#8 作法
帝国に奪われていた国土を取り戻した王国は、国境沿いで帝国軍と何度かやり合うものの、大きな戦いは当面の間、なくなった。
おかげで、我が103魔導砲隊は訓練以外にすることがなくなってしまったのである。
が、それで暇になるのかと思いきや、私はむしろ忙しい日々を送ることとなる。
どういうわけか、エレオノーレ様の思い付きで、ハンシュタイン公爵家の屋敷の中にて貴族の礼儀作法を習うこととなったからである。
「エーリッヒに付き添う者であれば、最低限の礼儀作法を覚えなくてはなりませんわね」
というエレオノーレ様の一言で始まった話だが、軍事と算術訓練以外、受けたことのない私がいきなり貴族の礼儀を覚えよ、というのである。無茶な話だ。
だけどどうして私が、礼儀作法を覚える必要がある? 疑問は尽きないが、魔導砲隊の方が暇になってしまった今、エレオノーレ様の提案を断る理由がない。
「ではまずは、挨拶の方法から教えますわね」
「はっ! よろしくお願いいたします!」
「……あのね、ここは軍隊じゃないんだから、敬礼じゃダメでしょ」
「さ、左様でございますか」
「と、その前にあなた、軍服着てるじゃない」
「はい、先ほどまで魔導砲隊のブリーフィングがありましたから」
「礼儀作法を教えるのに、軍服じゃダメだわ。ちょっと、ライザ!」
エレオノーレ様は、そばに控えるメイドを呼びつける。
「何でございましょう、エレオノーレ様」
「この娘のドレスがあったでしょう。それに着替えさせて」
「かしこまりました、エレオノーレ様」
そういうとライザというメイドは私の手を引いて、隣の部屋へと向かう。そこで軍服を脱ぐように言われ、その上からコルセットを着せられる。腰のあたりを、ぎゅっと縛り付ける。
「ちょっと胸が足りないわねぇ」
などと、このメイドは私に失礼なことを口走りながら、私の胸元に綿を詰め込み始める。
で、最後に赤いドレスを着せられる。
「うん、これで貴族令嬢と見間違えるほどの姿になれたわ。背と髪が短いのを除いては」
ライザがそういいながら、すぐまた隣の部屋へと戻っていく。赤いドレス姿の私を見たエレオノーレ様は、そんな私を見てこう仰せられる。
「髪の毛が短いから、まるで女装させられたおぼっちゃまのようね。でもまあ、いいわ」
相変わらずストレートに毒舌だな、このお方は。が、間髪入れずに礼儀作法とやらが始まる。
「さて、ハンナ。上位貴族への挨拶方法を教えるわよ。まずは、スカートのすそをこうつまんで」
「は、はい、つまみました」
「少し持ち上げながら、頭を下げつつ少ししゃがむの。こんな感じに」
「ええと……こうですか?」
「あなた、ちょっと頭が高いわね。もっと下げるのよ」
「は、はいっ!」
その状態を維持しながら、今度は口上を述べるよう言われる。
「この状態で、初めて会う貴族に対してはこう言うのよ。『これはこれはエーリッヒ様、お初にお目にかかり、恐悦至極にございます。私、エレオノーレ・フォン・ヴェルテンヴェルクと申します』と。さあ、相手をエーリッヒに、ご自分の名前で名乗ってごらんなさい」
「は、はい! 『これはこれはエーリッヒ様、お初にお目にかかり、恐悦しぎょくにございます。わ、私、私、ハンナ・ハルツェン二等兵と申します』」
「あのねぇ、軍隊じゃないんだから、階級は要らないの! それに噛まない!」
貴族とはかくも厳しい訓練を受けていたのかと、思い知らされる。初見での目上の方への挨拶一つとってもこれだ。この後、食事に誘われた時の受け方、断り方や、談笑の仕方など、徹底的に仕込まれる。
