#14 社交界
お茶会など、比較にならないほどの豪華絢爛ぶりだ。
招かれたのは、王宮の広い敷地の中ほどにある「迎賓館」と呼ばれる広大な建屋だ。
ここは天井が、馬鹿みたいに高い。男爵家の屋敷なら縦に2、3個ほどすっぽり入りそうなほどの、とにかく途方もなくどでかい建物だ。
そんな場所に、高級な刺しゅう入りの燕尾服やドレスで着飾った、大勢の王族。貴族らが集う。
そもそも、私には誰が誰だかわからない。もちろん、私も多少は貴族令嬢の知り合いはできたが、一個大隊ほどの人数の王族、貴族を前に、その程度の知り合いなどごく一部だと分かる。
さすがは陛下がご臨席されるだけの催し物である。ご令嬢たちも、着ているものがいつもに比べれば一段上のものばかりだ。
選りすぐりの職人に作らせたであろうドレスを身にまとい、縦ロールがいくつも施された髪の毛に、手には貴重な水鳥の羽根で飾られた扇子を広げ口を覆いつつ、他の貴族令嬢やご当主と思しき方々と談笑している。
そんな中、私はいつもの赤いドレスだ。だいたい、私にはこれと軍服ぐらいしか着るものがない。今回は胸に詰め物をしておらず、髪も短く背も低いから、どこぞの女装した子供が紛れ込んだと思われているだろう。
といっても、すでにこの国で成人と言える年齢の私は、ワイングラスを片手に持たされたままエレオノーレ様のおそばで、身を隠すように立つしかなかった。
「ハンナ、何をおびえているのです。あなたはこの王国を救った英雄の一人なのですよ、もっと堂々としなさい」
いやあ、英雄といえばエーリッヒ様でしょう。肝心のそのエーリッヒ様はこの場にはおらず、広い会場のどこかに紛れてしまった。こんな貧相な身体で、およそ貴族令嬢たちとは程遠い姿の私など、誰が見向きなどするものか。
「あら、英雄さんじゃないの。何こんなところでこそこそしてるのかしら?」
ところがである、エレオノーレ様以外に唐突に私のことを「英雄」だと呼ぶお方が現れた。そんな酔狂なお嬢様とは一体、どこのどちら様なのか……と振り返ってみれば、エリザベート様だった。
ああそうか、そういえばこのお方も当然、参加されているんだ。しかも、ご令嬢というだけでなく、帝国の新兵器である飛行兵器を初めて落とした「英雄」としても参加しているのだ。
「こちらがその、算術士のハルツェンというものですか?」
「そうですわよ。私の魔力で、あの飛行兵器を叩き落とす知恵と算術を成したものですわ」
「それはそれは、なんと素晴らしいことでしょう」
この侯爵令嬢の周りに集まってきた、顔も知らないご令嬢たちの前で、私はエリザベート様から算術士として紹介される。それを見たエレオノーレ様は、やや不機嫌そうな顔をする。
「確かにその通りですけど、ハンナの最大の功績はエーリッヒの魔導砲による帝国の要塞や軽騎兵隊を完膚なきまでやっつけ、国土を取り戻したことでしょう!」
「あら、それはエーリッヒ様のご功績であって、エレオノーレ様の成したことではございませんですわよね?」
「私はエーリッヒの妻となる者であり、いずれ将来、王国を救うであろう強大な魔力を持った子を産み育てる覚悟でございますわ。なんなら、私にもその飛行兵器とやらが現れた際には、私の魔力で落としてごらんに入れますわ!」
急にギスギスとした空気に変わってきたぞ。エレオノーレ様とエリザベート様って、これほど仲が悪かったのか? 先日のお茶会では仲睦まじいご様子だったが、こういう場では自らの尊厳を誇示することが優先されるのが、貴族の矜持なのかもしれない。
「やあ、こんなところにいた。何をわめいているんだい?」
「あ、エーリッヒ。別に、わめいてなどいませんわよ」
「そうかい? 大声で敵を叩き落としてやる、みたいなことを今、叫んでなかったかい?」
