#2 試射
乗ったこともない豪華な馬車に乗せられて、二等兵の軍服姿のままの私はそのまま測定所をあとにする。
王都でも僻地にあるこの測定所から、馬車は王都の中心部へと向かっていく。一体、どこに行こうとしているのか?
「あ、あの……」
「なんだい?」
行先を聞こうと声を絞り出すも、あまりの緊張感に声が出ない。それを察したのか、青い目のエーリッヒ様はこう告げられる。
「ああ、今からどこに向かうのか、気になってるのかな?」
「は、はい、その通りでございます」
「僕のお屋敷だよ」
僕のお屋敷って……ちょっと待って、それってつまり、ハンシュタイン公爵家のお屋敷に向かっているということ?
なんだか、頭がくらくらしてきた。どうしよう、生きて帰れるのだろうか。軍服姿で、茶色く短い髪の毛のこんな女二等兵が、公爵家の屋敷の敷居をまたごうというのである。普通ならば、雇い人でもなければ叶わぬことだ。
しかし、馬車はまっすぐとラインベルク王国の王都アルトシュタットの中心部にある貴族、王族が集まる高貴な地域へと向かっている。外を見れば、今まで見たこともないほどの広く立派な屋敷が立ち並ぶのが見える。
つい今朝までは、いつも通り魔力の測定を終えてから大衆食堂で夕食を食べた後に、久しぶりに公衆浴場にでも立ち寄ろうかと思っていた。まさかその行き先が公爵家に変わるなんて、人生というものは一寸先すらわからぬものだと思い知らされる。
「お着きになりました、エーリッヒ様」
御者が馬車の扉を開く。するとエーリッヒ様はすっと立ち上がり、私に手を伸ばす。
「さ、着いたよ。降りよう」
手は差し出されたものの、私は軍服姿の、しかも二等兵だ。まさかご貴族様のお手に触れるわけにはいかない。その場で立ち上がり敬礼すると、その額に当てた手をエーリッヒ様は強引に握る。
「さて、御父上はどこにおられるかな?」
そのまま馬車を降りて門をくぐるや、私の手を引いたまま、エーリッヒ様は周囲にいるメイドに御父上の場所を尋ねる。お父上ってつまり、公爵家のご当主様ということになる。そのメイドも、軍服姿のみすぼらしい兵士の手を引くエーリッヒ様を怪訝そうな表情で見ながら、こう答える。
「御館様は今、執務室にいらっしゃるはずです、エーリッヒ様」
「そうか。急ぎ、伝えたい用件がある。すぐに伺うと伝えてくれ」
「はい、直ちに」
そういうと、メイドは小走りに屋敷内に入っていった。その後を、私はエーリッヒ様に引かれたまま連れていかれる。
玄関に入る。もはやこの玄関だけで軍の食堂並みの広さがあるのではないかと思うほどの豪華ぶりである。正面には大きな階段、その踊り場にはひげを生やし豪華な燕尾服を身にまとった大きな肖像画が掲げられている。多分、何代目かの肖像画なんだろうなぁと思いつつ、その肖像画のある階段を登らず、右方向へと向かう。
長い廊下に、いくつかの扉が並んでいる。そのうちの一つの前で止まると、エーリッヒ様はノックする。
「御父上、ただいま戻りました」
すると、両側の扉が一斉に開く。両脇には執事が立ち、その間の大きな机には、ひげを生やし刺しゅう入りの赤めの豪華な服に身を包んだお方がいる。私は再び手を引かれたまま、この公爵家の当主の前まで連れていかれる。
「どうした、エーリッヒ。急ぎの用件だと聞いたが?」
「それが御父上、僕の正確な魔力値が分かりました」
それを聞いたこのご当主様は立ち上がる。
「何、本当か!?」
「はい、7372マジルとのことです」
「随分と細かい数値だな」
「しかも三度測定して算術を行い、同じ数値がでたのです。間違いありません」
この高貴な親子の会話の中、私はどうしたらよいのかわからず、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。が、当然だが、場違いすぎる姿格好の私を見て、ご当主様はエーリッヒ様に尋ねる。
「ところで、この者は?」
「はい、彼女、ハルツェン二等兵が私の魔力値を測定し、算出してくれたのです」
「なんだと!?」
