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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 2 --

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2.舞い込んだ縁談

 



 国王主催の舞踏会は会場から開幕までの時間が異様に長い。各地に散らばる貴族が漏れなく招待されているので、入場の際の名の呼び上げがちょっとやそっとでは終わらないのである。


 長々と待ちぼうけをくらいたくないなら時を見計らって遅れて現れる。対してマルティエナは早々と会場入りしていた。

 前列を避けた後方から、入場してくる貴族の顔と読み上げられる名を確認していく。全員を覚えれはしないが、オーレン伯爵当主としての重要人物や今後接点を持ちたい貴族の顔と名前は一致させておきたい。


 そんなマルティエナにアレッタは快く付き合ってくれていて、時々アレッタの情報網を耳打ちしてくれている。

 昨年は母も父に付き添って社交界には一度も出なかったので、アレッタの話はマルティエナにとってどれも貴重だった。


(今日のお礼に何を贈ろうかな)


 花束や菓子は定番だが、今日のお礼には物足りない。かといってアクセサリーだとアレッタの想い人がよからぬ勘違いをしてしまうかもしれない。それなら珍しい魔道具や魔法に関連する書籍だろうか。学院時代の友人という関係性が明確だし、アレッタの興味が惹かれそうな品も見つけられるだろう。


 続々と会場を満たしていく貴族を観察しながら、明日の日中に赴く魔道具書店を考える。

 そんなマルティエナの横でアレッタが溜息混じりのつぶやきを漏らした。


「今回もルチナ様は欠席なのですね……」


 ルチナという名を知っているかというと記憶にない。けれど、何となく聞いたことのある響きだ。

 隣に並ぶアレッタを横目で見て、それから視線の先を追う。


 人混みの中で年代の異なる数組が目に留まったが、どこの家紋の者だろう。読み上げられていた名も振り返って照らし合わせて、ああ……と頷く。

 学院生活の風景の一部として忘れていた記憶が徐々に蘇った。


「シーク子爵令嬢だったよね? ロブソン君が卒業したら直ぐに結婚するって話ではなかった?」


 記憶を基に話して、小首を傾げる。昨年は催し物の招待が来ても大半を断ったが、その中に結婚の知らせがあっただろうか。


 王立魔法学院で同学年だった彼とは軽い挨拶はしても特段親しくなかった。基礎科目だけでなく選択科目も滅多に被らなかったので、お互いに顔を知った間柄程度。領地もそこそこ離れているので、領地間の関わりを得たいかとなると答えは何方でも良い。

 そう思っていたのはお互い様だと感じられる距離感で時々会話を交えていた。


 故に祝いの場に招待されていなくとも不思議はない。招待客リストに載らなかったのかと、事実を淡々と知るだけだ。


「ええ……」


 広げた扇で口元を隠したアレッタが声を極限まで潜ませる。気落ちした余韻が雲行きを知らせていて、周りに注視されないよう視線は入り口に目を向けつつ耳を傾けた。


「そうなさるご予定で日取りを決めていらしたのに、お労しい事件に巻き込まれて婚約破棄されてしまったのです。以来、一度もお見掛けしておりません。男性恐怖症になってしまったともお聞きしましたわ。お手紙をお送りしたのですが、お返事もいただけませんし」

「そんなことがあったんだね……」


 口ぶりからするに男に襲われたのだろう。未遂にせよ身の潔白を証明するのは難しいし、事件に巻き込まれたと社交界に知れ渡ってしまったら悪い噂が波のように立つ。

 純白を重要視する貴族社会において婚約破棄に至るのは致し方ないことではある。


「そのような状況ですのに、ギルベック伯爵様が後妻に望まれていると近頃噂になっておりますの。相手が相手ですから心配で」


 アレッタが囁く声に嫌悪が滲む。マルティエナも浮かべる微笑の下で歯を苦々しく噛みしめた。


(なんとか止められないかな)


 第一王子やコルスタンと同学年のルチナ・シーク子爵令嬢とは二度、会話をしたことがある。

 一度目は彼女の卒業パーティーで、ロブソンから婚約者の紹介をされた。二度目は自分達の卒業パーティーだった。彼女はロブソンが卒業するまでの二年間、助手として学院に在籍していたのである。


