31.友との決裂
四年生の卒業を祝う夜会を終えた翌日。
領地に戻る前にクレイグに連れられたのは王都にある聖テレシア女学院だった。
兄が戻ってきたら入学手続きをしようと思っていた学院に、まさか兄として訪れることになるとは。
それに、ここは男子禁制だったはず。
太陽が空高く登っている時間から帰路に着く女学生の出待ちをしようとでもいうのかと、鼻歌を歌う隣の男へと疑いの眼差しを向ける。
そんなマルティエナのしかめっ面に目を止めて、噴き出して笑ったクレイグの腕が肩に回った。
「言っただろ、パーティーに参加できる服装しろって! そういうことだぞ、マティアス」
「ここでパーティーが催されるなんて聞いたことないけど」
「在学しているお嬢様方の家門からの招待制らしいぞ。色々と優しい先輩から招待状譲ってもらってさ」
「それって社交界デビュー前のお見合いってこと?」
「いんや、その前に多少は男慣れしとけってことらしい。正式な顔合わせにはしないから、会場で使う偽名を受付で聞かれるんだと。受付以外では家名も名乗るなよ」
「へえ? そんなことしてるんだね」
この場で偽名を用いても、互いに顔を記憶していれば社交界で正式に挨拶をしてからの繋がりを持てる。社交界の予行演習といえるパーティーは互いにとっても、招待客の決定権がある親にとっても有益なのだろう。
偽名と言われて思いつくのは、兄が名乗っているユーマという名だ。
諦め半分に「またお会いしましたね」と言われることを期待して聖テレシア女学院の敷地の門を潜った。
◇◇◇
現実問題、期待とは違って何事も起きないものである。
会場にいる多くの令嬢と一言二言挨拶を交わしたが、兄を知る者が現われることはなかった。それは招待客も同様だ。というよりかは、招待客の半数以上がヴァルトセレーノ王立魔法学院で見かけたことのある顔ぶれだったのは気のせいではないだろう。
男女ごとに最も貴族からの支持がある学院同士、非公式な場でも交流が生まれるのは自然なのかもしれない。
「マティ……じゃなくてユーマ、こんなところにいたのか」
「ああ、レイ。お疲れ」
パーティー会場は複数箇所に分かれている。楽団の生演奏が響き渡る舞踏会の大ホール、立食形式のガーデンパーティー、休憩室の役割を果たすティールーム、他にも演者を招いた歌劇場まで。
一度別行動すると中々見つからないだろうと大まかに集合場所を決めていたが、それよりも先に再会を果たす。
「お前、結構目立つぞ」
「突然なに?」
「お前のこと遠巻きに伺ってるご令嬢が多いんだよ」
「それは嬉しいね」
何処に行っても視線を感じるとは思っていたが、兄の容姿は目を引くらしい。
そして、同じことがクレイグにも言えた。
「私は君のことをよく聞かれたよ。良い意味でね」
「おうおう、嬉しいことだな! それでな、ユーマ」
声を潜めて立てた人差し指をくいと動かしたクレイグに合わせて、顔を傾けて耳を寄せる。
「面白い話を聞いたんだけど、一緒に行くだろ」
自分にだけ聞こえるように囁かれた声はこれまで以上に嬉々と弾んでいた。
どこからか情報を仕入れては興味本位で首を突っ込むところはクレイグらしいが、余所の学院でもやるのかと呆れながらも肩に回った腕に押されるまま歩く。
大ホールを出て人の行き交う通路を歩いた。分かれ道を曲がって、さらに歩いて、また曲がって。人通りの減った通路の扉を開けて無人の休憩室に着いたと思ったら、奥の壁にある扉をまた潜って細い通路に出る。
使用人用の通路だろうか。
この先に別な会場があるとは思えなくなって半歩先を歩くクレイグの手を取る。
「会場以外に立ち入るのは禁止だよ」
余所の学校で問題を起こすなんて汚名は許さない。それはマルティエナだけでなく、クレイグだって同じだ。
引き返そうとクレイグを引き留めるも「大丈夫だって」と繋いだ手を引かれて歩き続ける。
