2.パァが選ばれちゃったワケ
展開ちょっぱやエンカウント
ヘインシウス帝国を統治する皇帝陛下には現在、三人の御子がいる。
その中でも一番有名なのが長子にして世継ぎたるアウフスタ皇女―――――帝室特有の紫がかった銀髪に輝く金眼というド派手な色彩を持って生まれた圧の強い美少女を「わあ、芸術品が動いてる」みたいな好意的だが軽々し過ぎるくらいのノリで眺めていたパァことへロルフ・エッセリクは、室内に満ちる重々しい沈黙など意に介した様子もなくにこにこしていた。
「ヘインシウス帝国第一皇女、アウフスタ・ヘインシウスである。先に報せておいた通り、エッセリク家が第三子を我が婿にと貰い受けに来た………そなたがへロルフで間違いないな」
「はじめまして第一皇女殿下。お会い出来て光栄です、ヘロルフは僕で間違いないですね! 次期皇帝陛下の結婚相手としては致命的に間違ってそうですけども!!!」
場所はエッセリク伯爵邸、賓客をもてなすための場としては一等豪華な客室である。遠路遥々帝都から辺境と表現して差し支えないエッセリク領まで自ら婚約者を迎えに来たというアウフスタ皇女とへロルフの顔合わせは、この場に居ない当主以外は同席を許されなかったエッセリク家の面々および部屋が狭いからと追い出された皇女付きの者たちの心痛胃痛を裏切るかたちで始まった―――――というか、ぶっちゃけ急発進した。
不敬がぎっしりなヘロルフの言に、アウフスタ皇女は怒るでもなく愉快そうに目を細める。
「そなた、噂に違わぬようだな」
「殿下の仰る通りでしょうね!」
ご存じでしょうが僕はアホです! と笑顔で宣ったへロルフに、美少女もまた笑顔を返した。後者のそれはどちらかと言えば己の獲物を逃さんとする覇気に近い何かがあるものの、それを除けば雰囲気そのものは悪くない。むしろ穏やかである。
余談だが息子が早速やらかして伯爵の意識は彼方へ飛んだ。しかし皇女側からの叱責はない。どころか、皇女付きの侍女たちは揃って一時停止している。理由はアウフスタの表情の変化だ―――――ああ、かつてこの御方がこのように分かり易く目を光らせて異性を見ることがあったでしょうか、との驚愕に彼女たちは震え始めた。
何故なら稀代の天才と名高き皇女、アウフスタ・ヘインシウスは所謂『人間らしい感情などなく表情が変わることも滅多になければお約束のように人の心がわからない超人系』であったので、要するに人間味薄めのお人形じみたハイスペックパーフェクト皇女様からいきなり獲物を狙う覇王にクラスチェンジしたら驚かない方が無理って話だが外野を置き去りに会話は進む。
「良い。愛い。気に入った」
「アッパラパーを秒で気に入るとはお目が高いですね皇女殿下!」
「ふふ、本物だな。ますます良い」
「殿下はアホがお好みなんです?」
「少なくとも『そなた』は好ましい」
上機嫌と断定していい僅かにトーンを上げた声に、側仕えらしき妙齢の女たちがぎょっとした顔を主人に向けるが皇女はそれに取り合わない。
気に入った、という言葉には嘘偽りなどないだろう。頭がパァのへロルフには裏表というものがなく、同時にそれを嗅ぎ取る感性も他よりいくらか優れていた。つまりは馬鹿にされていれば分かるし好意は正しく好意と受け取る。
アウフスタのそれは後者である、とへロルフは直感で理解した。
「言っておくが、なにも私の好みだけでそなたを婿にとるわけではない」
「アホを婿にするメリットあります? 割とマジで頭がパァですけども」
「アホ、というかその稀有極まる精神性こそが好ましいのだが………そうだな、うむ。少しだけ、政治的な話をするとしよう」
そうしてアウフスタ・ヘインシウスが淡々と語り出したのは―――――完璧超人過ぎた皇女殿下のざっくりした男性遍歴である。
「最初の『婚約者』は公爵家の者。家柄、能力、容姿、為人、どれをとっても非の打ち所がない優秀な人材だったのだが………気配りに長けていただけに、少々、背負い過ぎたのだろう。婚約して一年が過ぎた頃、『完璧で在り続ける貴女の隣に相応しい完璧な配偶者として生きていく自信がありません』と心身を壊して去っていった」
「なるほど、最初の婚約者さんは頑張り屋さんだったんですねえ―――――その人の後釜がこんなアホじゃ駄目だと思いますよ僕」
たぶんめちゃくちゃ優秀だったのにそれでも自らの能力不足を悔いて婚約者を辞退した愛国者の後釜がこんなアッパラパーじゃ駄目でしょ流石に、と真顔で言ってのけるへロルフに、しかし皇女は首を振った。
「いや、彼の後釜になった二番目の婚約者は隣国の王子だ。足場を固める意味合いでなら自国内の相手が望ましかったが友好国との結び付きを強固にするのも悪くない、と第三王子を婿に迎える方向で調整したのだが………婚約して半年後に身罷った」
「それはお悔やみを申し上げます」
アホでも馬鹿でもそういうことは間違えないへロルフが口にした台詞にアウフスタは緩く微笑んで、しかし首を横に振る。
