5.目も眩む純白の地へ
婚約から結婚まではやることが山積みだ。
それに恋愛感情の伴わない契約結婚といえども、ルチナの希望は最大限叶えたい。
結婚目前で破談となってしまったルチナにとって二度目の結婚準備は複雑だろうに、毎日のように伯爵邸を尋ねては後回しにした雑務の整理をしてくれる彼女にマルティエナは声をかける。
「ルチナさんは結婚に際して希望とかある? 日取りや会場、規模や招待客……あとは旅行先とか」
二人きりの時はマルティエナは「ルチナさん」と呼ぶことにしていた。婚約者であって妻になる人だが、姉という感覚が最も近い。マルティエナに兄はいても姉はいないが、ルチナのような人が姉だったら頼もしかっただろう。
書類の仕分けをしていたルチナが手を止めて、考える素振りを見せた。それから静かな笑みを浮かべる。
「貴方様が隣にいてくだされば、どのような形でも構いません。お忙しいのですからご旅行も無理なさらないでください」
「私は結婚する予定がなかったから、この件に関して無知でね。ルチナさんのイメージがあれば、それを基にと思ったんだけれど……」
ルチナは控えめで相手を立てるところがあるので、マルティエナは意識して自分の出来ないことや困っていることを口にする。これまでは兄ならできて当然だと必死だったのに、彼女相手には不思議にもすんなりと弱みを吐き出せていた。
どうかな? と助言を求めて苦笑いをすると、ルチナは口元に手を当てて声なく笑う。
「では、これを機に私と考えてみましょう?」
婚約式も結婚式も夫婦のどちらかが住む地を管轄する聖堂で行われる。
司教と互いの立会人のみが見守る清廉とした聖堂で、生涯を供に歩むことを光と闇の神に誓うのである。
例外はもちろんあって、婚約式は王都の大聖堂で済ませた。お金さえ積めば王都の枢機卿がいる大聖堂や、クレメン教会の本拠地である、神が時折降臨するとまで伝わる神聖殿でも可能なのだ。
そのため、ルチナとの縁談を持ち掛けていたギルベック伯爵の手が伸びる前に早々と婚約式を終わらせた。
結婚式はルチナの父の意向もあって、オーレン領の聖堂で行うこととなった。送り出す娘が暮らしていく環境を直接見ておきたいと話していたので、伯爵領に数週間滞在してもらい、その間視察も兼ねて領地を案内する予定である。
問題は結婚披露パーティーと新婚旅行だ。
結婚披露パーティーは親族や友人、知人への結婚報告であり、新婚旅行は神からの祝福と伝えられている。
何方も実態は様々で、結婚当日に全てを実行する必要もない。
「パーティーは王都か貸邸の二択ですね」
自領で、という選択肢を最初から省いてくれるルチナへとマルティエナは満足に頷く。
伯爵夫妻の結婚披露パーティーを子爵領でというのは面目上好ましくなく、かといって領地の伯爵邸には『療養中のマルティエナ』がいることになっている。招待客の誰の目にも入らず、パーティーに一秒も顔を出さないのは流石に無理がある。
領地では親族だけで行い、友人らを招くパーティーは別に催す方が具合がいい。
「ルチナさんは何方がいい? 私は貸邸が良いかなって思っているんだよね。旅行先にも重ねれば、皆にとってもちょっとした休暇になるじゃない?」
マルティエナもルチナも招待状を優先して送る相手は学生時代の友人や長い付き合いのある貴族だ。貴族でも年若ければ大抵の場合は奉公にでている。その上で社交の場に足を運んだりと忙しなく過ごしているはずだ。
慶事へ招かれた場合は勤務の免除が許されているので、場所によっては旅行気分を味わってもらえる。
「皆さまも喜ばれますね。王都ではあまり付き合いのない貴族の方々の接待も多くなってしまいますし、私も貸邸での開催は嬉しく思います」
「決まりだね。行き先はどうしようかな。ルチナさんは憧れの場所や尋ねてみたい貸邸はある?」
「色々と気になっていたところはあるのですが……」
頬に指先を沈ませて記憶を辿るルチナの返事を待ちながら、マルティエナも頭を捻る。
裕福な貴族は自領と王都の邸だけではなく、他領に別荘を有している。そうした邸は閉館している間は貸邸になっていることが多い。
わざわざ別荘を構えるだけあって、海や湖沿い、崖上や一面が紅葉に染まる山奥など、どこも趣向が深いらしい。
貴族の間では年代に左右されず人気で、貸邸の特集として毎年一冊の本が売りに出されるほどだ。
ちなみにオーレン伯爵家にも別荘はある。が、王都とは正反対の辺境で、別荘といっても隠れ家のようなこじんまりとした佇まいなので人は呼べない。貸邸にもしていないので、手が空いたら建物の状態を確認しに行きたいものだ。
(やりたいことは多いんだけれど……焦ってもいけないよね)
昨年は丸一年、滞っていた領内の視察や予算配分の見直し、街道や橋、街の景観の補修整備状況の把握や指示といった現状維持に手一杯だった。これからはルチナの手助けもあるのだし、領地の発展を目指した計画も立てていきたい。
