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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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33.兄の親友だった彼

 


 長期休暇を終えてからというものクレイグがおかしい。

 いや、別れ際を考えると当然だ。

 けれども何かがおかしい。


 否定しては肯定してをマルティエナは繰り返す。


「クレイグ、あのさ」


 隣の席を開けといたのに、気づいたうえで離れた後方の席へと座ったクレイグの元へ歩み寄る。

 けれど視線を教本へと落としたまま手で制された。


「後でな。今日はぎりぎりまで予習しときたい気分なんだ」

「……へえ。真面目になったのは良いことだけど、最近そればかりだね?」

「ああ、偉いだろ」


 今度は手を払われた。

 目も合わせてくれないので、態とらしく溜息を残したマルティエナは元の席へと戻る。


 3年になると基礎科目は殆どなくなり、選択科目で埋め尽くされる。

 そしてこれから受ける講義には、仲介役となってくれるカストがいないのだ。

 だから気まずくて離れた席に座ったのかもしれない。


 再会早々に言い過ぎたことを詫びて、クレイグも甘い考えを反省したと話していたのに、いつまでも距離を取られるとは思わなかった。


 以前はクレイグに話しかけられても適当に流して教本を読んでいたのに、逆の立場になると集中できなくて、開きかけた本をすぐ閉じる。


 窓から外を眺められたら良かったが、生憎と壁側の席に座っていた。

 耳にかかっている前髪を指先で梳いては、定位置に戻す。


 いっそのこと早く講義が始まってほしい。

 そうすれば講義に集中できるのに。


 溜息と共に落ちた肩に誰かの手が置かれた。



「オーレン、隣空いてるなら私が座ってもいいかい?」



 声だけで誰かわかった。

 いや、声を聞かなくても多分わかっていた。


 心地良いアスタシオンの香りが僅かに流れ着いて、立ち込めていた霧が振り払われる。

 見上げようと顔を動かして、そうする前に屈んだアスタシオンと目が合う。


「お一人分しか空いてませんが、それで良ければ」

「ありがとう。ネヴィルのことは気にしないで」


 長椅子の中央へと寄って、アスタシオンの座る場所を空ける。

 動作の合間に元々アスタシオンが座っていた後方を見やるとネヴィルと目が合う。マルティエナは目礼した。

 それからアスタシオンへと向き直る途中で、今度はクレイグと目が合った。けれどすぐに俯かれて、再び脳裏に霧が立ち込める。


「彼と何かあったの? 私でよければ相談にのるよ」


 普段アスタシオンと顔を合わせるには座っていても多少見上げるのだが、今回は違った。

 伏せたマルティエナの瞳を、アスタシオンは姿勢を低くして下から覗き込む。

 影の落ちた視界に翡翠の風が吹く。


「殿下のお耳に入れれるような話ではないのですが。私が彼を責めてしまったので、嫌われたのかも」

「君が? アルカシアが何をしたのか気になるけれど、嫌われてはいないだろうね。――もう一度振り返ってご覧」


 最後の一言は耳元でひっそりと紡がれた。

 言われた通りに振り返ると、再び視線が交わる。


 クレイグの、表情次第では冷ややかに感じるアイスブルーの瞳。

 遠くからでも透き通った水を間近に感じる。そんな瞳が大きく見開かれて、慌てたように下を向いた。


「彼、休暇が明けてからは常に君を目で追っているよ。初めて恋を知った少年のようにね」


 思いもよらない例えに笑みが溢れる。

 そんな初々しさは微塵も感じられないが、クレイグに様子を窺われているのは確からしい。


「ありがとうございます。嫌われてないと思えば少しは安心できます」


 ひとりで整理する時間が必要なのかもしれない。

