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4.穏やかな始まりの日



 扇状に広がる長机は等間隔にある通路ごとに区切られていて、どこに座るも自由だ。

 特段こだわりがないため真っ先に目に付いた空席に座ることにしたマルティエナは、余裕をもっても3人は座れるだろう席の中央寄りに座っている先客へと声をかけた。


「隣に座ってもいいかな?」


 くせのある栗色の赤髪が緩く跳ねた、小柄な少年だ。もしかしたら自分よりも背が低いかもしれない。


「え、あ、どうぞ!」


 避けなくても充分なスペースがあるのに、広げていた教科書を慌ててずらす少年は見るからに緊張している。せかせかと動く小動物のような姿に頬が緩んだ。


「ありがとう。私はマティアス・オーレン。名前を覚えてくれると嬉しいな」

「あっ、ぼ、僕はカスト・ブルーベン! よろしくね」


 腰を下ろしながら顔を傾けた際に掛かった長い前髪を指先で掬って耳にかける。日頃からよくする仕草だったのだが、なぜだか隣からは感嘆の息が漏れた。


「オーレン君は、美人さんだねぇ」


 ぱちぱちと視線が合う。

 マルティエナが繰り返す瞬きに「ごめんね、美人なんて言われても嬉しくないよね」と慌てて両手を振ったカストの前髪が乱れる。

 自然と手が伸びた。


「いや、私よりも君のほうが美人だと思ったんだ」

「へぇ!?」

「綺麗な二重だし、瞳も澄み渡ってる。眉も目尻も少し垂れ下がってて、柔らかな雰囲気が美人、というより可愛らしいかなって」

「お、お、オ、オーレン君!?」


 僅かに目にかかる前髪を掬って額で止める。

 よりはっきりと見えるようになった顔立ちは、やはり可愛らしい。肌は女性と比べても遜色ないほどキメが整っているし、健康的なハリのある肌だ。控えめな唇は口角が上がっていて、ふっくらとしている。

 徐々に紅く色づいていく頬を思わず親指でうっすらとなぞる。弾力があってしっとりと指先に吸い付く。


 見た目のとおり肌触りも心地いい、とマルティエナが感心したところで、バンッと頭上で乱雑な音が響いた。


「お前はアホか」


 低いけど低すぎない、さっぱりとした余韻が残る馴染みの良い低音。

 聞いたことのないその声が真後ろから聞こえて、激痛が走る頭部を擦りながら振り返る。



(あっ……この人がクレイグ・アルカシア……)



 マルティエナは一目でわかった。

 色素の薄い真っすぐに落ちるベージュの髪が天井の照明から降り注ぐ淡い光で透けて輝く。釣り目がちの瞳は光の加減で銀色にも見えるようなアイスブルーで彩られていて涼しげだ。加えて、すっきりと伸びた鼻筋に、引き締まった薄い唇。


 美少年だったとエルジオから聞いていたが、分厚い教科書を片手に見下ろしてくるクレイグは幼少時の美しさをそのままに成長したのだとわかる。

 思わず開いてしまった口をどうしようかと、擦れた声で繋ぎの言葉を絞り出す。


「えぇと……久しぶり。クレイグ」

「お前はとうとう男と女の区別もつかなくなったのか」

「……なんて?」


 何を馬鹿なことを言っているのだろうか、と頭を擦りながら首を傾げる。そんなマルティエナに呆れながら視線を外して、手持ち無沙汰の左手を前後に振った。


「ごめん。そっちズレてもらってもいい? 俺もここ座るから」

「あ、どうぞどうぞ!!」


 再び慌てて荷物ごと体をスライドさせたカストを目で追って、それから真横に立っているクレイグを見上げると、先ほどより乱雑に手を払われる。

 見下ろされた冷ややかな眼差しからは「さっさとずれろ」と無言の圧を感じる。


 乱れた髪を指で透きながらマルティエナもずれると、溜息を吐いたクレイグが音を立てずに座った。

 態度は横暴に感じたが物腰は優雅だ。育ちの良さが滲み出てるな、と関心をしてしまう。


「こいつ昔から女好きだけど、見境なくなったようだから君も気をつけてね」


(この人さっきからなんなの!?)


 あまりの言動に目を疑う。

 いくら兄の友人とはいえ、些か失礼すぎやしないか。

 兄に女好きだなんて遊び人のような言葉は似合わない。ただ、女性に対して紳士的に接しているだけのはずなのだ。


 なにがなんでも訂正しなければ気が済まなくなったマルティエナは、にっこりと笑みをつくってクレイグへと向ける。当然、視線は冷ややかだ。


「突然現れたかと思えば、誤解を招くような言い方は止めてくれないかな? もちろん一人の紳士として女性に丁寧に接するけれど、女好きと言われる覚えはないよ」


 態度には出さないが、心中では腕を組んで勢いよく鼻を鳴らしている。

 けれどもクレイグはマルティエナの肩を叩いて豪快に笑った。豪快といっても元々が美青年のクレイグの笑顔はどこまでも爽やかで、つい魅入ってしまうのが悔しくもある。


「待て待て、マティアス。冗談も程々にな? それよりもお前、俺のこと探そうともしなかっただろ。ほんとそういう所つれないよな。あんな手紙送ってきたからお前がいないんじゃないかって思ってたんだよ」


 冗談じゃない。

 そう口を開きかけたが、クレイグの口から次々と続いた言葉によって、喉から漏れたのは別の言葉だった。


「手紙……」



 ――あんな手紙送ってきたからお前がいないんじゃないか。



 クレイグはたしかにそう言った。

 それは一体いつの話だろうか。

 兄が両親に入学しないと話していた時? それとも、失踪の前後?