へとへとの身体なのに、その礼儀作法の訓練の後もエーリッヒ様とエレオノーレ様のベッドに呼ばれる。お二人がい・た・した後に、またいつものように身ぐるみはがされて、胸を触られながら眠るという日を過ごす。
「これはこれはリューベック大尉様、ご機嫌麗しく、恐悦至極にございます。私、ハンナ・ハルツェン、ただいま参りました」
で、翌日の訓練場で私は、昨日叩き込まれた礼儀作法を隊長相手にやる。軍服姿だからスカートの裾はないが、手を広げてつまんだようなふりをして、頭を下げつつ口上を述べる。当然、それを見た隊長は怒る。
「馬鹿か! 貴官は貴族令嬢にでもなったつもりか!」
「い、いえ隊長、エレオノーレ様より、しばらくは王国貴族流の作法で接せよとのお達しがあり、やむなくそうしているのでございます」
「そうだよ、僕がエレオノーレに頼んだんだ。しばらくの間、ハンナには貴族風に過ごしてもらうよ」
「は? あ、いえ、承知いたしました、エーリッヒ様」
とはいえ、計算尺をいじるときの私はいつも通りに戻る。今日は少し重い弾を撃ってみるとのことで、重めの弾頭が用意された。
「弾頭重量、1712タウゼ・シュレベ!」
随分と重い弾頭だなぁ。共鳴数が規定値を越えてしまうんじゃないか? 私は計算尺を滑らせて、共鳴数を計算する。
「共鳴数、18.22です! これは、基準値越えになります!」
17以下とされる基準を越えてしまった。が、エーリッヒ様は構わずこう答える。
「一撃だけでしょう。しかも、20秒を越えなければ大丈夫だよ。さ、撃ってみようか」
と、エーリッヒ様はおっしゃるので、そのまま続行となった。伝導石に触れるエーリッヒ様、指定時間にぱちんと音がして、ドーンと発射される。
発射角度は45度で、横風2ラーベ、向かい風3ラーベとほぼ無風だ。最大射程の15タウゼには届くだろう。
が、伝導石から手を離したエーリッヒ様が、立ち眩みを起こしたようにふらつく。隊長が慌ててエーリッヒ様を支える。
「ちょ、ちょっとめまいがするね、やっぱり、17秒越えはきついかも」
その間にも、魔導弾は飛翔を続ける。およそ18秒後には、エーリッヒ様をふらつかせるほどの魔力を蓄えた弾が着弾する。
「だんちゃーく、今!」
観測員の合図と同時に、パッと炎と煙が上がる。いつもより大きい。ということは、これはとてつもない衝撃波が到達するのでは?
案の定、その5秒後にはとんでもない風の壁が押し寄せてきた。全員、風よけ板の後ろに退避したものの、私だけは板ごと吹き飛ばされた。
「おい、大丈夫か!?」
駆けつけたのは、砲手のシュタウフェンベルグ少尉だ。土まみれになりひっくり返った私の手を取り、立ち上がるのを手助けしてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
おっと、そこですかさず私はまたスカートのすそを上げるようなしぐさで頭を下げつつ、こう述べる。
「此度はご助力いただき、感謝申し上げます、シュタウフェンベルグ少尉様」
「えっ、それ、俺にもやるの?」
「仕方がありません、ご命令ですから」
とまあ、軍隊生活と貴族の礼儀作法がごちゃごちゃになる生活が、しばらくの間続くこととなる。
「さて、今日からはダンスをやるわよ。まずは、簡単なダンスからね」
なんと、エレオノーレ様が私にダンスを覚えよと言ってきた。えっ、社交界に出るわけでもないのに、ダンスを踊るの?
