36.不穏な町で兄を思う
随行するセルベスタには協会の枢機卿として各地の司教を尋ねるという役目も担っているらしかった。
数泊する拠点の街を決めて各自が近隣を散策している間、その地の聖堂に赴く。時には往復1日かかる近隣の集落へも足を運んでいた。
そんなセルベスタが唯一口を挟んだ旅の行き先。
人の手が入っていない深く生い茂る森と切り立った崖の狭間にある町。
そこに至るまでの道は馬車一台が通れる幅で、舗装はされていなく、ぐねぐねと曲がりくねっていた。
地図上では遠くなさそうだったのに、実際に道なりに進むと距離がある。
早朝に発ってから一日がかりで辿り着いた町は、まばらな外灯と家の窓から漏れる明かりで薄暗く照らされていた。
「町の規模に反して活気がないですね……」
見たことのない旅人が訪れたら騒ぎになる小さな町ではなさそうだ。
2、3階建ての建物が一定間隔で建っているし、店の看板を表に吊るした建物も道なりに並んでいる。大きな通りは丁寧に舗装されていて、街路樹も視界を遮らないように剪定されている。
景観を見ている分には、辺境のわりに程よく栄えている印象を受けた。
それなのに、酒場が賑わい出す陽の沈んだ時間に、鳴らした足音が鼓膜に響くほど静まり返っていた。行き交う人の姿はあるが、顔を伏せて早歩きする姿は沈んで見える。
「今夜は聖堂で部屋を借りましょう。私は先に向かいますので、皆さんはどこかで食事を終えてから来てください。ついでに、ここ最近の様子を尋ねてもらえますか? ここまで閑散とした町ではなかったはずですから」
連なる建物の奥に見える、頭一つ高く建てられた時計台。聖堂の目印になっている時計台までの距離はそこそこある。
セルベスタの問いかけに頷いて別れると、なるべく人が集まっていそうな食事処を求めて四人は歩き始めた。
◇◇◇
――私たちはもう少し探りをいれてみるから、二人は先に先生と合流していて?
半数ほどの客席が埋まった酒場で食事をしながら周囲の会話に耳を傾け、店員と数度会話を交わしたアスタシオンは告げた。
店内はそれこそ客数に応じた賑わいはあったが、全員が人目を気にして監視し合っているような、妙な居心地だった。
情報収集はクレイグが長けている。
アスタシオンは各国の地域特性や目新しい情勢に詳しい。
探りを入れるためには人数は少ない方が良い。
そういったわけで、マルティエナはダレンとともに先に聖堂へと向かっていた。
「お前もそろそろ婚約者決めるのか……?」
虫の鳴き声も聞こえない静まった薄暗い街路を並んで歩く。
町の様子ばかり考えていたので、突飛な問いかけに一瞬戸惑った。
ダレンへと目線を向けると、ダレン自身も複雑な表情をしていた。
何となく不気味に感じる街の様子に怯えているのだろうか。それとも、気遣って関係のない話題にしたのかもしれない。
「そう言うダレン君は? 確か婚約発表してないよね」
親切心だとしたら有難いが、返答に悩む話題だ。
アレッタとの関係を追求されても困るし、何を言っても曲解される予感がして、微笑みで受け流して話の対象を変える。
それが気に障ったのかダレンは眉を吊り上げた。
「俺に聞くな!! お前のせいだぞ!!」
「いや、意味がわからないよ……」
「大体お前は……」と突然始まった説教を聞き流しながら町を見渡す。
早々と寝る者があらわれる時間帯。元々少なかった人の行来が商店街から外れるにつれて見る影もなくなっていく。
「おい、お前ちゃんと聞いてるのか!?」
「ん? 聞いているから続けていいよ」
「絶対聞いてないだろ! お前のそういうところが――」
喉奥まで開いた大きな口へと手を伸ばしてダレンへと目配せする。
「待って。……今何か聞こえなかった?」
「は? 何かって何だよ」
そのまま耳をそば立ててみたが、聞こえるのは僅かな風の音だけ。
「気のせいだろ。早く行くぞ」
ぐい、と背を押されたが、立ち止まった足は踏み出さない。
ダレンの声に被さって聞き取れなかった小さな音。
それはダレンとは異なる甲高いものに思えた。
この町では何か良からぬことが起きている。
その『何か』を想像して思いつく事柄の多くは女性が被害に遭うのだ。
気のせいであってほしい。
だからこそ直接確認しなければ――
「少しだけ様子を見てくるよ。ダレン君も来て。それと、なるべく大声は出さないでね?」
言葉と共に指先で文字を印す。
素早く魔法を発動させると、一度触れれば割れてしまう宙に浮いた薄氷を足場に建物の屋根へと駆け上がった。
「おい、待てって! 俺はお前みたいに器用じゃねーんだよ!!」
注意をしたのにダレンの叫び声が背後から聞こえた。そうは言われてもマルティエナ自身、最小限の脆い足場しか生み出せないし、ダレンなら他の方法で追ってきてくれるだろう。
(こっちから響いたと思うんだけど……)
急斜の三角屋根に登ったマルティエナは路地裏を見下ろす。
建物の構造上、下にいる者からは見えずらいので、音を立てない限りは気付かれないはずだ。屋根から屋根へと渡り歩いて隈なく人影を探す。
ダレンの言う通り気のせいだったかと安心しかけた矢先、細い路地裏で蠢く人影に目が止まった。
(――――あれは?)
