1.終わりのない日々を経て
慣れというものは有り難い半面、心を鈍化させる気がする。
伯爵邸に戻ってからというもの、状況の把握と舞い込む案件に日夜振り回されて感情の整理をする余裕がなかった。当時はそれが返って良かったのだが、一年が過ぎて余裕を持てるようになった今では虚しさばかりが胸の奥でひしめく。
期待はしていなかったが、やはり兄は戻ってこない。
父はマルティエナが知る父ではなくなっていた。
そうなってしまったのは父の責任感故だった。
父の代わりを執事のセヴランや父の従者、エルジオと共に担っていた母から聞かされたのだが、兄が失踪して一年と少し経った頃から足取りを追えなくなっていたらしい。
丁度、マルティエナがニ年生に上がった時だ。
毎年長期休みには邸に戻ってきて近況を話していたというのに、父は一言もそんな話をしなかった。
それどころか「状況は変わらないが、目撃情報は時々得られているから任せてくれ」とまで言っていた。
父が頼りにしているセヴランや従者も知らず、母も聞かされていなかった。
誰にも打ち明けられない悩みを唯一吐き出せる聖堂にも行けない。司教の導きも許しの言葉も得られず、独りで抱え込んでしまったのだ。
寡黙で実直。伯爵当主としての矜持も積み重なった信念もある。
だから、実の息子が失踪した挙句、行き詰まって手に負えない状況であることを誰にも話せなかったのではないか。父の負担を顧みなかったことを今更ながら後悔している。
結局その事実が発覚したのは、父が幻を信じきった後だった。兄の捜索のために異国へ送り込んだ騎士からの文で知ったのである。
書斎を引っ掻き回しても、過去に送られてきた文は見つからなかったという。父の手で全て処分されていたらしい。
辛うじて残っていたのは兄の足取りを示した地図だけで、騎士を呼び戻して捜索を止めたら不要な遺物になる。
邸に戻って数日経った後、アスタシオンに求められたのでマルティエナはそれをあっさりと手放した。
アスタシオンが「君に危険が及ぶことはないよ」と言えば心配はいらない。それは兄が拘束されないことを示唆する言葉で、要約すると闇属性の魔法士集団を殲滅する意志を持ち合わせていないということだ。
以降その件に関しての連絡は来ていないが、文に記せる内容ではないのだから当然である。
いつでも学院を尋ねてほしいとセルベスタから別れの言葉をもらったので学院に行けばいいのだが、生憎と移動に費やす時間が取れなかった。
(殿下は今日の舞踏会に出席すると書いてあったけれど、他の皆はどうかな?)
馬車に揺られながら、特別親しかった友人達の顔を思い浮かべる。卒業してからも頻繁に文のやり取りをしている者もいれば、年に一度くらいしか連絡を取り合えなかった者もいる。
折角王都を訪れたので、一度くらいは会いたいものだ。
「到着いたしました、御当主様、マティアス様」
緩やかに公道を走っていた馬車が停まり、父の従者が扉を開く。
「いよいよ、か」
独特な光沢が陽光を反射して模様を浮き上がらせる白亜の壁と、エメラルドを連想させる煌びやかな新緑の装飾で統一された宮殿が視界を埋める。
遠目からは何度も眺めていたが、いざ訪れると威光をひしひしと感じる佇まいに圧倒される。
同時に、アスタシオンが生涯を捧げる世界はこんなにも眩いのかと息を呑んだ。
空気が違うのだ。どういうわけか光の魔力で満ちていて、どこもかしこもマルティエナには眩しすぎる。光が痛くて、指先が痺れる。
宮殿には光魔法の結界が施されていると聞いてはいたが、随所の部屋毎だと思っていた。敷地の広い学院を上回る宮殿全域を覆うほどの結界をどうやって創り出しているのだろうか。
学院を卒業しても謎は多い。社交界に赴くうちに、更に増していくのだろう。
疑問を抱いても余計な深入りはしない。それがマルティエナがオーレン伯爵家を守る為にすべき行動だ。
(まずは、爵位の継承を無事に終わらせないと)
書類は一式揃えて提出している。
今日は最終的な承認を得る為に、国王へ謁見する日。
その後は社交シーズンの開始を告げる盛大な舞踏会が控えている。
なんてことはない、と言い聞かせてマルティエナは靴音を響かせた。
◇◇◇
「では、爵位継承は滞りなく終えられたのですね」
朱に染まる陽が差す馬車の中、アレッタが胸を撫で下ろす。
マルティエナの緊張をアレッタも感じていたのだろう。
王国主催の舞踏会へ向かっている最中で、再会の挨拶もそこそこに昼間の用件に切り替わった。
爵位継承は当主の死によって行われるもの。それを生前に済ませる場合は適した理由が必要になる。
年齢を理由に継承することが多いのだが、マルティエナの父はまだ五十手前。加えて、継承者が学院を卒業したばかりの若輩である。
一見すると健康そうな父では爵位を譲り受けることが難しいので、認めてもらうために複数の医者からの診断書と血族や近隣諸侯の当主からの一筆を用意する必要があった。
