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英雄譚と神話

 あれから江真(えま)泰守(やすもり)は、ひと気の少ない路地裏に辿り着いた。さっそく泰守は携帯電話を手に取り、玲玖(れく)の居場所を特定する。

「なるほど……木は森に隠せとはよく言ったものだな」

「どこにあったんだ? 奴の拠点は……」

「ビル街のど真ん中だ」

 彼は江真に、携帯電話の画面を見せた。そこには地図が表示されており、発信機の場所を示す赤い印がある。これで一先ず、玲玖の事務所は特定できたといったところだろう。

「玲玖にとって、実名と拠点を我々に握られているのは痛手だろうな。これを交渉材料に、私が玲玖と話をつけてこよう」

 江真はそう言ったが、それは泰守の計画していることではない。

「この期に及んで、お前はアイツに話し合いが通用すると思ってるのか? 俺はアイツの拠点に、奇襲を仕掛ける。大義のためには、奪わなければならない命もあるんだ」

 そう語った彼は、並々ならぬ覚悟を宿した目をしていた。一方で、江真は殺生を望んでいない。例え裏社会の帝王が相手であっても、彼女は平和的解決を望んでいる。

「玲玖だって人間だ。そして奴は、私と言葉を交わすことが出来る。奴を討つのは、私が交渉を試みてからでも遅くはない!」

 今まで、江真はあの女を説き伏せることに失敗してきた。しかし今回は、交渉材料となる情報が揃っている。説得で事を片付ける試みは、決して無価値ではないだろう。それでも泰守は、首を縦には振らない。

「奴はまだ、己の拠点が洗われていることを知らない。だがお前が交渉を試みることで、奴はその事実に気づくだろう。真っ先に攻撃を仕掛けなければ、奇襲は意味を成さない」

 それが彼の答えだ。相手を殺めることなく全てを丸く収められるのであれば、それが最善だ。しかし玲玖の首を取ることは、より確実に物事を解決に導くだろう。さりとて、ここで己の正義を諦める江真ではない。

「それでも、私は殺生には反対する! 道を踏み違えた者こそが、真に救いを必要としているんだ!」

 もはや彼女にとっては、悪人さえも救済すべき者の一人だ。そんな彼女を嘲るような笑みを零し、泰守は言う。

「お前は優しいなぁ、江真。そして、卑怯者だ。お前は自らの手を汚したくないが、玲玖を邪魔に思っている」

 それはまるで、彼女の人間性を見透かしたような物言いだった。当然、江真は彼の言い分に反発する。

「そ……そんなことはない! 確かに、玲玖がいなければ、私はここまで迷わずに済んだだろう! だけど、だけど……」

「だけど、なんだ?」

「だけど、私が奴の死を望んだことはない!」

 そんな思いを口にした彼女の目には、一切の曇りがない。その言葉は紛れもなく、彼女自身の本心だ。そして、その本心は泰守からしてみれば、未熟でしかない。

「お前の理念のもとでは、何も成せないさ……江真」

「なんだと……!」

「これだけは覚えておきな、お嬢さん。英雄ってモンはさぁ、悪から生まれるんだよ。犠牲を伴うことを厭わず、半端な手段を過信しない……そんな悪だけが英雄になれるんだよ。大義ってモンは、自己犠牲だけでは事足りないコストを要するってわけだ」

 英雄は悪から生じる――それが彼の哲学だ。そんな彼を睨みつけ、江真は気迫を込めた声を張り上げる。

「そんなものは、英雄とは呼べない! 誰かを排除することではなく、誰もを慈しむ心を以てして英雄は生まれるんだ!」

 その迫力に圧倒されることもなく、泰守は依然として笑っている。彼を前にして、江真の掲げる理想はいかなる意味も持たないようだ。

「清廉潔白な聖人君子が成功するのは英雄譚の中じゃない、神話の中だ。自らが神話のような救世主になれるなどと、思い上がらない方が良い」

 そう言い残した彼は彼女に背を向け、その場を後にした。

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