なんて驚きようだ。私、何か悪いことをしたのだろうか。膝ががくがくと震える。が、このご当主様から発された言葉は、意外なものだった。
「と、いうことは、ついに見つけたのか!」
「はい、この算術士ならば、可能かと」
何の話をしているのだろう。今一つ察しがつかないが、次の一言でようやく理解した。
「そうか、お前の魔力値と共鳴数を算出できる者を、やっと見つけることができたのか」
「はい、御父上、おっしゃる通りです」
「いや、実にめでたい話だ。やっとお前も、あのルスラン帝国どもを蹴散らす力を発揮できるというのだからな」
そうだ、そうだった。私は魔導砲の共鳴数を計算するために連れてこられたのだった。今ごろは、あの元・上官は必死に転属届を書いている頃だろう。
「となれば明日、早速行わねばならぬな」
「すでに軍には、試射の準備をお願いしております」
「うむ。これで我が王国にも、光が見えてきたというものだな」
そういうと、ご当主様は立ち上がって私の前に立つ。そしてこのご当主様は、なんと私の両手を握ってこう言いだした。
「我が家は代々、大魔導師を創出してきた家系だ。特に次男であるエーリッヒはかつてこの王国ではかつて経験のないほどの途方もない魔力値を持ち、正確な値すらわからぬままであった。ましてやそれを魔導砲に用いるための共鳴数の算出など、到底無理だと言われておった。魔力に恵まれたがゆえの悩ましい状況に、そなたは光を与えてくれた。わしは、期待しておるぞ」
「は、はい、び、微力ながら、精一杯奉仕いたします」
「ともかくじゃ、今夜はゆっくり休んでくれ。おい、ライザよ」
「はい、御館様」
「このハルツェン二等兵殿を、客室へお連れせよ」
「かしこまりました」
で、今度はそばにいたメイドに連れられて、私は部屋を出る。金髪で青い瞳のエーリッヒ様は、そんな私に手を振って見送っていた。
「さてと、それではまず、身体をきれいにいたしましょう」
「は?」
よく見ればここには、真っ白でやや大きめのバスタブが置かれている。そこに湯が注がれ、ライザというメイドは私の軍服をササッと脱がしていく。
あっという間に素っ裸にされた後、濡れた布地で身体中を拭かれた後、バスタブの中へ抱えられて放り込まれる。
熱過ぎず、ぬる過ぎずのちょうどよい湯加減だが、私の小さな胸が丸出しだ。それを、乾燥した長瓜でできたスポンジでゴシゴシとこすりつける。
頭には何やら泡状の洗剤のようなものをかけられ、ゴシゴシと洗われる。頭からお湯をかけられると、もう一つの用意された一回り小さめのバスタブに入れ替えさせられる。泡だらけとなった大きなバスタブは、部屋の外へと出されていく。
「どうだい、きれいになったかい?」
ところがである、その大きなバスタブと入れ替わりで、エーリッヒ様が現れた。私は敬礼しようにも、全裸である。まずはその乏しい胸を隠すのに必死だ。
「ええ、思ったより肌も髪の状態も良く、きれいになりましたよ」
「それはよかった。明日の魔導砲の試射実験では大いに頑張ってもらわないと困るからね。今日はゆっくりと休んでくれ」
「は、はい……」
にこにこと笑みを浮かべつつも、私はエーリッヒ様に全身をくまなく見られることとなった。しばらく湯の中にいたが、メイドのライザに引かれてバスタブから出ると、全身を拭きとられ、真っ白な衣装に身を包んだ。
ああ、なんて肌触りのいい服だろうか。こんな穏やかな気分になれたのも久しぶりだ。身体中にまとわりついていた汚れという汚れが、さっぱり落とされた。髪もサラサラだ。私って、こんなに柔らかい髪の毛をしていたのかと知る。
通された客室には、夕食が運ばれてくる。食べたことのないほどの柔らかな肉に、香辛料の味と香り、そしてオリーブ油のかけられた野菜類をいただいた。そして、いつも寝ているものとは程遠いほどの大きなベッドの上に寝ることとなる。
もしかしてこれは、夢じゃなかろうか? 明日、目が覚めたら、いつもの宿舎の狭い部屋の中にいて、いつも通り魔力測定所に向かうことになるんじゃないだろうか?
