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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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6.幸せの在り処




 薄らとした白い雲が青空を覆う午後のティータイム。

 ルチナと二人、主賓室のバルコニーでマルティエナは目の前に広がる青と白のコントラストを眺めていた。


 教会領にあるセルベスタの本邸は海に近い。邸を取り囲む白雪の奥に青々とした海が広がり、頭上には海を薄めたような水色の空に、光を透かす雲がのびている。


 有難いことにセルベスタ直々に案内してもらいながら教会領に足を踏み入れたマルティエナは初めて目にして触れた雪に感動し続けていた。

 それはルチナも同様のようで、この邸に着いて五日が経った今でも暇を見つけて景色を眺めている。


 ちなみにセルベスタは邸内も一回り案内してくれて、そのまま数泊していくかと思いきや「あとはごゆっくり楽しんでくださいね」と早々とローブを翻した。


 学院教師は忙しい。それなのに邸に着くまでの数日と復路の日数をこちらの希望に合わせて空けてくれたのである。

 礼の品を贈るだけでなくて、いつかセルベスタに恩返しがしたい。

 コルスタンにセルベスタの親切さを語ると「それが策略だ」と返ってきそうなものだが。


 隣の一人がけソファに座るルチナとの間にあるテーブルへと手を伸ばしてグラスを口元に運ぶ。


 ティータイムといっても用意してもらったのは酒だ。陽が昇る時間からアルコールの余韻を堪能できる贅沢を旅行中は楽しめる。

 シュワシュワと爆ぜる甘いシャンパンを舌先で転がしてから喉を潤した。


「もう一杯如何です?」

「ではグラス半分だけお願いしていいかな」

「ええ」


 氷水に沈むボトルをルチナの細い手が取り出す。

 使用人が普段する手順を思い起こしながら丁寧にグラスに注ぐ手付きを眺めていると、視界の端で影が動いた。室内とバルコニーを繋ぐガラス窓の方だ。


 視線だけを振り返ると、ガラスの奥に黒のスーツが見えた。

 コンコン、と窓を叩く音が続きエルジオが横開きの窓を開く。


「マティアス様、お客様がお見えです」

「うん? 随分と早いね」


 パーティーへの招待は三日後だ。天候を気にして早めに移動し始めたとしても流石に早い。余裕があるとわかれば、途中の町で観光しても良かったのだから。


 その辺り答えになる苦悩がエルジオの表情にのっていた。


「アルカシア様がお一人でお見えになられたのですが、気が動転していらっしゃるようです。奥様は後ほど紹介なさるのが宜しいかと」


 目配せして言葉を選んだエルジオにマルティエナはもたれ掛かっていた背を勢いよく起こす。


「クレイグが来たの!? ……ルチナさんは私が呼ぶまでゆっくりしていていいからね?」


 心得たとばかりにルチナが頷く。もしかしたら、と可能性の一つとして話していたのだ。

 学院を卒業してからというもの、連絡を取っていたとも音信不通だったとも言える相手。


 まったく、と小言を呟いて立ち上がる。


 一番の親友だと主張していた彼に一言言いたいのはこちらの方だ。



 ◇◇◇



 広間に繋がる階段を足早に降りていると、何やら階下が賑わっている。男女二人の声しか聞こえないが、和気あいあいとした空気感にマルティエナは息を吐く。


 エルジオの口ぶりからしてクレイグは相当感情が前に出ていたと思うのだが、陽気なカーチェに絆されたらしい。その声が耳に入ると、勝手に募り始めていた不満も収まった。


 階段を降りていても、全ての段差にカーペットが広げられているので足音はならない。


 それでもクレイグは目敏く気づいた。


 カーチェへと向けられた涼やかな笑みが、顔を持ち上げるにつれて真顔に切り替わる。


 けれどもすぐにカーチェへと笑みを向けて、会話に付き合ってくれた礼を述べた。礼をしたカーチェはマルティエナにも丁寧に礼をして広間を後にする。

 もてなしの茶を用意するのだろう。カーチェの後ろ姿を上から見届けて、再び階段をゆっくりと降りていく。


 クレイグの前に着いた時には、マルティエナは不満を露わにしていた。


「ようこそ、クレイグ。招待状を読んでもらえたみたいで安心したよ」


 それでも歓迎を示すのは礼儀だ。含んでしまった多少の皮肉は多めにみてほしい。



 クレイグには卒業してからも月に一通、手紙を送っていた。忙しい中でも割と頻繁だったのは息抜きの一つにしていたからだ。

