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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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9.越えられない壁



 兄、もといユーマは些か自由が過ぎる。


「マルティエナ、これから取り組む領地改革の計画ちら〜っと見せてもらったんだけど、兄さんからのアドバイスがほしくない?」


 ふらっと消えて何処かに行くこともあれば、伯爵当主の書斎に居たりする。

 今日もそうだ。兄に伯爵家を害する気はないので行動を制限しはしないが、決まり文句になりつつある小言をマルティエナは口にする。


「ユーマさん、貴方は対外的には友人という立場なのですから、勝手に書類を見られては困ります。……ですがいいでしょう。仰ってください」


 兄だから聞くのではない。

 聞き入れるか否かは別として、誰の意見だって耳を傾ける。それだけの理由だよ、と自分自身に言い訳をした。

 苦々しく微笑するマルティエナに相反して、ユーマは破綻する。それすらも悔しい。



「うんうん、この案なんだけど、シシティ香草をここに植えるのはどうして?」


 ユーマが指し示したのは、領内で新たに栽培を予定した香草の計画書だ。


「その地は元々ロエ草が繁殖しています。ロエ草もシシティ香草も成長過程で不要な魔力を吐き出しますが、それが互いにとって有用なのです。苦手とされる渋味が薄まりますし、香りも和らぐ。シシティ香草はこの辺りの領地ではあまり出回ってませんから、領民の興味を引けるかと。上手くいけば利益も上げられます」


 シシティ香草は香り付けに用いられる他、調合次第で薬にもなる。咲く花も独特の甘味があって色鮮やかなので汎用性が高いのだが、採取からの日持ちが短いことや、渋味が他の味になじまないと言われることもあって、料理では滅多に使われていない。

 そのため、ヴァルトセレーノ王国では専ら香水と薬の原料として用いられている。


 王立魔法学院での個人研究で幾つかの植物の品種改良を試していたマルティエナは、運良く生み出せたシシティ香草の新たな品種を伯爵領で栽培してみることにしたのである。


「ロエ草は繁殖力の強い雑草だと思ってたけどシシティ香草と同じ性質あるんだね」

「ロエ草も品質次第では家畜の餌にしてみます」

「餌が変われば家畜の品質も変わるから、双方での利益を狙っているのか。マルティエナらしい良い案だよ」


 うんうん、と感慨深く頷くユーマを見て昔の記憶を思い出す。兄は食の選り好みをしなかったが、香草料理を食べるペースは鈍かった。

 あれは香草を苦手としていたのだろうか。独特な風味が気に入っていたマルティエナは堪能するためにゆっくりと食していたので、兄も同じとばかり思っていたのだが。


 ユーマと会話をすると、その都度過去の日常が蘇る。

 美化された思い出に流されてはいけない、ときつく口を引き結んだマルティエナはいつまでも頷くユーマへと声を上げた。


「納得されたようですね」


 実を言うと、似た状況の会話はこれで五度目である。

 事業計画案を読んだユーマが細かな意図を尋ね、マルティエナの案に頷きつつも、数年先を見込んだ策を付け加えてくる。

 それがマルティエナにとっては考えもしなかった良案で、軽く述べられた策なのに細部まで実態に合わさっていて、悔しさと同時に兄の偉大さが骨身に染みるのだ。


 今回はどうなのだろう。

 一年をかけて事業の着手を任せる担当者らと方針を擦り合わせてきたので上手く進める自信はある。

 だからこそユーマから突拍子もない案が出されることが不安で、それなのに兄の見据える先に期待をしてしまう。


「うん。けどさ、兄さんはここに植えたいって思うかな」


 書斎机に下敷きのように広げられていた伯爵領の地図をペンの柄でトントンと突く。

 ユーマの指し示した地図を覗き込んだマルティエナは思い切り顔を顰めた。その意図を想像してみても、全くもって理解し得ない。


「……理由は?」


 結局、なんとも言えない感情のままに疑問を口にする。

 伯爵領の地図を端から捲った兄は、更に下敷きにされていた大陸全土の地図から一点を指した。


「セレク王国のイーバルって村に少しいたんだけど、そこが水辺なんて全くないのに不思議とシシティ香草が生い茂ってて、香りも味もまろやかだったんだよ」


 見聞きしたことない村だった。


「私は香草が少し苦手なんだけど、そこのは何度でも食べたくなった。気になって調べてみたら、地下水の水質が良かったんだよね」


 ユーマが洋々と語る旅は冒険譚の一節だ。当時の驚きや喜びが言葉の節々で感じ取れる。

 マルティエナは兄が経験した当時の様子を思い浮かべながら耳を傾けた。


 兄は辛かった記憶は語らない。きっと、一人心に留めておくことで自分への戒めとしている。

 兄の考えは分からなくとも、そういった心の機微は少しだけ察せられるようになった。兄に近づけた、というよりは身近な兄として見られるようになったのかもしれない。


「この大陸は水源には困らないけど水質の特性は差が多い。その点を踏まえると、ここの崖周辺の地下水がシシティ香草本来の味を後押ししてくれる。ただ、ここは育成に本来向かないから、マルティエナの言う通り、一緒にロエ草を栽培したら良さそうだね」


 私の妹が優秀で嬉しいよ、と続けるお世辞を背景にしてマルティエナは二つの案を天秤にかける。

 そもそも本当に育つのだろうか。ロエ草と並べ植えたところで条件が適さなければ芽は出ない。

 そう思いながらも育つ確信はあった。なんといっても、兄が断言したのだから。


「仮にそうだとしても、貴方の話を聞く限り量産は難しいはず」

「うん。けどさ、希少価値の高いブランドになるから、利益は大きくなるよね。外に売り出すよりも領内にまわす割合を多く定めておけば、観光資源にもなる。どう?」


 兄は意見を述べるだけで、決して結論付けない。

 伯爵当主である『マティアス・オーレン』がマルティエナだからだ。自分を語る偽物を尊重してくれる兄に、やはりマルティエナはかなわない。


「検討材料として、両方の案を試してみます。収穫までの速度や量、質と、それから得られる利益の試算で決めましょう。幾人かに協力を頼めば、領民の反応も見れますね。今は土の季節ですし、一月あればどちらでも育つはずですから」

「兄さんの話に耳を傾けてくれてありがとう、マルティエナ。兄さん頑張るよ!」

「………」


 暖かな気温が兄の背にする窓から舞い込む。

 抱きしめられた兄の肩から、マルティエナは晴れ渡った空を眺めていた。

 ささくれていた気持ちは既になくて、行き場のないまま変わらずにいることしかできない自分を虚しくも思う。

 けれどもうら寂しさの割には、暖かかった。


 季節柄だけではないことは、初めから知っている。




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