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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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7.降り積もる情の名を知らない




 ルチナはクレイグに好意を抱いたのかもしれない。


 彼女の異性に対する恐怖は相手を知るにつれて緩和される。とはいえ、年若い男や物理的な力の差をありありと感じるような体格の良い男には触れられなかった。

 エルジオに対してもそうだ。相手が危害を加えないと心では理解していても、身体は拒絶する。会話はできても視界から消えたすれ違い様に硬直する。

 これまで出席した夜会では、会話は交わしても誰一人として彼女に触れさせなかった。舞踏会でもダンスの誘いは全て断らせて、自分としか踊ることはなかった。


 それなのにクレイグが手を差し伸べれば、エスコートを受け入れる。話の合間で肩を叩いても、拒絶することなく温厚に談笑を続ける。


 ルチナが心を許せる異性が現れた時には、円満な離婚をして二人の幸福を見送ろうと決めていた。


 互いの利を求めた契約結婚なのだから、彼女がより幸せになれる道があるなら無効にしたらいい。

 その時は女遊びが激しくて呆れられたことにしようと決めていた。不思議なことに、男女問わずたらし込んでいたと噂になっているのだ。

 それを真実にすれば『マティアス・オーレン』だけが泥を被る結末にできる。


 兄が失踪した当初は許せなかっただろう行いだが、今のマルティエナには大したことではない。


 それはもう兄の評価ではないのだから――



 ルチナには心から望んだ相手と添い遂げてほしい。


 そうは思っていても、こんなに早く進退を決める時が来るとは思っていなかった。

 それも相手はクレイグである。ルチナを泣かせる真似はしないと認めているが、二人が恋仲になる姿はあまり想像できない。目の前で二人が親しく会話する姿を目にしているにも関わらずだ。


 そもそも、ルチナは彼に恋愛感情があるのだろうか?


 そんな雰囲気は感じないが、情とは徐々に降り積もっていくものだ。

 雪のように音もなく柔らかに。次第に溶けて、それでも積もっていく。揺れ動いて、形を変える情が色付いて灯るのは、その時々で違う。

 灯ってから、意識していなかった本質に気づくのではないか。


 まだ自覚がないだけかもしれないから早まって尋ねてはいけない。


 そう思っていたのに、寝室で二人きりになるとルチナは目敏く問う。


「悩み事です? 私とアルカシア様のことでしょうか」

「悩みというか……驚いてね。彼、人との距離が近いから、ルチナさんが心配だったんだけど」


 大丈夫そうで安心した、と笑む。

 告げた言葉はどれも本心だ。それなのにルチナには全て見透かされている気がする。


 ゆるゆるとルチナが首をふると、風呂上がりで湿り気の残る髪から広がる香りが鼻腔を擽る。安らぎをくれるレモンバームの香油をルチナは寝る前に必ず一振り纏う。

 記憶が暗闇を恐れているのだろう。明かりを燈しても闇は毎日訪れるから。


 光属性の魔法を使えれば彼女の不安を和らげることができるかもしれないけれど、自分には叶わないので隣にいることしかできない。

 ルチナはそれで充分だと笑うけれど、()()が現れてくれることを願ってる。


 彼女の夫としても『マティアス・オーレン』としても、所詮は偽物なのだ。


「あのお方は貴方様の幸せを願っています。私もそう。ですから怖くありません」

「うん? それは、ええと……」


 どういうことだろう、と頭を悩ます。


(私の親友なら信用できる、ということでいいのかな?)


 クレイグは『一番の親友』を裏切らないから警戒は不要と言いたいのだろうか。


 一つの言葉で結論付けるのは難しいが、ルチナの言わんとしていることは何となく分かる。

 おおよそ恋と呼ばれる雰囲気が微塵もないルチナのさっぱりとした様子に、マルティエナは一番重視している点を尋ねてみることにした。


「つまり、クレイグが平気な理由は恋愛感情とは違うってこと?」

「はい。人としては好んでおりますよ。貴方様が心を許すお気持ちが何となく分かります」

「私が……?」


 クレイグのことは信頼している。『マティアス・オーレン』の秘密を共有していなくとも。万が一知られたとしても彼なら口を閉じていてくれる確信はあって、それはカストも同様に思っている。


 だからといって、心を許しているのだろうか?


 親友と思いながらも騙し続けているのに。

 行動も言葉も思考も矛盾している。

 向き合えていない自分自身を省みても答えはでない。


 ルチナはそれ以上、何も言わなかった。


「ルチナさん。私も貴女の幸せを願っているから、その機会が訪れたら掴んでね? 私は大丈夫だから」


 考えても整理のつかない感情は一旦置いて、伝えそびれた願いを口にする。それが私の幸せになるのだと声に込めた。


「では貴方様もそうしてください。約束ですよ?」


 微笑んだルチナが細い小指を胸の前で立てる。

 私は既に幸せだよ。そう続けようとして押し黙った。


 彼女は額面通りに受け取らない。そんな気がしたからだ。


「――うん、約束」


 だから、約束、と繰り返して互いの小指を結んだ。



 ◇◇◇



 教会領の邸に滞在してもらうのだから皆にも雪景色を満喫してもらおう、ということでガーデンパーティーと邸の屋上での夜会の二部を計画した。

 疎に集まり始めた招待客に挨拶をしつつ、会場内をルチナとともに歩き周る。


 教会領は季節に関係なく雪に包まれているため、とても冷える。厚い毛皮のコートを着ていても寒さに凍えるほどだ。

 そんな中でのガーデンパーティーなんて日差しの強い土の季節でも無理だと、セルベスタから提案を聞いた際は思っていた。


「マティアス君、ここの庭ってどんな仕掛けがあるか聞いてみた?」


 カストの興味津々な問いかけにマルティエナは苦笑いしながら頷く。


「足元の雪の下に大元になる文字が記されてるんだって。四方に柱が伸びてるでしょう? あれが魔道具の一部で、起動の合図を送れば溜めていた魔力で範囲内を暖めるって教えてくれたよ」