 彼からも定期的に異国の品と文が届いていたので、礼状も兼ねていた。『マティアス・オーレン』への分とその妹への分。

 クレイグは会ったことのない『マルティエナ・オーレン』に律儀すぎるところがあった。


 それなのに音信不通と思えたのは、記した内容が噛み合わなかったからである。

 最初の一、二通は行き違いかと思っていた。けれども一方的な文面が都度記されていたので、いよいよ気付いた。


 クレイグは送った文を一つも読んでいないのだと。


 送り先は学院にした。

 クレイグは今、学院講師の助手をしている。異国を渡り歩いているとはいえ学院には定期的に戻るだろうと思ったのだ。侯爵家に送るより読む機会もあるだろうと。


 まさか、一番の親友だと豪語していた彼が読みもしてくれないなんて思わなかった。それほど忙しいのだろうと納得しても、腑に落ちきらない。薄情者め、と心のうちで罵ってみては虚しさが増すだけだった。


「お前からの手紙を読めてなかったのは悪かった、マティ。各地を転々としてたら、こっちに戻って来れなかったんだよ」

「へえ。一度も?」

「そう、一度も」

「なら偶々なのか。私が招待状を送った矢先に運良く戻ってきて、忙しい中、逸早く私達を祝いに来てくれたということだね」

「……そうなるな。悪かったよ。けど親友の結婚を知ったら駆けつけるのは当然だろ?」


 手のひらを顔の前で立てて眉を下げたクレイグにほとほと息を吐く。溜まっていた不満を吐き出せば、自然と頬が緩まった。


 安心したのだ。

 読まなかったのではなくて、読めなかったと知れて安心した。駆けつけてくれたことに安堵した。

 物足りなかった隙間が埋まるのを感じる。

『マティアス・オーレン』として過ごす中で、彼の親友で居続ける安息を心のどこかで求めていた。


(近すぎたから、そこにいることが当たり前になってたんだよね)


 それにしても、彼は自国に戻ってくることを忘れるほど勤勉だっただろうか?


 クレイグが選ばれた助手の仕事は自由度が高かったはずだ。いつ休みをとるか、何処に行くかも自由で、報酬は教師に提出した調査報告書の質と量で決まる。


(てっきり、社交シーズンじゃない時期に異国巡りを楽しむ程度だと思っていたけど)


 どちらにせよ、何事にも適度に終わらせていた彼が真摯に向き合っているのなら良い変化だろう。



「なら、綺麗で頼もしい私の妻を紹介しようかな。口説いたら許さないからね?」


 冗談交じりに笑う。

 クレイグが女性を口説く姿を長らく見ていない。彼に苦言を呈した後から、すっかり女好きの面が見えなくなった。自分の前でだけしないというわけでもなさそうだ。


 反応が返ってこなくて、僅かに背の高いクレイグを見上げると、色素の薄い前髪がクレイグの目元に掛かっていた。

 光を背に立っているせいで口元は微かに笑んでいるとわかっても向けられた眼差しがよく分からない。


「クレイグ?」


 てっきり軽口で返してくれると思ったのだが、どうしたのだろう。


 指先を伸ばして、目元を覆う前髪を梳くように横へと流す。

 目が合った。ずっと、目が合っていた。障害になっていた髪が払われただけだ。

 釣り目がちの眼差しが揺れることなくこちらを見ている。

 アイスブルーの透き通る瞳は動きを止めた水のように波打たない。どこまでも真摯で切実に感じた。



「……マティ、お前、今が幸せか?」



 静かに落とされた声音の中に縋るような雰囲気を感じる。

 何故だろう、と考えていつかのアスタシオンが思い浮かんだ。


(似てる。……でも、なんでそう思ったんだろう?)


 アスタシオンの言動は荒々しい風が吹きすさんで熱かった。対してクレイグは微動だにしない水面のようだ。微かな揺らぎもなくて、逆に不安に駆られる。

 それに「今()幸せか」なんて、何を気にしているのだろう。



「私は幸せだよ。今も昔も。これからもそうだと思うよ? 君もこうして来てくれたことだしね」



 ぼーっとしてないで行くよ、とクレイグの肩に手を置いて横に並ぶ。

 ぐい、と粗雑に肩に腕を回された。

 ふらついた体を寄せられて、いつの間にか背後から両腕を回されている。

 のしかかられているようで重さは感じなかった。


「ああ、俺はこれからもお前の隣に居続けるからな」

「うん。でも、妻の前では少し遠慮してほしいけどね」


 学生の頃の懐かしい距離感だ。年相応に冗談を言い合える気楽な間柄。居続けるなんて無理だと分かっているけれど、そう思えるくらい頻繁に顔を合わせられると思いたい。


 何かを吹っ切ったように笑みを浮かべたクレイグに、マルティエナも目を細めて笑った。






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