「出会ったばかりではあるが、これから連れ添うそなたには早めに真実を告げておこう―――――奴がこの世から退場したのは婿入りに乗じて我が帝国の乗っ取りを画策していたことが早々に露見した結果に他ならぬ。あんな粗末な企みで他所の国家の簒奪を目論むとは能無しもいいところであった………パァでもアホでも裏のない素直を極めたそなたの方がよほど好ましいと私は思う」
「僕が言うのもアレなんですけど極端過ぎません? 一人目と二人目」
「否定はしない。そして次の婚約者だが―――――それがそなただ、ヘロルフ・エッセリク」
「三人目でパァが起用されるってどういうことなんですかね祖国」
「うむ。疑問はもっともである」
マジで分からんどういうこと、と言わんばかりに口を滑らせるバカ息子の頭に慌てて一撃入れる伯爵だが皇女殿下は寛大だったので普通にスルーされていた。むしろよくぞ言ってくれたといわんばかりの寛容さでうむうむと頷いている。なおここまでずっとこのお見合いを見守っていた帝国側の大人たちは「おっとやっぱりこのふたり確実にこの上ないくらい相性も雰囲気もいいぞ」と確かな手応えを感じていた―――――パァと相性がいい次期女帝って大丈夫なのかなとは誰一人思っていないあたり相当だけども。
「無論、候補者は多くいたとも。公爵家、侯爵家、辺境伯家、王家と縁のある伯爵家―――――しかし婚約を打診した先から誰も彼もが辞退した。たった一人の例外もなく、なんと断りの文言までもがまったく同じものだった」
「もしやみなさま皇女殿下が美人過ぎて結婚生活ちょっと無理ですとかそんなシャイな感じです?」
「違う。が、そなたの発言は誉め言葉として受け取ろう。彼らはな、皆一様に口を揃えてこう言うのだよ―――――『バルケネンデ公爵令息ほどの御方が辞退されたお役目など自分にはとても務まりません』とな」
「えーと、バルケネンデ公爵令息というと………話の流れ的に最初の婚約者だったとかいう方です? 頑張り屋さんの」
「そうだ」
「なるほどー、それはそれはなんとも………ところでお断りの文言ってまったく同じだったんですか? 上位貴族家でテンプレートでも出回ってるんですかねえ」
「気にするところはそこなのか」
「皇女殿下は気になりません?」
「気になってきた。調べるとしよう―――――結果を一緒に聞くかね、ヘロルフ」
「いいんですか? ぜひお願いします!」
パッパラパー、みたな効果音さえ聞こえてきそうな呑気な笑顔で喜ぶヘロルフを眺める皇女の視線の柔らかく温いこと、今の気の抜ける問答でパァが次期女帝にお持ち帰りされることが確定したことを悟った伯爵の血の気が引いた。本当にこんなアホで大丈夫ですかとのアイコンタクトが帝室側の使用人に飛ぶが相手の方はただ力強く縦に頷くばかりである―――――最早、後戻りは出来ない。
「ああ、話の途中だったな。すまぬ。続けるとしよう―――――要するに、最初の婚約者が優秀過ぎたのだ。あの天才で務まらぬ国婿など自分には荷が重くてとてもとても、と候補者だった者たちは軒並み及び腰な有様でな………一向に伴侶の決まらぬ身としては皇帝の座すら弟妹に譲っても構わんと思っているのだが、周囲の期待が大きいばかりにそれは認められなんだ。次代の女帝として国を治め、優れた後継ぎを設けよと―――――伯爵位以上の貴族であれば相手はこの際誰でもいいと、そうしてそなたに行き着いた」
最初の婚約者のように気負い過ぎて繊細になることもなく、二人目の婚約者のように馬鹿げた野心を抱くこともなく、辞退が相次いだ候補者たちのように逃げ出したりしないメンタルを持ち―――――傀儡のように都合の良い、図太く健康な理想の種馬。
「ああ、なるほど。そう考えると僕みたいなアホは適任ですね。背負い込み過ぎとか謀略とか野心とかストレスとか無縁ですし。パァだけに」
「うむ。演技ではなく心からそれを言えるそなたが好ましい。打算も野心も裏表さえそなたという個には存在しないという奇跡を私は歓迎する。そういう事情だ、へロルフ・エッセリク―――――我が伴侶となり世継ぎを設けよ。この決定、最早覆らぬ。お役目から逃げること相成らぬ。そなたはこれより私とともに帝都の宮殿で一生を過ごす………生家の敷居は二度と跨げぬ。恨むなら私一人を恨め」
人の心が分からない、とまで噂される皇女が田舎貴族の三男相手にここまで真摯に向き合っているという事実に帝国民である面々は激しく胸を打たれたが、へロルフはさして変わらなかった。感動もなく、感謝もなく、ただ目の前の未来の伴侶に向かって彼は普通に「恨みませんけど」と答えてさらっと言葉を付け足す。
「皇女殿下を愛しちゃダメです?」
「構わんが。さては無敵かそなた」
「向かうところ敵無しの種馬です」
大真面目にふざけたことを言うへロルフに皆が唖然とする中で、アウフスタだけが愉快そうに呵々と声を上げて笑った。
最も尊き皇女殿下と最たる阿呆はこうして出会い、舞台は帝都へと移る―――――このアッパラパーを領地から出して本当に大丈夫なんだろうか、というエッセリク伯爵の懸念と胃痛は残念ながら置き去りだった。
次回予告かもしれないメモ
「パァ、テイクアウトされた」




