35.過ぎ去る日々は一瞬で
何事もなく、兄が戻ることもなく、淡々と毎日が過ぎていく。
三度目の学院祭を迎え、大小異なる試験を幾度と済まし、長期休暇を暇なく過ごして、進級して。
講義の科目に多少の変化はあっても、さして変わらない日常。
風の季節に四度目の学院祭を迎えた。武術含めたトーナメント戦に出場したところ、ぎりぎり順位が一桁まで上がれることができた。兄ならもっと上までいけただろうが、強者揃いと言われている中での結果に個人的には満足だ。
水の季節を巡って、土の季節で全ての科目を履修し、火の季節で試験旅行へと旅立つ。
試験旅行とは一、二ヶ月に渡る旅で見聞を広げた後に、社会における問題提起や事象の考察を多分に取り入れた報告発表を目的とした、これまでの学院で培ってきたものを卒業後に生かす為の集大成となる試験である。
とはいえ、学生にとっては卒業前最後の時間を謳歌できる自由気ままな旅行。
事前に行われる希望調査を元に決まる少数のグループで国内外を巡ることになる。王侯貴族はこの機会を逃すと自由に国外を歩き渡ることが易々と出来ないため、大半は国外を望んでいて、マルティエナも例に洩れず旅の希望を細かに書いていた。
そうして決まったグループ分け。
「クレイグさ、私が書いている内容見てたりした?」
いつもなら試験結果が張り出されている廊下には、学院側で決めたグループが貼り出されている。
希望調査には行き先や目的の他に、連れる使用人の有無や宿泊先、移動手段等の希望が固まっていれば自由記載ができる。
希望の異なる相手と同じグループになったとしても、旅行期間が長いので両者を取り入れるよう調整していくのだが、旅の根幹は似ている者同士になっているはず。
マルティエナは自分が記入した旅行の希望と似た計画をクレイグが立てるとは思えなくて首を捻る。
「なんだよ、俺と一緒じゃ嫌のか? マティ」
答えになってない。
そうは思っても、追及することでもないか、と深く気に留めずに流していく。
「嬉しいけど……顔馴染みのメンバーだったからさ。少し驚いて」
「あ〜そりゃあ、折角の旅行を大して仲良くない奴と行くなんて悲しいだろ。旅行先で騒動でも起こされちゃ厄介だしな。お優しい先生方は希望も見つつ、調整してくれてるんだよ」
「そういうもの? それなら、ダレン君は意外だなぁ。きっと希望が近いから同じになったんだろうし」
「あいつこそ使用人連れて名所を観光しそうなのにな」
メンバーはマルティエナにクレイグ、ダレンの他にアスタシオンの計4名。
マルティエナは各国の大都市観光や古代遺跡探索よりも身分を隠して各国の村落を中心に巡ることを希望した。
第一の目的はそういった場で目撃証言を得られる兄の捜索なのだが、本来の目的としても各地の地形や気候と魔法を効果的に掛け合わせた特色を直接目にしたかったのだ。
アスタシオンは第二王子として各国の大使と接していくことになるので、物事の考え方を構築する元となる土着した風習や文化の一端に触れるためにも、敢えて大都市を外したと話していた。
交友関係のみならず学業においても広く浅くといったクレイグや、何かにつけて突っかかってくるわりに怒りに顔を赤くして逃走してしまうダレンにも、華やかに賑わう旅を主目的としなかった理由があるのだろう。
(先生方の気遣いは有難いし、一学生としては楽しみなんだけど……)
マルティエナとしては少々複雑だ。
壁に張られたグループ分け。4人の名が連なるその下には随行者としてセルベスタの名が記されている。
試験旅行は行き先によってグループの人数が異なる。例えば大都市の観光なら大人数のグループから更に分かれて行動する期間を設けたりする。
その全てに教師や助手をつけることは不可能で、多くは学生だけ。希望によってはそこに連れていく使用人が加わる。そのため、旅行中は学院と学生の仲介役になる各地の聖堂にいる司祭に定期報告をするのだ。
兄探しも容易いと思っていたが、セルベスタに同行されては何もできない。
(てっきり、エレノアさんがいるグループにつくと思ってたんだけどな)
