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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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8.帰還



 土の季節の社交シーズンは短い。新婚旅行を終えて招待された社交の場に何度か顔を出しているうちに、貴族院の議会は終幕となった。


 議会が終われば貴族は自領へと戻る。

 マルティエナも決議内容の確認を終えれば王都に残る理由はなくなるので、今年の社交シーズンの締めを表す国王主催の夜会を終えた翌日には早々と王都を後にした。


 当分は忙しくなると便りが来ていたが、アスタシオンが夜会を欠席していたので、別れの挨拶を告げられなかったのが少々残念だ。ちなみにクレイグはセルベスタの邸を発った後、自領にも学院にも戻らずに異国に渡ったらしい。カストもクレイグの代わり様に少々驚いていた。



 オーレン領に辿りつく道すがら、ルチナと各地の視察もしつつ、オーレン領で取り組みたい事案を練る。領地に戻り、区域ごとの領地管理を任せている者との挨拶も済ませ、ようやくこれから――――といった時だった。



 兄が戻ってきた。



 前触れもなく、唐突に。

 鬼気迫った様子もなく、疲弊してやつれた姿でもない。


 成長期を終えた『マティアス・オーレン』の姿はこうだったのか、と数歩先に立つ兄をマルティエナは見ていた。


 見ていることしかできなかった。



「ただいま、マルティエナ。帰るのが遅くなってごめんね。兄さんを許してほしいな~……なんて」



 記憶の底に沈んでいた兄の声だ。

『マティアス・オーレン』ではなくて、兄の声。

 自分としては兄に似せていたつもりでも、声の抑揚や音の間が少し違う。瓜二つの双子でも、そういったことは微妙に違う。他人にとっては些末なことでも、マルティエナにとっては全くの別物だった。


「マルティエナ?」


 名を呼ばれると、昔の記憶が押し寄せてくる。

 瞬きすら忘れた瞳の奥が熱かった。



「本当にごめん。マルティエナが私になっていてくれていたとは思わなくて。父上のことも母上から聞いたよ。申し訳なく思ってる」



 ――母にも会ったのか。

 目頭が熱く潤い始めるのに比例して、喉は干乾びていた。浅く吸い込む空気が痛い。


(どうしたらいいの)


 兄にはなれない。

 見せつけられた気分だった。


 だって、佇まいから違う。

 アスタシオンにあって、エレノアにあって、ネヴィルにあって、自分にはない特別な空気感が兄にはある。


 離れていたからこそ強く感じ取れる生まれ持った何かが、目の前の人物が本物の『マティアス・オーレン』であることを明らかにする。


 足元が覚束なくなる感覚に息の根を止められてしまうと思った。

 待ち侘びていたのに恐ろしい。

 だから何も出来なかった。一つとして動けなかった。


 そんな、表情なく立ち尽くすマルティエナの腕が引かれる。

 機械のように意志なく首が回ると視界を埋める人物が切り替わる。

 細くて儚い、それなのに前を向く決意を感じるルチナの温かな手のひらが、マルティエナの腕に添えられている。


「――ッ」


 名前を呼ぼうとして、口の形だけが戦慄く。

 視線が合って、微笑まれる。



「私は貴方様のお傍に居りますわ」



 守ると言ってくれている心強い笑みだった。兄の帰還によって先行きが暗くなるのはマルティエナよりもルチナだというのに畏れは見えない。そこにあるのは地の固まった覚悟だ。


(ルチナさんがこんなにも落ち着いているのはどうしてだろう?)


 衣服越しでも伝わる温もりが硬直するマルティエナの芯を和らげる。


 頭が回り始めて真っ先に感じたのは兄よりもルチナのことだった。

 冷静さは彼女の利点だが、まるで予期していたかのように平然と状況を見ている。失踪して五年も過ぎた兄が、自らの意志で戻ってくる可能性をどれほど考えていたのだろうか。


 そんな彼女を前にするとマルティエナの心も平静を取り戻す。

 感情は伝播するのだと今日ほど真に感じることはない。


 だからこそ、再び兄に顔を向けても穏やかに笑えた。



「お兄様、お帰り。元気そうで安心したよ」



 可能性はないと諦めていても、いつも兄にかける言葉を探していた。失踪した理由を問い詰めようかと思った。どんな事情であれ今更だと罵ろうかと思った。

 けれど、兄は変わらずに兄だった。尊敬し続けている、たった一人の兄だ。戻ってきた兄に責め立てる言葉を投げつけるなんてできない。


「ありがとう、マルティエナ。皆に迷惑をかけた分も、兄さんこれから頑張るから」

「『頑張る』――?」



 だけど――



「悪いけど、伯爵家を捨てた人には当主の座は渡せないよ」


 柔らかな表情で告げた割に内容は冷ややかなもので、空気が引き締まるのを感じる。

 兄の喉仏が音を立ててゆっくりと上下していた。

 何故そんな反応を見せるのか不思議だった。



「もう『マティアス・オーレン』はお兄様じゃない」



 同一人物であって、全くの別人が既にいる。

 母から知らされていたのに、簡単にその座に立てるとでも思っていたのだろうか。


「お兄様のことはユーマさんとして迎え入れるけれど、我慢してくれるよね?」



 空白の学院生活の重みを兄は知らない。

 今度は兄が固まった面持ちのまま頷いたことを見届けて、マルティエナは兄のもう一つの名を呼んだ。






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