と、思いながら目覚めたその翌日。確かに私は、大きなベッドの上で寝ていた。そして、夜のうちにきれいにされた軍服をまとい、再びあの大きな馬車に乗り込む。
「あの、エーリッヒ様」
「なんだい?」
「これから、どちらに向かうのでしょうか」
「ああ、郊外の砲撃訓練場だよ」
砲撃訓練場。確か、私のいた魔力測定所から20タウゼ・ラーベ(キロ・メートル)離れたところにそういうものがあった記憶がある。
時折、砲声が聞こえてくるという認識の場所だったが、その場所に足を踏み入れることとなった。
馬車から降りると、私は唖然とした。
見たこともない巨砲が、そこには鎮座していた。
魔導砲だというのは、すぐにわかった。が、通常、魔導砲というのは馬一頭で引ける程度の大きさだ。
が、こいつは違う。人の三倍ほどの長さに、長身のエーリッヒ様の首元ほどの高さの口径、そして、巨大な尾栓に大きな伝導石。これを引くのに、馬が4頭必要だという。
通常の魔導砲がおもちゃに見えてくるほどの巨大ぶりだ。こんなものが、本当に撃てるのだろうか?
奥からは、先端が尖った真っ赤な砲弾が運ばれてくる。昇ったばかりの赤い月のような色ということで「ルナストーン」と呼ばれている鉱石を削って作られた砲弾。これに適量な魔力を込め、砲弾の後部に衝撃を与えると撃ち出される。そして放たれた先で砲弾が割れる際に、込められた魔力が一気に解放される。
それがすさまじい力となって、周囲を破壊する。ちなみにエーリッヒ様は水属性の魔力だそうだが、属性とは関係なく、猛烈な破壊力として魔力は作用する。
なお、そのルナストーンに与える最適な魔力の総量は、その人の魔力と「共鳴数」とで決まる。その共鳴数は、円周率の12倍に、砲弾質量を魔力値で割った値の平方根をかけた数値で、単位は「秒」だ。
つまり、共鳴数分の秒数だけ、魔力を込めればいい。その秒数はたいていダイヤルがついており、それが決められた秒数を正確に測り、共鳴数分の時間が経ったら、魔力伝導石と砲弾との間を切り離すのと、砲弾への衝撃を与える操作が同時に行われる。
この時の計算誤差が、だいたい±0.1秒程度と言われている。これ以上でも以下でも砲弾は共鳴せず、込められた魔力が空中に四散してしまい、炸裂しなくなる。
この共鳴数を正確に計算できるか否かが、正に魔導砲に力を与える。
しかし、まさかそれがこれほどまでに大きな魔導砲であったとは……いざ、目の前にすると、エーリッヒ様の持つ魔力の大きさを思い知らされる。
「一発目、測定! 1201タウゼ・シュレベ(キロ・グラム)!」
早速、詰め込まれる砲弾の重さが量られる。およそ1.2グロス(トン)のこの数値を、私はメモに書き留める。
目標までの距離は、およそ15タウゼ。ほぼ無風状態。ここからまず、砲の方位角を計算する。
「方位角、左右0度、仰角43度!」
続いて、共鳴数だ。砲弾の重さが1201タウゼ・シュレベで、魔力量が7372マジル。これを公式通りに計算すると、共鳴数が出る。
中途半端な目盛りの位置に、スケール線が止まる。が、その位置での値を読み取りメモに書き留め、算出した共鳴数を読み上げる。
「共鳴数、15.26!」
すると、その読み上げた数値を砲手がダイヤルに入力する。
「さて、いよいよ発射だ。果たして、君の算術精度はこの巨砲に通用するのかな? 楽しみだなぁ」
と、エーリッヒ様が私の顔をちらりと見る。にこやかな顔を浮かべるエーリッヒ様だが、この一撃に王国の勝敗がかかっている。だからだろうか、伝導石に触れた途端、それまでにこやかだったエーリッヒ様の表情は急に険しくなる。
ところで、魔導砲弾は前端部に先端が尖った砲弾が、その背面に炸薬用の円形のルナストーンが貼り付けられている。
この炸薬魔石で撃ち出し、その前部のルナストーンに蓄えられた魔力が着弾の衝撃で弾け、爆発する。
このため、炸薬に魔力を込めるために0.1秒分、共鳴数分の秒数に足される。その秒数だけ、魔導師は魔力を注ぎ込む。
私のはじき出した15.26プラス0.1秒後ちょうどに、ダイヤルがその伝導石をはじく。魔力供給をカットするためだ。と同時に、砲弾底部にばねによる衝撃が加わり、炸裂石を刺激する。
すると、ドーンという爆音を立てて、魔導砲が勢いよく火を噴いた。砲身の先から放たれた砲弾が、猛烈な速度で飛翔していく。
問題は、その飛翔の状態だ。共鳴数が少しでも違っていれば、飛翔する砲弾から魔力が漏れる。その場合、赤い煙のようなものが噴き出すはずだ。が、その砲弾からは撃ち出した際の衝撃で発生した煙以外は、漏れている様子はない。
成功、したのか?