二年間の苦楽を共にした影響なのか、クレイグの人柄がそうさせるのか。こういう時に見捨てられない。二人して迷ったと言えば大目に見てくれるだろうかと最悪の事態を想像してしまう。
そんなことばかり思考を巡らせていると、急に立ち止まったクレイグの背中に顔をぶつけた。
「立ち止まるなら言ってよ」
取り敢えず、鼻が痛い。
指先で鼻筋を擦って痛みを和らげるマルティエナへと振り向いたクレイグが、「ほい」と何かを手渡した。
「なに、これ」
「見ればわかるだろ。秘密裏に開催される仮面舞踏会にご招待~ってな」
「知ってて持ってきたの?」
「いや? 教えてくれた人からもらった」
目元を隠す黒の仮面には銀の塗料で蔦の模様が描かれていて、括る紐やこめかみから垂れ下がる装飾は小さな宝石があしらわれていてる。
折角来たんだから一目見ないと気が済まないだろ、と急かすクレイグに呆れながらも受け取った仮面を身につける。
視界は狭まるがサイズは問題なさそうだ。
「さて、どんなもんかお邪魔してみますか」
薄暗い通路の先の、質素な扉のノブを回す。
見た目に反して重厚なつくりの扉を押すと、むわりと籠った香りが辺りを塗り替えた。
◇◇◇
雰囲気づくりだとしても薄暗い。
天井の高い壁の上部にだけ窓があるが、昼をゆうに過ぎた時間帯の影響か差し込む光は少ない。よって、薄暗い室内を照らす照明は壁やテーブルに設置されている仄暗い灯りだけ。それなのに、明かりが最小限になるよう調整されていた。
仮面舞踏会というだけにワルツの音が会場を満たしているが、大ホールでの楽団による生演奏とは違ってレコードの音源のようだ。
部屋自体もあまり広くはなく、テーブルやカウチが随所に置かれているため、必然的にすれ違う人との距離が近くなる。
そんな広間に設けられたダンスフロアが広いわけもなく。
決められたステップを踊るという行為は尚更できそうにない。
「あまり……楽しくありませんか?」
腕の中で小さなステップを踏む女性が見上げては不安げな眼差しで尋ねた。
マルティエナが一緒にいるのは、早々にクレイグが声をかけた、壁際に佇んでいた女性だ。
折角だから踊ってきてはどうかと背を押されたものの、広さよりも人数が上回っているため、周りと同様に二人して抱き合うように向き合い、左右へと小さく体を揺らしていた。
楽しいかと問われたらなんとも言えないが、安心させるためにも緩く頭を振る。
「ごめんね? 友人に何も言われずに連れてこられたから、こういう場には慣れていないんだ」
「まあ、そうでしたか。安心しましたわ。実のところ私も今回が初めてで緊張していましたの」
「なら似たもの同士だね」
にこりと微笑むと、照れ隠しなのか見上げていた顔が下を向く。
結い上げられた髪と蝶をモチーフにした髪飾りを眺めて、そして今度は目線だけで周囲を見渡した。
少数ではあるが仮面をつけた使用人が給仕をしているので、学院側が非公認という訳でもないのだろう。
それにしては些か度が過ぎる。
表舞台では品がないと憚られるような、男女が肌を密着させて過剰なスキンシップをとる場面が所々で見受けられた。
デビュー前に多少の男慣れをしておくという本来の目的を越えているのではないか。
現に初めてだと話していた目の前の女性ですら、周りの空気に触発されてか体を寄せることに躊躇いがなくなってきている。
「そろそろ戻ろうか?」
早々と切り上げては失礼だと思って踊っていたものの、あまり長居はしたくない。
物足りなさそうな表情を浮かべても、意を唱えられることはなかった。従順な子が相手で良かったと胸を撫で下ろす。
そうして、人にぶつからないように女性をエスコートして元の場所へと戻ったマルティエナは、盛大な呆れを抑えることができなかった。
(女好きだって知っていたけど……)
クレイグはマルティエナが顔が見える距離まで来たことにも気づいていない。
