#13 古代遺跡
「そういえば、奇妙な噂を耳にしたことがあるな」
何の脈絡もなく、突然、エーリッヒ様がそう言い出した。
「あの……何の話でしょうか?」
「帝国だよ。最近、おかしな兵器ばかり作られていないかい?」
「ええ、ですがそれはつまり、帝国ほどの国ならば、それだけ優れた技術者がいるのでしょう」
「それは違うと思うな」
「なぜ、そう言い切れます?」
「それほどの技術者なら、空を飛んだり、防御兵器を作る前に、もっと攻撃力のある兵器を作るはずだろう。長射程の魔導砲を作る方が、空を飛んだり、あんな重たい要塞にしか使えない魔力の壁を作り出したりするよりも、よっぽどか役に立つだろうに」
そうかもしれないが、単にそういう技術が開発されて採用されたというだけではないのだろうか。
と、この時はそう思っていたが、王国内では思わぬ騒ぎが起きていた。
「えっ、あの帝国軍の飛行兵器に似たものが、遺跡の壁画に描かれてると!?」
「王都からほど近いところにある、バーデンベルク湖の湖畔に、バーデンベルク遺跡と呼ばれる数万年前に作られたとされる遺跡がある。その壁画に描かれた絵には意味不明なものが多く、昔から何を描いたものなのか、何のためにそんな壁画が描かれたのかすら、さっぱり分からないものがたくさんあるんだ」
「で、その絵の一つに、あの飛行兵器とそっくりなものが描かれていたので?」
「ひょうたんのように膨らんだ形の袋状のものに吊るされた箱の中から、火であぶっている絵が描かれているんだそうだ。これまで、これは何かを調理している図なのだろうと推測されていたが、料理にしてはおかしな図だと、ずっと議論されていた。が、まさに帝国が送り出してきたのが、あの絵そのままの物体だと、その壁画を研究する者は述べている」
胡散臭い話だが、話だけを聞けば確かにあの飛行兵器そのものの形のように思える。ちょっと、見てみたくなる。
「と、いうわけで、その遺跡に行ってみようじゃないか」
ところがである、私がどうこう言う前に、エーリッヒ様が行こうと言い出した。
「あの、エーリッヒ様、行ってどうするんですか?」
「面白そうじゃないか。君だって気になってるんだろう?」
まるでこちらの心を見透かしたようなことをおっしゃる公爵家の次男とともに、私はその湖のほとりにあるという遺跡へ向かうことになった。
ハーデンベルク遺跡。ハーデンベルク湖のそばにあるから、そう名付けられたこの古代遺跡は、推定では数万年前からあるとされている。単に、5万年以上前の地層に空いた洞窟だから、というのが根拠だ。正確な年代は分かっていない。
しかしだ、数万年前から存在するにしては、信じられないほどきれいな絵が残されている。だから発見当初は、誰かが古い洞窟に落書きされたものだとされていた。
だが、それがあっさりと否定される。今の我々が持っている顔料では絶対に描けない絵であり、おまけに表面にはガラス状のもので覆われて保護されている。そんな技を絵に施すなど、今の我々には不可能だ。
実は、世界各地でこのような不可解な遺跡が見つかっていると聞く。つまり数万年前、ここには我々よりもずっと進んだ文明が存在したという仮説すらある。
とまあ、そこまでは私も何となく子供の頃に聞かされ、知っている話ではあるが、実際にその遺跡というものがどういうものなのかを目にしたことはない。
が、貴族のご子息の思い付きで、私はそれを目にする機会を得た。
「随分と、気味の悪い場所ですわね」
で、なぜかエレオノーレ様までついてきた。古代遺跡なんて見ても仕方がない、と言いながらも、エリザベート様が挙げた手柄にかかわる話でもあり、気になるらしい。
薄暗い洞窟は、たいまつで壁が照らされていた。広い壁面に描かれたその絵に、私は驚きを隠せない。
なんて精密な絵なのか。それは絵というより、図面といった方がよい。細い線で描かれた繊細な図が、所狭しと並んでいる。
絵だけではない。絵の下にはたいてい、文字のようなものが書かれている。が、その文字は我々には読めない。
「ここです、これが例の、飛行兵器にそっくりな絵と言われるものでございます」
案内人が、長い棒で指し示すその先に、問題の絵が描かれていた。ひょうたんをひっくり返したような形のものの下にぶら下げられた箱状のものから、炎が上がっている様子が描かれていた。
確かに、あの私が双眼鏡で見たルスラン帝国軍の飛行兵器にそっくりだ。いや、それ以上の気がかりなのは、その周りに描かれた絵だ。
そのすぐ脇には、まるで鳥のような羽根をもつ乗り物にまたがる人の絵が描かれている。その後ろからは、炎が噴き出している。案内人は、これは火薬大砲ではないかと言っていたが、どう見ても違う。
あれは間違いなく、何かを噴射しながら空を飛んでいる絵だ。現に、乗っている人は炎と反対方向を向いている。そのすぐ下には、馬がない馬車のような乗り物に乗る人や、大きな額縁に描かれた絵画を眺める大勢の人々の姿などがある。
我々では全く想像ができないが、それはきっと我々の技を越えた何かなのだろう。直感的に私は、そう感じる。さらに奥へと進むと、それはより不可思議な世界観を描いた壁画に変わる。
描かれているのは、どうやら星のようだ。無数の星の中に、真四角な物体が浮かんでいる。この図が何を表しているのか、研究者たちも頭を悩ませているようだ。しかもその下には、何やら精密な機械らしきものが描かれている。これが設計図面だということはなんとなくわかるのだが、どのような物質で作られ、どのような原理で動くものなのかすら分かっていないというのだ。
