14.迎えの刻
僕は黙ってシレーネの話を聞いていた。
それは話に聞き入っていたというよりも、圧倒され、信じられず、そばにいただけといった方が正しかった。
終わったあとは、なんと返したらいいのかもわからなかった。
すると、彼女は僕の方を向いて小さく呟いた。
「……来る」
シレーネは突然眉を寄せて服の一部を掴むと、急に岩から立ち上がって僕から距離を取りどこかへ行こうとした。
その時、僕がもし彼女の引き留めていてもいなくても、この後のことは何も変わらなかったかもしれない。
僕は彼女につられて立ち上がるしか出来なかった。
彼女は僕に向かって、だめ、だめ、来ないで! と大声で叫んだ。
「来るって一体何が?」
僕は後ろを振り向いた。でも何もなかった。
しかし、シレーネは後退りをして、本当に嫌がっているような様子で首を横に振った。
「だめ! お願いだから近づかないで! あなたのためなのよ!」
普段の彼女からは信じられない叫び声を上げ、僕に背を向けるとどこかに向って走り去っていった。
僕は再び後ろを向いたがやはり何もなかった。
あるのはどんよりとした空と、どこまでも広がる田園風景だけだった。
僕は雨雲が近づくときに起こる、独特の匂いを感じ取っていた。
翌日。
僕は眠らずに彼女の帰りを待ったが、結局彼女は家には帰ってこなかった。
外は夜になると本格的に雨が降り始めたので、彼女は大丈夫だろうかと僕は心配していた。
すると、玄関の方で物音が聞こえた。
彼女だ!
僕はそう思って急いで玄関扉に駆け寄り、扉を開けるとやはりシレーネが立っていた。
「どこ行っていたの? 濡れていない?」
そう声を掛けようとする前に、彼女は何かに怯えている顔をしながら首を横に振り、僕に向って逃げて! と叫んだ。
僕が怪訝な顔をすると、間髪入れず、彼女を押しのけて強引に男たちがどかどかと家の中に入って来た。
見覚えのある男たち───
彼らはシビラ女王直属の兵士たちだった。
そしてあの男もいた。側近であるアッテンボローが。
「殿下。こんなところにいらっしゃったのですね。たまたま教会にいたこちらの女性の後を付けてみてれば……」
彼は僕とシレーネを交互に見た後、またしてもわざとらしく口元を緩ませた。
「陛下は大変心配なさっております。私たちも必死に殿下を探しておりました。さあ、一緒に帰りましょう」
僕は当然抵抗した。
なぜ彼らの元に帰る必要があるというのか。
僕には、もはや彼らに尽くす理由など一切ないというのに。
「僕はもう帰るつもりはない。あんたたちが僕の家族に何をしたのか僕は知ってるんだ! 今までよくも騙してくれたな!」
しかし、彼は驚いたり、悪びれもせずに鼻で僕のことを笑った。
「そうですか。もしかして、そちらのお嬢さんにでも教えてもらったのでしょうか。私個人だけで話を付けられれば、こんな面倒なことはしない……ですが、陛下はあなた様のことをいたく気に入っていらっしゃるのでね」
彼は兵士に向かって指で合図をすると、彼らはまるで心など持たぬ人形のような顔をしながら僕に近づき、強引に僕を押さえつけた。
「やめろ! 僕はもう、あんたたちに従うつもりはない! 連れて帰ったって、今まで通りだと思うなよ!」
僕は縛られながらも足をばたつかせて抵抗しようとしたが、腕力では彼らに敵うはずもなく、簡単に組み敷かれ、両手に縄を掛けられた。
「ずいぶん、威勢のよろしいことだ。でも我々をあまり甘く見ないでいただきたい。我々は村一つを潰すような人間です。そんな人間たちが、はいそうですかと簡単に引き下がるはずがないでしょう。ねえ?」
アッテンボローは床でまだなお抵抗している僕に視線を投げると、ちらりとシレーネのほうを見た。
「こちらの女性は実に賢明だ。あなた様の正体を村人の誰一人にも教えなかったんですから。いや……実は知らなかったんでしょうか?」
目を細めながら、アッテンボローが彼女に近づいたため、僕は彼女は何も知らない、近づくな! 彼女は巻き込むな! と叫んだ。
「ということは、彼女には独身だと偽って近づいたと? ああ、なんてことだ、殿下!」
アッテンボローは片手で額をぴしゃりと叩き、またしても芝居じみた仕草をした。
「世間ではいい年をした男女が二人だけで暮らしていれば、何もないなんてあり得るはずがない。それに、あなた様が今までどうやって無事に過ごされていたのか、陛下に説明する義務も私にはあります」
「何を言うつもりだ!」
なお抵抗する僕に、最も体格の良い兵士が両手で肩を強く押さえつけた。
「一週間や、二週間ならともかく、我々の調査によれば一年も! さぞや、楽しまれたのでしょうね。こんな可愛らしい方なのですから」
アッテンボローがまたしても彼女に近づこうとしたため、僕は思い切り睨みつけた。
「僕たちはそんなやましい事は一切していない。彼女は、ただ僕をここに置いていてくれただけだ!」
やましい事などしていない!
僕の言葉をアッテンボローは繰り返し、驚いたふりをしてみせた。あの腹正しい、わざとらしい振る舞いで。
ですが、と彼は続けて言った。
「我々からしたら、彼女は立派な誘拐犯だ。陛下にも、こちらの国にもそう話をつけておきましょう。あなたは帰りたがっていたのに、帰してもらえなかったと!」
良い案だとでも言うように、彼からは大きな笑い声が上がった。
「ああ、殿下のつかぬ間のお相手が、貴族のお嬢様でなかったことに私は神に感謝します! それならばそんな嘘は通用しませんし、陛下も傷つくことになるのでね」
両手を広げて喜びを見せるアッテンボローに、僕は顔を赤くしながら、やめろ、やめろと叫んだ。
シレーネも何とか彼らを振り切ろうと抵抗したが、複数の男に素早く取り囲まれ、あっという間に身動きが取れない状態にされてしまった。
捕らえられた彼女は、潤んだ目で僕の方を見つめていた。
だが、見つめ合う僕らを遮るように、先ほどの兵士が僕らの間に割り込んで立ちふさがった。
そしてさらに、別の兵士が僕の口元に、何らかの薬品を含ませた布を押し当てた。
悲鳴に近い声で、彼女が僕の名を呼ぶのが聞こえた。
でも、僕の見えていた世界はぐらぐらと揺れ始めていた。
僕は無力だった。君を巻き込みたくなかった。
ごめんシレーネ、ごめん……
伝えたかった謝罪の言葉すら許されなかった。
僕はそのまま記憶を失った。




