7.不思議な魅力に囚われて
試験明け初日の講義を終えたマルティエナは、教師の個人研究室が連なる棟に来ていた。
失点となった論述形式の問答について尋ねるためだ。
講義の合間にカストやクレイグと問題の見直しや講義の振り返りをしていたが、あと一押しが足りなくて納得のいく解釈が出来ないでいた。
ちなみにクレイグは論述形式の問題を簡潔に終わらせたことが得点を下げる大きな要因だった。
明らかに配点の大きい難解な問題に先に手をつけては時間が足りなくなる。かといって後回しにして他の問題に手こずってしまうと、頭を割く時間すら残らない。
思考を止めることなく解答を書き込んでいかなければ、全てを終わらせることはできない。満点をとらせる気などない。どの科目もそんな試験だった。
今後始まる魔法学に多大な影響を及ぼす今回の試験は、学力の他にも理解力や判断力、適応力も見られていたのではないだろうか。
目的の教師の研究室に向かう廊下をひたすらに歩く。
学年毎に試験期間がずれているためか、今日すれ違う学生はマルティエナと同じ一年生が多い。日頃から教師の元へ足を運ぶ熱心な学生はちらほらいたが、この様子では教師陣は休む暇もなさそうだ。
(話を伺える時間があればいいんだけど、人が多そうなら明日にしようかな……)
先に研究資料館で関連する図書を探していたマルティエナは、真っ先にここに足を運んだ学生よりも出遅れている。
解答用紙が返却された初日から人の出入りが多いとは思わなかったのだ。
突き当たりの廊下を右に曲がれば目的地につく。
さてさて、どのくらいの人が待機しているだろうかと思っていると、丁度用事を終えて出てきた学生がその姿を現した。
また距離があることをいいことにマルティエナは顔を顰める。
対して、相手方は鼻歌混じりの上機嫌だ。
「やあやあ! オーレン君、久しぶり。なかなか話しかけてくれないから嫌われてるのかと思ったよ」
普段は会話らしい会話をしないマルティエナにも話しかけるほどのことがあったらしい。
愛想笑いを浮かべたマルティエナは、人当たりの良い声音で思ったまま口にする。
「久しぶりといっても挨拶はしていたけどね、クラタナス君。そう思われてしまったのが不思議だけれど、そう感じているということは嫌われるような何かをした覚えがあるのかな?」
「別に?? 俺馬鹿は嫌いなんだよね~」
「そう。私も人を見下す人は好きにはなれないかな。……ああ、もちろん君のことではないから安心して」
内容が聞こえない者から見れば、仲良く雑談をしているように見えるだろう。実際は火花が散っているのだが、ネヴィルはそれすら楽しそうに瞳を歪ませている。
もちろん、マルティエナは微塵も楽しくない。
ネヴィルは兄であろうユーマという人物が余程忘れられないとみた。再会できたことを喜んだのに、実際はユーマとは雲泥の差がある他人だと落胆して、事あるごとに小馬鹿にした表情を向けてくる。
マルティエナは自分を見下すネヴィルが気に食わない。結局のところネヴィルは本当の兄を評価しているのだけれど、秀でた兄の代わりになると決めた以上は、マルティエナがなりすましている『マティアス・オーレン』も優秀だと認めてもらいたいのだ。
「それにしても、クラタナス君もベルトラン先生に用事だったんだね」
「そんなところ〜。俺の完璧な答案の何処に失点を付けたのか聞きにきたわけよ」
「もしかして二つ目の論述問題? 科目外の知識も豊富じゃないと厳しかったよね。私もそこを尋ねにきたんだ」
「そうそう。まあ俺は尋ねにきたんじゃなくて、解釈の違いで俺の解答は正しいって証明をしてきたんだけどね〜」
「……へえ、さすがだね。尊敬するよ、クラタナス君」
大陸一の学院教師の採点よりも自分が正しいと思える自信とそれを裏付ける知識はどこから生まれたのだろうか。
兄に対しても同様に疑問だったが、同じ年数を生きてきたとは思えない。
第二王子は国内屈指の英才教育に見合った努力の末だと分かるが、カストは平民用の学校があるとはいえ、それらは極々一般的な知識を学ぶ場が殆ど。あの博識の所以も謎だ。
素直に賞賛できないマルティエナが告げたありきたりな世辞にも嬉々としたネヴィルと別れると、待ち人のいない研究室の扉を叩いた――
◇◇◇
「お時間をいただき、ありがとうございました」
深々と礼をしてから研究室を去る。
再び長い廊下を歩き出すと、視界の奥の突き当たりから歩いてくる女子学生の姿に感嘆が漏れた。
窓から差し込む、沈みかけた夕暮れの日差しを一身に受ける少女。
歩調に合わせて柔らかく浮かび上がるストロベリーブロンドの髪が輝く橙に染まる。
ただ歩いているだけ。それなのに、絵画の一枚として留めておきたくなるような静寂に満ちた輝き。
けれども本人にそんな自覚はないらしい。
「マティアス君!! 試験お疲れさま」
こちらに気づくなり、にっこりと笑んで小走りで駆け寄ってくる。その可愛らしい姿にマルティエナも目を細めて微笑んだ。
「お疲れ様、エレノアさん」
――エレノア・シュネヴィオール。それが彼女の名だ。
商家の彼女の両親は成功した事業が国への貢献も大きかったことから子爵位を授かり、数年前に貴族の仲間入りをしたらしい。
貴族に必要な振る舞いもそれなりに備わっている彼女は前向きで純真な性格のようで、花びらが舞っているような華やかさがある。人見知りもしないようで誰とでも仲良く過ごしている姿を目にしてきた。
それに、人一倍努力家だ。国の守護を司る魔法士団への入団を目標にしている彼女は頻繁に教師の個人研究室や研究資料館に出入りしていて、道すがら顔を合わせることも多い。
その度に一言二言会話を交わしていたマルティエナは、今では名前で呼び合う仲になっていた。
「ここにいるってことは、マティアス君もベルトラン先生に会いにきたの?」
「うん、あの二つ目の論述問題が今一つ理解できなくてね。先生にヒントをもらえたから、また考え直してみるよ」
「私もそこを聞きたかったの。実は最初にここに来たんだけどね? ネヴィル君が先生と話し合うって意気込んでいたから、私は他の先生に会ってから戻ってきたんだけど……マティアス君がいたってことはネヴィル君の用も終わったみたいね」
抱えていた教科書で口元を隠してクスクスと笑うエレノアは、同性のマルティエナからみても可愛らしい。
「私もクラタナス君と会ったけれど、とても気分が良さそうだったよ」
「それなら点数をもらえたのかな? もしかしたら全科目満点!? すごいなぁ、尊敬しちゃう」
いつの間にか手が伸びていた。
はにかむエレノアのほつれた横髪を指先で掬って、力を籠めずに透いていく。
「マ、マティアス君!?」
見上げられた瞳が瞬く。
温かな陽光で金色に輝く瑞々しい葉の、颯爽とした黄緑の瞳はエレノアの魅力を引き立たせる。
「ごめんね? 風で少し乱れていたから。もう大丈夫だよ」
額を覆う前髪を梳くように数回撫でたマルティエナは、背の低いエレノアに合わせるためにほんの少し屈む。
彼女の不思議と目を引く魅力はなんなのだろうか。「ありがとう」と頬を染めながら微笑んだエレノアに別れを告げたマルティエナは、会うたびに感じる疑問を今日も考えた。