11.光
海鳥特有の鳴き声。
微かに聴こえてくる鐘の音。
ゆっくりと僕は目を開けた。
……明るい。
僕は死んだのか?
それならば、ここは天国なのか地獄なのか。
そう思いながら、僕は気怠さを感じつつも、目に意識を集中させた。
けれども、今僕に見えている世界は、天国とも地獄とも言えなかった。
明るい日差しが天窓から降り注ぎ、梁には名前のわからない乾燥した花や草が吊るされている。
外からは穏やかな波の音と、相変わらず鳴いている海鳥の声。
目の前の扉が微かに開いている。
僕は自分のいる状況をさらに確認しようと身を起こした。
体の上には薄手のブランケットが掛けられていた。どうやら寝台に寝かされていたらしい。
腰高窓からは白い砂と青い海が見えた。
僕は開けっぱなしの扉を通り、繋がっていた誰もいない居間を横切り、さらに別の扉を開けて外に出た。
建物の外観を見れば、僕が寝かされていたのは丸太で出来た小さな家だった。
一体ここは?
白い大地を歩きながら、何となく後ろを振り向くと誰かがいた。女性だった。
明るい金髪を三つ編みにして、グレーと青が混じり合ったような瞳を持つ女性が、摘んだばかりであろう野草を持って佇んでいた。
「あなたは? あなたがここに僕を運んだのですか?」
僕は丸太小屋を指差して、彼女に向かってそう尋ねた。
彼女は僕が起きてきたことに驚いていたようだが、すぐにそれを喜ぶかのような笑みを浮かべた。
「ええ。朝起きたら岸であなたが倒れていたので、他の人に手伝ってもらってここまでお運びしたんです。私の名はシレーネと申します」
本来であれば、僕は当然の礼儀として彼女に感謝を述べるべきだった。
けれども僕は彼女の言った事を聞いた瞬間、絶望という闇に突き落とされていた。
僕は死のうとしていた。でも死ねなかった。
愕然とした僕は砂浜に膝をつき、彼女にお礼を言うどころかこう吐いていた。
「どうして僕を助けたんだ! どうしてそのまま見殺しにしてくれなかったんだ!」
僕は柔らかな砂浜を叩いて叫んだ。叩いても全く痛くないことが、なおさら僕を惨めに感じさせた。
こぼれ落ちていくだけなのに、僕はさらさらとした砂を掴んだ。
すると急に、僕の体を何か柔らかく温かいもので覆うのを感じた。
清涼感のある薬草の匂い。
シレーネが僕のことを抱きしめていた。
「なぜそんなに死にたいと思うのですか?」
彼女の優しい声でそう問われた僕は、まるで子供に戻ってしまったようだった。
堰を切ったように泣き始め、今までの自分に起きたことを洗いざらい彼女に話していた。
子供を持てない体にさせられたこと、それに加えて家族の事……
また、王配といっても子供の事も含めて、僕は女王の真の伴侶ではなかった。
政治に関しても自分が意見することは絶対に許されず、黙って女王に従うだけ。
結局のところ、女王が子供をもつための飾りであり、国民を欺くためだけの存在だったということを家族の死で決定づけられた。
それなのに。
憎らしいはずなのに。大嫌いになりたいはずなのに。
それでも僕はまだ、不思議な事に女王を愛していると感じていた。
そしてもし、彼女からも愛しているという言葉を聞いてしまえば、僕は辛くても苦しくても、家族の仇であっても、彼女のそばにいたいと思ってしまうのだろう。
まるで抜きたくても抜けない釘が、心の奥底まで刺さっているのと変わりないというのに。
だからもう、こんな思いをするならいっそ全てを終わりにしたい、僕の逃げ道は死ぬ事しかないんだと彼女に漏らしていた。
「そんなことはないと思います」
シレーネは僕から体を離すと目をじっと見つめ、首を横に振った。
「死ぬ事ならいつでも出来るでしょう。今ではなくてもいいはずです。ここには私しか住んでいません。好きなだけいてかまわないので、別の方法はないのかもっと考えましょう」
彼女はそう言って微笑んだ。
僕はその言葉に再び泣いたが、結局彼女に甘えさせてもらうこととなった。
しばらくは本当に何もせずに丸一日ぼうっと海を見て過ごすだけだったが、彼女は何も言わなかった。
こんな厄介者を追い出すところか、置いてくれるなんて変わった女性だと僕は思った。
しかも彼女はどうやって生計を立てているのだろう。
僕がそう関心を寄せ始めると、ある事がわかった。
僕たちの家はどうやら漁村から少し離れた場所に位置しているらしい。
それは彼女の家に時折来る訪問者の様子で知った。
訪問者は病気をしていたり、痛みを緩和させるためにここに彼女の調合した薬をもらいにきているようだった。
彼女は薬を渡す代わりに、訪問者たちから食料や謝礼を得ていたのだ。
訪問者たちは見慣れない僕がいる事に少し驚いたようだが、シレーネは僕の秘密を守ってくれた。
彼女は僕の事を遠方に住んでいた兄だと訪問者たちに伝えていた。
次第に僕も、海を見ていても何も変わらないと、退屈さを覚えるようになっていた。
それに彼女の暮らしは決して裕福とは言えない。
せめて自分の食い扶持ぐらいは自分でどうにかしなければ、と僕は思いはじめた。
ちなみに僕は狩りに関しては得意だった。
彼女の家は森にも近かったため、僕は自分で武器を作り、狩りに出るようになった。
これは宮廷で行っていた優雅な戯れのおかげではなく、村に住んでいた頃、父から生きるために教えてもらったことの賜物だった。
父は村の中でも最も才能のある狩人で、僕に狩りの仕方から後処理まで全て教えてくれたのだ。
そうしたわけで、何かしらの獲物を取ってくれば彼女はとても嬉しそうに喜んでくれた。
「ここは漁村だから海産物はもらえるけど、新鮮なお肉はあまりもらえる事がないの。ありがとう」
シレーネは僕に感謝をした。
他の人から感謝されることは、もちろん今まではあった。
けれどもその瞬間、僕の心の中には急に光が差し込んだような感覚が芽生えた。
それ以降、僕にとっては彼女と過ごす時間は、どんな優れた書物に巡り会えた時よりも、美酒に酔えたときよりも、女王の快適な寝台で眠りに落ちていったときよりも、心地よいものへと変わっていった。
しかし、僕は一体これがなんであるかよくわかっていなかった。
今までこのような感情は抱いたことがなかったのだ。
また、この時点ですでに僕は、自分がこの先どうしたいのかと問われれば、こう思っていた。
もちろん、あの宮廷に戻りたいなんて思わない。
かと言って、行ってみたいところがあるかと聞かれたらそんなところはない。
確実に僕がしたいと今言い切れるのは……
これからもこのまま、シレーネと一緒に暮らしていければ良いのにということだった。




