8.対決
自室に戻った僕は、寝間着の上に厚手のガウンを羽織ると、護身用に常に携帯している剣を取り出した。
この時の僕は、プツンと糸が切れた凧のようになっていた。もはや、正気を失っていたといっても過言ではなかった。
僕は剣を手にしたまま、すでに雨が止んでいた森の中へ向かった。
僕の中には抑えようにも抑えられない、憎悪で満ちていた。
どうして彼女の亡霊はこんなにも自分を苦しめるのか。
あの時、彼女は助けてと叫んだが、僕が何も出来なかったことへの恨みなのか。
他にも大勢見殺しにした人間がいるというのに、どうして僕なのか。
僕は、誰もいない夜の森の中にいればやってくるのではないか、と確信はなかったが彼女が現れるのを待った。
剣を振り回すのに十分な間合いを確保できる場所で、僕は足を止めた。
空はいつの間にか晴れ、青白い月が顔を出している。
僕はぬかるみに響く足音と共に、何か白いものがこちらに近づいて来ることに気づいた。
来る。
剣を構えて待っていると、予期した通り、彼女だった。
彼女は北部の僧が着ているような白いローブを着ており、僕が剣を持って佇んでいたことに驚いているようだった。
僕は彼女に迷う事なく突進すると、剣を思い切りその胸に突き刺した。
消え失せろ! そして僕の前に二度と表れるな!
そう思いながら更に剣を彼女の胸に強く押し込めた。剣はその身体を貫通した。
だが、剣は幻を突いたわけではなかった。
僕の手には本物の肉を貫いたような、生々しい柔らかさが伝わってきた。
彼女は小さな悲鳴を上げると、刺された部分が月明りの下で見事な赤色に染まり始めた。
さらに、小さな口からは赤い液体を吐き出し始めて、ぬかるんだ大地に一気に倒れ込んだ。
この瞬間、彼女の気配は違っていた。いつもと様子が異なっていた。
僕は剣を刺したあと、亡霊であるはずの彼女は目の前から消えると思っていた。
しかし、彼女は消えなかったのだ。
なぜ消えない……
額に汗を感じた僕は、握っていた剣から思わず手を離した。
剣が刺さり倒れ込んでいる彼女は、空を凝視したまま動かなくなっていた。
泥水は彼女の赤い血でさらに濁っていった。
僕は本当に彼女を倒したのか?
確信を得られないまま、そう思いながら僕は息を呑んだ。
しばらく僕はそこに佇んでいた。
何か違和感があったのだ。
僕の視線は彼女の顔に自然と向かった。
目。
その正体は彼女の澄んだ目だった。
彼女の顔を見つめていると、普通の死体であれば目がどんどん白濁していくというのに、彼女の目には全くその兆候が見られなかったのだ。
なぜ?
僕は顔をしかめた。
だがその瞬間───
空をただ見つめていた彼女の眼球が突然動き、視線の先を僕に向けた。
続けて彼女は苦しそうに上半身を起こすと、うめき声をあげ、顔を歪めながら僕に貫かれた剣を引き抜いた。
目の前で起きていることは、もはや僕の理解の範疇を軽々と超えていた。
叫びたくても、恐怖で叫ぶことすらできなかった。
唯一出来たのは、彼女からの逃走だった。
僕は飛び跳ねるようにして距離を取った。
そして木の根に躓き、腰を抜かしながらも後ずさり、彼女から何とか逃れようとすることだけだった。
彼女は顔を青白くしながら立ち上がった。
呼吸を荒げるように肩を上下したかと思うと、足を引きずり、じりじりと僕に近づき始めた。
それにも関わらず、彼女の目は清流のように澄み、美しく輝いていた。
長い髪と顔、さらに衣服は泥と血で汚れているのに対し、瞳は美しいというアンバランスさは、ますます僕を恐怖の底へと陥れた。
見殺しにしただけではなく、直接自分に向けて剣を突き刺した。
そんな彼女にとって、僕を恨む理由がないなんて言えるだろうか?
今彼女は、身体から引き抜いた剣を手にしている。
それに対して、僕には反撃するための武器がなかった。
彼女に殺される。
そう思いながら僕は強く目を閉じた。