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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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40.別れを告げる日

 


「おかえりなさいませ! ご主人様」


 寮の自室に戻ると、約二か月ぶりに再会したカーチェの眩しい笑顔で迎えられた。


「ただいま、カーチェ。元気そうでよかったよ」


 マルティエナも微笑んで挨拶を告げると、そのまま室内を見渡す。

 送り届けた荷物は梱包を解いて一か所にまとめて整理されている。直近に送った荷が丁度一番上に置かれていた。

 荷物の受領のために部屋を後にしたわけではなさそうだ、と姿の見えないエルジオの行き先を考える。


 尋ねようとして視線を戻したマルティエナは、眉を下げて困惑したカーチェに驚いた。

 複雑な状況に追い込まれたのは自分だけではなかったらしい。その原因がなんとなく予想できてしまって、口を開きかけたカーチェへと首を傾けて微笑む。


「まずは二人でお茶でもどうかな? この国では流通されてなさそうな茶葉を見つけてね。煮だしたらとても綺麗な黄金色になるんだよ」


 それに美味しいお菓子もね、と付け加えると、マルティエナの希望を察して早々と切り替えたカーチェの「まあ!」という感嘆が耳に届いた。

 異国感が漂う紙箱や缶の中から二つ選んで手渡す。


「では、ご用意して参りますのでゆっくりお休みになっていてくださいませ」


 にこにこと部屋を後にしたカーチェを見送ると、羽織っていた外套を背もたれにかけてカウチへと体を沈めた。一瞬にして立ち込め始めた靄も、カーチェとのお茶を楽しみにすると、心なしか鎮まった気がした。



 ◇◇◇



 小皿に並べられた焼き菓子がなくなり、ティーカップに注がれた芳しい茶の香りも霧散した頃合いを見計らって、マルティエナは土産話を締めくくる。

 カーチェの気をひきそうな話は山とある。それほどに見聞を広げれた貴重な旅路だった。


 秘密を共有しているカーチェと過ごす時間はマルティエナにとって特段心休まる。元々、マルティエナが本来の姿で過ごしていた幼少期からの関係なのだ。

 兄としてこの場にいるのだと自分自身に釘を打たずに、ありのままに過ごせる。最近では意識せずとも兄としての在り方が身についているのだが、それでもやはり、カーチェの前では心に嵌めた枷が緩まる感覚があった。


「エルジオが戻ってきてないのは、お父様に関係があるんだよね?」


 ここでいう父は、エルジオではなくマルティエナの父だ。


「ええ、はい。ご主人様……」


 溌剌なカーチェが珍しく言葉を濁す。


 出迎えてくれた後もそうだった。エルジオの姿を探したマルティエナに何かを伝えようとして躊躇っていた姿。一目見て気遣ってくれているのだとわかった。旅疲れを増幅させてしまうか、旅の余韻に影を差してしまうから。


 だから、マルティエナは父の――オーレン伯爵当主のことで懸念があってエルジオが伯爵邸に残ることにしたのではないかと思ったのだ。


「なんとなく……ね。想像はついているから、カーチェ」


 心配しなくていいと声に込める。

 カーチェの下がった眉が更に下がった。


「ご当主様は、お心が疲弊なさっておいでです」


 とつとつと、言葉を選びながらカーチェは告げる。


「姿を消されたのはお嬢様で、マティアス様は順風満帆に学院に通われていると思っていらっしゃいます」


 ――予感はずっと前から感じでいた。

 長期休暇で帰省する度に、父は名を呼び間違える回数が増えていた。


 兄と見間違える父に申し訳ないと思いつつも、今更女性として過ごせる気がしなかった。それに、そうしてしまえば兄には戻れない気がしたのだ。


「ご当主様は、お嬢様が失踪された当時に何故内密にしてしまったのかと後悔されておられます。古代魔法のことを全てお忘れになって。闇属性を有することを懸念していたと考えですが、マティアス様がご期待以上の人脈を得られているので、そんな必要はなかったはずだと仰っておいでです。今からでも遅くないのでは、と」


「それでエルジオが残ったのか」


 思考がそのまま漏れた呟きにカーチェが頷く。


「失踪されたのはお嬢様ではなくマティアス様だとお伝えすると、ご当主様は頭を抱えて苦しまれるのです。そのまま意識を失って、目が覚めると全てをお忘れになります。そのような状態ですから、他の面でも影響がでております」


