6.亡霊に取り憑かれて
だが、この件については、それだけにとどまらなかった。
それから数週間が経ったある日。
僕は朝食を食べ終えていた。
今日は朝からどんよりとした雲が空を覆っている。もうじき雨が来そうだと僕は浮かない顔をしていた。
「よろしければエールではなく、はちみつ入りのカモミールティーをお持ちいたしましょうか?」
中年の召使は食器を片付けながら、僕にいつもの片頭痛が出始めていると察したのか、そのように提案してきた。
「うん、その方がいい。ありがとう」
僕は口元をリネンのナプキンで拭いながら外を見つめた。窓ガラスに大粒の滴がぶつかり始めている。
こういった日は痛みに加えて頭の動きも鈍くなりやすい。けれども、あいにく仕事は立て込みそうだった。
僕はまだ忙しくない今のうちに、どう段取りを付けようかと考えに耽った。
すると、食堂内にはちみつの温かく甘やかな香りが漂ってきた。
「お待たせいたしました」
外を眺めていた僕は、そう声を掛けられた。
でもそれは、先ほどの男の召使の声ではなく、明らかに若い女性の声だった。
僕の身の回りの世話をする召使は、料理人から清掃係に至るまで全て男性だけが行うことになっている。
極力女性と関わらせないという、女王や側近たちの意向で。
だから、先ほどの召使が誰かと仕事を交代したとしても、女性であることは絶対にあり得ない。
驚いた僕は声の方向に振り返った。
その先にいたのは、やはりまたあの金髪の女性だった。
彼女は飲み物の入った銀のティーポットとカップをテーブルに置き、両手を前で組んでこちらに微笑んでいる。
僕は再び叫び声を上げて、椅子を倒し、転げ落ちるようにして床に尻をついた。
その拍子にクロスを掴み引っ張ったせいで、ポットは液体をまき散らしながら床に落ち、カップも割れ、花瓶が倒れる音が聞こえた。
僕の様子に彼女は眉間にしわを寄せると、どうされたのですか? と言いながらさらに近づいてきた。
「く、来るな! 来ないでくれ!」
さらに僕は腕で頭を覆うようにすると、ちくしょう! 止めてくれ! など騒いでいた。
だが、僕が放っておかれることはなかった。
「いかがされましたか? 大丈夫ですか!?」
今度聞こえてきたのは男性の声だった。
僕は震えながら恐る恐る顔を上げると、僕を見つめていたのはカップを乗せた盆を手に持った、先ほどの中年の召使だった。
上に載っていたものを落としたり、倒したりしたはずのテーブルの配置も元通りだった。
倒れた椅子と、僕がしゃがみこんでいた以外、何も変わったところはなかった。
「すまない、何でもない」
僕は顔を青くしたまま立ち上がった。
召使は素早く盆をテーブルに置くと、椅子を元の位置に戻して何事もなかったかのように僕に腰かけるよう促した。
普段であれば飲み物を置いたあと、召使は僕が考え事に集中出来るよう一人にしてくれる。
でも、今はとてもではないがそんな気分にはなれなかった。
「また少し気分が悪くなってきたみたいなんだ。僕が食堂を出るまで、ここにいてもらってもいいかな?」
構いません、と中年の召使は優しく返してくれた。
大人の男が怯えるなんて、情けないことかもしれない。
僕は恐怖で涙を流すのを我慢しながら、カップに口を付けた。
◆◆◆
ところが、それでもこの奇妙な出来事は収まる気配を見せなかった。
むしろ日に日に強まっていくような感じすらした。
そして、それが起きるときは決まって雨が降りそうな時や、雨が降っている時だった。
ある時は僕が執務室で書類の確認をしている時に、顔をふと上げた瞬間だった。
部屋の中央に置かれたテーブルセットに、金髪の女性は当たり前のように腰を下ろし、何か縫い物をしながらこちらに微笑みを向けていた。
また別の時は、礼拝堂で静かに祈りを捧げていると、彼女は後ろの木のベンチに座っているということもあった。
これらの出来事は一貫して僕が一人でいるときに起こったため、僕は極力誰かを常にそばに居させるようにした。
けれども、その対策もすぐに何の意味もなさなくなった。
一日中雨が降り続く、雨期をこの国では迎えていた。
そして亡霊の彼女は遠慮という言葉を知らないとでも言うように、人が集まっている舞踏会、会議、式典の時ですら現れるようになっていた。
無論、さすがにこの状態になると、女王も僕の異変に気づいていた。
女王は自身と側近たちの前で、僕に何が起きているのかと説明を求めた。
彼女達に正直に話せば、もしかしたらなんとかなるかもしれない。
僕は今までの経験を素直に話した。
しかしながら───
僕は直ちに主治医から処方された薬を飲むよう、女王から命じられただけだった。
つまり、誰も僕が死者に憑りつかれているとは信じてはくれなかったのだ。
僕が求めていた、悪魔祓い専門の司祭は呼ばれる事はなかった。
むしろ、側近たちは僕の臆病さがここまで酷いとはと言いたそうだったが、誰も口にすることはなかった。