 ロブソンを立てる控えめな令嬢だったが、会話をすると知識も幅広さが窺えた。

 彼女は魔法衛生学の教授の元についていたので、講義を選択していなかったマルティエナは関りがなかったが、情報資料館でひたむきに書物と向き合っている姿を何度も見かけたものだ。


 彼女が得た知識や人脈をもってしてロブソンが次期当主として評価を得られる将来がマルティエナには見えていた。そんな彼女を、彼女に非がないことで手放すだなんて勿体ない。


 それに、噂されているというギルベック伯爵は危険だ。

 男女関係なく美人であれば手を出す好色家の面は隠しきれておらず、社交界に出入りする誰もが知っている。事実かはわからないが、美人を傷物にしたり、痛めつけることも好むと専らの噂だ。

 加えて、父が厳重にしまい込んでいた貴族らの裏情報によると、規制を越えた闇賭博や人身売買にまで足を踏み入れていて、破産も近いだろうと記されていた。


 そんな年老いた男の元に容姿の整った彼女が嫁いだら、どんな扱いを受けるかは想像に難くない。しかし、表向きは金も権力もある伯爵からの縁談に一介の子爵が取れる選択肢は一つ。


 そんな扱いを受けるくらいならば――


(私のところに来てくれないかな?)


 ふと頭を過ぎった思いは妙にしっくりと来て、マルティエナはさっそく行動に移すことに決めた。



 ◇◇◇



「して、オーレン伯爵。期待高い貴方様からお声がけいただけて光栄ではありますが、新しい事業とはどのようなお話ですかな」


 遠回しに遠慮を申し入れたそうな雰囲気が滲むシーク子爵を前にマルティエナは口を引き結んだまま笑む。


 舞踏会が幕を開けてから長いこと、マルティエナはオーレン伯爵領の隣領を治める一回り上の侯爵の案内で挨拶周りをしていた。それからアレッタと一曲踊った時に、シーク子爵の紹介を頼んだのである。


 言わずともマルティエナの目的を察したアレッタは口を尖らせて拗ねていたが、納得もしてくれていた。

 そんな彼女は今、シーク子爵夫人とともに休憩室で足を休めている。


「何からお話しましょうか」


 左手を顎先に触れて腕を組んだマルティエナは、人目に触れないように右の指先で小さく文字を描く。そのまま魔法を発動させると風と水の魔力を薄っすらと伸ばした透明な結界になる。


 アスタシオンが用いていた防音の術だ。


 何かを話していることはわかっても、詳細は聞き取れない。薄い水膜を部分的に波打たせることで見える世界を歪ませて唇の動きを読ませない。

 微調整が難しいので気力を使うのだが、学んでおいて良かった。


「実のところ、何も決まっていないのです。シーク領の詳細をまだ知らないもので、子爵には申し訳ない話ですが」

「……は? いえ、では一体なぜ」


 へらり、と苦笑いを浮かべたマルティエナは困惑気味のシーク子爵を見据える。


「子爵には一つ、私の申し出を聞いていただきたい。その上で領地間での交流を得られればと思いまして」


 びくりと彼の肩先が揺れた。

 随分と萎縮した子爵の姿に伝え方を間違ったと思い直す。


 年頃の娘がいれば婚約話だと勘付くところをそうできなくなっているのは、伏せ切れなかった被害の大きさを物語っているようだ。

 余計な心労をかけさせないように、実直で柔らかな物言いをマルティエナは心掛ける。


「とある噂を耳にしたのです。ギルベック伯爵がご令嬢を後妻に望んでいると。それは事実ですか?」

「噂がどうであれ、伯爵様には関係のないことではないですかな」

「貴殿では断れない縁談でしょう。ですが、あの男にご令嬢を嫁がせるなど分不相応もいいところだ」


 温和に、と思ってはいても言葉と共に眉間に力が寄る。


 ギルベック伯爵も今夜の舞踏会には当然出席していて、マルティエナも一度言葉を交わした。元々交流はなく、領地も離れているので挨拶する気はさらさらなかったのだが、向こうから話しかけてきたのだ。


 アレッタをかばうように半歩前に出たマルティエナにまで向けられた色欲に染まる眼差しに肌が粟立った。初対面の頃のアレッタが男を苦手としていたのはギルベック伯爵のような視線に辟易していたからで、それは女性にとって鬼気迫る恐怖を抱かせると身に染みて実感した。