 相槌で続きを促すと「不躾な物言いになってしまいますが」と間を挟む。


「何事においても、ご当主様にとって都合の良い内容に記憶が書き換えられているのです」

「それは私達には関係のないことでも、ということで合ってる?」

「はい。ご当主様の様子がおかしいと徐々に知られつつあります。今は執事のセヴランさんとエルジオが補佐をしつつ奥様が代わりを担っておりますが、記憶が混濁されている状況を隠し通せないでしょう。奥様が、卒業後には戻ってきてほしいと仰っておられました」



 マルティエナは卒業後も学院に残ることを希望していた。教師の助手として留まれば、学生の立場では見えていなかった面も知れるのではないかと思ったのである。

 それが兄の失踪の要因を探る最後の期間でもあった。


 カーチェを通して伝えられた母の言葉に一度、深く息を吸う。


「それって――爵位の継承をするってこと?」


 まだまだ先の話だと思っていた。

 今回の旅路でようやく身に迫る話だと気づいたというのに。


 神妙な面持ちで小さく顎を引いたカーチェの瞳が翳る。


「私がこちらに戻る前にお会いした際、ご当主様だけでなく奥様も疲労が大きく見受けられました。言葉の節々で、ご主人様が戻られるまでと区切りを付けて保っておられるような気さえしたのです」


 瞳が揺れるのを見られたくなくて、静かに瞼を下ろす。



(覚悟を、してたつもりなんだけどな……)



 足りていなかった面が今になって露見する。

 だからといって引き返すことはできない。するつもりもなかった。


 父だけではないのだから。

 マティアス・オーレンが誰かなんて、マルティエナですらわからなくなっていた。


 尊敬していた兄の輪郭が揺らいでる。


 どうして学院の入学を拒んだのか。

 どうして伯爵家を去ったのか。

 どうして闇属性の魔法士集団(ドルミオス)と繋がっているのか――


 どれもマルティエナの記憶に残る兄と重ならない。


 だからきっと、兄は戻ってこないのだろう。

 戻る気はないと断言した、あの置き手紙だけは『マティアス・オーレン』の確たる本心なのだ。



 指先まで届く血の巡りを感じて、ゆっくりと瞼を開ける。


「手紙を書くから直接届けてくれる? 私からも報告があってね」

「はい、ご主人様。ただ今ご用意いたしますね」


 文を書く場を整えるためにカーチェが立ち上がる。息を深く吸って、その名を呼んだ。



「カーチェ、私は爵位を継ぐよ――――マティアス・オーレンとして。お兄様を待つのは、もうやめる」



 胸に手を当てるとドクドクと脈打つ心臓を直に感じる。けれど、喉が震えることはなかった。

 決意を口に出してしまえば、マルティエナにとってはもう確定事項だ。


 不安やら緊張やら後悔が折り重なった鬱屈な靄がぞろぞろと退いていく。


「私はご主人様のお傍におりますからね」


 のどかな陽気のように温もりを感じるカーチェの笑み。ご主人様、と言う彼女の響きがマルティエナには「お嬢様」と聞こえていた。

 カーチェに呼ばれるだけで自分が何者かを見失わずに居られる。


 危険を承知でついてきてくれる彼女にマルティエナは救われている。

 失ってはいけない。

 カーチェも、エルジオも。両親や執事のセヴラン、父の密命で兄を捜索している騎士達も。


 ラルフとは偶然何処かで挨拶を交わした仲なのかもしれない。

 けれど、ユーマを語ったラルフの視線や仕草がマルティエナには他の関係に思えた。


 もしも闇属性の魔法士集団(ドルミオス)の一員になっているのなら、例え穏健派だったとしても只事ではない。

 いずれ和解の道が出来ると信じていても、それが今ではないことをマルティエナは理解している。

 ユーマという人物を捜索していたことが知られ、闇属性の魔法士集団(ドルミオス)との関わりを疑われてしまえば、オーレン伯爵家は容易く滅ぶ。そんな危険を知りながら、全てを投げ出した兄を探すなんて選べなかった。



(さようなら、お兄様)



 兄が姿を消して4年。

 マルティエナは薄れた兄の面影に縋るのをやめた。






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