しかし、星の中に浮かぶこの乗り物。もしかして、星の世界に乗り出す船か何かではないか? 古代人は、空を越えて星の世界まで行っていた。そう考えてもおかしくはない。
「ただ一つ、分かっていることは、古代には我々よりも進んだ文明というものが存在し、何らかの理由でそれを持っていた人々が滅んだ、ということなのです」
研究者の一人でもあるこの案内人は、洞窟の奥の絵を指し示しながらそう結論付ける。確かに、我々ではそれが何を表している絵なのか、見当もつかないものばかりだ。
が、再び入り口目掛けて歩いているうちに、あの飛行兵器と似ているとされる絵柄の前を通り過ぎる。私はそこで、思わず足を止める。
「ん? どうしたんだい、ハンナ」
「いえ、ちょっと思いついたことがありまして……」
「思いついたって、何をさ」
「まさかとは思うのですが、帝国にも同じような壁画を持つ遺跡があり、その遺跡に描かれたものを解読し、再現したのではないか、ということです」
古代人の残したこの我々をも超越する文明の絵柄と、その下に書かれている古代文字をもし読み解くことができたなら、それは間違いなくこの世界の覇者となる可能性がある。帝国は国を挙げて、この古代文明の壁画から失われた技術をよみがえらせようとしているのではあるまいか。
そう言われてみれば、例の移動要塞のような絵柄も見つけることができた。長い棒の先から、板状のものに張られた糸のような絵柄。その下にはびっしりと古代文字で何かが書かれている。
この文字の解読はなされていないが、もしかしたら帝国ではその解読に成功し、それを具現化することができているのではないだろうか。
ここ王国では、この遺跡にある絵が古代の超越した文明のものだとは考えていない。器用な古代人が、思い付きで描いた絵柄なのだろう、というのが王国内での大半の人の理解だ。
が、この壁画の持つ価値に気付き、それを利用して覇権を握ろうとする者が現れたならば……つまり帝国は、その価値に気付いてしまったということではないのか。
となれば、この壁画に描かれた何かが、また現れるかもしれない。その時、我々は対処することができるのだろうか? 急に背筋が寒くなってきた。しかし、いくら目を凝らしてみたところで、そこに描かれた図の意味も、古代文字からも、何も読み取れない。
「我々、王国でも大急ぎであれを研究し、解読すべきではないでしょうか」
私は帰り際に、エーリッヒ様にそう進言してみた。
「それはちょっと、無理かな」
「なぜでございます?」
「文字の解読すらままならない上に、敵が目前に迫る中、そんな余裕はないだろう。それに、あれのすべてを帝国が解読し、再現できるとも思えない。そのために必要な技や技能、材料がそろっているとはとても言えないからね」
と、相変わらずの楽観視である。そんな調子で本当にいいのだろうか。私は不安になる。
「どのみち、帝国とは国の力において既に我らを凌駕しているのですわよ。そこに多少の新兵器が加わった程度で、我々の劣勢がより顕著になるとも思えませんわね」
エレオノーレ様ですらこの調子だ。が、私の不安はおさまらない。むしろ、不安は増すばかりだ。
「そんなことよりもハンナ、大事なことがあるのですよ」
そんな私の心配などよそに、急にエレオノーレ様がこんなことを言い出す。
「なんでしょうか、大事な事とは?」
「あなた、今度の社交界に出席するのですよ」
それを聞いた瞬間、さっきまでとは別の不安が沸き起こる。
「しゃ、社交界とは、貴族や王族、陛下も出席されるという、あの社交界でございますか!?」
「他にどんな社交界があるというのですか。当然、陛下もご臨席なさいますわよ」
「な、何ゆえ私が、社交界に!?」
「何を言っているのです。今やあなたは、この王国でも有名ですわよ。エーリッヒとともに、ラインベルク王国を救った英雄とまで呼ばれているのですから」
「え、英雄!?」
想像以上の評価が与えられてることに、私はただ呆然とするしかない。エーリッヒ様が英雄というのはよくわかる。が、私はそのわきで、ただ計算尺を滑らせているだけの平民だ。
そんな私が、なぜ英雄なのか?
いや、それ以前に、どうして平民の私が社交界に出席できるのか?
「いやあ、まさかこれほど早く社交界に連れていけるなんて、思ってもみなかったよ」
「陛下も興味津々でしたわよね。まさかこんな貧相な娘が、王国を救うことになるなどとはお思いにならなかったでしょう」
もはや遺跡どころではなくなってきた。とんでもない事態になったぞ。しかも、陛下が興味津々? もしかして私、国王陛下に謁見することになるの?
帰り道の揺れる馬車の中で、私の頭の中はぐるぐると回りだす。まさか、そのために私はあの礼儀作法を習わされたというのではあるまいな。思わずはめられたと、この二人を恨めしく思う。
が、当然、平民階級ごときの私が公爵家のご子息とそのご令嬢に逆らうことなどできようがない。その社交界は、一週間後だと聞かされる。
遺跡の見学などより、そっちを先に教えてほしかった。私の関心の先は、帝国が古代技術を発掘、再現していることへの脅威から、王族、貴族らが集う場に連れて行かれることへの脅威に移った。
が、エーリッヒ様もエレオノーレ様も、社交界に出ることに慣れきっているせいか、私に社交界参加の件を告げると、もう話題はさっきまでの遺跡の話に戻っている。もっとも、あそこに書かれている途方もない技術のことではなく、やれ暗くて居心地の悪い場所であったとか、変な模様ばかりでセンスがないとか、そんな話題ばかりだ。
社交界なんてしている暇があったら、あの遺跡の謎を解明すべきではないのか? しかもそんな社交界に平民の私を連れて行って何になるというのだ?