 零れ落ちた前髪に指先を添わせて、息を吸う。


 この選択は正しいものなのか――


 今は良くとも数年先はわからない。自分にとって、兄にとって、彼女にとって最善の選択肢で在れるのだろうか。

 彼女を救うつもりで、数年後には追いやる結末になりはしないか。


 何通りも考えてはみたが、今の彼女の現状を変えることがマルティエナの考え得る最善だった。


 困惑した面差しの子爵へと微笑む。ゆっくりと、思考が追い付いていなくとも一度で理解ができるように唇を動かした。


「そうなるくらいなら、私の嫁にほしい――と思いましてね」


 ぴたり、と止んだ目線の動きに「ご検討していただけますか」と首を僅かに傾ける。


「は……? いえ、しかし……ああ、オーレン伯爵は昨年社交界に出席なさっていなかったので存じないかと思いますが、私の娘は」

「痛ましい事件に遭い、男性に対して恐怖を抱いておられるのですよね?」

「ええ、はい……そこまで知っているのでしたら、何ゆえ」

「とある事情により私には婚約者がいませんし、妻を娶るつもりもありませんでした。しかし、私は爵位を継いだばかりの若輩ですし、父も病を患い公務に携われません。私の補佐をしていただける有能な方がいないかと思っていたところなのです」

「なるほど……いえ、しかし」


 困惑しながらも物事を冷静に捉えようとする子爵の様子から、律儀な性格が窺える。この人となら表裏なく良い関係が結べそうだと思えた。


「ご令嬢にご挨拶したのは二度しかありませんが、姿は度々見かけていました。とても聡明で優秀と見受けられましたし、人柄も良い。当時の婚約者が伯爵家の嫡男だったことを考えても、私が求める人物像に一致しています」


 言葉を紡ぐことで心配事を一つずつ取り除く。


「私は彼女の同意がない限り指一本たりとも触れないとお約束しますし、私の補佐といっても彼女が可能な範囲で構いません」


 安心させる笑みを浮かべて、再び「ご検討していただけますか」と首を僅かに傾けた。


「そのように仰っていただけて大変光栄ですが……伯爵様はラングロア侯爵令嬢と親しく見受けられましたし、他にも良き相手がいらっしゃるのではないでしょうか? 私の娘を憐れに思ってのご提案でしょうし、喜ばしい申し出ではありますが、いやはや……」


 子爵の渋った返答に今度はマルティエナが目を瞬く。

 断り文句というよりかは、かえって心配されている節がある。


「先ほども申したように私には婚約者を定めない事情があります。アレッタ嬢に私()釣り合えていないのですよ」


 生まれ持った闇属性の魔力によって危険が隣り合わせのように、生まれついた性別が見えない隔たりをつくる。


 ――マルティエナでもあり、マティアス・オーレンでもある私はその何方にいるのだろうか。


 くだらない、と吐き捨てるように浅く笑む。何もかも偽っている時点でどちらにも属せやしない。


「とはいえ、公にはできない事情(それ)をご令嬢が受け入れてくださることが前提としてありますので、まずはご挨拶する機会をいただきたいのですが」


 沈痛な面持ちで瞠目する子爵にとって、己が理解し難い存在であることだけは確かだった。



「これが娘の最後の機会やもしれません。必ずや後日連絡差し上げます」



 絞り出された声は固く、切実さが芯にある。子爵にとってはマルティエナの申し出が選択肢に加わったところで苦渋の決断なのだ。


 闇属性の魔力を有した伯爵だが、王族から有能と見做されている。けれども口外できない事情を抱えている人物。

 ギルベック伯爵に嫁げば悲惨な目に遭うのは確実だが、『マティアス・オーレン』に嫁いでも最悪の事態が待ち構えているかもしれない。

 娘を守る術がない故の承諾で、ある種の賭けなのだろう。


 マルティエナとしてはシーク子爵令嬢の身の安全は確保する予定だが、約束ができないのも事実。

 それに最終的な決断をするのは自分ではない。


「繰り返しになりますが、私はご令嬢の意志を優先します。無論断っても構わないので遠慮なく、と伝えていただきたい」

「有難きお言葉に感謝申し上げます」


 子爵が深々と腰を折ったことで、向き合っていた視線が逸れる。

 一瞬だけ、静々と凪いだ子爵の瞳に滲みでた水膜の意味を考える。


 子爵を通して、父は私に何を望んでいたのだろうか、と考えていた。そんな会話を長らくしていなかったのだと情けなく思った。


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