地味な色合いのマントで頭まで覆った人間が三人。
その中央には一人だけフードを被っていない人が混ざっている。背もその人が一段と低くて華奢だ。
(三人か……)
ダレンを待つべきか。
けれどあの調子では状況に気づくことなく大声で名を呼ばれそうだ。
悩んだ末に、小悪党三人程度なら一人でも制圧できるだろうと細い路地の先に降り立った。
「すみません、旅の者なのですが道に迷ってしまいまして。よければ道案内を頼めませんか?」
先頭を歩く男の姿が現れるなり微笑んで声をかける。
頬骨辺りに切傷がある体格の良い男だった。後ろに立つ女性の姿をその体躯で隠せてしまう。
「悪いが急いでるんだ。他当たれ」
訛りのある粗雑な物言い。
道を塞いで立つマルティエナを払い除けるように男が手を振る。
「そうでしたか。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
一歩身を引いて人一人通れる狭い道幅をつくる。
そのことに舌打ちをしつつも口を開きはしなかった。不機嫌を体現しながら男はマルティエナの前を通っていく。
軽い会釈をして手元まで目を下すと、続いたのは女性。前を歩く男に片手を引かれていた。
拘束はされていないようで、自由な片手を胸元で握りしめている。
足元を見続ける伏せた顔。影になって表情は伺えなかったが、垂れ下がる髪の隙間から蒼い悲痛な眼差しが一瞬差した気がした。
続く三人目は恰幅の良い大男。マントの無機質な膨らみからして幅の広い剣を腰に携えている。
マルティエナは戦闘において力でごり押しするタイプが苦手だ。
一番後ろを歩く男も素早く確認して優先順位を決めると、後ろ手で記していた文字で魔法を発動させる。
まずは恰幅の良い大男。剣の打ち合いになっては敵わないので、凝縮した闇の魔法で顔を覆う。
闇は時の歩みを止めて永遠の眠りへと誘う。
ぎりぎりまで凝縮した闇魔法を体内に送り込めば、数秒で人の意識をとばすことも可能だ。タイミングを間違えれば命すら奪ってしまうし、自身の魔力も大量に失うことになる。
最終学年になってようやく実践で使えるレベルになった魔法は必要な魔力に対して敵一人しか倒せないので使いどころが少ないのだが、学んでおいてよかったと習得をしつこく勧めてきた師匠に感謝する。
力の抜け始めた男の体を腕で後方へと押しのけると重力のままに倒れていく。
「うおっ!?」
叫び声を上げたのは後ろを歩いていた男だ。突如意識を失って倒れた仲間を受け止めきれずに体勢を崩していった。
次の標的は振り返った先頭の男。状況を把握できていないうちに次の魔法を発動させる。
今度は水魔法だ。女性の手を掴んだ男の手首から腕全体へと巻き付けると縄のように締め上げる。
「くっそ! 何しやがる、てめぇ!!」
力の抜けてた手から女性を引き離すと体を拘束するように水の縄を這わせて縛る。
そうして女性の手をとって男達から距離を取った。
「大丈夫ですか? 一人で走れそうなら向こうに逃げて」
蒼白な面持ちで必死に首を縦に振った女性へと柔らかく微笑むと、再び視線を男達へと戻す。
不意をついたから拘束できただけで、マルティエナの魔法では拘束できるほどの水圧を維持できない。男の力が強ければいずれ意味のないものになる。
「声を上げて私を探している仲間がいるから、彼に助けを求めて。名前はダレン。私よりも強いから貴女を守ってくれますよ」