 聞いて確かめたいが、それは自殺行為だ。自分で出した手紙の内容を送った相手に聞くなんてあり得ない。

 兄を探すための足掛かりを少しでも手に入れたいのに、それとなく聞き出す手段が思い浮かばない。


「いないんじゃないかって、オーレン君入学できない事情かなにかあったの?」

「それな。私は入学しないから妹をよろしく、って何事かと思ったら、お前普通に来たからさ。……というか、妹ちゃんがいないんでない? オーレン君?」


(助かった! ありがとう、ブルーベン君!!)


 カストのお陰で聞けたこと以上は知らなさそうな雰囲気だ。マルティエナ自ら追及する必要がなくなったことに胸を撫で下ろして、講堂内を見渡しているクレイグに予め決めてきたことを話しだす。


「妹は身体が弱くてね。少し前に流行病に罹ったんだけど、その後の経過が良くなくて休ませてもらってるんだ。私は妹の為にも医学に特化した学院で学びたかったんだけど、親が許してくれなくてね」

「ん? 妹ちゃんが病弱だなんて初めて聞いた」

「成長するにつれて健康になるなんてよくあるだろう? 態々言うことでもないと思ったんだけど、妹は違ったみたいだよ」


 言葉にするうちに自然と視線が落ちる。

 父と決めた無難な策で、兄を見つけ出せたらマルティエナとして復学しやすい。けれど、一旦公にしてしまった設定を貫くには、マルティエナはマティアスとして過ごさなくなった後も、当分は周りの人を騙し続けなければならない。


 それが、今から心苦しい。


「そっか〜。オーレン君は妹思いのお兄さんなんだね」


 ほんわかしたカストの一言に空気が緩む。

 下がってしまった視線も持ち上がって、 ほうけた口を引き結んだ。


(そうよ、お兄様は私のことを心配してくれていたんだもの)


 クレイグに宛てた手紙。

 兄は何らかの事情があって入学を拒んでいた。失踪するしかないと追い詰められるほどに。けれど残していく妹が心配で、気心知れた友に託したのだ。


 鼻に触れる邪魔な前髪を人差し指で掬って横へ流す。嬉しさのあまり耳が赤くなっていたらと思うと恥ずかしくて、そのまま耳を指先で摘まむ。


「言葉にされると照れてしまうね」

「まあ、反対されて当然だよな。オーレン伯爵家の後継者様がここに来ないなんて」

「そういうこと」


 マルティエナとクレイグにとってはなんてことない雑談だ。しみじみと首を縦に振る2人だったが、カストは大きくなる声を抑える為に開いた口に両手を当てた。


「え、えっ、ええ!! オーレン君って伯爵家の後継者なの!? 立ち振る舞いが凄く綺麗だとは思ってたんだけど!」


 雑談している面々もまばらにいるが、大声で騒ぎ立てる者は誰一人としていない。誤った注目を浴びないように声を押し殺しながらも飛び跳ねる勢いのカストに、クレイグは更なる追い討ちを仕掛ける。


「ちなみに俺はアルカシア侯爵家の三男坊。爵位継げないからなんとかしなきゃいけないんだけどね〜」

「侯爵家!? あ、ぼ、僕はしがない平民の出で……」


 マルティエナがカストに身体ごと向いていても、これっぽっちも目が合わない。余程気が動転しているらしい。

 落ち着かせるためにも華奢な肩に手を置いて優しく叩く。澄んだブラウンの瞳と視線が合わさった。


「そういうのは気にしなくていいからね。私はブルーベン君と良い関係を築きたいと思っているんだ」

「オーレン君……」


 学院内では身分は関係ない、なんてことはない。

 社交界に踏み入る前の足場固めでもあるここでは、王族や貴族間の序列を弁えた振る舞いはある程度必須だ。そのうえで互いの名と顔を知り、学友となり、好敵手となり、身分を越えた良き友になることができるか否かが将来に繋がる。

 そして、それは貴族に限らない。出自に関係なく、国を支える組織の一員になり、いずれ栄えある役職に就く可能性がある。

 誰とどんな交友関係を育んでも、それが将来どう繋がるかは未知数だ。


 かといって浅く広い付き合いをしても大した意味はないし、兄に成り済ましている以上、行き過ぎた行動は自分の首を絞めることになる。

 深く考えすぎず直感に任せることにしたマルティエナは、人当たり良く穏やかなカストのことが既に気に入っていた。


「おいおい、男を誑かすなって」


 兄が信頼を寄せているらしいクレイグのことは気に入らないのだが。

 兄に対する評価が下がる前に一度本気で怒るべきだろうかとクレイグに向き直ろうとして、前方の扉から入ってくる一組の男女に目が留まった。



(あの子だ……)


 彼女の姿を見るのは2度目でも、マルティエナの感想は変わらなかった。

 纏う空気が違う。神々しいなんて表現は少々大げさだが、不思議と目を引くオーラがある。少しだけ近寄りがたいとも思わせる、息を呑む静けさ。


 けれども、彼女自身は表情豊かで溌剌とした性格のようだ。隣に並ぶ体格の良い男と、口を開くたびに表情を変えて笑い合いながら空いてる席へと歩いていく。


「マティアス、お前女の好み変わった? 年上のお姉さんばっかり相手にしてたのに」


 言葉を失ったマルティエナの視線の先に目ざとく気づいたクレイグが神妙に口を開く。


「クレイグ。君は少し下品になったんじゃないかな? それ以上言うと私は軽蔑するよ」


 クレイグに不審がられないかを第一に心配していたのが馬鹿馬鹿しく思えてきたマルティエナは、今は男なのだからと堂々と溜息を吐いたのだった。






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