月日を追うごとに高度な魔法を使いこなしていくエレノアは、今ではネヴィルと学年のトップ争いを繰り広げている。
そんな彼女は試験旅行の期間を利用してクレメン教会の本部に来ないかとセルベスタ直々に誘われたらしいのだ。
そんな話を廊下で会った際に聞いたものだから安心しきっていた。他の教師がつくにしてもセルベスタよりは隙もあるだろうと。
ここにきても兄探しはうまくいかない。
せめて先生が別行動する時間が多いと嬉しいな、と運任せの期待をすることにした。
◇◇◇
念入りな旅支度を進めて、カーチェとエルジオに別れを告げた試験旅行の始まり。
学院から最も近い港で船に乗り換えて最初の目的地を目指すことにしたのだが、順調と思われていた矢先に揉めることになる。
「ここはオーレンに決めてもらおうか?」
爽やかに、自分の意に反する結果になるとは露ほども思っていないアスタシオンが笑みを浮かべて首を傾げる。
アスタシオンの手前、口調が荒くなることはなかったが、それでも冷静に自分の意見を通そうとしていたクレイグとダレンもこちらを向いた。
それぞれから無言の圧を感じて、当事者であるはずなのにマルティエナはたじろぐ。
「ええと……私は誰とでも構わないのですが……」
そんな曖昧な返事は許されることもなく。
「オーレン、彼らに遠慮することはないよ。君が心休める相手を選んでくれたらいい話だからね」
その相手は私しかいないだろう、と瞳が訴えている。
確かにアスタシオンであれば古代魔法を使い続けなくとも良い。
けれどもアスタシオン相手だからこそ休まらない気というものもある。
「俺一択だろ、マティ」
対してクレイグならどうか。
やかましい時も多いが、常にではない。その点では心配いらないし、古くからの大親友だと豪語する彼を選ばなかった日には不貞腐れてしまいそうだ。
「待ってくれ、お前は位を重んじるだろう?」
そう話すダレンには首を傾げたくなる。
入学当初のダレンは第二王子のアスタシオンと少しでもお近づきになりたいと意気込んでいたように記憶しているのだが、いつの頃からか怯えた小動物のように、そそくさと挨拶だけしてアスタシオンの前から逃げ去るようになっていた。
学友といえども品位を重んじるために実家の爵位順にすべき、との意見が本心か怪しい。
(殿下の怒りを買ったまま謝れていないのかな? 殿下がご立腹なさるなんて想像できないけれど……)
ダレンからアスタシオンへと視線を変えると、小首を傾げて微笑まれる。
かれこれ3年、穏やかなアスタシオンしか目にしていなかったので忘れがちだが、秘密を打ち明けることになった禁書庫での一件が蘇る。
淡々と詰め寄られたら謝罪も忘れて逃げてしまう気持ちも身に染みて分かるマルティエナは、口元に指を当てて考えてみた。
「殿下、申し訳ありませんが、今回はクレイグと同室でお願いします」
アスタシオンの気遣いを無下にすることに謝罪をしてから、クレイグを指名する。
試験旅行の1日目。
天候に恵まれ早々と港に着いたため客船の部屋をとったはいいものの、二人一部屋となったことによる争いが起きてしまったのである。
誰と誰が同室になるか。
セルベスタが随行するから許されることだが、なるべく多くの国々の村落を見て回るために行き当たりばったりの旅にした結果、行く先々の宿の状況で確保できる部屋数が変わる。数日限りの同室者なんて適当に決めればいい。
それなのに、皆が我を通そうと言い合っていたのだ。
アスタシオンは本来の性別を気にして配慮してくれているのだが、外泊を伴う学院行事は今回が初めてではない。
そのため、寝ている間は古代魔法の効果が切れてしまうことへの対策は万全だ。
まず同室の者よりも遅く寝て早く起きるのは基本。
次に、布団の中に潜って眠ることでそもそも姿を見られないようにする。
加えて、寝起きは機嫌が良くないので睡眠の邪魔はしないでほしいと都度忠告していた。
そう話すと興味が掻き立てられ、ちょっかいを出そうと行動を起こす者が一定数いる。