「そ、それは貴族として王国を守り抜いてみせますと、その心意気を話したまでですわ」
よかった、ここでエーリッヒ様が割り込んできてくれたおかげで、空気が一変した。
「ところでハンナ、早速行こうか」
が、そんなエーリッヒ様が、私を誘う。
「エーリッヒ様、行くって、どこへでしょうか?」
「決まってるじゃないか。陛下のところだよ」
次の瞬間、背筋になにやらびりびりとした感覚が突っ走るのを感じた。と同時に、汗がどっと流れ出す。
「へへへ陛下、でございますか!?」
「何言ってるの、今日は君を陛下に紹介するための社交界でもあるんだから、当然でしょう」
「なななな何をおっしゃってるんですか、わ、私はただの算術士ですよ!?」
「ただの算術士じゃないから、こうして呼ばれてるんだよ。さ、行こう」
そう言いながら、エーリッヒ様は私の腕をつかむと、並みいる貴族らの間を抜けて奥の方へと向かう。
そこは一段高い段があって、大きな椅子が置かれている。あれはまさに国王陛下がお座りになるための玉座。そしてその玉座に、初老で大きな赤いマントと繊細な刺しゅうの施された服をまとったお方がいらっしゃった。
そのおそばには、やはり豪華な服をまとった王族、貴族らしきお方が何人も取り囲み、陛下と思しきその玉座の上のお方となにやら話をされている。そんな玉座の前へ、私はエーリッヒ様に腕を引かれて連れていかれる。
「陛下」
エーリッヒ様が、他の方々の間に割って入り、いきなり陛下をお呼びになる。
「おお、エーリッヒではないか。もしや、その者が?」
「はい、算術士のハンナ・ハルツェンでございます」
社交辞令も何もあったものじゃない、エーリッヒ様はいきなり陛下に私の名を告げる。私は慌ててスカートのすそをつまんで頭を下げ、挨拶をする。
「お、お初にお目にかかります、国王陛下。本日は、このような場にお招きいただき、恐悦至極にござい……」
まだ口上も言い終わらないうちに、なんと陛下は立ち上がり、私の両手を握った。
「いやあ、こんな小さな身体で、あの強国であるルスラン帝国の要塞を打ち破った算術を成し遂げるとは、まさしく愉快だ。この王国を守ってくれて、予は感謝するぞ」
へ? 私、今、もしかして国王陛下から感謝されているの? 単に計算尺を滑らせてるだけの、平民出身の娘ですよ? それが、我が国の頂点に立つお方から、手を握られて感謝されている。
「もし、この者が見つからなければ、僕の魔力を使いこなすことはままならず、国土を奪還することはかないませんでした」
「うむ、その通りであるな。奇跡的な組み合わせが、この王国の中で誕生した。ラインベルクの双璧、とでも呼ぶべき英雄たちに、予は改めて感謝するばかりだ」
そう国王陛下が述べられると、侍従の者よりワイングラスを受け取る。私も、その周辺にいる王族、貴族、そしてエーリッヒ様と私にも、赤いワインの入ったグラスが渡された。
「予は、帝国にかすめ取られた国土を回復したこの二人の英雄、『ラインベルクの双璧』の活躍を讃えるとともに、これからの王国の発展を祈念したい。皆の者、乾杯!」
「「乾杯っ!」」
そのワイングラスを、陛下のご発声とともに掲げる王族、貴族たち。私も慌ててグラスを掲げ、それを飲み干した。
なんだか、大変なことになってきたぞ。陛下から、私とエーリッヒ様のことを「ラインベルクの双璧」と大そうな二つ名を付けられてしまった。
それからが、大変である。
「まあ、なんて貧相な胸で可愛らしい娘かしら」
「ねえ、貧相なお胸の英雄さん、算術というのをやってみせてよ」
見知らぬ貴族令嬢らに囲まれて、なぜか私は好奇心を一身に集めることとなった。しかし、なんというか、貴族というのは平民に対し侮蔑的な枕詞をつけないといけないルールでもあるんだろうか?
