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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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15.変わらぬ日々に約束を

 



 火の季節は身体のうちを冷やしていく寒さがある。

 炎は焼け消えそうな熱さなのだから、火の季節は暑いのではと思うがその逆だ。

 熱を何処かに奪われた冷え方で空気中が乾燥し、その分火魔法は威力を増す。水の季節には雨が頻繁に降り注ぐのに不思議なことだ。


 そのため、冷え性の多い女性は体調を崩しやすい季節でもある。


「ご機嫌よう、ミリア様。朝の挨拶ができていなかったですね」


 講義を終えたマルティエナは、数列前の席に座っていた学生に声を掛けた。

 胸元で両手を重ねていたミリアは丁寧に立ち上がって優雅に微笑む。


「マルティエナ様、ご機嫌よう」


 特段親しい間柄ではないので、戸惑いが瞳の揺れに表れていた。


 女学院への在学年齢がぎりぎりのマルティエナと違って、大抵は入学できる年齢になればすぐに籍をおくので、年の差も要因のひとつだろう。

 他には身長差も圧を与えているかもしれない。


 そう考えたマルティエナは頭ひとつ分小さいミリアに合わせて屈み、下から見上げる。


「今日はいつもに増して冷えていますから、寒くはないですか? 良ければ私のストールを使ってください」


 講義中に身を寄せている様子があったので気になったのだが、近くで顔を合わせると若干血色が悪い。


「まあ……ありがとうございます。私うっかり馬車に置いてきてしまって。ここまで冷え込むとは思っていませんでしたから」

「そうですよね。昨日までは暖かさが残っていましたから」


 相槌を打ちながら、腕に掛けていたストールを広げてミリアの背へ回す。

 熱を保つ性質のある毛糸で織り込まれたストールに魔法をかけて温めておいたので、当分は温度を保ってくれるだろう。


「あ、ありがとうございます……」


 尻すぼみになる礼とともにミリアの視線が下がっていく。

 マルティエナは思い違いをしていたかもしれないと息を呑んだ。


 ストールの両端を手繰り寄せるように腕を胸に寄せたミリアの眼差しは、少しだけ熱に浮かされていた。

 単に体が冷えて寒がっていただけでなく、体調を崩す兆候だったのかもしれない。


「ミリア様、大丈夫? 熱は……今のところは高くなさそうですが、辛そうですね」


 手のひらを彼女の額に当ててみるが、体温の違いは感じない。


「あの、マルティエナ様! 私なら大丈夫ですわ! その、ただ少しだけ、急に体が温まりましたので、そのせいですわ!」

「――そう?」


 これまでのしおらしさはどうしたのか、縮こまったままのミリアが勢いよく叫ぶ。

 血色の悪かったミリアの頬は、今ではほんのりと赤く染まっていた。

 目を閉じてしまったので視線が交わることはなかったが、気力があるのならひとまずは様子見でよさそうだ。


「無理はなさらないでくださいね? 辛くなった時に腕を貸すくらいはできますから、いつでも私を頼ってください」


 額に触れたことで乱れた前髪を梳きながら撫でて元通りになったことを確認すると、マルティエナは微笑んだ。


「それでは、また」


 次は別の講堂に移動しなければならない。

 ミリアとは分かれることになるが、その次の講義ではまた顔を合わせられる。


 本人は大丈夫と思っていても、実際体調を崩している場合もある。

 彼女が帰りの馬車にのるまでは気にかけておこう、とひとり頷いた。



 ◇◇◇



 聖テレシア女学院の正門を抜けると、舗装された道路の脇には数台の馬車が列を成す。

 朝から夕方まで講義を詰め込んでいるマルティエナが帰る頃には混み合う時間帯を過ぎているが、それでも隙間なく道路沿いを埋めていた。


 御者が馬車の扉横に立ち、仕える家門の令嬢を待っている。その中に一人だけ、およそ使用人とは思えない身形の男性が馬車に背中を預けて空を仰いでいた。


 彼に気付くなり声を潜ませて色めく年若い令嬢とは違って、マルティエナにはたった数日で見慣れてしまった光景である。


 たわいもない会話をしていた令嬢に別れを告げて足を向けた時には、クレイグは空を仰ぐのを止めていた。


 そこそこに距離はあり、会話が風にのって聞こえたとも思えないのに彼はよく気付く。

 神経を尖らせていなくとも、見えない周りまで感じている。


「お疲れ〜、マルティエナちゃん!」


 緩々と手を振ったクレイグがへにゃりと笑う。

 マルティエナは相変わらずこの男が分からないでいた。


「クレイグ様、迎えにきてくださりありがとうございます。ですが、気を遣っていただかなくて構いませんよ? ……いえ、嬉しく思っていますが」


 こういった話題をマルティエナがふると「もしかして、嫌だった?」と目に見えて哀しげに言うものだから、先に否定しておく。


 実際、嬉しいのは確かだ。彼への心配が先立ってしまうだけで、会いに来てくれるとほっとする。


 女学院での生活に気を張っているわけでもないし、年下の令嬢達とも和やかな関係でいられている。なのに不思議と気持ちの置き場が変わるのだ。


「喜んでくれてるならさ。俺は毎日この時間を心待ちにしてるから、いいんだよ」

「ですが……王立魔法学院の助手は忙しいと聞きました。距離も離れていますし、侯爵家の邸から通うのは大変でしょう?」


 オーレン伯爵領に滞在していたクレイグは毎日を暇に過ごしていた。これまで休みなく異国を巡っていた疲れをとっている様子もあった。


 しかし、王都に戻ってからは違う。態度では飄々としていても、徐々に彼の余裕は削られている。

 表面上に表れない些細な変化でも、長い付き合いのあるマルティエナには察せられた。


(助手以外のことにも手を回してるみたいだし……。お兄様だったら気楽に相談にのれるんだけど)


 マルティエナにはそれが叶わない。

 兄から聞き齧った、と言える程度のことしか介入できないから、曖昧な言葉を選んでしまう。


「う~ん、俺は会いたくて来てるだけだからなぁ。でも、どうにもならなくなったら言うよ。その時は毎日マルティエナちゃんが様子を見に来てくれるくらい心配してくれる?」


 名案だ、と指を立てるクレイグはしたり顔だ。


「では約束してください。流石に毎日は難しいかもしれませんが必ず様子を伺いに行きますから」


 離れても、隣にいく約束を交わす。

 兄として過ごしていた頃は横にいるのが当たり前だったのに、今はその自信がない。


 だからだろうか。

 考えるよりも先に言葉が出ていた――





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