 邸の庭園は雪に包まれている。

 常緑の樹木の枝葉は上半分が雪に覆われているし、足元は踏み締めて固まった白い道になっている。

 一見すると純白で塗りつぶした景色を、教会領でのみ咲く常緑の木々や薄紅色の花、そして街灯の火明りがそっと色付けしていた。


 雪ははらはらと舞うのに暖かい。

 毛皮のコートを着込まずに過ごせるのはセルベスタが設置した大掛かりな魔道具のおかげで、バルコニーや屋上など至る所に組み込まれていた。セルベスタにとって、邸は個人的な実験施設なのかもしれない。


「溜める魔力量の多さと魔道具に組み込む文字の複雑さが難点で、実用化はできてないんだって。どんな仕組みか聞いたら考えるよう言われたよ。その時には答え合わせと討論をしましょうともね」

「先生らしい! う〜ん、何を起点にするかが重要だね」

「私達も滞在している間考えてみているのですが、手も足もでないのです」


 ルチナの苦い言葉にマルティエナも頷く。

 何パターンも考えてみたが、途中で矛盾点が生まれるのだ。

 魔道具は魔力を流すだけで使える便利な代物だが、元になる文字は複雑な数式のように絡み合わせている。些細な効果の魔道具でも実用化までは研究を要するし、作成方法の消失した既存の魔道具の分析も等しく難しい。


「折角だし、後でカストに途中経過を見てもらってもいいかな?」

「喜んで! 先生は光属性だからエレノアさんの方が何か気がつくかもしれないよね」

「そうだね。興味あるか聞いてみるよ」


 今は何処にいるだろう、と会場内を見渡して、赤い小さな実をつける低木の側でアレッタと会話するエレノアを見つける。


 それから、庭園の入り口になるアーチを執事に案内されながら歩く人影に目が止まった。

 彼の白金の髪と浅黒い肌はヴァルトセレーノ王国ではあまり見ないので、遠目でも目に入る。



「カスト、もう一人頼もしい人が来てくれたみたい。挨拶してくるね。――行こうか、ルチナ」


 視線を追ったカストが笑顔になって頷くのを見届けてから、ルチナに腕を差し出す。

 二人がアーチの下にたどり着いた時には、執事が案内を終えて去っていく後ろ姿が見えていた。会場内を見渡して四方の柱を観察していた彼は、こちらに気づくとポケットに突っ込んでいた手を掲げる。


「クラタナス君、来てくれて嬉しいよ。君の祖国からだと日数かかるでしょう」

「招待に応じるのは教会の教えだからね〜? それにしても、オーレン君から招待状貰えるとは思わなかったけどさ」


 嫌味ったらしく弧を深めるネヴィルの性格の悪さは健在のようだ。親しみを込めて揶揄われているらしいと知っても、ひくりと頬が引き攣りそうになる。


「友人に祝ってほしいと思うのは当然でしょう。冗談は程々にして、そろそろ紹介するね? こちらは私の妻のルチナだよ。彼は学友だったネヴィル・クラタナス君」

「お初にお目にかかります、オーレン伯爵夫人。とはいえ何度かお見かけしたことはありますよ。貴女の研究論文も拝見しておりました」


 がらりと雰囲気を変えて人当たりの良い挨拶を交わすネヴィルと朗らかに対応するルチナを見守りながら、自分にもこうしてくれていいのに、とマルティエナは心の中で唸る。


 ネヴィルに招待状を送ったきっかけは、アスタシオンの一言だった。


 ――――オーレンから招待状が届いたら、ネヴィルは喜ぶよ。


 あまりにも当たり前のように断言するので招待客リストに彼の名を書き加えたのだが、果たして喜んでいるのだろうか。


(学院を離れたら殿下と簡単には会えないだろうから、良い機会にはなると思うけど)


 アスタシオンとネヴィルは学生だった四年間、変わらず並び歩いていた。

 ネヴィルはそれなりに良い家柄の貴族らしい。ヴァルトセレーノ王国から遠く離れたネムレスタ公国の内情は出回っておらず、彼の自国での立ち位置を知らないのだが、ヴァルトセレーノ王国の第二王子に気楽に会える間柄ではないはずだ。


 だから、ネヴィルとの再会はアスタシオンも喜ぶだろうと。


 そう思っていたのだが――



「ねえねえ、アスタシオンって何処にいんの? 俺さ〜、あいつに良い土産話があるんだわ」



 嬉々としたネヴィルの瞳が細まる。

 反対にマルティエナの頬は引き攣った。


「殿下はまだ来られていないよ。外せない用事があって少し遅れるって文が届いたから」

「ふ〜ん? オーレン君よりも大事な用なんて、あいつにあったんだ?」

「当たり前でしょう。君、異国人だからって不敬過ぎるよ」

「そう? 失言だったね、ごめんごめん〜」


 含みをもたせたネヴィルの言動や表情の全てがマルティエナに警戒心を抱かせるからだ。


(何となく裏がありそうな気配がするんだよね……)


 蓄積された彼への先入観がそう思わせるのかもしれない。そうであってほしい。

 とはいえ彼によからぬ思惑があったとしても、アスタシオンなら意にも介さないだろう。


 それでも、アスタシオンには真っ先に一言伝えておこうと決めた。そうするほどにマルティエナにはネヴィルの様子が気にかかった。




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