勇気づけるためにも手のひらで肩を優しく押す。
少しの間戸惑っていた女性も、水縄で拘束していた男が雄叫びを上げると同時に駆け出した。
遠退いていく足音を聞きながら、ローブの下に隠れる剣を手に取る。
建物の壁で挟まれた路地裏で対峙した男がフードから覗く髪を掻き上げる。
「良くもやってくれたな。今時期の若い旅人には手ぇだすなって言われてたんだが、お前は別だ」
「警戒されてたんだね? ありがとう、と言っておくべきかな」
時期と年齢を限定していることから、ヴァルトセレーノ王立魔法学院の試験旅行中の学生を指していると考えていいだろう。
会話からこの男の上に親玉がいることも知れた。
(とりあえずは全員気絶させようかな)
恐怖心を助長させないために手荒な真似はしなかったが、女性の目がなくなれば多少強引な手段も選べる。
剣に文字を印して短い剣身を倍の長さの氷の刃に変える。
そうして構えた時だった。
「おい、あれを使え!」
「お、おう」
(――あれって?)
指し示すものを考えながらも地面を蹴り上げる。風の魔法で加速して、威力も増した剣を振りかざした。
状況を変える何かだとしても、その前に決着をつけてしまえ。
男の握る湾曲した短剣と2度、3度と打ち合う。
暗がりに響き渡る金属音が耳に痛い。
それもこれで最後だ、と突き刺した氷の刃先が剣身に触れる直前、マルティエナは信じられないと両目を見開く。
「ハッ、残念だったなぁ? お得意の魔法は使えねぇぞ」
剣先を長くしていた氷の刃が突如として消えた。
身体に纏っていた風魔法もマルティエナの意志に反して消え去る。
魔法を他の魔法で相殺することなく消し去るだなんて、そんなことができるのは闇属性だけだ。「あれを使え」ということは魔道具の一種なのかもしれない。
魔法が使えない以上、単純な力比べでは敵わない。
それを理解していた目の前の男は勝ち誇ったように顔を歪ませて笑った。
氷の刃が消えた分の1秒にも満たない差。
マルティエナが振り込んだ剣先が、男の剣身に当たって金属が砕ける音が鳴った。
そのまま砕けた剣身の奥へと腕を突き出して、男の腹部を刺す。
「君も残念だったね。少しだけ眠ってくれないかな」
氷の刃も風の魔法も消えてしまった。けれど、闇属性の古代魔法は消えることなく発動し続けている。
闇属性では闇属性の魔法を消せない。それどころか、威力を増幅させてしまうことすらある。
腹部を刺した剣先へと闇属性の魔力を直接流して体内に送り込む。
「……このっ、くそ餓鬼が……!!」
なんとも子悪党らしい捨て台詞だ。
ぎらついた獣のような瞳から光が消えたのを見届けて崩れ落ちる前に剣を引き抜く。
「さて、残すは一人か。大人しく降参してくれると私も助かるんだけど、どうかな?」
三人の中では一番小柄な男。実力もあるだろう二人が先に倒れたことで委縮している風に見える。
試しに微笑みかけてみると硬直した顔が破綻した。
瞬間、首から脳を揺さぶる鈍い衝撃に意識が遠退く。
「二人になったところだ。もう少し早かったらお兄さんの勝ちだったのにな?」
倒れていく傍ら、真っ暗な空を映し出すぼやけた視界に、一人の男が入り込む。
地味な色合いの煤けたマントは先ほどまで対峙していた男達と同じだ。
兄だったら上手く対処できてたのだろうか。
四年経っても消えることのない思考が薄れゆく意識に渦巻いた――




