11.拠り所を探して
締め切っていたカーテンがひと思いに引かれて、力強い陽光が差し込んでくる。
「うぅ……」
あまりの眩しさにマルティエナは唸った。
既に朝日とは呼べず、白昼の力強い日差しに近い。
「そろそろ起きてくださいませ、ご主人様! いつまで寝ていらっしゃるのです!」
「うん……うん、そうだよね」
自分探しを前向きにと思っていても、易々とは行動を変えられない。
慣れ親しんだ男物の服で過ごしてしまうし、髪も『マティアス・オーレン』として切り揃えていたので元々短い。言葉遣いに関しても急に女性らしくと思うと心地悪くて変えられないでいた。
男勝りな態度ではなかったので、ほんの少し変える程度なのに、それが難しい。
やっぱり今更無理だよ、と自室で泣き言を漏らしたのが昨夜で、唯一聞いていたカーチェは見兼ねて口を開いた。
明日は思い切って女性らしい装いをいたしましょう、と。
闇の古代魔法で髪を伸ばして、結い上げる。薄付きのメイクをして室内用の落ち着いたデザインのドレスを着れば、心のあり様も変わるだろうと。
これまで女性用の服は一度も着なかったのに、マルティエナの衣装部屋には今の体型に沿ったドレスが所狭しと並んでいる。
兄が勝手に用意したのだ。どれも上品で落ち着いた意匠なのでマルティエナの好みに合っていたのだが。
しかし、いくら好みだからといって、いざ自分が着るとなると物怖じする。
こんな臆病な性格だっただろうかと思いつつも布団から出れずにいた。
カーチェの声掛けによって、マルティエナはじめじめとした気持ちを振り切って布団を抜け出す。
「ご主人様、おはようございます。ささ、お早く!」
にこにことマルティエナを鏡台へと急かすカーチェはいつだって陽気で明るい。
自然と笑みを浮かべたマルティエナは、眩しい日差しに目を瞬かせながら闇の古代魔法を発動させた。
◇◇◇
久しぶりのドレスはスカート内の涼しさが妙に心許ない。
ウエスト周りで結んだリボンも、胸元のラインを強調しているようで気にかかる。
古代魔法で長くした前髪は横に流しても視界の隅で揺れている。
髪が結い上げられたことで露になった首筋に風が掠めるたびに身震いしそうになる。
感覚としては違和感だらけでも、鏡越しに見た自身の姿を他人とは思わなかった。驚いたことに、妙にしっくりきたのだ。
昔の『マルティエナ・オーレン』をそのまま大人にした出で立ちだったからだろうか。
「ねえ、カーチェ。言葉遣いを治さないと変かな?」
「そうですわねぇ……無理に治す必要はないかと思いますわ。少し意識する程度でよろしいのではないでしょうか」
「そう? なら良かった」
カーチェと話しながらも鏡の前で動作を観察する。
女性らしい仕草を振り返るにあたって、手本になる女性は常にいた。
横髪を耳にかける際の肘の角度、会話する時の仕草、礼をする際にスカートの持ち上げる度合い。
不自然な箇所を少しずつ軌道修正していくと、ぴたりとハマる時がある。忘れてた本来の姿が蘇る感覚は、言い表せない悲しみと喜びが入り混じった。
男に生まれていたらと思うこともある。けれど、女として生きることも楽しかったのだ。好みの生地であしらわれたドレスに袖を通して、似合う装飾品を選ぶ。その時々でカーチェが髪型やメイクを変えて印象を揃えてくれるのも好きだった。
兄として男物の服を上品に着こなすのも良かったし、女性が着飾った美しい姿に讃美を送ったり、自分が勧めた意匠で着飾ったルチナが想像以上に綺麗だった時の喜びはあった。見ているだけでも満足していたのだが、直接身につけるのは一味違う喜びがある。
「カーチェの言う通りみたい。気持ちが見た目の印象について来てくれるような……」
「それはよろしゅうございましたわ。お嬢様!」
「うん、本当に――」
カーチェからの呼び名も自然と元に戻っていた。それをすんなりと受け入れられたことにも遅れて気づく。
「今まで傍にいてくれてありがとうね、カーチェ」
何度言葉を重ねても足りない。
「まあ! 今までだなんて、これからもお嬢様の行く先にお供いたしますわ!」
「ふふッ、もちろん。カーチェがいてくれたら心強いよ」
「ではそろそろ参りませんと、ルチナ様が心配なさいますわ。昼食まで時間がありますし、何か軽食をご用意いたしますね」
「ううん、お腹は空いてないから平気だよ」
「いけませんわ、お嬢様!」
一日の食事の中で朝が重要なのだとつらつらと語るカーチェに微笑みながら部屋を後にする。
団らんの場でもある広間へと向かっていると、吹き抜けの階段を淑やかに上るルチナの姿が見えた。
「おはよう、ルチナさん。もしかして迎えに来てくれるところだった?」
目が合うなりぴたりと止まった彼女に微笑みながら首を傾げる。数拍遅れてルチナも目を細めた。
「おはようございます、マルティエナ様。ドレス姿もとてもお似合いでお美しいですわ。――今回は急ぎお伝えしたい件がありまして」
「うん? 何かあった?」
口を開いたルチナが、再び息を吸う。膨らんで下がっていく胸の動きが、冷静な彼女の緊張を表していた。
「アスタシオン殿下の遣いの者が来られまして、明日こちらにエレノア様といらっしゃるとのお話でしたの」
「――殿下と、エレノアさんが?」
「はい。旦那様が貴女様のご意向も聞かずに了承なさってしまって。お断りできるものでもこざいませんから致し方ありませんが……」
「そう――」
アスタシオンがオーレン伯爵家の秘密を知り得ることは、誰にも話していない。
ルチナにも、当然兄にも。
それが二人の約束で、アスタシオンの第二王子という存外脆い立場を崩さないために必要なことでもある。
カーチェは薄々察しているのかもしれないが、後方で息を潜めている彼女は知らないふりをするだろう。
「大丈夫、心配はいらないよ。お兄様は話を合わせるのも得意だからね」
アスタシオンに兄が戻ってきたことを報せたのは、他でもなくマルティエナ自身だ。
始まりがあれば、当然終わりもある。
だから、きっと幕を閉じるために用意してくれた日だ。
エレノアを連れてくる理由は分からないが、アスタシオンには測り得ない考えがあるのだろう。
直接感謝を伝えられる明日を幸運に思わなければならない。直に赴いてくれるほどに彼は心を砕いてくれているのだから。
だから、明日は笑っていよう。
「マルティエナ様――」
「ごめんね。少し、学院で過ごした日々が懐かしくなって。そのせいだよ」
ひき上げた頬は震えていた。
こんな姿で明日は迎えられそうにないから、今夜は雨が降ってほしい。遣る瀬無い痛みを、洗い流してくれたらいい。




