない。


 ここは、所有する鉱山に賭けるしかない。

 その鉱山から、良い石が発掘できれば……借金を返せるだろう。しかし、男爵家にはその資金がない。


(この話を、ミミにもしよう)

 

 今日のお茶の席で、ローエンはミミにリマのことを話した。


「えっ、リマの実家、男爵家が没落する?」


 事情を聞いたミミは、初めて知る事実に目を見開いた。


 ローエンは静かに頷く。


「リマの家ーー男爵が所有する鉱山から宝石になり得る、鉱石が採れるかは賭けだが、彼女の家には鉱山が残ってる。少しでも可能性があるなら、手を打つべきだと思うんだ」


 その話に、ミミは微笑みながら言った。


「……なら、わたくしの資金を使いましょう。彼女が、私のそばで絵を描いてくれるのなら、喜んで出しますわ。彼女の絵――わたくし大好きなんです」


 その一言に、ローエンも心から頷いた。



 話の後、二人はすぐに動いた。

 リマの父、スガーロン男爵から鉱山をローエンとミミンナが高値で買い取った。


 所有権を手に入れた二人は次に、男爵を鉱山の責任者に任命した。鉱山が売れた男爵は、借金の半分は返済できることになる。あとの残りは――鉱山の運に託すしかない。




 それから数ヶ月後。


「ローエン様、鉱山からクォーツと、ローズクォーツの原石が採れました!」


 スガーロン男爵から、朗報が届いた。


「……よし、それを宝飾品に加工しよう」


 質の良いクォーツは、見事な宝石へと生まれ変わり、販売ルートでも大成功を収めた。スガーロン男爵は借金をすべて返済して、男爵家は没落を阻止できた。そして、リマの弟たちも学園をやめずに済んだ。


 リマは大粒の涙を流しながら


「いくら感謝しても、感謝しきれません。ローエン皇太子殿下……ミミンナお嬢様……ありがとうございます……っ!」


 二人の前でひざまづいた。


「よかった。わたくしのそばで、たくさん絵を描いてね」


「ああ、よかったな。……でも、もしまた怪しい話があったら、すぐに報告すること。それと――」


 ローエンは優しく続けた。


「もうすぐ、僕とミミンナの結婚式があるんだ。二人の絵を……君に描いてもらえないか?」


「まぁ……! ステキですわ。ぜひ、お願いします」


「なんて幸せな話。しっかり描かせていただきます!」


 ⭐︎



 そして――


 数ヶ月後、ローエンとミミンナは、国中からの祝福の中で盛大に結婚式を挙げた。


 メイドのリマは二人のお抱えの絵師にして、ミミンナの王妃専属メイドという地位を得た。



 ⭐︎



 その頃。


「……よし、これですべて丸く収まった! これでワシも、ローエンに任せて隠居できる……!」


 元王は、心から胸を撫で下ろした。


 ――が、そのすぐ横には、相変わらず涼しい顔の魔女・ドドーラの姿があった。


「ドドーラ……この機会に、ワシと一緒に隠居生活などどうじゃ?」


「ふふ。いいですわよ? あと百年待ってくだされば――」


「なに、百年⁉︎ ワシ、もうとっくに……死んどるがな!」


 ――国王陛下の“春”は、まだまだ遠かった

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