「ええとですね、弾道計算の際はまず、正弦、余弦の計算をこのように行いまして……」
「へぇ~、手つきがとっても可愛いらしい~っ!」
こいつら、絶対算術のことなんて見てないだろう。私が持っていた計算尺を滑らせる様子を見て、きゃあきゃあ騒いでる。
「ですが、この程度のことであれば普通に算術を習えば、誰でもできることではありませんか?」
「ええ、まあ、そうなのですが……その、桁数の大きな計算をこれで行うには限界というものがあってですね……」
私がどうしてエーリッヒ様の算術士をしているのか、その理由の説明を試みるが、そもそも三角比も二乗根も対数目盛も知らない相手に、高精度な計算の難しさを伝えることなんてできなかった。
が、エーリッヒ様がすっと現れて、ご令嬢たちにこう一言、言い放った。
「要するにだ、僕のもつ膨大な魔力値を、魔導砲の設定値に変えることができる、王国で唯一の人物ということだ」
私のどんな言葉よりも、エーリッヒ様のこのひと言はここにいたご令嬢すべてに響いたようだ。さすがは公爵家の次男である。
「さすがは王国一の算術士ね。ねぇ、私にもその算術の技、教えてくださるかしら?」
ところがそんな中、とあるご令嬢が私の元に現れ、またしても算術を教えてくれと申し出てきた。
「は、はい、よろしいです」
ところがである、このご令嬢の手には、扇子ではなく計算尺がある。貴族令嬢の中で、計算尺を持つお方を見たのは初めてである。
「そうそう、名乗るのを忘れてましたわね。私、デイジー・フォン・ディルビッツと申しますの」
「私……いや、わたくしは……」
「エーリッヒ様の算術士でラインベルクの双璧の一人、ハンナ・ハルツェンでしょ? つい先ほど、陛下より紹介されていたではありませんか」
「その通りでございます、デイジー様。ところで、デイジー様はどうして計算尺をお持ちなのでしょう?」
「決まってるじゃない。私、魔力値が321あって、しかも魔導砲を扱うことができるの」
「はぁ、その魔力量であれば、中型の魔導砲までは扱えますね」
「で、私、自身で共鳴数と弾道計算をしておりますの」
「えっ、ご自身で、ご自身の魔導砲の算術をなされているのですか!?」
計算尺を持っている時点ですでに特異な方だと思っていたが、なんとこのお方、ご自身で魔導砲に必要な計算ができると言い出した。
「つまりあなたは、このスケール軸が差す、目盛りと目盛りの間、この対数値を正確に読み取ることができるのだと、そういうことなのですわよね?」
「はい、おっしゃる通りでございます」
「よくそんな不等間隔な値を、毎回正確に読み取ることができますわね。まさに、エーリッヒ様の魔導砲を扱える唯一の者だというのも納得ですわ」
貴族令嬢の中に、私の計算精度の高さの理由を理解できる人物がいるとは思いもしなかった。それからしばらくの間、ワイングラスと計算尺を握りながら、算術談義に花を咲かせる。
「なるほど……ここに目盛りが来たときは、0.71だとおっしゃるのですね。しかし、よくそこまで細かい値が読み取れますわね」
「コツがありまして、私の爪先の幅がだいたい対数目盛の0.12を示すので、それを目安に辺りをつけてですね……」
「いや、爪先が目安だなんて、無理でしょう。あなたやっぱり、どこか普通じゃありませんわね」
口調はちょっと悪いが、実によく算術を心得ていらっしゃる。下手な算術士よりも正確に、そして素早く計算ができる。それに、数多くの計算式も理解されている。並みのお方でないことは確かだ。
「まあ、デイジーではありませんか」
「これはこれは、エレオノーレ様」
「やはりというか、早速この娘に興味を抱いたのね」
「当然ですわ。並みの算術士ではないことも、目の前で見せてもらって実感していたところなのです」
エレオノーレ様とは顔馴染みのお方のようだ。エレオノーレ様が私にこう教えてくれた。
「デイジーはディルビッツ伯爵家の次女で、魔導砲使いの令嬢として有名なのよ」
「はぁ、そうなのですか?」
「貴族令嬢というだけで、普通の魔導砲隊はなかなか私の相手をしてくれませんの。せっかく魔力値が321もあると分かっていて、自由に魔導砲が使えないなんて不憫だと思いまして、それで自分で弾を込め、弾道計算や共鳴数を計算できるようになったのです」