新婚旅行という名目で他領を偵察するのも良いかもしれない。それならば気候や地質が似た場所に行くべきか。
けれど、そんな決め方でルチナを喜ばせられるのか。いっそのこと、隣国と接する辺境で目新しさを体感するのも良い。
では結局何処がいいのか。
昨夜に目を通した貸邸の本に載っていた風景画と説明文を思い起こして想像する。
筆者が邸の佇まいを表す文章が多彩で流麗だったので、どこも魅力的に思えて一箇所に絞れないのが困る。
「雪――」
ルチナの静かな呟きが堂々巡りになってしまうマルティエナの伏せられた眼差しを上げさせる。
「え?」
「あ、いえ……雪の降る景色というものをいつの日か目にできればと思っていたのですが、教会領の貸邸は希望が絶えないと聞いておりますし色々と難しいですよね」
「私も見たことないなぁ。でも教会領か」
雪。
それは雨のように空から降り注ぐ、真白の綿のようなものらしい。とても冷えていて、肌の温度で溶け消えてしまうのだとか。
氷とは似ても似つかない雪というものは一部の地域でのみ見られる現象で、教会が云うには光の神ラスヴィータからの恵みなのだそう。
大陸の中央には天に届くほど高く細く伸びたヴィルシマ雪山があり、その山と周辺地域には季節の影響を受けずに雪が降り積もっている。汚れのない純白は光のように眩く輝き、光の神の存在を五感全てが感じとると伝えられている。
故に、各国が領土争いを繰り広げぬように一帯全てが教会領となっている。
見方によっては教会による独占なのだが、唯一の教権を有しているからこそ、どこも手を出そうなどとは思わない。光の神の怒りを買うことを恐れているのである。
そんな教会領土の境には貸邸が点在しているのだが、どこも大陸各地からの予約で数年先まで埋まっている――と、今年発行された本には記されていた。
実のところ、マルティエナも興味はある。
天に昇るヴィルシマ雪山は天候が良ければ王都からでも風景の先に見える。緑の山々の奥から、雲にも見える白線が太陽に向かって真っ直ぐに伸びているのだ。興味を抱かない人は皆無ではないかとも思う。
しかし教会領内のものは全て教会の所有物で、貸邸も同様だ。無論、予約の時点で厳格な人物審査が行われる。
学院でどれだけ評価されていようとも『闇属性を有するマティアス・オーレン伯爵』であることは変わらない。
領内への立ち入りを許可されても監視の目はつくだろう。
闇の古代魔法に気づかれるリスクも伴う。
そう思っていたので、教会領という選択肢を端から省いていた。
「う~ん……」
教会領と接する王領の貸邸からでも一応は見れるらしいが、それで「雪を見た」と言えるのか。
他に手はないかと唸るマルティエナにルチナが慌てだす。
「あの、他にも気になるところはあるのです。ポルト領にある月光花の庭園やメルサン領の空中水路、あとは青砂の星海浜も綺麗だとお聞きしまして。教会の方々は聖堂での勤めを転々としていらしていた方ばかりでしたので、各地にお詳しかったですよね。私、先生方とお話をさせていただく時間が好きでしたの」
ですから雪以外にも気になるところはあるのです、とゆっくりとした口ぶりで、けれど息継ぎする暇もなく語るルチナの言葉に、マルティエナは弾かれたように息を吸った。
「ルチナさん、もしかしたら雪が見れるかもしれないよ。一つだけ伝手があることを思い出せた」
「伝手……ですか?」
「うん。でも、断られたらごめんね? そうなったら他のところに行こう。これからの季節は青砂の星海浜が綺麗だって私も聞いたことがあるよ」
ルチナへと微笑んで、書斎の引き出しから便箋を一枚取り出す。
迷うなくことなく筆を滑らせて書き上げたのは、面会を取り付ける便りだ。
宛て先はセルベスタ。
枢機卿というクレメン教会の上層部に座するセルベスタは教会領に大きな邸と周辺の土地を与えられている。
しかしながら学院講師を引き受けてからは王国にも別荘を持ち、学院か別荘にいることが大半らしい。どちらが本邸か分からない状態で、いっそのこと貸邸にしようかと冗談交じりに話していたのだ。
そんな個人的な話を試験旅行の最中にセルベスタはしてくれていたし、そこそこ気に入られている自覚はある。教会領の貸邸を申請するよりは監視も薄くなるはずだ。
学院で得た人脈は最大限活用するべきである。緩むことなく続けた努力の末の繋がりは、数年先の選択肢を広げてくれる。
父が望んでいた在り方で、そんな『マティアス・オーレン』になれたことを誇りに思う。
(結婚祝いを催促しに行ったら、歓迎してくれるのかな?)
いつでも訪ねて良いと微笑んでいたが流石に呆れるだろうか。
それでもきっと、快く貸し出してくれる気がした。