「足の動きは、こうするの、まずすっと右足を前に出してつま先で降りて、くるりと回るのよ。それから……」
私は何を見せられているのだろうか。透明な殿方と手を携えた状態で、華麗に踊るエレオノーレ様は、信じられないほど軽やかな動きでワルツを踊る。
まさか、あれをやれとおっしゃるのか? 一通りの動きを見せられた後、私はエレオノーレ様と手を取り合い、早速そのワルツを踊り始める。
動きを覚えるために、まずはゆっくりと動いているのだが、どうにも足が定まらない。エレオノーレ様からは怒声が飛ぶ。
「ちょっと足を上げすぎ! もうちょっと下げるのよ!」
「ええと、俯角3度、0.3秒かけて下げればよろしいでしょうか?」
「なんだってあなた、いつもそう軍隊調なのよ」
もうちょっとなどとあいまいな言われ方より、仰角、俯角、秒数で指示してくれた方が分かりやすいから仕方がない。ただでさえきつい口調のエレオノーレ様が、私に厳しく指導を続ける。
それだけではない、夕食時には、テーブルマナーまで教えられる。いつものように、気軽な夕食ができなくなった。これもまた、エレオノーレ様に怒鳴られながら続ける。
その後、砲撃訓練とダンスや社交辞令の訓練とを交互に繰り返す日々が、なんと30日にもわたって続いた。
「1、2、3、4、はい!」
あれだけぎこちなかったワルツを踏めるようになってきていた。自然と、身体が動く。
おまけに、コルセットで毎日腰を締め付けているおかげか、なんだか腰も少しくびれて女らしい体形になった気がする。もっとも、胸は相変わらずまっ平なままだが。
「御館様、本日は夕食にお誘いいただき、恐悦至極にございます。私、ハンナ・ハルツェン、御館様のお心遣いに感謝の極みにございます」
「ほほう、貴族令嬢っぽくなってきたな。髪ももう少し伸ばせば、社交界に出しても大丈夫そうだな」
その日は礼儀作法の卒業試験とばかりに、なんとハンシュタイン公爵家の夕食に同席することになった。
グラスにはワインが少量注がれる。いつも以上に豪華な食事に、白いナフキンが置かれている。そのナフキンを首元に巻き、御館様を見る。
「さて、我がハンシュタイン公爵家の今後の繁栄を祈り、乾杯だ」
御館様に、次期当主となられるフュルスト様の姿もある。すでに正妻であり、元王族のアマーリエ様とご結婚されており、御館様の発生とともにワインのグラスを掲げている。私も、礼儀に従いワイングラスを掲げる。
この中では、私が一番背が低いな。当たり前か。食べているものが全く違う。こんな豪華なものを毎日口にしていれば、身体も胸も大きくなって当然だ。
「しかし、算術士に過ぎない平民をこの場に招き入れるとは、どのような意図でございますか?」
ところがだ、王族のアマーリエ様がいきなり、エーリッヒ様に辛辣な質問を投げかける。
が、エーリッヒ様は動じない。
「ただの算術士ではありませんよ。なにせ、僕の魔力値で魔導砲が放てるようになったのは、王国中探してようやく見つけた彼女の算術能力のおかげですから」
堂々と語るエーリッヒ様に、アマーリエ様が答える。
「いえ、咎めているわけではございませんわ。ハンシュタイン家らしい、実におおらかな一面が見えてむしろ微笑ましく感じております。ところでハンナ」
と、今度はアマーリエ様の矛先が、私に向けられる。
「はい、アマーリエ様」
「あなた、どうしてそれほど正確な計算ができるの? 聞けば、王国で随一というではありませんか」
「あの、なんと申し上げればよろしいのか……私……じゃない、私、計算尺の目盛りの間が、正確に読めるのでございます」
「その計算尺とやらを、私は寡聞にして存じませんが、確か、算術を行う上でとても重要な道具だとか」
「はい、帝国に奪われた故郷を取り戻すべく、鍛錬してまいりました」
「なるほどね。良い心がけだわ」
とまあ、何とも言えない和んだ雰囲気で夕食は終わる。いつも通り身を清めた後に寝室へと向かうと、エレオノーレ様が先にそこにいた。
「合格点かしら。王族だったアマーリエ様にあれほどはきはきと答えられるならば、申し分ないでしょう」
「は、はい」
「これであなたは、貴族社会のどこへ出してもどうにか乗り切れるだけの作法を身に付けましたわね」
「はい、エレオノーレ様のおかげです」
夕食会を終えて、エレオノーレ様から合格の一言をいただいた。この一か月ほどのあの苦労を思えば、感無量な一言である。
が、そんなエレオノーレ様が、こんなことを言い出す。
「そういえば、貴族の作法でたった一つ、教えていないことがありましたわね」
「えっ、まだ何か、あるのですか!?」
「ええ。まあでも、それはそのうち教えることになるでしょうから」
「あの……ちなみにどのような作法なのでございましょうか」
「夜伽よ」
ぎょっとする一言を私に放たれた。よ、夜伽って、つまりい・た・す際の作法ということ?
いや、それは教わらなくてもいいかな。この屋敷にいる限り、毎晩見させていただいているようなものですし。
しかし、だ。ひと月の間のこの多忙な礼儀作法の習得を終えて、思うことがある。
何のために、私は貴族作法を習うことになったのだ? その意図は、未だに分からないままである。