8.頼もしい協力者たち
「おかえりなさいませ、マティアス様」
「ただいま。……カーチェはいないんだね?」
男子寮棟の自室に戻ったマルティエナは、聞き慣れているメイドの第一声がないことに首を傾げる。
「取寄せていた茶葉が先ほど届いたとのことで、受取りに行っています」
「ああ、そっか」
ネクタイを緩めて一息つくと、学院の紋章が刻まれた灰白色の鈍い艶のあるボタンへと手をかける。
抜いだジャケットを手渡したマルティエナは「丁度良かった」と確認しておくべきことを口にした。
「使用人の間でカーチェの評判はどうなってるかな?」
「極めて良好ですよ。彼女の人柄も影響していると思いますが、どなたも好意的です」
「手をだそうとする愚か者はいない?」
「私の方で少々お声がけしておきました」
なるほど、いたらしい。
単に声をかける程度の生易しいものではないだろう。深くは聞かずにマルティエナは先を急ぐ。
「それって、フォディール伯爵家の使用人?」
「いえ。どこぞの男爵家が学院入学に際して雇った者でしたが、いかがなさいましたか」
「手を出してこないとは思うけど、一応様子を見ておいてね」
それだけで悟ったらしいエルジオは瞼を閉じて首を振る。
優秀な次期伯爵の右腕となる従者をと、父が直々に選び抜いたエルジオはまだ若いながらも才能に溢れている。特段長けているのはすんなりと人の心に入り込む術だろう。残念ながら、兄の心の機微を悟ることは難しかったようだが。
貴族の情報を掴むには使用人から。貴族を動かすための下準備も使用人から。名の馳せる貴族ほど、使用人の質が高いものだ。
そのあたりのことを画策してこなせるエルジオは、この学院にきてからも動き回ってくれている。
ちなみにカーチェはこちらの秘したい情報を何一つ漏らさずに、無意識の内に相手から引き出してくれるので天性の才能だろう。
「エルジオ自身はどう?」
「問題ありません。先日は第二王子殿下に仕えるお方とも親しくなりましたよ」
「へえ! それは凄いね!」
父に連絡をすればさぞ喜びになるだろう。そう思ったマルティナは口元を手で覆って、深い溜息を残した。
「ごめんね、エルジオ。私は殿下とは親しくなれなさそうな気がする」
エルジオの努力を無駄にしてしまう。線引きされるような行いをした自覚はないが、直感は割と大事だ。
今後も無理に話しかけずに挨拶だけの間柄でいるほうが得策だろう。
「第二王子殿下の従者の話では、マティアス様を人となりが良く勤勉な方だと褒めていらしたようですよ」
「そうなの? けれど、今日は色々とあったからね……どうかな……」
言い淀むマルティエナの姿を目にしたエルジオは方眉を引き上げた。
(マルティエナ様にしては、珍しいな)
周囲に流されずにマイペースを貫いていたマティアスに倣って、マルティエナも似た傾向があった。マティアスの代わりを務めてからは思い悩む姿も増えてはいたが、今日ほどではなかったように思う。
「聞き流してくれて構いませんが、貴女様の場合は悩み過ぎずに、その時々の感覚を大事にされたほうが上手くいかれると思いますよ。先は長いですからね」
「そうだね。その辺はやっぱり、お兄様に託すことにするよ」
流れ落ちた前髪を掬って横に流すマルティエナの瞳は、それでも少し陰っている。内心では負けず嫌いな一面が強い彼女には悔しい結論のようだ。
そろそろ戻ってこないだろうか、とエルジオが扉へと視線を投げたところで、タイミング良くノックの音が鳴った。
「ただいま戻りました! ご主人様、お疲れさまです。素晴らしい試験結果でしたね! 私、もう感動いたしました〜。今日届いた茶葉は以前ご主人様がお気に召した品なのですよ。さっそくご用意いたしますね」
「おかえり、カーチェ。嬉しいよ、いつもありがとうね」
戻ってくるなり怒涛のように挨拶と称賛を送った彼女は通常運転だ。そんな彼女に応えるマルティエナは先ほどまでの表情が嘘のように晴れ晴れとしていて。
彼女が居てくれて良かった、とエルジオはしみじみと思うのだった。