18.終幕
走り去っている最中に僕は、再びあの日のことを回想していた。
『……死ねる方法? でも、君は不死になったんだろう?』
彼女が口走った言葉に、僕は眉を顰めた。
『ええ。病気や怪我では死ねなくなった。でも、母の手記によれば、自分でこの呪いを終わらせられる方法があると書かれていたの』
自分を愛してくれるといった人の心臓を食らう。
そうすればこの呪いが解けるのだ、と彼女は言った。
『母は自分が死んだら心臓を取り出し、もし私が不死に苦しむことがあるのなら、それを食べなさいと書いていた』
でも……と彼女は続ける。
『私を愛してくれていた母はいなくなってしまった。そして、愛していてくれた人を亡くした私はその後、どうなったと思う?』
彼女は辛そうにして顔を下に向けた。
シレーネによれば、もっと別の方法があるかもしれないと、各地を転々として不死に関する伝説を探し回った。
そして、生きていれば何かしらの出会いがある。彼女も決して例外ではなかった。
『私は何度か恋に落ちた。でもその度に、私の前に母が現れて……』
気付いたときには、彼女は自分の恋人を殺していた。
死んだはずの母が現れては、この男の胸を切りなさい、いつか去りたくなった日のために心臓を取り出しなさい、と彼女に囁き誘惑してきたのだという。
『もう、人は好きにならないと思っても、それでも私は誰かを好きになってしまう。そしてその人は愛してると私にいうの。私は誘惑に何度も負けた。だから、私は相手から愛を伝えられたらすぐ逃げることを選んだの』
もし、母に囁かれて、あなたの心臓が欲しくなったらと思うと私は怖いのよ。
彼女はさらにそう言うと、僕の方を向いてぽつりと呟いた。
『……来る』
そして彼女は僕から逃げていった。
僕は隠し通路を抜けて、森の中へまで脱出した。
約束していた泉の前まで行くと、僕の愛馬を連れて少年の召使の格好をした彼女が立っていた。
僕の愛するシレーネ。
彼女は僕の姿に少々驚いているようだった。
それも無理はない。
いくら顔や手は血を拭ったとはいえ、僕の服はアッテンボローに攻撃された際に穴が開けられ、さらに返り血や自分の血で汚れていた。
「大丈夫?」
心配そうにシレーネは僕に尋ねた。
「うん。大丈夫」
僕は彼女に向かって微笑んだ。
実はこの時のために、僕は鳩を飛ばして彼女に連絡を入れていた。
彼女には僕の愛馬と、荷物を城から持って来てもらう事をお願いしていたのだ。
「これ、着替えよ」
そう言って彼女は僕にシャツとズボンを手渡してくれた。
僕は城から逃げてきた後に変装をするため、着替えも彼女に用意してもらっていた。
煌びやかな金や銀の糸でできているわけでも、宝石などがついてるわけでもない。村で過ごしていたときや、学生時代を思い起こさせるとてもシンプルな服。
やっと元の自分に戻れるような、そんな気がした。
「ああ、ありがとう」
僕は礼を言って受け取ってそのまま着替えようとしたが、拭い落としたつもりでも血の残りがまだある事に気付いた。
そのため、彼女にまだここを発つのを少々待ってもらい、汚れた服を全て脱ぎ、泉で髪の毛や体に付着していた残りの血を流すことにした。
流している時、僕はあの時の血とは異なり、いまの身体にこびりついているものは不快でしかないのが少し不思議に思っていた。
そう、あのときの血。
シレーネからもらった血。
不滅の血。
僕が女王に対して失態を犯してしまったあの夜。
つまり、僕たちが森で再会したあのときのことだ。
『私もあなたを愛してる。お互いに離れた方がいいのはわかってる。それなのにあなたと離れ離れになるのはやっぱりつらいのよ。刑に処せられたとき、死ねるはずがないのに死にたくないと思ったわ』
僕たちは涙を流しながら二人が抱き合っていると、さらにシレーネが口を開いた。
『でも……私の事を本気で愛しているのなら、これからもずっと私のそばにいてくれる? 嘘、偽りなく』
彼女といられる方法がある。
そう聞いた僕は驚きつつ、彼女の目を真剣に見つめた。
『一緒にいてくれるというの? それなら、もちろん。たとえ世界に終わりが来ても、そのとき僕は君といたいと思うよ』
彼女に聞かれた通り、僕の言葉は真実でしかなかった。
希望。
それ以上、どう表現すればいいというのだろう。
もし、彼女が僕と一緒にいてくれるためなのであれば、悪魔に魂を売り渡すことも厭わないと本気でその時は思っていた。
するとシレーネは涙をぬぐいながら、僕から逃げた時には教えてくれなかったことを教えてくれた。
彼女はあの国に流れ着いた際、新たな情報を得られた。
自分には確かに不死の力が備わったが、実はそれは永遠ではない。つまりいつか寿命を迎えるのだと。
さらに……
『私とこの先一緒にいたいのなら、どうか私の血、私の不死の血を飲んで。そうしたら、私と同じ呪いがあなたにも降りかかるから』
彼女はそう言った。
人魚を食べた人間の血肉を別の人間が食べると、その人間にも不死の呪いがかかるのだ、と。
『あなたにその覚悟があるなら、この剣で私を切り裂いて飲んで』
僕は手を差し出しているシレーネを真剣にじっと見つめた。
『私の呪いを、あなたも背負ってくれるというのなら』
僕は黙ったまま、彼女が先ほど自身から引き抜いた剣を手にした。
『君と一緒にいられるならば、僕にとっては呪いではないよ』
そして先ほど彼女から引き抜いた剣を手に持つと、彼女の手首に押し当てた。
傷口から赤い液体がほとばしる。
それに口をつけ、傷がふさがってしまうたび、僕は彼女を傷つけては彼女が倒れ込むまで飲むことを繰り返した。
僕の中を満たした彼女の血は、とても温かく、甘やかで優しかった。
泉から上がり、服を着替えて彼女のところに行くと、彼女は僕に背を向けて立っていた。
その方向には黒々とした煙と、赤くなっている空が見える。
「もう、僕を縛るものは完全に居なくなった」
僕が彼女にそう声をかけたものの、彼女は無言のままだった。
「誓うよ」
彼女は何か言う代わりに僕が先ほど取ってきた、来たるべき日に使おうと思っている、僕にとっての"猛毒"が入った袋に視線を向けた。
「あんなことは二度としない。僕はもう誰も傷つけない」
そう言って僕がシレーネの手に指を絡ませると、彼女は僕の手を少し強く握りしめた。
僕たちは目に焼き付けるように、燃えている城を見つめた後、静かにその場を去った。