他にも『マティアス・オーレン』が当主足り得る人物であることを貴族や司教に証してもらいもした。
「心配してくれてありがとう。父の様子がおかしいことは噂として聞き及んでいたみたいでね、あっさりとしたものだったよ」
手紙には何も書かれていなかったが、アスタシオンが手を回してくれたのだろうか。二人きりで話せる機会があれば礼を伝えたい。
「それに陛下からは有難い話もいただけたんだ」
「一体どのような?」
「殿下が王宮に戻られた後の社交シーズン期間は第二王子の執務室で補佐に入るようにとね」
「まあ! 素敵ですわ! 学院での評価をお気に召して下さったのですわね」
「来年からの話だけれど、期待に添えるよう頑張ろうと思ってる」
社交シーズンは言い換えると貴族院議会の開催期間である。
ヴァルトセレーノ王国は国土の広さに比例して貴族の数も多い。そのため、全ての貴族当主が参列しては話がまとまらないと、国王の命で議員が選抜される体制になっている。
よって、末席に選ばれていた父の後を引き継ぐことはない。
社交のために王都に来ても昼中は空白の時間になるので、国王が有意義な任を与えてくれたのだ。将来有望な人材だと見込んでくれているも同義である。
とはいえ、闇属性を有していることで監視的な意味合いもあるのかもしれない。それでも爵位を継いだばかりの『マティアス・オーレン』にとっては喜ばしい提案だった。
「アレッタ嬢は? 元気そうで安心したけれど、この一年どうだった?」
文でのやりとりはあったが、便箋に書ききれずに終わった些細な話も聞きたい。
「まあ、何からお話しいたしましょう。昨年の社交界での出来事に、お勤め先のこと、それとも恋のお話かしら?」
ここ一年を振り返るように視線が逸れて、言い切る時にはふふっと口元を押さえてはにかんでいた。
アレッタの幸せそうな姿にマルティエナも自ずと頬が緩む。
「その口振りからするに、素敵な相手が現われたようだね?」
「ええ、生涯を添い遂げても良いかしらと思えるお方に会えましたわ。まだ、そう思え始めたところなのですけれど」
そうは思えないけれど。
口に出さずに、マルティエナは窓から遠くへ視線を投げたアレッタを見守る。
視線の方角と王都の地図を照らし合わせると、アレッタが学院卒業後に身を置いている精霊遺跡の王立研究所がある。そこで知り合ったのだろうか。
「アレッタ嬢から見たその人はどんな人なの?」
「そうですわね……少しだけ貴方様に似ていらっしゃいますわ。私を映す眼差しが物静かな方です」
鮮やかな紫の瞳にあるのは恋情の懐かしい面影だった。離れていた一年の間でアレッタは恋心の在りかに区切りをつけたらしい。
「五つ年上の職場の先輩なのですけれど、食の好みが似ていたことがきっかけで親しくなったのですわ。お互いに行きつけのレストランを巡るようになりまして、二人で過ごす時間が心地良く思えていますの」
長年望んでいたアレッタの姿が喜ばしいのに、胸の奥底がじくじくと冷えた。そんな自分勝手な寂寥には蓋をしよう。
「私もいつか挨拶できたら嬉しいな」
「今夜もいらっしゃると仰っていましたから、貴方様に紹介いたしますわね」
「あのさ、アレッタ嬢。……今日の舞踏会は私がパートナーで良かったの?」
これではアレッタの恋を応援するどころか遮っている。申し訳なくてマルティエナは眉根を寄せる。
対してアレッタは目を見開いた。どことなく不機嫌になった気もする。
「約束したではありませんか」
卒業パーティーでの話だ。
領地に戻って爵位継承の準備をする為、社交界に顔を出すのは先になりそうだと話したマルティエナにアレッタが持ち出した約束。
「うん、覚えているよ。でも、私の他にパートナーがいれば他のご令嬢を紹介してくれるとも話していたよね?」
だからマルティエナも約束した。それならばアレッタの新たな恋路の邪魔にはならないと思ったからだ。
「貴方様との先約を断ってまであの方からの誘いを受け入れるほど、恋が育っていませんの。それに――」
気づけていないだけじゃないかな。
口には出さずに、アレッタの伏せられた視線を見つめる。
「寂しかったのです。どのような形であれ、貴女様といたいのですわ」
考えるよりも先に体が動いていた。
伸びた両腕がアレッタを緩く抱き寄せる。
ふわりと漂う香りは学生だった頃と変わらない。じくじくと底冷えする感覚はあっという間に消えていた。
「私も同じ気持ちだよ。一年間会えなくて寂しかったから、パートナーの返事をもらえて嬉しかったんだ。貴女の想い人を知って、恥ずかしいけれど嫉妬もした。素直に喜べなくてごめんね?」
この感情が恋情か友情かなんて判別できないけれど、好きだという事実は変わらない。
だから、アレッタの言葉が腑に落ちた。
「あら、嫉妬してくださったのですね?」
ふふっとアレッタが喜びをのせて微笑む。そんな彼女をこの先も隣で見ていたい。
時々こうして二人きりで話がしたい。
それができるのなら、どんな形でも幸せなのだ。