 話しかけたら避けられるのだから、クレイグの件は保留にしようとマルティエナは決めた。



 ◇◇◇



 さて、どうしたものか。

 様子見という呑気な決意をしたのも束の間、クレイグはあっさりと元通りになった。


「おい、マティ。聞いてたか?」


 とはいえ元通りとは少し違うかもしれない。

 何故だか兄を愛称で呼び始めたのである。


「心配しなくても聞いているよ。だけど、突然そんな呼び方するなんてどんな心変わり?」


 元々クレイグが兄を呼ぶ時には一貫性がない。マティアス、マティアス君、オーレン君、お前。気に留めたことはなかったが、突然の愛称は違和感が大きすぎた。


「俺は気づいたんだよ。――お前の一番の親友の座を奪われそうなことに!」

「一番もなにも……」


 仲の良さに順位をつける気はないし、そもそも最近距離を置いていたのはクレイグだろう? と続けたかったマルティエナは、聞く耳を持たないクレイグによって口を閉ざす。


「そういうわけで、昔懐かしの呼び方をしようと思ったわけだ」

「そうだっけ?」


 エルジオからはそんな話は聞いていない。


「忘れたのか!? 二人の時はいつもマティって呼んでただろ!」

「……言われてみれば、そうだった、かなぁ」


 信じられない、と非難の目を向けられて曖昧に頷く。

 愛称で呼び合うなんてよくあることだが、幼少の頃から大人の会話に仲間入りしていた兄がそこまで親しくしていたとは驚きだ。

 何がきっかけで兄との交友が深まったのだろうか。

 年齢に不釣り合いな大人びた会話をする幼少のクレイグは想像がつかない。


 目にしていない過去を思い浮かべては首を捻るマルティエナは、押し黙ったクレイグが神妙な顔をしていたことに遅れて気づく。


「すぐに思い出せなくてすまないね?」

「いや、本当に……忘れてたんだな」

「だからごめんって」


 こういった時は大抵大げさに残念がるクレイグが、真顔でじっと見てくるので、余計に申し訳なさがたつ。



「話を戻すけどな、マティ。お前、殿下と近すぎるぞ」

「馴れ馴れしいってこと? 言われるほどでもないと思うけど」


 秘密を打ち明けたことで親しくなっても、アスタシオンはこの国の第二王子。身分の差は弁えてる。


「いやいや、単純な距離の問題。今にもキスしそうな近さで会話するってどういうことだよ。気をつけろ? 殿下に良からぬ噂が立つのは嫌だろ」

「そんなに近い?」

「近い。お前は誰に対しても近すぎるんだ」


(どの口が言うんだか)


 勉強以上に真剣なクレイグにマルティエナは呆れる。

 肩に置かれた手を軽く叩いて、態とらしく口角を上げた。


「それを言うなら君もね。そろそろ離れてくれても良いんじゃない? 歩きづらいな」

「俺は良いんだ。なんたって、俺とお前の仲だからな!」


 ぐい、と肩を引き寄せられて肩口に埋まる。足までもつれた。

 歩けなくなったことに文句を言おうと見上げて、息を吐き出さずに下を向く。


「よくわからない理論だよ……」


 アスタシオンよりもクレイグの方が近いじゃないか。

 息が彼の顔にかかってしまいそうで、まともに会話もできない。


(本当に、お兄様ってクレイグとどんな仲だったの?)


 男同士の友情がこんなにもスキンシップが激しいとは思わなかった。

 早い段階からこういうものだと割り切っていて良かったな、とマルティエナは思う。

 そうしておかなければ心臓が保ちそうにないことだらけ。


 見上げると、彼は涼しげに笑っていた。

 女性を口説こうとしていた時のように生き生きとして、楽しそうだ。


「とにかく! お前の忠告を聞き入れて改心した俺の忠告も聞き入れろよな!」


 そう言われれば頷くしかない。

 とりあえずは、仲互いが丸く治まったことを喜ぼうじゃないか。


 結局のところ、気兼ねなく思ったことを言い合えるクレイグとの関係性がマルティエナは気に入っているのである。







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