「えっ、一人で魔導砲をすべてこなすのですか!?」
「私一人では、さすがに40タウゼ・シュレベを撃ち上げるのが精一杯ですわね。ですが、510ラーベ先まで放てるので、そこらの火薬大砲よりは飛びますわよ」
いやあ、そうだけど、ご令嬢が一人で40タウゼ・シュレベの重さの弾頭を抱えて、一人で計算してダイヤルを回し、魔導砲を放つお嬢様の姿が想像できない。
「だから言ったでしょう、デイジーは有名だと。それも、変わり者という理由で」
うん、さすがの私でもデイジー様は特異なお方だとよくわかった。社交界の場に計算尺を持ち込んでいる時点で、すでに他のご令嬢とは違う。
が、このお嬢様の変態ぶりは、そんなものではおさまらない。
「そうそう、もう一つ、デイジーには変わった趣味があるのよ。デイジー、ハンナに話して差し上げなさい」
「はい、エレオノーレ様。実は私、あのバーテンベルク遺跡の壁画の謎を、解明しようと思ってるの」
「えっ、あの壁画を?」
「そうよ。あれは絶対にとんでもない価値のあるものよ。現に帝国は、あれと同じような壁画を見て飛行兵器などを作ったんでしょう?」
「そうじゃないかと、軍司令部内では言われているようですと聞きましたが」
「そういえばデイジー、いつも私に話している、あの話をしてみなさい」
遺跡に興味があるというだけでも、貴族のご令嬢としては相当な変わり者だ。ましてや、魔導砲の計算をご自身でやるとは……しかし、デイジー様が次に語った話で、このお方の才女ぶりというか、ど変態ぶりが身に染みて理解できた。
「今こうして私たちは、算術を行うために計算尺を使ってるけど、いずれこれを越える機械が作り出されるわ」
突拍子もないことを言い出したが、でもまあ、技術というものはいずれ進歩するから、今よりも高精度な算術をこなす機械もいずれは作られるだろう。が、この方の発想が吹っ飛んでいると思ったのは、次の言葉を聞いたからだ。
「そして、その機械はいずれ、人の代わりに何かを考えたり、会話できたりするのよ」
この人、何を言っているのだろう。計算尺が機械仕掛けのように動くようになったとして、それが会話などできるものなのか? 私には、まったく理解できない。
「ね、言ったでしょ、変わり者だって」
「何をおっしゃいます、エレオノーレ様。あの壁画の一つに、機械と会話する人の姿が描かれているのですよ。あれこそが、この計算尺が発展し、到達した姿なのですわよ」
「はいはい、いつも聞かされてるから、分かってますわよ」
と、エレオノーレ様はそう返事なさるが、間違いなく信じていないな。が、私はその壁画に書かれたその会話する機械という話について伺う。
「あの、壁画に人と会話する機械があることは分かりました。が、なぜそれが計算尺の発達した先の姿だとお考えになるのでしょうか?」
「簡単よ。人の思考というものは、複雑な計算術の組み合わせによって生み出されているからよ」
「えっ? 人の思考が算術の組み合わせだと、そうおっしゃるのですか?」
「貴族社会を見てもわかるでしょう。何をやったら得になり、これをやったら損をする。人は知らず知らずのうちに頭の中で算術を行い、損得を判断している。貴族の令嬢同士の会話だって、損得勘定の末に作り出されたものばかりですわ。このお方に媚びを売っておけば自身にとって有利だろうとか、そんなことばかり考えている者であふれてますし」
発想が貴族らしいといえば貴族らしいが、人の損得勘定が算術の塊だと唱えたのは、このお方が初めてだ。
確かに、とんでもない変態だ。計算尺を常に使い続けている私でさえ、考えつかないことを言っている。
「でも、そんな機械とやらがすぐにできるわけでもないでしょうから、デイジーのいうことが本当かどうかなんてわからないわね」
「そんなことありませんわ! 遠い将来かもしれませんが、必ずそういう未来がやってまいります!」
とんでもない発想力のお方であることは、私は理解した。エレオノーレ様のおっしゃる通り、変わり者で有名というのもよくわかる。
が、なぜかその後も私は、このお方とよく話すようになった。計算尺を理解する者同士、話が合う。エレオノーレ様が後日、お茶会を開くことがあったが、二人で計算尺片手に算術談義で盛り上がることとなる。