21.積もり積もった情の名は、
「マルティエナちゃんってさ〜、社交シーズンはずっと王都いる? というか、シーズン後は領地に戻る?」
今日の空気は爽やかだよ、とクレイグが話すので、マルティエナは彼と二人で開けた窓の前に立っていた。
広大な自然が広がる領地とは違う王都の街並み。
ここら一帯は戸建の貴族の邸が並んでいるので建物同士に少々距離があるが、その間からは更に奥の建物が覗いている。
隙間を縫うようにして流れてきたであろう細い風には、ほんのりと新緑の香りが混ざっていた。
新たな命が芽吹き始めているのだろう。
それでもまだ風は冷たく、開放した窓を半分締める。
「お兄様達と供に帰ろうと思っていましたが、今は悩んでいます。先生が仕事の紹介もできると仰ってくださったので、良いご縁があればと思いまして」
「へえ! 女学院でもそういうのあるんだ?」
「人手のいる書類整理や書記、受付といった補助的なものばかりですが、募集の案内が女学院に届くのですよ」
「なら王都に残る可能性高そうだね。そっかそっか」
頷くクレイグに今度はマルティエナが聞き返す。
「クレイグ様はどうなさるか決めていらっしゃるのですか」
学院助手の期間は最長二年。マルティエナだけでなく、クレイグも次の季節には新たな生活に切り替わる。
今の距離感を望んでも望まなくても、終わりは変わらない。
友人か恋人かで変わるのは、来たる季節に開く距離の差だ。
「あ〜それ聞いちゃう?」
随分と勿体ぶる。
マルティエナは決まっているなら早く教えてほしい、と素直に頷いた。
「四択で悩んでたんだよね〜。アルカシア侯爵家の領地の一部と爵位をもらうか、殿下の右腕として宮廷貴族になるか、マティアスの手足になってオーレン領でのんびりするか」
侯爵家の三男らしい順当な選択に納得していたマルティエナは三択目で拍子抜けする。
能天気な案だと思ったら「こないだお兄ちゃんから許可はもらったよ〜」と言われてしまった。
事前に話を通すあたり、真面目に考えたことらしい。
(お兄様も教えてくれてよかったのに!)
逐一報告してもらう必要はないのだが、なんだか面白くない。
数ヶ月も前から持ち上がっていた話を知らずにいたことが悔しいのだ。
「残りの一択は、表では侯爵家の放浪息子、裏では殿下の懐刀って感じ? その場合だと国内外うろうろすることになりそうなんだけどさ」
内心で不貞腐れていたマルティエナは、クレイグが告げた四択を聞き終えて脳内で整理すると、どういうことだろうと頭を悩ませる。
どれも拠点となる場所が異なるのだ。
アルカシア侯爵領に王都、オーレン伯爵領に国内外の何処かの町。
偶然なのか、わざとなのか。
「クレイグ様は暮らす場所を決めあぐねているのですか?」
そうでなければ、兄の手足になってオーレン伯爵領で過ごすなんて考えにならないはず。
のんびりと働きたいのか、昇進を狙いたいのかも判然としない。
「うん、そうとも言える。俺さ、優柔不断だからどれもいいなって思うんだよね? 楽してのんびりもしたいし、折角の縁だと思って殿下のために働くのも良いし。爵位もあってもなくても困んないかな~ってさ」
クレイグにとって兄の元で働くことは楽な方に入っている。もしそうなった場合に、兄は彼をどう扱うのだろう。
(私だったら適度に仕事を山積みにして、文句を言い出したら長い休暇をあげるかな?)