別れた後に声をかけただろう女性と肩を組み、唇が触れてしまいそうなほどの至近距離で笑い合うクレイグは随分と満喫しているらしい。
あろうことか二人して瞼を下ろしたので、マルティエナは良からぬ雰囲気を察して尖った口調で口を挟むことにした。
「ねえ、何してるの」
こちらを向いたクレイグは口を尖らせて不満げだ。
「なんだよ、良いところだったのに」
「知らないよ。もう時間だから行くよ」
一人で楽しむのは勝手だが、巻き込まれた身としては彼が気が済むまで待ってあげるなんて出来そうにない。
「私の相手をしてくれてありがとう。ここでお別れだけれど、貴女はあまり長居しないでほしいな」
少し後ろで控えめに立っていた女性へと別れを告げるために向き直る。
「私の個人的な気持ちだけれどね、こういったことに慣れていない貴女と光差す夜会で出会えたら嬉しく思うよ」
持ち上げた手の甲へと唇を落とす。控えめなリップ音が鳴って、屈んだ姿勢のままで女性の顔を下から見上げる。
薄暗くても、仮面で覆われていない頬が染まっていくのがはっきりと伝わった。
堂々と身を寄せる姿よりも手袋越しの手の甲への口付けで赤面して戸惑う姿の方がよっぽど可愛らしい。
文句を漏らすクレイグを引っ張って出口を聞き出し、往路とは違う扉を潜る。
人気のない細道を歩きながら、マルティエナは一つだけ確認しなければならないなと口を開いた。
「クレイグはああいう場所だって最初から知ってたの」
感情を出さないようにと気をつけたはずが、口からでたのは疑問符もつかない問いだった。
「半信半疑だったけどな〜。お前も興味あると思ったのに、もう遊びは辞めてたのか」
けれど、クレイグはそんなことよりも残念に思う気持ちの方が強かったらしい。
沸々と怒りが煮えたぎる。
まるで兄が彼と同様にこういった場を楽しむ遊び人だったような言いようだ。
(一度ならず二度までも!!)
それに、昨日のことがある。
アレッタとの関係性を悩んでいて、その気晴らしに誘われたのではなかったか。
他の女性と接点をもつことで気晴らしになると思われていたのだろうか。
「なに、怒ってんの?」
口をつぐんで黙々と歩みを進めていると、呑気な声が届く。何に怒る原因があったのかと本心から思っているらしい。
通路の出口は外に繋がっていて、扉のないそこからは明るい光が差していた。
足を止めてクレイグに向き直る。
「見損なったよ、クレイグ」
吐き捨てた溜息とともに出た非難に自分自身驚いた。
「君が女性を口説くのが好きなことは知ってたけれど、それでも紳士としての礼儀は忘れていないと思っていたんだ。――今日まではね」
これではいけないと柔らかい口調で話すように気をつけたものの、ちくちくと突き出た棘が隠せない。
「実際には何もないにせよ、あらぬ噂を立てられた時に被害を被るのは女性なんだよ。君はその責任が取れると言い切れるの?」
そうなってしまうのはクレイグが相手だからだ。
兄の友として、そして二年間の大半を隣で過ごしたことで根本にある優しさや冷静さを知っているからこそ、そんなことをしてほしくなかった。
顔も身分も隠して無礼講だと気を晴らす人々がいることは知っている。しかし、クレイグにはその一員になってほしくなかったのである。
感情のままに責め立てたことを言葉で吐き出してから苦々しく思う。
親しくしてきた友人に知らない一面があった。それだけのことなのに、自分勝手な理想を押し付けてしまった。
「少し言い過ぎたよ。でも、私はそんな君が好きだったんだ。勝手な話だよね」
出口はガーデンパーティーが催されている庭園の片隅に繋がっていた。
ここまで来れば、一人で帰れる。
「課題はしっかりやりなよ。休み明けに、また学院で会おう」
呆気にとられて表情の抜け落ちたクレイグに別れを告げる。帰路に着くマルティエナが振り返ることはなかった――




