43.夢にみる
卒業式の翌日は陽が暮れる頃には人がめっきり減る。
学院内に残っているのは教師と数少ない助手だけだ。
雑務をしながら空いた時間に研究を行い、一対一での指導を受けれる助手は、卒業後の進路のひとつで任期は最大二年である。
任期を終えたコルスタンから引き継ぎを受けたアスタシオンは割り与えられた個室の整理をして時間を潰していた。
人を待っているのである。
壁に掛けられた時計で時刻を確認して、窓の外を眺める。空は淀んだ雲に覆われていて窓にはひっきりなしに雨粒が当たっていた。
数刻前に兄が顔を見せたのだが、雲行きが怪しかったので先に王宮へと帰ってもらって正解だった。
兄の背後にはエレノアもいて、一度王宮に連れていくのだと言う。この個室を使い勝手の良い部屋に整えておきたいので一足先に二人で戻ってほしいという断りに兄は快く頷いていた。
兄がエレノアを連れて学院を去る姿を窓から見送ったので、アスタシオンには厄介な人物が一人減ったと言える。
雨の降り具合を見るに、学院に一泊したほうが良さそうだ。
指先で文字を記して魔力を送り、天井からつり下がる照明の灯りを強める。
書斎周りの書類を整理し始めて半分ほど片付いたところで粗雑に鳴ったノックに手を止めた。
「どうぞ」
合図を送ると音のない所作で人が姿を見せる。先ほどのノックとは異なり気品のある振舞いが身に染みている。
つまり、先ほどの粗雑なノック音は故意だ。
「君が無事に助手に選ばれて安心したよ」
顔を顰めた人物に声なく笑う。
アスタシオンの指示通りに行動した時点で目の前の彼は協力者で、アスタシオンの手足になった。不服に思われていても手を尽くす意思があればアスタシオンにとって支障はない。
「それで?」
無駄話をしないところを快くも思う。
彼の物言いは目的を成し遂げるための決心を感じさせる。
「マティアス・オーレンは闇属性の魔法士集団にいる。君には私の代わりに接触を試みてほしい」
「……教会と国が何百年もできないことを出来るとは思わないけど」
「それは私と君次第かな? 最近は闇属性の魔法士集団と思しき人物の目撃情報が増えつつあってね。予測と判断が合えば接触できるかもしれない。確率の低い賭けだけれどね」
危険な賭けだ。
既に千切れてしまった糸を手繰り寄せようとしている、無謀な賭けだ。
無言のまま思案する彼にアスタシオンは続ける。
「私は方々から情報を集めて推測を立てる。君は私の代わりに足を運ぶ。その為に君をバロン先生の助手に推したんだ」
バロンは国際文化学の教師である。
その助手が何をするのかと言うと、とにかく異国の地を渡り歩く。学院に留まる教師の代わりに各地の文化やその変遷を記録するのだ。
助手は人数に制限なくとっているのだが、己の身を守れる力と各地を渡り歩くための知識、現地の住民から話を聞き出す話術や観察眼、知的好奇心や感受性といった様々な観点を必要とされている。
それに、万が一旅先で命を落としたり行方不明になっても自己責任のため、保護者の同意が必要不可欠だ。
彼に対する親の教育方針は知らないが、許可を得れて何より。
対するアスタシオンは闇属性の魔法士集団や闇の魔法関連を専門的に研究している、教会で枢機卿とは異なる特権を与えられた教師の助手になった。
本来であれば助手は取らないのだが、ヴァルトセレーノ王国の王族だからこそ許される。
前任のコルスタンは教会と国が鎖で繋いでいる対闇属性の魔法士集団の狂犬なので本人の意思に関係なくここに配置させらていた。研究目的もあったのだろう。
彼は長年反抗心が燻っていたようだが、最近はなりを潜めている。
元来根が素直なようで、与えられた雑務は漏れなくこなしていたようだ。彼を師として慕っていた彼女のお蔭だろうか。
何はともあれ、これで互いに本来の業務を片手間に目的を果たせる。
助手という立場は外部からの干渉を最小限に抑えられる隠れ蓑でもある。
王宮に戻った日には予定は公務で埋まり、監視の目も増える。そうなると彼女の為に裂ける時間は限りなくゼロに近い。
いや、実際は彼女の為ではない。
彼女は既に兄を見限った。自身をも見限って、偶像のマティアス・オーレンを実在させ続ける決意を固めていた。
兄を探すのは諦めます、と彼女が口にした時から、アスタシオンの思考の全ては己の為になった。
今までの関係性も気に入っている。
彼女が『マティアス・オーレン』でいた方が会う機会も幾分かある。
彼女が婚約者になることなどないのだから、彼女の兄が戻らないままでいるほうが好都合だ。ある意味、彼女の心の一端を独占できるのだから。
そんなことを考えてみたことは何度かある。
何度も、夢のような理想が現実になることを望んだりもした。
最終的に何を選んだかと言うと、彼女を本来の彼女に戻すことだった。
――それで彼女と話せる機会がゼロになったとしても。
仕方のないことだった。
マティアス・オーレンが彼女だと知った時から思い描いていたのだから。
一度として見せてはくれない本来の姿を見せてほしい。それが見れるのなら声も届かないような遠目からでも構わない。
対する彼はどうだろう。
(羨ましいと、何度だって思うのだろうね)
留まる嫉妬とは裏腹に清涼な何かが肺を満たす。不服ではあるが、そんな彼を憎からず思っている。




