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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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38.予期せぬ出逢いが運ぶもの

 


 アジトの出口は崖の岩肌にあった。

 町で悪事を働いていたのは洞窟を住処にした盗賊団だそうだ。

 入り組んだ地形を上手く利用して身を隠していた彼らを一網打尽にして目的を達成するために、町に姿を現すのを見張っていたのだとか。


「それで、お姉さんは? 旅人って言ってたけど、もしかしてヴァルトセレーノ王立魔法学院の学生さん?」


 町へと戻る道すがら、ラルフと名乗った少年が尋ねた。


「はい。試験旅行の一環でこちらに立ち寄ったんです。随行で学院教師でもある教会の枢機卿も来ていらっしゃるのですが、この町に用があるとのことで」

「げっ! 枢機卿が来てるの? それはちょっと不味いな〜」


 腕を組んで頭を悩ませた姿を目にしたマルティエナは閉じた口を浅く噛む。


 固定観念は真実を見誤る。

 目にして感じたことを大事にしようと思っているマルティエナには、ラルフが危険人物とはどうしても思えない。


(深入りはしたくないけれど……恩を仇で返すことはしたくないな)


 身に起こった出来事を報告することで彼らを窮地に立たせてはいけない。

 そのためには彼らの事情を知っておかなければ――


「ラルフは、闇属性の魔法士集団(ドルミオス)に所属しているのですか?」


 濁った雲に覆われた深夜の空には月の姿がない。

 岩肌の細道に唯一灯るのはラルフの持つ小降りのランタンだけで、闇に潜んでない限り人がいないことは一目瞭然。

 それでもその名を口にすることを躊躇って、擦れた囁きが言葉になった。


 ぴたりと立ち止まって目を合わせてくるラルフをマルティエナも逸らすことなく返すこと数秒。


「あ~、ははっ! 僕らはそんな物々しい呼び方しないけどね~」


 大きく口を開けて笑った彼は愉快げにそんなことを口にして再び歩き出す。

 マルティエナはその後ろ姿に言葉を続けた。


「私は戻り次第、事の経過を報告しなければなりません。ラルフは私が何を覚えていたら困りますか?」


 また足が止まった。

 含みのない率直なマルティエナをぱちくりと凝視したラルフは「ん~そうだなぁ」と悩みながら、諦めと期待がない混ぜになった眼差しを投げる。


「全部覚えていてくれていいよ。というよりは――僕らが君のような人を助けてるってことを覚えていてほしいかな」


 どうにもならないと諦めながらも願掛けをしているような、切実さが事切れたあとの侘しい響きがあった。


 一言も語られていない彼の境遇が伝わるようで、一度だけ深く瞼を下ろす。自分は人との巡り合わせに恵まれている。常々感じていたことだったが、恵まれ過ぎていることを痛感する。


「それだけ、でいいのですか?」


 彼らの願いは予想したものとは違う。

 てっきり、魔道具の存在を隠したいのかと思っていたのに。


「僕らにとってはね、それが大事なんだ」


 ふっと笑ったラルフは両手を頭の後ろで組んで、歩き出す。

 年相応の笑みだった。

 灯りを後手に下げたラルフは自分によって光が遮られた暗闇を歩いているのに、足取りに迷いはない。

 その背を追うマルティエナにはその表情をうかがいしることができない。


闇属性の魔法士集団(ドルミオス)って一括りで危険視されてるけど、復讐したいとか天地をひっくり返したいなんて大それたことは思ってない」


 闇空の中で小さな星が仄かに灯りを揺らすような、穏やかな声だった。


「ただ、僕らの存在を認めてほしいだけなんだよ。光も闇も対等だって考え直してほしい。昔は違ったとしても、僕らは冷遇されて住処を奪われた寄せ集めだからさ」


 恨みや憎しみを孕まない声音が彼の人柄を顕にする。

 自分とは比べものにならないくらい心根の優しいひとだと思った。

 だって、羨みは常に潜んでいる。マルティエナが兄に対してそうなように。

 いつだって嫉みに変じるそれが彼にはない気がしたのだ。


「あっ! でもさ、教会やあの国が危険視してるのは半分正解なんだよね〜。僕らは和解を望む穏健派だけど、恨みが募った過激派もいて、そいつらがあの魔道具を不成者に売り捌いたんだよ。それでこうして大事になる前に壊しにきたんだけどさぁ、ほんと迷惑だよね。なんで関係ない人たちを巻き込む方法を取るのかな〜」