寝入った後に布団を剥がされた時には、これでもかと言うほどの眼力で睨みつけ、極限まで低く下げた声で何か用かと問うた。簡単にいうと、殺意を向けた。
手を出してくると予想していた者だったので、当然寝たふりだったし全て練習しておいた演技だ。
震え上がったその男は深夜にも関わらず悲鳴を上げて謝罪を口にしていた。「オーレンの睡眠を邪魔をしたら殺される」と誇張して言いふらしてくれたおかげで今では殆どの者に浸透していることだろう。
それに、寝入っている人様に手出しするなんて紳士の風上にも置けない。クレイグもダレンもそんなことをする性格ではないと知っている。
つまり一つの寝台で身を寄せて寝る状況に陥らない限り、問題はないのだ。
肩を落としたダレンの顔を覗き込む。
そうして口元に手を添えて、ダレンにしか聞こえないように小声で告げた。
「ダレン君、君が何をしたのかは知らないけれど、心からの謝罪をすれば殿下は受け入れてくださるはずだよ。今後のためにも落ち着いて話せる機会になると思ったんだけど……余計なお世話だったかな?」
「は? 何言って……」
マルティエナにとってはダレンへの最大限の配慮。
けれどダレンには身に覚えのない自分の過ち。
「マティ行くぞ〜」
「ああ、うん。それでは殿下。また後ほど」
「オーレン、何かあったらいつでも私の部屋においで」
去っていくマルティエナとクレイグを手を振って見送るアスタシオンは穏やかだ。
けれども、肩を組むクレイグを嫌がりもしないマルティエナが通路の角を曲がって視界に映らなくなった途端に目が据わる。
「で、では殿下。私どもも参りましょうか」
「そうだね、フォディール」
にこりと微笑んでいても目が据わったまま微動だにしないアスタシオンの眼差し。思わず身震いをしたダレンは、今度は凍りつくことになった。
「オーレンの前でその反応はやめてくれないかな、フォディール。彼は優しいから、君を気遣ったようだね? 私たちの間には何もないのにね」
「す、す、す、すみません、殿下!! 仰る通りで! あいつ何を勘違いしてるんでしょうかね」
「君はまさかオーレンに非があるとでも言いたいの?」
「ひぃッ! まさか! 俺が誤解させてしまったんです!!」
忘れもしない。
ダレンがアスタシオンに畏怖を抱くようになったのは、2年次に剣術と魔法学の講義を受けた後のこと。
アスタシオンの香水を漂わせて剣を振るうマティアス・オーレンに胸の締め付けられる苛立ちが押し寄せたあの日。
放課後にアスタシオンと偶然会ったかと思えば「君を思っての忠告だよ」と囁かれたのだ。
――私のオーレンに手を出すな、と。
二人は密かに想い合う関係だったのかという衝撃。その裏に隠れた酷い胸の痛み。
乾いた空気で軋む心臓が体を冷やした。
食事が喉を通らなくて、病気を疑った。けれども医者から処方された薬はどれも効果がなく、いつから、どんな状況で症状が始まったかと問われて、少しずつ、追及される事柄に名を伏せつつもぽつりぽつりと溢していくと医者は言った。
薬が意味をなさない、恋の病だと。
易々と認められるはずもなく、事あるごとにマティアス・オーレンに突っかかった。適当な文句を放ち、何かにつけて酷評し、貶した。それなのに悪意を好意的に受け取っては感謝をされる始末。その度に胸の痛みは種類の異なる痛みへと変化した。
よくよく見ていると、二人が想い合っている関係ではないことにも気づいてしまって、甘いアルコールに酔わされて焼け付くような痛みに変わった。
己が認めようが認めまいが、互いが次期伯爵なのだから叶うはずなどない。
男子の血縁を最も重要視するこの国の貴族社会では異性の相手と契りを交わすことこそ義務であり最大の使命。
だからこんな痛みに悩めるのも今だけ。学生の間くらい不毛な恋に甘んじても許されるだろう。婚約者はどうせ父が決めるのだから。
学友として、ちょっとばかし甘い二人の旅の想い出をつくるくらいはできるのではないか――
そんな淡い期待は二人の男によって打ち砕かれる。
なんで男同士で男を取り合うんだよ、と不満を自分自身にぶつけながらも負けじと涙を呑むダレンであった。