「だんちゃーく、今!」
観測員が、弾着を知らせる号令をかける。すると、立てられていた標的である木造の砦が、一斉にして爆発する。
その爆発力たるや、これまで私が見てきた魔導砲の比ではなかった。強大な火球が現れたかと思えば、すさまじい衝撃波がその周辺の土や木々を吹き飛ばす。やがてその衝撃波は、この発射地点まで届く。
軍帽が吹き飛び、砂煙が上がる。想像以上の破壊力だ。身体を吹き飛ばされそうになる。私は地面に伏せて雑草にしがみつき、必死にその場にとどまる。
やがて、爆風が収まり、火球が消える。跡には標的だった木造の砦など跡形もなく、その付近には貴族の屋敷ほどの大きさのくぼみができていた。
そしてそれは、強大な魔導砲試射の成功を意味していた。
「やったぞ! 成功だ!」
そう叫ぶのは、ハンシュタイン公爵家のご当主様だ。土まみれになりながらも、息子のエーリッヒ様に抱き着いていた。
「まさか、これほどの威力になるなんて、さすがは最強の魔導砲だ!」
「いやあ、これは本当にすごい、一撃で敵を一気に壊滅できるぞ! 敵の魔導砲など、恐れるに足らずだ! アッハッハッハッ!」
隣国であるルスラン帝国は、強大な国家だ。近年、我がラインベルク王国への領土侵犯を度々行い、そのたびに迎え撃つも一進一退が続いている。
が、国力の差が大きく、徐々に国土を失いつつある。このままでは王都アルトシュタットすらも危ない。
しかし、だ。その切り札ともいうべき兵器を、王国はついに手に入れた。
「ようし、もう一発だ、もう一発行くぞ!」
なんと、もう一発撃てと、ご当主様は仰せになる。一撃だけではまぐれかもしれないからだという。確かにそう考えるのは当然だ。
再び、弾頭重量が量られ、装填される。発射角度、方角は同じ。しかし弾頭重量変化分だけ、共鳴数が変わる。
これをほぼ寸分たがわぬ精度で、算出しなくてはならない。私は計算尺を滑らせ、スケール軸の値を読む。
「共鳴数、15.23!」
その値が、すぐにダイヤルに反映される。すぐに魔力が込められ、ぱちんと弾く音が響いた。
と同時に、再び砲が火を噴く。
今度も、きれいに飛翔していく。先ほどのくぼみのど真ん中に向かって、弾頭が着弾する。
またもや猛烈な爆発と火球が発生する。数秒後には、また衝撃波が我々を襲う。さっきよりも小さな弾頭のはずだが、それでもすさまじい威力だ。
「2発目も成功だ! 偶然ではない、これなら兵器として使えるぞ!」
あれだけの衝撃波と土煙を食らいながら、あのご当主様はとんでもない喜びようだ。よほどこの試射の成功が嬉しいらしい。しかし、これは確かにとんでもない兵器だ。ルスラン帝国にも強烈な魔導砲を放つ魔導師がいると聞くが、それを上回る威力ではないか。
失われた国土が、そして私の故郷が、取り戻せるかもしれない。土まみれになりながらも、私の心の中にかつてない高揚感を覚えるのを感じた。