オーレン伯爵領で働くクレイグを想像してみて、くすくす笑う。
クレイグがオーレン伯爵領で過ごす。そんな姿を想像したことがなかった。
「でも譲れないことはひとつだけあってさ」
つられるようにクレイグも笑う。
「マルティエナちゃんがいない場所は俺が耐えらんないなって」
揺れていたマルティエナの肩がぴたりと止まった。
「だからマルティエナちゃんに相談してから決めようと思ってたんだよね〜。けどマルティエナちゃんが王都にいるなら、俺は王宮で働こ〜っと」
瞳が隠れるほど細まったクレイグの目を、呆けたようにマルティエナは見る。
「そのような決め方でいいのですか」
嬉しく思っていいのか、怒ればいいのか分からずにいた。どっちもあったから中和されて、何方ともいえない声になった。
「えっ、あれっ、もしかして俺重たい!? 重すぎて嫌だった!?」
「私の返事を聞いてもいないのに、後悔すると思わなかったのですか」
吐き出してから、違ったなと思い直す。
彼は言葉の通りどれも良いと思っているのだろう。どれを選んでもやりたい道に進んだと思えて、誰とでも親しくなれて、適度な評価もされて、毎日が楽しいと笑うのだろう。
「へっ!? あ、ああ〜そうだよね、返事か。俺はマルティエナちゃんにフラれる可能性なんて一ミリも考えてないからさ〜。後悔はしないけど、その後のことはその時に考えるよ」
「考えなくていいですよ」
「へ?」
間をおかずに否定する。
緩やかな風が半開きの窓から入り込む。耳からこぼれ落ちた前髪を指先で正して、もう一度否定する。
「嫌でもありません。本来ならご自分の将来を真剣に考えてほしいと伝えるべきなのでしょうが、私は嬉しく思いました」
「マルティエナちゃん」
「私、クレイグ様といたいです。私のこれからの毎日にも貴方にいてほしい」
開いた口から空気が吸い込まれていって、彼の胸元が膨らんだ。口元に手を当てて息を抑える彼が、取り込んだ幸せを逃がすまいとしているように見えた。
「それってさぁ、つまりは――」
喉元まで出かかっているのに、言葉の続かない彼。フラれるつもりはないと飄々としていたのに、動揺している彼を可愛いとも思った。
嬉しくなって、もっと喜ばせたくなって、明確な言葉を探す。
「私を貴方の恋人にしてください」
そのままでも上に位置する彼を、少しだけ前のめりになったマルティエナは下から見上げて笑った。
彼の長い前髪が風に揺れて瞳にかかるのが勿体なくて、指先を伸ばして落ちていた前髪を耳に流す。
露わになった彼の目元は赤く色づいていた。
「うわ、わ、わあぁ……ほんとに? 本当に俺でいいの?」
「逆に伺いますが、本当に私で良いのですか? 最近気づいたのですが、私は嫉妬深いのかもしれませんよ」
「え、ええ〜、それって嫉妬してくれてたってこと? 嬉しいんだけど……いつ?」
「それは教えません」
「えええ……」
両手を顔で覆って残念がっていても、嬉々とした微笑みが隠しきれていない。こんなに喜んでくれるのなら、変に悩まずに率直に告げていれば良かった。
不毛だった悩みが晴れて微笑ましく思っていると、開いた指の間から表情を覗かせたクレイグが「あのさ」と問う。
「恋人になった記念に、ひとつお願い聞いてくれたら嬉しいんだけど」
「何でしょう。内容によりますよ」
「手繋いでもいい?」
「手、ですか?」
ところ構わず兄に抱きついていたクレイグにしては、存外可愛らしい願いごとだ。
同性の友人ではなく、異性だからなのだろうか。
「そうそう、これでも緊張してるんだよね。本当はさ、思いっきり抱きしめたいんだけど、まだ早いかなって思って」
「いいですよ」
抱きしめてくれたって良いのに。
彼にとっては兄とのじゃれ合いだったであろう一方的な抱擁が少し懐かしい。恋人同士の触れ合いは想像ができないけれど、兄として経験した範囲の抱擁はどこかで期待していた。
手を差し出すと、クレイグの一回り大きな手が下から触れて、胸元まで持ち上げられる。
手のひらを合わせて重なった指先は、息を吸うたびに深く交差して絡まっていく。
触れているのは右の手のひらだけ。
それなのに、胸の拍動が速まっていくのはどうしてだろう。
互いの頬に熱が籠るのは何故だろう。
時折流れてくる冷たい風があるからこそ、より強く実感する彼の体温。
途端に恥ずかしくなって一度離してしまいたいのに、それができない。
彼が与えてくれる温もりを、いつだって感じていたい。
誰よりも、一番に。
「クレイグ――――」
だから、この感情に名前をつけて、マルティエナは囁くのだ。
「ねえ。マルティエナちゃんさ、俺のこと名前で呼んでくれたね。様付けじゃなくてさ」
「――あ、それは」
「嬉しかったな〜。俺、マルティエナちゃんにそう呼んでもらうの好きだからさ、今後も呼んでくれる?」
「そう仰るのでしたら、有難く呼ばせてもらいますね。クレイグ」
「うんうん。俺もさ、記念に呼び方、時々変えてもいい?」
「どうぞ。長いですから呼びにくいでしょう」
「じゃあ遠慮なく! これからよろしく、マティ。は〜俺は本当幸せ者だな〜」
「クレイグ、それって――……」