 徐々に愚痴っぽくなる口調がまた闇属性の魔法士集団(ドルミオス)の複雑な内情を物語る。

 謎に包まれていた組織の実態に耳を傾けているうちに、町の外壁に沿った揺らぐ灯りが遠目に見え出す。

 上空の闇も白け始めていた。


 戻ったら真っ先にダレンに怒られそうだ。眦を釣り上げた姿が浮かぶ。

 その横ではクレイグも注意が散漫だと小言を言って、アスタシオンは「お疲れさま」と優しく労ってくれても二人を止めはしない。程よく間に入るセルベスタは先生の顔で「まずは無事で良かったです」と言っては事の報告を促すのだろう。

 皆と離れてから数時間しか経っていないだろうに、懐かしくて、恋しい。


「お姉さんってさ……闇属性の魔力あるのに学院に通って、つらくないの?」


 心底不思議なのだと躊躇った声色が語っていた。

 ふと、当たり前のことが腑に落ちる。ヴァルトセレーノ王国とクレメン教会にとって闇属性の魔法士集団(ドルミオス)の存在が危険な異分子であり続けるように、彼らもまた、決して受け入れられることはないと落胆している。


 マルティエナには国や教会の思惑なんてわからない。今後知る機会もないのだろう。

 それでも、これまで関わってきた友人達が築いていく日は闇属性に対する心象を徐々に変えていくと確信できる。


 それを知っていてほしい。


「学院で出会った友人が私に言ったんです。この世に闇がないと休めないから困ると。私との関係も同じだと、そう話してくれました」


 一年次にマルティエナは闇属性の魔力があるというだけで関わりの薄かった学生から遠巻きにされた。

 そんな周囲の変化に臆せずに告げたカストは、高度な知識を身につけた今でも根本の捉え方は変わっていない。


 魔法学では闇の魔法を要所で用いるマルティエナをアスタシオンはよく感心してくれて「私も闇魔法を使えたら」とまで人前で漏らしていた。

 アスタシオンは考えなしに言葉を紡がない。第二王子である彼の言動は些細なことでも人伝に広まって、国政にも少なからず影響を与えるからだ。マルティエナと親しくしていることもそうで、監視だと囁かれていた声は聞こえなくなっている。

 エレノアによると、第一王子も闇属性の有用性を時々話しているそうだ。


「私はそう遠くない日に和解への足がかりが増えて繋がると信じます。今日の出会いも、きっとその一つですね」


 一歩先を歩くラルフが息を呑んで顔を僅かに寄せた。

 後ろ手に持ったランタンの燈が逆光となって彼の顔を闇に染める。


「ユーマと同じだ」


 雨が一滴、空気に溶け込んで滑り落ちてきたのかと思った。


「――え?」


 ラルフの喉奥から漏れた呟きに呼応するように、マルティエナの戸惑いが吐息に紛れる。


 ざり、と地を踏みしめる音がした気がした。

 嗅ぎなれた香りが風に乗って仄かに漂ったように思えて、息を殺していた血が体中に巡りだす。

 町へと視線を向けると、これまではなかった橙の小さな灯が揺らめいていた。

 距離はまだ離れている。


「ユーマって――」


 聞かなければ――。速まるままに兄の偽名を上ずったマルティエナは、冷え切った手のひらに熱を感じて視線を落とす。

 触れているのはラルフの手だ。

 彼が持っていたランタンの取っ手が今はマルティエナの手に収まっている。

 自然と指先に力が加わって、落とさないことを確認してから彼の熱が離れていく。


「お姉さんのおかげで僕も信じ続けられるよ。ありがとう」


 遠のいていくラルフの瞳に吸い寄せられる。時折覗く影が消え去って、空に浮かぶ星のように揺れる光を内包していた。


「聞き忘れてたけどさ、お姉さんって危険を避けるために男装してるの? 近くで見てたら女の人だって分かるから、あんまり意味ないと思うな〜。今後は旅仲間と行動するようにね!」


 別れの挨拶だった。

 まだ駄目だと伸ばした手は虚空を切って力なく落ちる。


 息つく間も与えられずにラルフはマルティエナの前から姿を消した。

 暗闇に溶けるように姿を眩ませた彼を探して視線を彷徨わせても行方は知れない。


「お兄様を知ってるの――?」


 その呟きはあまりにもか細く霧散して、誰の耳にも届くことはなかった。






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