16.罠
季節は雨期が終わり、乾期を迎えていた。
今は、じめじめした季節とは対照的に空気は乾燥して、日中は日差しが強くても木陰に入ればそれほど暑くはない。
その間、いつもと変わりなく僕は淡々と公務をこなす日々を続けていた。
とても強力な、いや、抗うことなど到底不可能な願望が芽生えたことを除いて。
僕はどうしても女王を手に入れたい。
そう胸の内に秘めながら。
そんな中、普段通り女王と共に夕餐をとっていると、僕の飲み物は葡萄酒ではなくハーブティーが運ばれてきた。
僕はさりげなく女王の方を見た。
彼女は表情を崩すことなくゴブレットから葡萄酒を飲んでいる。
これは女王から僕に対する無言の合図だった。
僕は彼女のことを見つめたまま、運ばれてきたハーブティを全て飲み干した。
夕餐後、僕は連絡用の鳩を窓から飛ばし、寝支度を終えると、二つの壺と柄杓を抱えるようにして手に持ち私室を出た。
小姓が燭台を手に僕の前に立ち、長い廊下を抜けると、今度はまるで異なる世界同士を繋ぐような渡り廊下が見えてくる。
石のアーチと格子窓で出来た廊下の先にあるのは、女王の寝所だ。
扉の前ではいつものようにアッテンボローが手を組み、静かに僕を待っていた。
彼は僕を見て軽く咳払いをした。
「殿下。手に持たれているものは一体何ですか?」
彼が質問してくるのも無理はない。僕もそう予想していた。
こんなものを持ってくるのは、僕は初めてだったのだから。僕は軽く笑った。
「まさかヘビが入ってるとでも? そんな訳はない、正体はただのオイルだ。この前、陛下を怒らせてしまったから、僕なりにお詫びの方法を考えてきたんだ。陛下はどちらの香りも好まれているから、選んで頂けるよう二つとも持ってきただけだよ」
しかし、アッテンボローは僕を警戒しているのか顔を顰めた。
「失礼」
彼はそう言うと、僕の抱えていたうちの一つの壺をとり、蓋を開けると松明の明かりを当て、中身の確認をしようとした。
「あまりそれを火に近づけないほうがいい。正真正銘のオイルなんだから」
僕は彼のクセの入った髪の毛と、立派な髭をちらちらと照らす壁に掛かった松明に視線を送った。
指で軽く壺内の液体を掬い、粘度と匂いを確認すると、彼はようやく本物だと認め、すぐに火から遠ざけた。
「……確かにそのようですな。それも陛下がお好きな薔薇の香りの。ですが、これはペルル産の軽やかなオイルでしょう。陛下がお好きなのはソフィア産の重厚な香りのオイルだ。もし、次回も持って来られる場合は、ぜひそうされたほうがよろしいかと」
彼は壺に蓋をして僕に返すと、自分は彼女の忠実な家臣だと言わんばかりの軽い笑みをしてみせた。
一方、僕も壺を受け取りながら、彼に向って微笑み返した。
「そう。とても親切なアドバイスをどうもありがとう」
僕からの礼に彼は目線を逸らしながら、ふうと息を漏らした。
「確かに陛下は重厚なソフィア産の香りが好きだと言っていた。でも最近はその香りが強すぎるように感じているらしい。以前、早朝の寝台でお喋りしていた時に教えてもらった。だから、香りが軽いペルル産の方を持ってきたんだ」
まさか僕が言い返してきたことに、彼は驚いたのか微笑むのをやめた。
「まあ、それはともかく。陛下を余り長く待たせるのも良くないだろう? 中に入れてくれないか?」
僕が微笑んだままそう言うと、アッテンボローは無表情のまま寝室へと通した。
そして寝室の扉が閉められる際、僕は彼が舌打ちするのを聞き逃さなかった。
寝室の奥に入ると、シビラ女王は感情の読めぬ顔で寝台の中ではなく外で立って僕を待っていた。
僕はキャビネットに壺と柄杓を置き、彼女の前に素早く跪いた。
「先日は取り乱して申し訳ありません。本日はどうか私にお許しいただくチャンスをください」
そう言って彼女を見上げたものの、彼女は表情を変えずに立ったままだった。
「どうかお許しを」
再び僕は許しを請うた。
すると、彼女は片手を差し出してきた。僕は慈しむようにして彼女の白い手に口づけをした。
「あれは?」
彼女は僕の持ってきた壺を見つめながらそう問うた。
「あちらにはラベンダーと薔薇のオイルを入れております。私に喜びをお与えくださった後、あなたの美しい体をいたわるために」
跪いたまま僕は彼女に返答して、また手に口付けをした。
彼女は黙ったままだった。
けれども、僕の考えを気に入ってくれたらしい。
「良い心がけですね。いいでしょう」
彼女は微かに笑顔になると、落ち着いた声でそう言った。
僕はすぐさま立ち上がると、彼女の後ろに回り込み、力強く抱き締めた。
「お許しください。ずっと我慢をしておりましたから」
そう囁きながら、僕は彼女の耳やうなじ、肩に感情に押し流されるまま口づけをした。
「どうかあなたへの激しい想いを止められない、私の愚かで無礼な質問をお許しください。私の事を愛していらっしゃいますか?」
僕は彼女に口づけの雨を降らせながらそう問うた。
止む気配が見えぬ求愛行動に、唇に押し当てた僕の指を軽く噛み、彼女は吐息を荒げながらこう言った。
「当たり前でしょう。でなければ、お前を許すことはなかったでしょう。可愛い人」
僕は彼女の顔を強引に向かせ、唇を奪い、より激しく彼女を求めた。
広い部屋には僕たちの吐息と、お互いを探るようにして求めあう口づけの音が響き渡った。
僕の手は彼女の胸や腰に伸び、愛撫する指先には自然と力が入っていた。
「いつになく今日は私を求めてくるのですね。罰が長かったからでしょうか」
今まで見せなかった僕の振る舞いに、一瞬唇を離した女王は驚きつつも、好奇心を刺激されているようだった。
僕の熱情に返答するかのように、今度は彼女から僕を求めるような口づけがなされた。
僕はまさぐっていた手を、落ちないように留めている彼女の寝巻きの襟の紐へ移動させた。
「ええ。どうかこれ以上もう焦らさないでください……もう自分が抑えられません!」
そして紐を少し強引に解くと、滑らかな絹でできた寝間着は、いとも簡単に床へするすると落ちた。
目の前に彼女の白い肢体が現れる。
僕は彼女の背中に手を伸ばし、もつれあうようにして寝台へと倒れ込んだ。
すると、女王は普段は見せない笑顔を作り大きく笑った。
「本当に今日のお前はどうしてしまったのかしら!」
またしても彼女は笑い声を上げた。
「こういうのはお嫌いですか?」
少し困ったような顔をしながら、僕が彼女の長い髪に口づけをすると、彼女は僕の首に手を回して微笑んだ。
「そうね。今宵はいつもと違った時間を過ごせるなら……お前の中の男を見せてちょうだい」
僕の中の男を見せても構わない!
ああ、なんて愛に満ちた許しなのだろうか。
僕は彼女の目をじっと見つめ、口角の両端を上げた。
「仰せのままに」
僕は彼女の唇へ軽く口づけをした後、彼女の腰に乗るようにした。
女王は次は僕が一体どんな技を仕掛けてくるのだろうかといった様子で、目を輝かせて微笑んでいる。
その期待への答えはこうだった───
さあ、完璧に果たせねば。
僕は彼女の細い首に両手を回して、思い切り締め上げた。




